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米アカデミー賞を逃したとはいえ『PERFECT DAYS』ヒットをめぐる経緯はとても興味深い

篠田博之月刊『創』編集長
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 2024年3月11日、米アカデミー賞が発表され、ノミネートされた日本の3作品のうち『PERFECT DAYS』が惜しくも受賞を逃したとニュースになっている。ただ、この映画は、ここまで世界的ヒットとなっただけでも極めて異例ですごいことと言うべきだろう。何といっても主役が役所広司さん、監督が世界的に知られるヴィム・ヴェンダースさんというのが大きいのだが、いったいどういう経緯でこれが作られたのか、その舞台裏はあまり知られていない。2月下旬に、その舞台裏事情については映画のプロデューサーである電通のクリエーター高崎卓馬さんに話を聞いた。とても興味深い内容なので、ここで紹介しておこう。

出発点は公衆トイレの改修プロジェクトだった

――そもそも映画『PERFECT DAYS』が作られることになった経緯はどういうものだったのでしょうか。

高崎 「THE TOKYO TOILET」という渋谷の公衆トイレの改修プロジェクトを、ファーストリテイリング取締役の柳井康治さんが、会社としてではなく個人で企画からやられていて。日本財団を通じて渋谷区と連携したプロジェクトなんですが、世界的な建築家やクリエイターが参加しています。ユニークなデザインのトイレをつくるというものではなく、公衆トイレの抱えている問題、もっというとそれを使う私たちの公共意識の課題、そういうものへの挑戦です。公衆トイレって人目につかない場所にあるせいか汚れており、かつ汚れている場所は汚してもいいやという気持ちが生まれるという負の連鎖にある場所だと思うんですけど、現在17あるトイレたちはその17の回答なんです。そのことを知ると、とても社会的な意義や、時代的な意味を感じます。この映画はその根底にある意義に共鳴したところから始まったものです。

 柳井さんが僕と話を始めたときは、何かゴールがあってそのために何をするかみたいな会話ではなく、その大きな課題に対して何ができるか。なぜ人はそういう生き物なのか。そんな大きな話をいつもしていました。

出発点は公衆トイレ(『PERFECT DAYS』より)
出発点は公衆トイレ(『PERFECT DAYS』より)

高崎 最初のうちは広告的なアプローチも考えたんですけど、何かしっくりこなかった。広告というコミュニケーションは、みんなをひとつの価値観のほうに向けるものだと思います。そのことに少し違和感や限界を感じていたからだと思います。2カ月ぐらい定期的に会っていろんな話をしていく中で、もうちょっと根源的なところに働きかけるものを考えてみましょうという話になったのです。

 その時に柳井さんがジョン・マエダという人の言葉を教えてくれたんですけど、「デザインは課題を解決するけど、アートは課題を人に共有する」という。そのあたりから僕たちの意識は「アート」の可能性のほうに向き始めました。その中で、映画というアイデアに到達しました。

 映画はひとつの表現で100の受け止めかたがあっていい。そのことがとてもいいと思ったんです。それぞれが自分の人生の中の出来事として感じ、それぞれが自分のもつ言葉でそのことを考える。そういうきっかけこそが欲しかった。誰かの価値観をどうこうするという不遜な考えをそのときはもう捨てていました。もちろん愛されたいし、気に入られたいけれど、そのためにすべきことは、愛してくれと伝えることでも、気に入ってくれと叫ぶことでもないのかなと。

ダメ元で役所広司さんとヴェンダース監督に話を

高崎 柳井さんとの出会いは僕の中でとても大きかった。彼はいつも意識が大きい。意識的に物事を大きく捉えようとする。

 だから映画を、となった時も僕が計算のできるいつもの体制ではなく、そこにチャレンジがあるものがいい。日本だけじゃなくて海外の人と組んでみないか。それもできうるかぎり大きく。大変でもそのほうが、果実が大きいからと、読めないものをせっかくだからと楽しむその姿にたくさん学びました。その発想がこの映画をここまで大きくした原動力です。

 そしてふたりとも大好きだったヴェンダース監督へアプローチすることになった。ダメ元でした。通常の映画のように最初に企画書を書いて、こんな映画をつくろうとビジョンをつくって、それを実現したわけじゃないんです。映画をつくろう、清掃員を主人公にしよう、ヴェンダース監督にお願いしてみよう、役所広司さんに相談してみよう、みたいに僕と柳井さんのふたりで雪だるまを転がしていっているような…。たくさんの尊敬できる仲間たち、たくさんの才能があつまり、どんどん大きな雪だるまになっていった。だからこの映画もこれからどこにむかって、どうなっていくのか正直わかっていません。いけるとこまでいってみる、という。

 カンヌ国際映画祭で役所広司さんの最優秀男優賞受賞はその雪だるまを大きく加速させました。映画祭期間中に80カ国以上の配給が決まって、その評判が日本にも伝わり、米アカデミー賞の国際長編部門の日本代表に選ばれて、そしてノミネートまでいきました。ノミネートされてみてわかったんですが、とんでもない場所を雪だるまが転がっているなあと。本当に幸運だと思います。ヴェンダース監督の積み重ねてきた実績と、そのことに対する映画界のリスペクトの凄さも一緒にあると感じます。

 手ぶらで行くのが恥ずかしくて、実際に今トイレ清掃をされている会社に連絡を取って、朝5時ぐらいから、1日全部のトイレを一緒に清掃するというのをやりました。そこで見たこととか感じたことをお話しして、役所さんにご相談しました。トイレは全部で17個あるんですけど、僕が映画を作る時は15個だったかな。それを全部掃除しました。かなり大変でした。

――映画に登場したトイレは全部、プロジェクトの中で作られたものなんですか。

高崎 そうですね。渋谷区に今17個あります。建築家の槇文彦さんとか、坂茂さん、安藤忠雄さん、隈研吾さん、インテリアデザイナーでは片山正通さんとか、佐藤可士和さんもやっていたり、そうそうたる面々がやっています。小さな建築物としてもとても面白い。今、そのトイレ巡りみたいなのが外国人の方にも流行ってたりしています。

――結局、役所さんにはどんなふうに説明したのですか。

高崎 「トイレ清掃員の役で映画を作ってみたいと思う。監督はヴィム・ヴェンダースにお願いしたいと思います。もしヴェンダースがやると言ったら役所さんやってくださいませんか」。そうご相談しました。役所さんは、トイレ清掃員で映画を作るなんてそんな企画、普通の映画会社じゃ通らないから、もうその時点で面白そうだと感じたと後でおっしゃっていました。そして、ヴィム・ヴェンダース作品と言ったら断る俳優はいないと思いますよと引き受けてくださった。ヴェンダースは役所さんのことをよく知っていたので、役所広司と仕事ができて東京に行けるんだったらぜひやりたいという返事をもらいました。

個性的なキャストも魅力(『PERFECT DAYS』より)
個性的なキャストも魅力(『PERFECT DAYS』より)

脚本とキャスティングはどう進められたのか

――脚本は高崎さんが書いたのですか。

高崎 脚本はヴェンダースと2人で書いています。

――例えば、自販機がすごく印象的に登場しますね。あれは高崎さんが広告に関わったBOSSだとか言われていますが。

高崎 まったく違います。単純に朝少し甘めのコーヒーを飲んだりとかするのは、糖分をとらないとあの仕事はきついなと思ったからです。一人暮らしの男が料理した朝ご飯を食べてとはならず、朝食ははしょるだろうなと思ったので、甘めのコーヒーを飲みながら、車で行くという設定にしました。たまたま、缶コーヒーだったらBOSSでいいんじゃないかっていうくらいですね。他に変える理由もないし、架空の缶とかでやるほうがよっぽど嫌ですね。何もかもが嘘にみえる。

 僕自身そういうものを映画やドラマのなかで目にするととても冷めるので、そうしたくないと思っただけです。

――キャスティングは主に高崎さんが考えたのですか。

高崎 脚本の作業はエピソードをたくさん考える形で進んだのですが、そのエピソードの説明の時にはほとんどのキャストをイメージとして伝え、映像をいっしょに観ながらいろんな話をして決めていきました。あくまでイメージということで話していったんですが、ヴェンダース作品だから、みなさんなんとかスケジュールを調整していただいて。現場で撮影が進むたびに「キャスティングは10のうち10だ」とヴェンダース監督も言っていました。僕も本当にそう思います。

――アオイヤマダさんは高崎さんが役者として気にいっていたのですか。

高崎 そうですね。キャストは全員大好きな人です。例えば三浦友和さんはあのの役を三浦さんが演じるということを前提にして書いています。あてがきに近いというか。アオイヤマダさんは、存在感の強さと、どこか「常識」と格闘している大変さとが、彼女にしかない魅力に感じていて……。それが僕のなかにも全然違うサイズですけどやはりあって。そこに共感する人はきっと多いだろうなと思いました。その部分は今の東京の抱えているものでもある気がします。勝手にそう思っていました。

――映画がどんどん話題になっていったのをどう感じていましたか。

高崎 カンヌで賞をとって、10月中旬に東京国際映画祭があって、そこの審査委員長にヴィム・ヴェンダースが選ばれて、東京国際映画祭のオープニング作品になった。アジアで初めて東京国際映画祭で公開することになった。そこから1週間先行上映をやりました。そして12月22日から本格的に全国で公開したんですが、最初は150館くらいで始まったんですけど、ずっと満席が続いた。2月下旬には200館以上に増えています。スクリーンの数でいうと少しずつ減ってると思うんですけど、驚くほどお客さんが入っています。地方でも満席が出たりとか。

 淡々とした話なので何回も観る方がいらっしゃって。自分の知らない場所で自分の知らない方々が見てくださるというのが、こんなに嬉しいのだと毎日感じています。

「木漏れ日」がキーワード(『PERFECT DAYS』より)
「木漏れ日」がキーワード(『PERFECT DAYS』より)

「木漏れ日」という言葉が大きなキーワードに

――公園での木漏れ日、役所さんが木を見るという印象的なシーンは、ヴェンダース監督の演出なんですか。

高崎 最初にシナリオを作る時に、僕とヴェンダースの中で、木漏れ日という言葉が大きなキーワードになっていました。ヴェンダースは、複製できないものに価値があるというのを感じている人で、東京をずっと見てもらっている時も、僕が見逃してるような東京の木々をすごくよく見ているんですね。木はどんな木でもそれはそこにしかない。同じものはない。

 トイレ清掃の男って、毎日同じことを繰り返して淡々と生きていて、その場所からあまり離れないようにしていると思うんですけど、彼の人生って木みたいだねという話をしていました。毎日が繰り返しのなかにあって変化がないように見えるけれど、実は大きくなっていて枝も張って葉ものびていて、ちょっとした出来事がその葉を揺らして木漏れ日が生まれる。その光と影の動きを、美しいものと僕らは感じたりする。彼の人生を木だと仮定したときに、彼の木がつくる木漏れ日というのを映画にしようという話をしていました。

 映画全体がそういうつもりで作られてる部分が大きくあって、そのことを主人公の平山という男はわかっていて、だから、光に目をやり、それが万物に均等に当たっている、そして自分にも届いているという奇跡。いま情報が多くて、みんながそういう美しいものに気づきにくくなっている。映画を作ってる時にそういうことを考えました。

――撮影はどの時期にどのぐらいやったのですか。

高崎 撮影は2023年の10月に入ってから16日間でした。その前からヴィム・ヴェンダースとはオンラインで何度も会話をしていて、彼からのリクエストを僕らが調べてメールをして、いろんなディティールを一緒に決めていきました。だから本当にずっと一緒にやっていた感じです。

丁寧な設定や丁寧な背景は全部事前に考えてあった

――同じ朝のシーンの繰り返しみたいなことは、脚本の段階で意図的にそうなっているわけですね。

高崎 はい。それを僕らはルーティーンって呼んでいました。同じことを繰り返して見せると、小さな変化が大きく見えるじゃないですか。毎日同じことを繰り返している男というのを見せて、それがある時ちょっとしたことで少し変化が起きるという、その小さな変化を、スクリーンを通して見ると大きく感じる。それが一番の狙いで、それをやるためにルーティーンというのを構造的に作っています。

――カセットテープが出てくるとか、あのへんも考えられているわけですよね。

高崎 そうですね。主人公の男は、ある理由があってあの生活を選択しています。インターネットがない、テレビもない、だから新しい情報に触れるという意識があんまりなくて、もう既に自分は満たされているというところからあの生活が生まれているんです。そうなると、昔好きだったものを丁寧に聴くという、その好きだったものは何だろうと考えた時に、カセットテープがいいんじゃないかと思いました。昔から大事にしているという感じが出るし、車で聴けるので、彼の大きな趣味になるというわけです。

 丁寧な設定とか丁寧な背景というのは全部考えてあって、ほとんど全ての登場人物の背景は一応ちゃんと考えてあるのです。そのうえで、スクリーンにのってない部分をお客さんが想像しながら観る。欠けている状態で、観ている側の想像力のスイッチをオンにする方が、人間の没入感というのは大きかったりするんじゃないかなという、そういう作りになっていると思います。

――撮影現場での役所さんとヴェンダース監督との関わりはどんな感じでしたか。

高崎 役所さんはもう本当にヴィム・ヴェンダースという人がどういうふうに映画を作るのか、それに自分がどう応えられるのかっていうことを楽しみにするという感じでした。ヴェンダースはフィクションの存在をドキュメンタリーみたいに撮りたいとずっと言っていて、撮影が始まって数日して、もう役所広司が演じているんじゃなくて平山という男そのものがいると言っていました。テストとかほぼせずに、動きだけ決めて、あとはもうドキュメンタリーみたいに撮ってました。役所さんの役作りの完成度というか、本当にその人になりきるというところまでいけている凄さですよね。あとはそれを逃がさないように撮るという柔軟な姿勢で現場にいたヴェンダースの凄さという、その2つが起こした奇跡だなという気がしました。

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

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