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薬物依存者の回復支援組織「ダルク」を創設した近藤恒雄さんの死を悼む

篠田博之月刊『創』編集長
2015年、イベントで田代まさしさんと登壇した近藤恒雄さん(右)筆者撮影

 近藤恒雄さんの訃報を受け取ったのは2022年3月4日(金)、近藤さんが理事長を務めていた「アパリ」関係者のSNS発信によってだった。週明けになって新聞などが一斉に訃報を掲載した。日本ダルク代表、関連組織アパリの理事長といった肩書は報じられたが、近藤さんが成し遂げた大きな仕事については十分に書かれていないので、ここで生前、月刊『創』(つくる)に掲載したインタビュー記事を公開して、追悼したいと思う。

 近藤さんが亡くなったのは2月27日で、享年80歳、報道によると大腸がんだったという。

 私は、三田佳子さんの次男、田代まさしさん、そして元体操五輪代表・岡崎聡子さんなどの薬物事件に関わってきたが、その3つのケースともダルクや近藤さんとの接点があった。いや、そもそもダルクは依存症などのテーマについては極めて大きな存在だったから、それ以前から近藤さんと顔をあわせる機会は幾度もあった。

 ダルクは、自らも薬物依存症に苦しんだ人たちが組織運営にあたるという独特な組織だし、そこで活動した人が独立して各地で同様の組織を作っていくというその点も独特だ。おおらかな性格の近藤さんのキャラクターにも負うところが大きいような気もするが、とにかく近藤さんたちはダルクという、独特な形態の組織を作り上げたわけで、その功績はとても大きいと思う。

 田代さんの薬物依存の時は近藤さんに法廷証人として出廷していただいたし、岡崎さんについては、現在服役中だが、出所後は沖縄ダルクでめんどうをみてもらうことになっている。いずれもダルクやアパリに相談を持ちかけたのは私で、田代さんや岡崎さんの裁判では私自身も法廷証言を行った。岡崎さんのケースは下記を参照いただきたい。

https://news.yahoo.co.jp/byline/shinodahiroyuki/20190816-00138673

元体操五輪・岡崎聡子さんの薬物裁判証人として語った「そんな人生は切なすぎる」

 さて、その日本ダルクが結成30周年を迎えた時の『創』2015年11月号の近藤さんのインタビューを以下掲載する。創設者である近藤さんに、日本ダルク30年の歩みを語っていただいたものだ。

元薬物依存者が薬物依存者を支える互助組織

 日本ダルクは薬物依存からの回復に取り組んでいる民間団体で、1985年に近藤さんが西日暮里に開設した東京ダルクから発展したものだ。近藤さんは94年にそこを別のスタッフに任せて沖縄に渡り、沖縄ダルクを開設。97年には高知ダルクを開設して、98年に再び上京して、日本ダルクを開設した。

 ダルクはスタッフが独立する形で各地に設立され、全国で約60カ所に及ぶ(注:2015年当時)。総本山というべき日本ダルクは、クリニックや弁護士事務所まで併設し、近藤さんがその代表を務めている。各地のダルクは、それぞれの代表に任せており、法人ではあるが独立採算制になっている。

「僕はピラミッド型組織は嫌いだから。ダルクは誰がやってもいいんです。たぶん、それがダルクが各地に広がった理由じゃないですか」(近藤代表)

 薬物依存となってダルクに入寮する場合は毎月16万円を負担する(注:2015年当時)。薬物の誘惑を断ち切るために、一人暮らしをやめ、ダルクで共同生活を送りながら回復のプログラムに参加する。16万円のうち6万円がダルクから生活費として本人に支給される。子どもが薬物依存となった場合は、入寮費は親が負担することが多いが、成人の場合は生活保護受給者も少なくない。16万円という金額は生活保護受給額を基準に決められているという。

 ダルクの特徴は、近藤さんを始め、スタッフが基本的に元薬物依存者であることだ。患者がスタッフとしてフォローする側にまわる。つまり互助的な組織だ。

「実際に経験した者がアドバイスしてくれるから説得力も増すし、患者が回復すればスタッフに回ることで雇用が生まれる。それがよいことですね」(同)

日本でも徐々に進む「刑罰から治療へ」の流れ

 芸能人などが薬物所持や使用で逮捕されると、テレビでコメンテイターが「刑務所に送って厳罰に処すべきです」とコメントする。しかし、これは、日本社会が薬物依存に対する理解が足りないことの現われだ。薬物依存はある種の病気だから、治療をせずに2~3年刑務所に閉じ込めておくだけでは、出所後、再犯に至るという悪循環を断ち切るのが難しい。

「刑務所に入っても悪化させるだけです。薬物依存は基本的に社会内処遇、つまり社会で治療を受けて治さないといけないのです。でもそのことへの理解が足りず、昔は裁判で治療の必要性を主張すると、裁判官が『ここは治療でなく裁く場なのだ』と言うこともありました。さすがに今はそういう裁判官はいませんが……」(同)

 アメリカなどではドラッグコートという仕組みがあって、法廷で薬物依存者に、処罰か治療かを迫り、処罰されるのが嫌なら治療に専念することを迫る。日本でもそれに対する研究は進んでいるが、そこへ至るのにはまだ段階があり、もう少し違った仕組みが考えられているという。

「刑罰から治療へという考え方をダイバージョンと言うのですが、ドラッグコートとなると法律も変えないといけないので、今考えられているのは、検察が起訴するかどうか決める時に、治療に専念するなら起訴猶予にするという考え方を取り入れることです。これだったら現状でもできる。服役したり罰金を払ったりするのが嫌なら治療して回復させるという考え方です」(同)

 現状では薬物事件で逮捕された場合、初犯ならほぼ執行猶予がつくのだが、近藤代表に言わせると、何のフォローもなしに執行猶予をつける今のやり方では再犯に至るだけだという。ダイバージョンの考え方をもっと取り入れて行かないと薬物依存は防げないという。

「薬物依存者は排除するだけではだめなんです。排除されればまた薬物をやる。例えば職場や学校で薬物をやっているのを見つけた場合、日本ではまだすぐに解雇したり退学にしたりするでしょう。退学させるなら治療してからすればいいじゃないですか。うつ病になった人がいる場合は、その人をすぐに解雇したりしないでしょう。薬物だって基本的にはそれと同じなんです」(同)

 回復への治療を受ける過程で、また薬物に手を出してしまう患者もいるが、ダルクはだからといって失敗だったと全否定はしない。薬物依存は「薬物は二度とやりません」と誓うのでなく、がんなどと同じように共存しながら使用しない期間を延ばしていくことで克服するという考え方だ。

 ダルクの歩みは、日本における薬物依存への取り組みの歴史でもある。今少しずつ司法において「処罰から治療へ」という考え方が浸透しつつあるのも、ダルクなどの働きかけがあったからだといえよう。

「正直言って、ダルクがここまでもつとは思いませんでしたがね」

 近藤さんはそう言って笑った。

日本ダルク30周年イベントでは田代さんが司会も

 以上が近藤さんが語った日本ダルクの30年だ。このインタビューを行った2015年の10月16日には日比谷公会堂で30周年記念フォーラムが開催され、全国各地から関係者が集まった。そのイベントの第2部(夜の部17時半開会)の司会を務めたのは田代まさしさんで、当時、田代さんはダルクのスタッフとして日本ダルクの本部に通い、様々なイベントにも登壇していた。近藤さんは、田代さんに、自分に代わって次の代表になってほしいと言っていた。実際にはそうした過程で田代さんが再び薬物事件で逮捕されてしまうという顛末に至ってしまうのだが。

 薬物事件の悲惨なところは、事件後、本人も「今度こそ立ち直る」と誓い、周囲も大変な思いをして応援していくのに、それを裏切ってまた逮捕されてしまうといったことの繰り返しであることだ。家族などが懸命になって更生に関わるのに、その努力が再逮捕で水の泡になるという深刻なことが何度も繰り返されるのだ。自分も周囲も崩壊することがわかっていながらなぜ再び薬物に手を出すのか、と誰もが思うのだが、そこが薬物依存の特徴だ。   

 日本でも最近は処罰から治療へという考え方が、ようやく浸透しつつある。法務省や裁判所もいろいろな取り組みを続け、刑の一部執行停止など、治療のための環境も整いつつある。そうした長いプロセスにおいて、ダルクの果たした役割は非常に大きいと言える。

 その創設者である近藤さんの逝去は、薬物依存を巡る歴史のひとつの区切りとして象徴的なことなのかもしれない。

 3月4日にSNSで訃報に接した時に見たのは「通夜並びに告別式につきましては、故人の意志により、近親者のみで相済ませました」という文面だった。それでは弔電だけでもと一瞬思ったが、よく見るとこうも書いてある。

「誠に勝手ながら、ご供物ならびにご供花、ご香典、ご弔電の儀は固くご辞退させていただきますので、何卒よろしくお願い申し上げます」

 豪放磊落だった近藤さんらしい「故人の意志」だ。だからせめてヤフーニュースにこの一文を公開して、哀悼の意を表したいと思った。近藤さん、安らかに。

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

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