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娘を裁判官に育てた伝説の世界ヘビー級チャンピオン

林壮一ノンフィクションライター
モハメド・アリと3度闘い、フレージャーの1勝2敗(写真:ロイター/アフロ)

 「紹介してやるから、話せよ。今や、フィリーの裁判官だぜ。物凄くアクティブな人だ。全身からパワーが溢れ出ている」

 フィラデルフィア取材の最終日、元世界ヘビー級チャンピオンのティム・ウィザスプーンがそう言った。次の瞬間、件の相手に電話を掛け、しばらく話すとスマートフォンを手渡して来た。

 電話口の先にいたのは、2011年11月7日に67歳で永眠した元世界ヘビー級チャンピオン、ジョー・フレージャーの実娘、ジャッキー・フレージャー・ライドだった。

現在は裁判官を務めるジャッキー・フレージャー・ライドは1961年12月2日生まれ
現在は裁判官を務めるジャッキー・フレージャー・ライドは1961年12月2日生まれ 写真:ロイター/アフロ

 「あなたの試合、レイラ・アリ戦をリングサイドから見て、記事を書きました」と告げると、彼女は笑った。

 「へえ、嬉しいわね。あの日、日本からわざわざ取材に来たの?」

 「いえ。あの頃は、ネバダ州に住んでいました」

 「私の父は東京五輪に出たでしょう。いくつか日本語を覚えて来て、しょっちゅう私たちに話していたわ。具体的にどんな単語だったかは、覚えていないけれど」

 父のジョーは、1964年に東京で金メダルを獲得した。プロ転向後は連戦連勝で、モハメド・アリをも下している。去る3月8日は、そのメガ・ファイトから50周年にあたり、米国では様々な媒体が特集を組んだ。

https://news.yahoo.co.jp/byline/soichihayashisr/20210308-00225564/

26戦全勝23KOだった王者フレージャーはアリの挑戦を受けた
26戦全勝23KOだった王者フレージャーはアリの挑戦を受けた写真:ロイター/アフロ

 フレージャーは3度アリと闘い、1勝2敗。ここで私が述べるまでもなく、伝説のチャンピオンである。

アリ親子
アリ親子写真:ロイター/アフロ

 2001年6月8日、「アリvs.フレージャー4」として娘同士が拳を交えた。弁護士として働く一方、38歳にしてプロデビューを飾ったジャッキーにとって、レイラ・アリ戦は8戦目。ジャッキーの戦績が7戦7勝7KO、レイラは9戦全勝8KO。確かに話題となったが、23歳のレイラの体はジャッキーよりはるかに大きく、同じクラスの選手には見えなかった。

 両者は激しく打ち合い、ジャッキーは判定で敗れる。その後、3年強現役を続け、2004年9月10日にUBAヘビー級タイトルを獲得したファイトを最後に引退した。最終的なレコードは13勝(9KO)1敗。 

 当時私は、ボクサーであるジャッキーよりも、弁護士ライセンスを持つその頭脳に注目していた。

 「是非、今度インタビューさせて下さい」と申し込むと、ジャッキーは甲高い声で笑いながら言った。

 「ねえ、日本語で『I Love You』ってどう言うの?」

 私が応じると、ジャッキーは更に笑いながら「愛しています」と日本語で繰り返した。

撮影:著者   フィラデルフィア出身の世界ヘビー級チャンピオン、ティム・ウィザスプーン
撮影:著者   フィラデルフィア出身の世界ヘビー級チャンピオン、ティム・ウィザスプーン

 ティム・ウィザスプーンはスマホのスイッチを切ると、しみじみと話した。

 「何度もジョーが持っていたジムで練習させてもらったことがあるよ。素晴らしいファイターであり、温かい人だった。亡くなる数年前は、ジムで生活していたんだよな。彼も引退後は苦労していたね……」

撮影:著者  2010年のジョー・フレージャー・ジム
撮影:著者  2010年のジョー・フレージャー・ジム

 2010年の初春、フィラデルフィアのNorth Broad Streetに建てられたフレージャーのジムは240万ドルで売りに出されていた。この頃のフレージャーは、リングで稼いだ財のほとんどを失っていた。軽佻浮薄な日本のテレビマンによって作られた番組に出演し、ボクシングを齧ったこともない若者とスパーリングをしたこともあった。

 「ジョーへのリスペクトを欠いた人間たちが沢山いるのも事実。日本のテレビ屋もそうだろう。

 でもさ、子供たちには常々、教育の重要性を説いていたと思うぜ。娘がこうして裁判官になったんだから、間違いなく立派な父親だよ。結局、俺たちブラックを守ってくれるのは教育しかないんだ。ジョーの功績に傷が付くことは絶対に無いさ」

 ティムの言葉が心に響いた。

 ジャッキー・フレージャー・ライドをインタビューする日が待ち遠しい。

ノンフィクションライター

1969年生まれ。ジュニアライト級でボクシングのプロテストに合格するも、左肘のケガで挫折。週刊誌記者を経て、ノンフィクションライターに。1996年に渡米し、アメリカの公立高校で教壇に立つなど教育者としても活動。2014年、東京大学大学院情報学環教育部修了。著書に『マイノリティーの拳』『アメリカ下層教育現場』『アメリカ問題児再生教室』(全て光文社電子書籍)『神様のリング』『世の中への扉 進め! サムライブルー』、『ほめて伸ばすコーチング』(全て講談社)などがある。

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