7年8ヶ月に及んだ安倍政権の下、様々なかたちで報道への圧力や自主規制が顕著となる中、筆者は常にジャーナリズムと権力はどう対峙すべきなのかを考え続けてきた。今月2日に行われた菅義偉官房長官の自民党総裁選への出馬会見で、筆者はちょっとした波乱を起こしてしまったが、それもこの間のメディアのあり方への危機感からだった。菅氏の会見の終盤、筆者は「フリーランスにも質問させてください」「こんな会見、出来レースじゃないですか?」「公文書を棄てないで下さい。公文書を改ざんしないで下さい。今ここで約束して下さい」と、いわゆる「不規則発言」をしたのである。その様子の動画は、ツイッター上で「品位がない記者」として紹介され、その動画の再生回数は現在120万回を突破している。確かに、先日の筆者の振る舞いは「お上品」なものではなかっただろう。ただ、「お上品」な記者クラブメディアの煮え切らない「お行儀の良さ」こそ、安倍政権を増長させてきた。同じことを次期政権においても繰り返すのだろうか。

◯「出来レース」の会見

 永田町・議員会館で行われた菅氏の会見には100人は下らないだろう記者達が参加。会場となった会議室は超満員の「密」な状況だった。私が最前列に陣取ると、フリージャーナリストの田中龍作さん、横田一さんと隣り合った。それぞれ、事前に最も菅氏にぶつけたい質問を考えていたが、田中さんは「どうせ僕ら(フリーランスの記者)はあてられないだろう」と言う。田中さんの読み通り、会見はつつがなくすすんでいく。内閣官房の番記者や、お気に入りの記者などが優先的にあてられ*、案の定、司会からあてられる記者達の質問のほとんどが、菅氏を鋭く追及することのない、生ぬるいものだった。例えば、

「菅官房長官に欠けているのは安倍総理にとっての菅長官のような存在だという指摘があります。長官が総理総裁になられた場合に、官房長官にはどのような資質の方を求めるのか」(テレビ朝日)

「地盤も看板も、かばんもない、そういう状況下であの選挙を勝ち抜いたことが今につながっていると思うのですが、そうしたことを支えた(菅氏の選挙区である)神奈川の人たち、とりわけ横浜の人たちに対して今、思うところがあれば教えていただきたいです」(神奈川新聞)

 だとか、まるでヨイショのような、もう菅氏が首相にでもなったかのような質問に、筆者は呆れ果てた。北方領土や拉致問題、沖縄の基地問題についての質問もあったが、どれに対しても、要するに安倍政権の政策をそのまま受け継ぐというだけであり、菅氏の回答は、全く中身のないものであった。質問する記者の側も、徹底的に追及してやろうという気概が感じられず、これでは菅氏にかわされるのは当たり前である。唯一、TBS「報道特集」の膳場貴子キャスターの質問は、森友・加計学園問題や「桜を見る会」について再調査するか否かと踏み込むものであったが、菅氏は「すでに結論が出ている」と再調査はしないとひらきなおったのだ。

*例えば、ニコニコ動画のN記者について「彼は毎度あてられるんだよね」と某メディアの記者は言っていたが、2日の会見でも、100人以上はいただろう記者達の中から、やはりN記者はあてられた。

◯安倍政権での弱腰を繰り返すのか?

菅氏の会見 筆者撮影
菅氏の会見 筆者撮影

 菅氏は安倍政権の官房長官として、数々の批判や疑惑に答える立場にあったが、「問題ない」「その指摘はあたらない」と常に不誠実な対応をしてきた。菅氏がこれまでのようなスタンスで首相になった際には、安倍政権のそれと同じ、或いはさらに強権的かつ傲慢な政権運営を行い、主権者である人々への説明責任を著しく軽視することになるだろう。数々の疑惑、不祥事にもかかわらず、安倍政権が「憲政史上最長」の長期政権となった大きな要因として、記者クラブ報道の弱腰、特に会見の場での追及の甘さがある。同じことを次期政権に対しても繰り返すのか。だからこそ、「まだ手があがっておりますがお時間の関係があるので…」と司会が会見を終えようとしていた時、私は冒頭の「不規則発言」に至ったのである。

◯「公文書を棄てない、改ざんしない」と言えない菅氏

 勝負は数秒間にかかっていた。「不規則発言」である以上、長々と質問はできず、ワンフレーズで核心を問わなくてはならない。筆者は「公文書を棄てないで下さい。公文書を改ざんしないで下さい。今ここで約束して下さい!」と叫んだ。森友、加計、桜を見る会、そして自衛隊日報。安倍政権の疑惑・不祥事の中で、毎回のように問題となったのが公文書の取り扱いだ。とりわけ、森友文書の改ざんでは財務省の職員が自殺にまで追い込まれている。新たな政権において、公文書が安倍政権時と同様に不当に廃棄、改ざんされるのか否かは、今、日本のジャーナリスト達が最も追及すべきことの一つであることは間違いない。その場にいた記者達が誰一人聞かなかったから、筆者が聞いたのだ。

 公文書を不当に廃棄しない。改ざんしない。法の支配の下にある民主主義国家として、当たり前のことだ。だが、菅氏は、公文書の適切な管理を約束することはなかった。筆者は「逃げないで下さい!公文書を棄てない、改ざんしないと約束して下さい!」と追い打ちをかける。菅氏は、当たり前のことを約束せず、目を泳がせるだけだった。その姿に、内閣官房会見での不遜さからの仇名「鉄壁のガースー」らしさはなかった。

◯「お上品」な太鼓持ちより「品位がない」ジャーナリストであれ

 2日の会見での筆者の振る舞いは、確かに「お上品」なものではなかっただろう。実際、ツイッター上では筆者の言動への批判も多くあった。

 一方、筆者の「不規則発言」を評価する意見もまた多くあった。

 記者クラブの記者達の「お上品」さは権力に飼い慣らされたものだ。例えば、記者クラブの会見での質疑が一問一答であり、「更問い」をしない、つまり、不誠実な答えに対し、追及すべく質問を重ねることをしないこと。どんなに不誠実な答えであっても菅氏の言いっぱなしとなる。少々問い詰められただけで目が泳ぐ菅氏を、「鉄壁のガースー」にしてしまったのは、記者クラブの「お上品」さが故だ。だから、あえて言わせてもらう。ジャーナリストの仕事において最も重要な使命の一つが権力を監視すること。「お上品」な権力者の太鼓持ちよりは、「品位がない」ジャーナリストである方が、はるかにマシだ。

(了)

本稿は、志葉の公式ブログの投稿を再構成したもの。

https://www.reishiva.net/entry/2020/09/04/190316