アルゼンチン代表が28年ぶりにタイトル獲得。メッシ34歳にして、ついに初栄冠!
実兄のピチは、あのディエゴ・マラドーナと共にワールドユース東京大会(1979年)で世界一となった右ウイング。息子は、チェンマイ・ユナイテッド所属のエスクデロ競飛王。
自身は、元アルゼンチンユース代表&ビーチサッカーアルゼンチン代表であるセルヒオ・エスクデロ。
一昨年の末から、川越市のフットサル場で自らスクールを始め、今日、埼玉県のジュニアユース、トリコロールFCのコーチとして指揮を執る彼に、コパアメリカでVを飾った祖国代表チームについて聞いた。
「いやぁ本当に嬉しいです! 1993年のコパアメリカ優勝から今日まで、実に28年掛かりました。リオネル・メッシという稀有な選手を抱えながら、いつも準優勝に泣いてきました。コパアメリカでは3回。ブラジルワールドカップでも決勝で負けてしまって……。
ようやく夢が叶いました。試合終了時は夜も遅く、表彰式が終わるころには日付も変わっていましたが、アルゼンチン国民は各々が街の広場に繰り出し、待ちに待った幸福を噛み締めました。
前半21分、ボランチのロドリゴ・デ・パウルが右サイドのアンヘル・ディ・マリアにロングボールを送りましたね。フリーになったディ・マリアが冷静にシュートを決めました。
今大会の初戦でデ・パウルは『シュートだ!』というシーンで、グラウンダーのボールを中に送ってしまい、チームメイトやメディアに『なぜ打たない!』と批判されました。でも、中盤から鋭いパスを配給するのが、彼の良さなんです。決勝では彼らしい仕事をしましたね。
しかし、ブラジルも本当に強かった。特にネイマールは恐ろしかったですね。これまでの彼は、シミュレーションで倒れてフリーキックを得ることが多かったですが、今回は狭いスペースをテクニックで突破してきました。後半は完全にブラジルペースでした。
アルゼンチンは背番号19番のニコラス・オタメンディを中心に、粘り強い守備を見せました。オタメンディは9歳から11歳まで、ウチの息子のチームメイトだったんですよ。幼い頃から「死んでも勝つ」という気持ちでピッチに立ち、激しいプレーをしていましたが、大舞台でもまったく同じでした。昔から知っているだけあって、心が熱くなりましたね。
どの選手も存分に闘志を見せてくれました。ゴンサロ・モンティエルは右足首を負傷し、途中から白いソックスが真っ赤に染まっていました。ああいう姿は、チーム全体に伝わります。だからこそ、苦しい時間帯を乗り越えることができたんです。
終盤、再びデ・パウルの好パスから、メッシがキーパーと1対1になりました。彼にしては信じられないミスで決め切れなかった。でも、試合後にリオネル・スカローニ監督が語っていましたが、メッシは今回のコパアメリカで全試合フル出場し、ケガを抱えているそうです。詳細は明らかになっていませんが、監督としては休ませる選択肢もあったのですが「絶対に出してくれ!」とメッシ自身が希望したからピッチに立たせたとのこと。
スカローニ監督は「メッシの意欲には頭が下がりました」と、試合後にコメントしました。
試合後、両チームのエース、メッシとネイマールが抱擁を交わし、ユニフォームを交換しましたね。世界最高レベルの選手同士が死力を尽くして闘い、互いを認め合う---美しい光景でした。
「このところ、ワールドカップでは4大会連続でヨーロッパ勢に優勝をさらわれている。南米の誇りを懸けて勝ち上がろう。また決勝で再戦しよう」という会話がなされたそうです。
アルゼンチンの優勝は無上の喜びです。それと同時に、サッカーが最高のスポーツであることを再確認できる大会でした。もっともっと日本人にも、サッカーの素晴らしさを伝えていかねばと思いましたね。
サッカーって楽しいものです。でも、日本人は小学生の頃から監督やコーチにガミガミ言われ、怒鳴られ、時には暴力まで振るわれている子がいっぱいいます。
メッシもネイマールも、今回のコパアメリカに出場した選手たちも、そんな妙な指導は受けていません。日本で、誰もが心底サッカーを好きになれる指導をしなければと、改めて感じました。※セルヒオ・エスクデロの指導哲学について詳しく知りたい方は、拙著『ほめて伸ばすコーチング』(講談社)をご覧ください。
僕も、頑張りますよ!」