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元アルゼンチン代表選手の「この時期に出来るチャレンジ」

林壮一ノンフィクションライター
アルゼンチンA代表3キャップ、ポートランド・ティンバーズのヴァレリ主将である(写真:USA TODAY Sports/ロイター/アフロ)

 元アルゼンチン代表で、現在、米国MLS、ポートランド・ティンバーズのキャプテンを務めるディエゴ・ヴァレリ(33)が、コーチライセンスを取得すべくオンラインで学んでいる。

 ヴァレリは2013年からティンバーズに所属し、米国のグリーンカードも得ている。彼の住居はアメリカにある。

ディエゴ・ヴァレリ(左)撮影:著者
ディエゴ・ヴァレリ(左)撮影:著者

 ヴァレリは言う。

 「我が母国、アルゼンチン代表で指揮を執ったセサール・ルイス・メノッティが主宰するオンラインのコーチングプログラムなんだ。レジェンドであるメノッティのメソッドを学習している。私はメノッティのアタッキングサッカーが非常に好きだ。彼の考え方は全世界に通用するし、どんなリーグにとっても財産さ。言うまでもないが、アメリカでも活用できる。実は2年半前から、このコーチングコースで学んでいるんだよ」

撮影:著者
撮影:著者

 1978年のワールドカップ・アルゼンチン大会で、地元アルゼンチンが優勝を飾った際の監督がメノッティである。最後の最後で、17歳だったディエゴ・マラドーナをメンバーから外したことが話題になったが、マリオ・ケンぺス、ダニエル・パサレラ、オスバルド・アルディレス、アメリコ・ガジェゴ、レオポルド・ルケ、ダニエル・ベルトーニらを巧みに起用して頂点を極めたメノッティの手腕は、大いに称えられた。世界チャンピオンとなったことはもちろんだが、軍事政権下に置かれ、苦悩する国民に光を灯したのだ。

 1978年といえばヴァレリが誕生する8年も前の話である。が、ティンバーズのキャプテンは自国の歴史を胸に刻んでいるのだ。

 「テストは全て終了した。でも、まだ日々の討論やビデオクラス、読書課題で見地を広げている。今、多くの時間をメノッティプログラムの勉強に費やしているよ。将来、自分が指導者になるかどうかは分からない。でも、準備として何かしておくべきだと思うんだ。いずれは現役選手と違う仕事をしなければならない訳だし、経験を最大限に利用したいと感じている。また、私はいつも学ぶ姿勢でいたいんだ」

撮影:著者
撮影:著者

 今、ティンバーズのあるオレゴン州は、外出禁止令が出されている。食料品の買い出しや散歩は許されているが、プロチームであっても練習はできない。

 「我々は選手である前に、一人の人間だ。今日、生活が大きく異なり、変化にさらされているよね…」

撮影:著者
撮影:著者

 ヴァレリの試みについて、本コーナーでお馴染み、元アルゼンチンユース代表のセルヒオ・エスクデロは次のように話す。

 「メノッティプログラムは、AFTA というアルゼンチン監督協会によって公認されたものです。メノッティは60年代にドイツに留学したんですよ。当時のアルゼンチン選手は、高いテクニックはあってもちょっと腹の出たような選手が普通にいました。でも、ドイツ人選手にそういうタイプは見られなかった。メノッティはドイツで学んだことを母国に還元し、オープンスペースを有効に使う攻守の切り替えの速いサッカーを確立したんです。まずはウラカンを率いて1973年にアルゼンチン国内リーグを制し、その後、代表監督に抜擢されました。

 現役選手であるヴァレリがメノッティのサッカーを研究するのは、素晴らしいことですよ。多くの発見や気付きがあるでしょうし、引退後、直ぐにコーチの仕事が来るんじゃないかな。アメリカサッカーにメノッティ流がミックスされれば、確実にレベルが上がると思います」

 ヴァレリの<自分に出来ることをやる>姿勢に、トップアスリートの強さを見る。

ノンフィクションライター

1969年生まれ。ジュニアライト級でボクシングのプロテストに合格するも、左肘のケガで挫折。週刊誌記者を経て、ノンフィクションライターに。1996年に渡米し、アメリカの公立高校で教壇に立つなど教育者としても活動。2014年、東京大学大学院情報学環教育部修了。著書に『マイノリティーの拳』『アメリカ下層教育現場』『アメリカ問題児再生教室』(全て光文社電子書籍)『神様のリング』『世の中への扉 進め! サムライブルー』、『ほめて伸ばすコーチング』(全て講談社)などがある。

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