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3月15日公開映画『青春ジャック 止められるか、俺たちを2』井上淳一監督に話を聞いた

篠田博之月刊『創』編集長
『青春ジャック 止められるか、俺たちを2』c:若松プロダクション

 若松孝二監督といえば、『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』(2007年)『キャタピラー』(10年)『11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち』(12年)など意欲的な映画を次々と手掛けながら、2012年10月17日に交通事故で突然この世を去った表現者だ。豪放磊落でタブーに次々とチャレンジし、その突然の死は多くの人に衝撃を与えた。私の編集する月刊『創』(つくる)にもたびたび登場いただき、亡くなった翌月発売の12年12月号には追悼特集を掲載した。

 その若松監督と若松プロダクションに集まった人たちを描いたのが2018年公開の『止められるか、俺たちを』で、製作・配給は娘さんが後を継いだ若松プロが行い、監督は若松さんを師と仰いだ白石和彌さんが務めた。

 そしてこの2024年3月15日からテアトル新宿を始め全国公開されるのが、その続編『青春ジャック 止められるか、俺たちを2』。脚本・監督は若松プロ出身の井上淳一さんだ。19年公開のドキュメンタリー映画『誰がために憲法はある』などで知られ、23年公開された森達也監督の『福田村事件』では、プロデューサーと脚本家を務めた。

 今回の『青春ジャック~』は、亡くなった若松孝二監督へのオマージュであると同時に、若松監督を慕って若松プロに弟子入りした井上さん自身をめぐる青春群像劇でもある。登場人物は全て実名だ。ちなみに公式ホームページは下記だ。

http://www.wakamatsukoji.org/seishunjack/

 2023年10月17日、若松さんの命日にテアトル新宿で追悼とともに特別上映。若松プロ卒業生を含め、関係者が集まって舞台トークなどを行った。下記写真はその時のものだ。

2023年10月17日特別上映後後の記念写真(若松プロ提供)
2023年10月17日特別上映後後の記念写真(若松プロ提供)

   特別上映会場に飾られた若松孝二さんの遺影(若松プロ提供)
   特別上映会場に飾られた若松孝二さんの遺影(若松プロ提供)

 さて、この映画について、井上監督に行ったインタビューを紹介しよう。井上さんはわざわざ『創』編集部に来てくれたのだが、その時の写真が下記だ。

井上淳一監督(『創』編集部にて筆者撮影)
井上淳一監督(『創』編集部にて筆者撮影)

映画化のきっかけとミニシアターの危機

――この映画を作ろうと思ったきっかけはどういうことだったのですか。

井上 コロナ禍のシネマスコーレ(名古屋市、以下、スコーレ)を追った『コロナなんかぶっ飛ばせ』(2022年)というドキュメンタリー映画があるのですが、そのパンフレットに「『止められるか、俺たちを』の続編を作らないかとよく言われるが、あれに勝る時代はないから無理だと答えてきた。でも、スコーレを作る時の話だったらできるんじゃないか」と冗談で書いたんです。そしたら、スコーレ周辺の人たちから、ぜひやってほしいという声が聞こえてきた。でも、そんな身内受けしかしないようなものを作っても、と聞こえないふりをしていたんです。

 ただ、コロナが始まって、ミニシアターが危機に陥った時に、僕は「SAVEtheCINEMA」や「ミニシアター押しかけトーク隊」とか、ミニシアターを応援する活動をやったんですけど、その時に「映画の作り手たるもの、ヒットする映画を作って客を入れるのが一番のミニシアターの支援なんじゃないか」みたいな批判が聞こえてきたんです。何もしない人間が何を言うか、と腹が立ったんですが、その言葉が心のどこかに引っかかっていたんですね。

 確かにミニシアターの危機はコロナで始まったわけじゃなくて、その前からずっと経営的に苦しかった。それがコロナで顕著になっただけなんです。今は“第3の波”なんですよ。最初の波はテレビ、次がレンタルビデオ、そして今、コロナで映画の配信が一気に加速した。これは結構大きな波です。

スコーレ木全純治さん(左)と木全さんを演じた東出昌大さん(若松プロ提供)
スコーレ木全純治さん(左)と木全さんを演じた東出昌大さん(若松プロ提供)

 スコーレが開館した頃はちょうどレンタルビデオが出始めた時期で、名画座は大打撃を受けた。スコーレは今年で41周年ですが、その危機をどうやって乗り越えてきたかを描くことが、配信という波を乗り越えるヒントになるんじゃないか。そう思い始めたんです。

 時を同じくして、スコーレ限定公開かと思っていた『コロナなんかぶっ飛ばせ』が『シネマスコーレを解剖する。』と名を変えて、東京公開することになって、『福田村事件』(以下、福田村)の準備で忙しい時に、なぜかスコーレ支配人の木全純治さんから「お前が宣伝隊長だ」と勝手に決められて、取材に立ち会うことになったんです。

 その時に木全さんの話やスコーレの黎明期の話を聞いていたら、これが面白いんですよ。それで、木全さんに「本当に映画作る?」と言ったんです。もしこの映画でミニシアターに客を入れることができたら、さっきの批判への答えになるかもしれない。僕が脚本を書く分にはお金がかからないから、まずは脚本を書いてみようと、動き出した次第です。それが2022年の5月頃かな。だから『福田村』と並行して書いてましたね。

 幸運にも『福田村』がヒットして、少しは貢献できたからいいけど、この映画もミニシアターを応援するためにとか言っておいて、入らないと本当にシャレにならないんですけどね。

『福田村事件』のキャストが今回の映画にも

――冒頭は若松さんが今のスコーレ支配人の木全純治さんに声をかけて名古屋に映画館を作るところから始まり、そこに名古屋で映画青年だった井上さんが訪れる。ある時、そのスコーレを訪れた若松さんを追って、井上さんは突然新幹線に飛び乗り、弟子にしてくれと頼みこむわけですね。若松さん役は井浦新さん、木全さん役が東出昌大さん、そして井上さん役が杉田雷麟さんと、主なキャストが全て、『福田村』のキャストですね。

井上 井浦新さんは前作でも若松さんを演じていたから、それ以外は考えられない。脚本を書く前に、若松プロと、前作の監督である白石和彌さんと、新さんだけには仁義を切ったんですよ。『福田村』も恐ろしく安いギャラでやっていただいたんですが、今回の制作費はそれよりもかなり安い。だから新さんには、電話の声だけの出演でもいいですよと言ったんですが、「やるんならがっつり関わりたい」と言ってもらえました。そうやって新さんにはいつも甘えてばかりですが。

井上監督を演じた杉田雷麟さん(左)と本物の井上さん(若松プロ提供)
井上監督を演じた杉田雷麟さん(左)と本物の井上さん(若松プロ提供)

 東出さんも『福田村』で一緒に仕事をして、いかに人間性が素晴らしいかわかった。なんか東出さんの優しさとかすべてを受け入れる感じとか、雰囲気が木全さんに似ているんですよ。だからダメ元でお願いしたら、受けてもらえたんです。前作がとても好きだったというのもあるかもしれません。

 杉田さんは『福田村』のオーディションに来たのですが、もう別の生き物かと思うくらいダントツで存在感があった。見た瞬間に「あ、井上が来た」と思ったくらいです。『福田村』のオーディションなのに(笑)。

 もうひとりの主役である芋生悠さんは、『37セカンズ』(20年)という映画を観て、3シーンしか出てないんですが、あまりにも良かったんです。僕、映画館を出た途端にあの役者は誰だろうと検索しましたからね。それ以来、いつか芋生さんと映画をやりたいなと思っていたんです。

――赤塚不二夫さんや『噂の眞相』の岡留安則さん、河合塾の名物講師・牧野剛さんとかが登場し、1980年代の雰囲気が出ていますよね。

井上 低予算なので、セットや小道具で80年代を再現することはほぼできない。そうなると、人間しかない。僕にとっての80年代って、やっぱり『噂の眞相』だったり、河合塾なんですよね。映画で描いたことは実際にあったことだし、元全共闘の人たちがあの時代、社会の中でどうしていたかは描いておきたいなと思いました。  

 その結果、母親も含め、亡くなった大切な人たちと映画の中でもう一度会うことができた。映画に出てくる場所もほぼ全て、実際の現場で撮影しています。井上の実家は実際の僕の実家だし、冒頭の高校のグラウンドは僕が通った高校だし、最後に新さんと東出さんが長い会話をする廊下も、その高校の廊下なんですよ。映画監督を夢みながら走ってた廊下で、本当に映画を撮影する日が来るなんて夢にも思いませんでした。高校の同級生や87歳になる父親も、いろんな人たちが総動員で協力してくれて、制作費の何倍もの豊かな撮影ができました。

井浦さん(右)と東出さんが会話をする廊下も実際のもの(c:若松プロ)
井浦さん(右)と東出さんが会話をする廊下も実際のもの(c:若松プロ)

若松さんは助監督を怒鳴って現場を引き締めた

――後半、若松さんが撮影現場で井上さんを叱り飛ばしている様子など現実もあんなふうだったわけですね。

井上 若松さんは助監督を怒鳴って現場を引き締める人でしたから、映画で描いたあのままですよ。

 あれをパワハラだと思われたらどうしようと、それはやっぱりちょっと思いました。井上という若松プロのサバイバーがあの時代をノスタルジックに描いてると思われる可能性だってある。よくパワハラかどうかは愛があるかないかだって言うじゃないですか。僕、あれが本当にダメなんですよ。愛を便利使いするんじゃないって。でも、今思い返しても、若松さんにパワハラされたとはどうしても思えないんですよね。だからそれがどうしてなのかを含めて、そのまま描くしかないとは思いました。

 あの時代って、今より人と人との距離が近かったというか、みんな、ズケズケと入ってきたし、それが当然だと思っていたし……それを「豊か」というと語弊があるけれど、今より何か「幅」や「余白」みたいなものがあったような気がするんですよ。たとえアップデートされていない老害と言われようが、そのことは描いておきたいと思いました。

『映画芸術』に重松清さんが本作を「『なつかしい物語』である。しかし、あの頃を『なつかしむ物語』ではない」「軸足は、あくまで現在、(中略)コロナ禍をへた『いま』にあると思う」と書いてくれて、すごく嬉しかった。自分の若き日々を描いたけれど、自分でもビックリするくらいノスタルジックな気持ちはなかったから。

 今という時代に対して、ハラスメントとか、ミニシアターの問題とかは頭にはあったんですけれど、もうひとつこの映画では唯一のフィクションである芋生悠さん演じる金本法子という在日の女性を通して描こうと思ったものがあります。当時の日本映画界には、衣装とメイクと記録と編集助手くらいにしか女性はいなくて、シネマスコーレのバイトですら男ばっかだったわけですよ。

 つい最近まで僕たちは男という高い下駄を履いてることに無自覚だった。それを彼女の存在で相対化させたかったんです。在日で女だという彼女のコンプレックスとか、これまでの僕だったら、そういうものを一つひとつアジテーションしたかもしれないけど、『Revolution+1』(22年)と『福田村』で思いっきりやった後だったからか、群像劇だということが幸いしたのか、この映画では全部が控えめにきちっと置けたなという気はするんです。この何年か僕が考えていた問題が全部、この映画に出てるんじゃないですかね。

井浦新さんが若松さんになりきっていた

――井浦新さんが若松さんの特徴をとてもよく表現していましたね。本当に若松さんがそこにいるような感じでした。

井上 新さんが三島由紀夫を演じる時に、若松さんは「物真似はしなくていいんだ、心を演じればいいんだ」と言ったそうですが、新さんは今回、実年齢でも若松さんに近づいたこともあって、びっくりするくらい若松さんになりきっていましたね。新さんは、『福田村』でもそうでしたが、座長としての立ち居振る舞いがすごいんですよ。そういうことも含めて、本当に若松さんの何かに近づいたなという感じがします。

 それは東出さんもそうで、外見は木全さんと似ても似つかない人なのに、あのポヤ~ンとした感じをとてもよく表現していました。

 たぶん東出さんは脚本に不満だったと思います。木全さんはドラマの基本である「対立と葛藤」がない人というか、しない人で、ラストまで大きな変化がない。「シネマスコーレで働いてみたい」と東出さんは撮影3日前に名古屋に来たのですが、着くなり木全さんに「ガーッと怒ったり、めちゃめちゃ悔しかったりすることないんですか?」と質問攻めで。でも木全さんは「ないないない」とか言うわけですよ。「僕はホント、そうやって怒ったりなんかしないんだよ。だってしょうがないじゃん」って。挙げ句に「こんな役やったことないでしょう。得するよ」と。

 そしたら次の日、東出さんが来なかったんですよ。僕は、やばい、降りるんじゃないかとマジで心配しました。ところがその次の日に来て、スコーレで1日働いたら、もうあの木全さんになっていたんです。

『そばかす』(22年)という、名古屋を舞台にした映画があって、その名古屋弁が名古屋弁に聞こえないんですよ。間違いなく方言指導を付けて、完璧にやっているはずなのに。名古屋弁ってイントネーションが難しいんですよ。だからキャストには標準語でいいと言っていたんです。

 たぶんですが、東出さんもセリフを標準語で覚えていた。でも、木全さんに会って、名古屋弁じゃないと木全さんの雰囲気が出ないと、1日でセリフを名古屋弁で入れ直したんだと思います。そうやって役を受け入れ、木全さんになってくれた。これも新さんの若松さんと同じで、形態模写もしているけど、やっぱり心を演じているんですよ。本当にスゴいと思いました。これは僕の演出力ではありません。東出昌大という役者のとてつもない力のなせる業です。

ミニシアターは表現の自由の最前線

――冒頭の話に出たミニシアターの危機はその後も続いているのですね。

井上 若松プロの事務所でのシーンは、名演小劇場というミニシアターで撮影したのですが、3カ月後に閉館になりました。名古屋シネマテークも、クラウドファンディングをやって復活しますけど、去年、一度閉館しました。

 名古屋に3つあったミニシアターのうち2つが閉館したんです。他の都市でも、京都みなみ会館や仙台/チネ・ラヴィータが閉館したし、横浜のジャック&ベティも抜き差しならない状態だからと、クラウドファンディングをやった。ミニシアターは本当にちょっと危機的な状態なんです。

 例えば今、ガザの虐殺が始まった時、ガザのドキュメンタリー映画をすぐに上映してくれるのはミニシアターだけです。シネコンでは死んでも上映できません。

「映画は作っただけでは完成しない。人に観てもらって初めて完成する」とよく言われますが、ミニシアターは大げさでなく、表現の自由の最前線なんですよ。憲法の映画作ろうが、原発の映画作ろうが、沖縄の映画作ろうが、ミニシアターがなくなったら公開できない。本当にミニシアターをなくしたくないという思いとか、そういうものが今回の映画の中に全部ぐしゃっと詰まっていればいいと思っています。

 それと、一度閉館して、復活した地方のミニシアターって結構あるんですけど、閉館間際って、ピンク映画館になっているところが多いんです。新潟県上越市の高田世界館も秋田県大館市の御成座も三重県伊勢市の進富座もそうです。最後の最後にピンク映画に頼って、閉館して、何年かたって、新しい経営者が現れて復活する。でも、一時期はピンク映画をやることで延命した。エロに救われたんです。

 今回の映画で描かれてるようにシネマスコーレも初期に経営が苦しくなったときにやっぱりピンク映画を上映して立ち直った。そういうエロが果たした役割も、炎上を恐れずに本当は言っていかなきゃいけない。それを押し付けがましくない形で表現しないといけない。

『青春ジャック 止められるか、俺たちを2』は、ちょっとそういうことが垣間見える映画にはなってるんじゃないかなと思っています。

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

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