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週刊誌が「逮捕」間近と報じた猿之助さん「一家心中」事件の本質は何なのか

篠田博之月刊『創』編集長
『週刊文春』『週刊新潮』の見出しに「逮捕」の文字が(筆者撮影)

週刊誌に相次いで「逮捕」の文字が

 謎に包まれたままの市川猿之助さん「一家心中」事件だが、6月に入って週刊誌の見出しに「逮捕」の二文字が躍った。『週刊文春』6月15日号「猿之助逮捕全暗闘 警視庁vs.東京地検」と『週刊新潮』6月15日号「『猿之助』vs.『警視庁』『自殺幇助で逮捕』後に『未成年性加害』捜査」だ。

 逮捕へ向けた動きが進んでいるという。特に『週刊文春』の報道はかなり具体的でリアルなものだ。記事中で匿名の捜査関係者がこう語っている。

「実は、警視庁は六月第一週を目処に、猿之助を自殺幇助の疑いで逮捕する方針を固めていたのです。着手に向け、前週の五月二十五、二十六日には検察庁と協議。捜査状況を説明した上で、身柄を取ることを打診していました」

 しかし「五月二十九日、最終的に地検は逮捕にストップをかけた」という。なぜかというとこうだ。

《猿之助は調べに対し、「両親は私が用意した睡眠薬をみずから五、六錠ずつ飲んだ」と供述しているが、地検は「それくらいの量で死ぬことがあるのか」と疑問視。「さらに鑑定を進め、死に至る根拠を科学的に説明せよ」と警視庁に注文を突き付けたのだ》

『週刊新潮』の記事でも、地検が慎重姿勢を示した理由を匿名の記者がこう説明している。「猿之助ほどの有名人が逮捕されるとなると、社会的な影響力も大きく、万に一つも捜査のミスは許されない」

 『週刊文春』によると、猿之助さんは再び自殺を図る怖れが強いという理由で措置入院となっているという。

 この事件の影響は大きく、6月16日公開予定だった映画『緊急取調室THE FINAL』が公開延期となった。『週刊新潮』によると、猿之助さん扮する総理大臣がテロリストに襲われるというストーリーで、昨年の安倍首相銃撃事件の影響で公開が一度延期になっていた。見出しには「二度も延期でお蔵入り危機!」と書かれている。猿之助さんの事件は、芸能界やテレビ・映画界に甚大な影響を及ぼしており、それはまだしばらく続きそうだ。

 ちなみにこの事件については当初の段階で、『女性セブン』報道と事件の関係について下記記事をヤフーニュースに書いたので参照いただきたい。

https://news.yahoo.co.jp/byline/shinodahiroyuki/20230531-00351891

猿之助さん一家「心中事件」と『女性セブン』セクハラ告発報道との気になる関係

本質は抗議の自殺だったはずだ

 この間、猿之助さんが自殺幇助になるのかどうなるのかといった逮捕容疑に関する週刊誌報道が続いているのだが、猿之助さんが犯罪者扱いされている一連の報道がどうも気になる。この事件は、一言で言えば、報道に対する抗議の自殺と言ってよいのではないだろうか。それが「一家心中」というセンセーショナルな形で、しかも当の猿之助さんが一命をとりとめたという経過のため、事件の構造がわかりにくくなった。

 実際、報道への抗議というだけでは理解できない部分もあり、背景には歌舞伎をめぐる様々な事情があったとか、亡くなった父親ががんの闘病を続けており、両親が老々介護という状況があったことなど、いろいろなことが指摘されている。確かに、「一家心中」という事態に至った背景に様々な要因があったことは確かだろう。

きっかけとなった『女性セブン』の報道(筆者撮影)
きっかけとなった『女性セブン』の報道(筆者撮影)

 ただ、事件が発覚したのが、猿之助さんのセクハラなどを告発した『女性セブン』の発売日だったことに示されるように、引き金となったのが週刊誌報道だったことは間違いないと思われる。本当は自殺といった方法でなく、例えば報道に問題があったと主張するならどこに問題があったかを指摘し、報道のあり方を議論するきっかけにしてほしかった。抗議の自殺というやり方では、死というものに対する感情的な思いが先に立って、きちんとした議論にならない怖れがある。しかも、両親も猿之助さんも亡くなってしまった場合は、いったい何が問題になったのかも明らかにならない。

 もちろん死をもって決着をつけるというのは、自分の存在を含めて全て終わりにしてしまうという究極の選択だから、どんな方法で行うか冷静に考えるという心理状態ではなかったのだろう。

本質からそれた議論

 逮捕をめぐって地検が慎重になっているというのは、もちろん立件の筋道がきちんとできてからということだろう。ただ、もうひとつ気になるのは、その逮捕が、この事件をどう見るのか方向性を決めてしまう怖れもある。週刊誌の猿之助さん逮捕報道は既にその傾向を強めており、猿之助さんが罪を犯したかのような受け止められ方が強くなっている。どうも議論が本質からそれてしまっているように思えてならない。

 それについては『週刊新潮』6月22日号「『猿之助』破滅への道」の中の園田寿・甲南大名誉教授の説明が参考になる。猿之助さんのケースを警察・検察がどう判断するのかについて、園田さんはこう指摘しているのだ。

《警察・検察当局は刑罰の目的、すなわち「応報」と「犯罪予防」の観点からも、心中の生存者をあえて厳しく罰する必要はないと考えることもあります。その場合、生存者は実際には逮捕されても、起訴猶予になるケースもあるのです。

 本件も猿之助さんの供述通り、事件前日に家族会議が行われ、家族みんなで死んで生まれ変わろうという結論が出ていたのなら、せいぜい自殺幇助の罪に問われる程度でしょう。》

 この後、園田さんは、猿之助さんが両親の死に際してビニール袋を使用したとされている点に着目してもう少し法的な解釈を続けるのだが、気になるのは『週刊新潮』編集部がこの園田さんの説明に「偽装心中なら殺人罪も視野」という見出しをつけていることだ。「殺人罪も視野」というのはいくら何でもセンセーショナルすぎるのではないか。何やら議論がますます本質から遠ざかるような気がする。

何が問われなければならないのか

 ちなみに前述した前週の『週刊新潮』6月15日号の記事の見出しは「『猿之助』vs.『警視庁』『自殺幇助で逮捕』後に『未成年性加害』捜査」。「心中」という選択まで至った背景には、性加害をめぐるもっとひどい事例があったのではないかという見方だ。記事中では警視庁がこういう見方をしていると指摘されている。

「女性誌一誌が性加害の疑惑を報じたというだけで、一家心中に追い詰められるとは思えない。なので家族会議を経て自殺を図った当夜から翌日までの時間のみを切り取って捜査をするだけでは済ませず、そこに至るまでの原因、背景事情、流れをすべて解明しようとしています」(匿名の記者)

 確かに『女性セブン』の報道だけで一家心中に追い詰められるというのはいささか飛躍があるのでは、という感想は多くの人が抱いているところだろう。実際の記事を読んでも、これがなぜ「一家心中」にまで親子を追い詰めたのか理解しがたい面はある。

 ただそれは多くの人が指摘するところで、これから一斉に取材陣が押し寄せてくるという集団的過熱取材への恐怖は、報道される側にしかわからない。神経過敏になってしまうのも無理はないだろう。

 それともう一つ気になるのは、猿之助さんが自室のスケッチ用キャンバスに書いた遺書「愛するA 大好き 次の世で会おうね」の相手Aが男性マネージャーだったという話だ。

 いわゆるアウティングになる怖れがあるので『女性セブン』6月1日号ではあまり触れられていないのだが、同誌の翌6月8日号、それに『週刊文春』6月8日号「猿之助は恋人に裏切られていた」や『週刊新潮』6月8日号「『猿之助』全供述」では大きく書かれていた。

 マスコミの取材攻勢が始まればその問題も暴かれかねないと猿之助さんが考えても不思議はないだろう。

 確かに性加害を告発する#MeTooの歴史的流れは押しとどめることもできず、週刊誌の性加害告発報道は基本的に認めざるをえないのだが、個々の報道をめぐっては検証せねばならない部分もあることは明らかだ。だから今回の事件も、本当なら猿之助さん本人の口から、取材や報道のどこが問題なのか指摘して議論に供さねばならなかったと思う。抗議の自殺という衝撃の展開では、性被害を告発した側だってそれ以上、ものが言いにくくなってしまう。

 ともあれ現在は再度の自殺防止のために措置入院しているという猿之助さんの回復を願い、そもそも抗議の自殺を考えたのは何が原因で、どう感じたのかなど、できるだけ言葉にしてほしいと思う。そうしないとこの事件は、本質的な部分に進まずに、猿之助さんの逮捕や逮捕理由は何かといった話ばかりがなされる気がしてならない。

 逮捕があるとしたらそれを機に、この事件の本質は何なのか。改めてきちんとした議論が広がってほしいと思う。

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

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