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「生き抜く」ということ

林壮一ノンフィクションライター
高山はきっと、生徒の心の痛みが分かる教師になるだろう(写真:長田洋平/アフロスポーツ)

 プロボクシングの現役世界王者の座を捨て、東京五輪を目指していた高山勝成。WBOミニマム級タイトルを返上してから、アマチュア選手として認められるまでに1年半という時間を要した。

 山根問題に揺れたアマチュアボクシング界が、高山の選手登録を許可したのは昨年の10月。そこから、ぶっつけ本番のような形で、五輪代表を目指した。プロではミニマム級だった彼だが、アマではフライ級でエントリーするしか東京五輪出場への道はなかった。まさしくチャレンジだった。

 今年7月にアマ初試合。2連勝したものの、プロとの違いに戸惑い、本来の動きが出来なかった。https://news.yahoo.co.jp/byline/soichihayashisr/20190815-00138256/

 そして8月末日、愛知代表として出場した東海地区選考会で黒星。夢が潰える。同時に引退を余儀なくされた。

撮影:著者
撮影:著者

  あれから1ヶ月。高山は語る。

 「20年以上、毎日トレーニングしてきましたから、汗を流さないと気持ち悪いんです。今でもロードワークをしますし、大学のボクシング部の練習には毎日参加していますよ」

 現在は、名古屋産業大学の3年生として、1月の試験に向け、勉強中である。社会(公民)と保険体育の教員免許を取得中だ。

 「アマの大会に向け、春学期は授業に出られたり出られなかったりでしたので、今学期はしっかり学ばないとマズイんです(笑)1年後くらいに、教育実習をやる予定です」

 そんな高山はボクサー生活を振り返る。

 「プロ時代もアマチュア挑戦も、一つの目標に向かって突っ走ることが出来て、充実していました。自分が出来ることを100%しっかりとやれた。とてもいい日々でした。"やり切った"という気持ちがあります。

 限られた状況の中で、自分が出来る最大限のことはやりましたね。アマチュアに挑戦して良かったと思いますし、誇りに思っています。欲を言えば、五輪に繋がる大会の前に、何試合かアマのリングを経験したかった気持ちがありますが‥‥悔いはないです」

 何度も記して来たが、ボクシングの本場、アメリカには、もはや上は目指せないと理解しながらも<食うため>にリングに上がる老兵がいくらでもいる。そんな競技において、明確な次の目標に向かい始めた高山の姿勢は実に清々しい。教師になると決めた高山は今後、これまでの体験に基づいた重みのある言葉を、教壇から発していくことだろう。

 「最終的には僕は、辿り着きたい場所までは行けませんでした。でも、その過程においての葛藤や、日々の試行錯誤、折々の心境、挑戦していく時の気持ち‥‥そんなものを若い世代に伝えていけるように感じます。生徒さんが、僕の言葉に何かを感じたり、発見に結びついて前向きになれたとしたら、すごく嬉しいですね。

 なかなか目標が持てない若者も多いじゃないですか。そういう子たちに、目標に向かって全力でぶつかっていくことの素晴らしさを伝えたいなと思っています」

 彼の言葉には、一つの道を生き切った者ならではの含蓄がある。

 順当に運べば高山が教師になるのは2021年の4月。彼の新たな挑戦に期待したい。

ノンフィクションライター

1969年生まれ。ジュニアライト級でボクシングのプロテストに合格するも、左肘のケガで挫折。週刊誌記者を経て、ノンフィクションライターに。1996年に渡米し、アメリカの公立高校で教壇に立つなど教育者としても活動。2014年、東京大学大学院情報学環教育部修了。著書に『マイノリティーの拳』『アメリカ下層教育現場』『アメリカ問題児再生教室』(全て光文社電子書籍)『神様のリング』『世の中への扉 進め! サムライブルー』、『ほめて伸ばすコーチング』(全て講談社)などがある。

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