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アルゼンチン人コーチが語る「最年少出場記録よりも、追加点が大事だったミャンマー戦」

林壮一ノンフィクションライター
右サイドのスペシャリスト、伊東純也を左にずらし、久保を投入した日本代表(写真:YUTAKA/アフロスポーツ)

 実兄のピチは、あのディエゴ・マラドーナと共にワールドユース東京大会(1979年)で世界一となった右ウイング。息子は、京都サンガ所属のエスクデロ競飛王。自身は、元アルゼンチンユース代表&ビーチサッカーアルゼンチン代表であるセルヒオ・エスクデロ。

 彼が、日本代表vs.ミャンマー戦を振り返った。

撮影:著者
撮影:著者

 ミャンマーですが、強くはなかったですね。世界ランキングも135位。日本は33位ですから、サムライブルーが勝つのは当たり前でした。

 でも、結果は2-0。圧倒的な勝利ではなかった。相手の力量からすれば、日本が4点、5点は普通にとれると僕は思っていました。が、前半に2得点したものの、追加点が奪えなかった。ランキングが全てではありませんが、33と135という数字ほどの差が見られないゲームでした。スッキリしない内容の試合になってしまいましたね。

 長友がいいクロスを上げても、中で詰め切れなかった。センタリングが上がった時、ペナルティーエリア内に3~4人入ってほしかったですね。「どうしても追加点をとる!」という気持ちが見られなかったです。逆にミャンマーのカウンターを警戒して、守備の意識ばかりが高かったように感じます。

 伊東純也、鈴木武蔵、そして久保建英と攻撃の選手ばかりが交代で入ったけれど、リズムはほとんど変わらなかった。森保監督は色んな選手を試してみたかったのでしょうが…。

 久保君は確かに面白いパスを出しました。でも、前から話しているように騒ぎ過ぎです。テレビも、相変わらず彼を中心に報じているところがあります。久保をピッチに立たせた際、右サイドのスペシャリストである伊東を敢えて左に置き、久保が右サイドに入りました。久保を特別扱いしているようで、違和感がありましたよ。久保君はいい選手だけど、ミャンマー戦の彼は物足りなかった。日本サッカー界もメディアも“最年少出場記録”に拘り過ぎていたように思います。そして、ミャンマー戦が終わった今も、哀しいかな「久保狂騒」が続いていますね。

 ブラジル代表の9番だったロナウドは、2002年のW杯を制しましたが、1994年のアメリカ大会のピッチには立っていませんよね。当時17歳だったロナウドは、ブラジルが優勝するのをベンチから見守りました。ああやって、じっくりと育てたからこそ、日韓大会で実を結んだように思います。

 日本は若くて将来性のある選手が出て来ると、ワーワーキャーキャー騒いで、大きな花を咲かせないまま終わらせてしまうことがままあります。小倉隆史は潜在能力を考えれば、もっと活躍できたんじゃないかな。宮市亮も彼の能力を最大限に発揮しているとは思えません。彼らは共に「可能性は無限にある」と評されたけれど、ケガに泣きました。期待の大きさがプレッシャーとなった部分もあったのではないでしょうか。

 ミャンマー戦で後半から変化を付け、追加点を挙げたいのなら、実績と経験のある原口元気を使うべきだったと僕は感じます。ロシアW杯で得点している原口なら、攻撃にアクセントを付けられた筈ですよ。原口は左サイドが本職ですが、右サイドもこなせます。ロシアW杯の予選で、原口が何度もゴールしたのは皆さんも覚えているでしょう。

 日本代表、頑張ってほしいのですが、やはりスッキリしませんね…。

ノンフィクションライター

1969年生まれ。ジュニアライト級でボクシングのプロテストに合格するも、左肘のケガで挫折。週刊誌記者を経て、ノンフィクションライターに。1996年に渡米し、アメリカの公立高校で教壇に立つなど教育者としても活動。2014年、東京大学大学院情報学環教育部修了。著書に『マイノリティーの拳』『アメリカ下層教育現場』『アメリカ問題児再生教室』(全て光文社電子書籍)『神様のリング』『世の中への扉 進め! サムライブルー』、『ほめて伸ばすコーチング』(全て講談社)などがある。

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