ゴング直前。統一ライト級タイトルマッチの主役はどちらか?
ワシル・ロマチェンコもテオフィモ・ロペス・ジュニアも、リミットいっぱいの135パウンド(61.2kg)で計量をパスした。
秤を降りた後のフェイスオフで、両者はソーシャルディスタンスを無視し、顔を近付けて30秒強、睨み合った。
計量後、IBFチャンピオンのロペスは言った。
「ヤツ(ロマチェンコ)が、新型コロナウィルス感染防止を無視して近付いて来やがったから、俺も応じた。誰もが望んでいただろうし、ああ来られたら当然だ。互いに敵意剥き出しさ。明日はやってやるぜ!」
そして、付け加えた。
「明日の試合を楽しみに見てくれ。俺の全能力を発揮する。ボディへも顔面へも多くのパンチを打ち込んでいく。俺には出来ることがいくらでもあるんだ。賢く戦うよ」
WBA/WBO/WBCフランチャイズ王者のロマチェンコは、「試合を直ぐには終わらせず、12回フルに戦いたいね」と語った。
注目カードではあるが、このファイトはESPNが中継し、PPVではない。つまり米国内では、それほどビッグマッチとして捉えられていない。
マニー・パッキャオという例外があるにせよ、カザフスタン人であるGGGや、ウクライナ人であるロマチェンコは、いかに強いチャンピオンであっても、なかなか合衆国では人気選手になれない。
過去にも本コーナーで記したが、統一ミドル級王者だったGGGが2017年3月18日にダニエル・ジェイコブスを下した一戦のファイトマネーは250万ドル。同年9月16日にサウル・アルバレスを相手にドロー防衛した際には、挑戦者のアルバレスが500万ドル保障されたのに対し、GGGは300万ドルしか得られなかった。
どう考えても、Pound for Poundファイターとしては冷遇されている。ロマチェンコも然りである。彼の注目度が抜群であれば、今回の統一ライト級タイトルマッチもPPVでの放映が決まった筈だ。
ロペスの劣勢が予想されているが、米国ボクシング界としては、自国のニューヒーロー誕生を望む空気を感じる。
とはいえ、ご存知のようにアメリカ合衆国は移民の国だ。
ロペスの祖父は1916年にスペインで誕生した。祖父は腕っぷしが強く、レスリングが強かった。第二次世界大戦後、ホンジュラスに移住し、パン屋、靴屋、タクシー会社などを経営。 当地で恋に落ちた女性との間に息子を授かる。1968年生まれの男児が、ロペスのコーナーに立つ現在51歳の実父(シニア)である。
ロペス・シニアは、自身の母親から殴られて育った。しょっちゅうベルトや電気コードで叩かれ、4発のコンビネーションパンチを見舞われたという。彼が5歳の時、母と共に米国ニューヨーク州ブルックリンに移り住む。母は石鹸工場で職を得た。母への反発や貧しさから、ロペス・シニアは親のコントロールが利かないストリートファイターとなっていく。ほどなく酒とコカインに溺れるようになった。
十数年後の1997年7月30日。2人の娘に続いてロペス・ジュニアがルザラン・メディカルセンターで産声を上げる。この頃、シニアはサンセットパーク周辺をテリトリーとするドラッグの売人を生業としていた。息子が5歳になった折、シニアは家族でフロリダに引っ越し、当地で逮捕される。11日間、拘置所で過ごした後、売人から足を洗い、リムジンの運転手となった。
住まいから2ブロックの場所にボクシングジムがあった。シニアは「神が与えてくれた。自分の人生は、息子に捧げるべきだと悟った」と振り返る。
テオフィモ・ロペス親子の物語は、そのように始まった。リオ五輪代表にも選ばれたが、初戦で敗退している。五輪2連覇、3階級制覇のロマチェンコと比べれば、現時点ではまだ及ばない。
ただ、ロペスには若さと、怖いもの知らずの激しさ、そしてアメリカ国籍という武器がある。
数時間後、ついに統一ライト級タイトルマッチのゴングが鳴る。ロペスが金星を挙げれば、シンデレラボーイとしてアメリカンファンのハートを掴めるかもしれない。
23歳のIBFチャンピオンと、32歳のWBA/WBO/WBCフランチャイズ王者。米国vs.ウクライナ。
果たして、どんな結末が待ち受けているか。