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和歌山カレー事件・林眞須美死刑囚の手紙と、長女の死を「今までの人生で一番ショック」とつづった文書

篠田博之月刊『創』編集長
7月15日付の林眞須美死刑囚からの手紙と陳述書(筆者撮影)

再審請求取り下げの無効申し立て

 和歌山カレー事件で死刑が確定し再審請求中の林眞須美死刑囚から7月15日付で手紙が届いた。死刑確定者は基本的に家族と弁護士以外は接見禁止で、手紙のやりとりも禁止されているからそれは特例なのだが、6月17日付、7月6日付(2通)と、この間何通もの手紙が届いている。7月6日の1通は当方が差し入れを行ったのに対する礼状発信だが、それ以外はいずれも再審や裁判に関わる事柄の特別発信だ。

 眞須美さんは、接見禁止を含めた拘置所の処遇について何度も訴訟を起こしており、そうした体験を通じて、いろいろなことを教訓化しているようだ。手紙は、裁判関係のことに限定して許可されており大きな制約を受けているはずだが、やりとりを通してこちらもいろいろなことがわかる。

 なお6月に届いた手紙や、今回の一連の出来事については、下記記事に書いたので参照してほしい。

https://news.yahoo.co.jp/byline/shinodahiroyuki/20210709-00247060

和歌山カレー事件・林眞須美さんが長女の死という衝撃の渦中に送ってきた手紙

https://news.yahoo.co.jp/byline/shinodahiroyuki/20210614-00243019

和歌山カレー事件・林眞須美さんの長女のこれが最期だとしたらあまりに悲しすぎる

 今回送られてきた書類の中で興味深いのは、7月1日付の「陳述書」と題されたものだ。彼女が長年、安田好弘弁護団と続けてきた再審請求の最高裁宛特別抗告を6月20日に取り下げてしまったことは以前書いたが、それを無効とする申し立てだ。

 眞須美さんは、これまでの安田弁護団のほかに生田暉雄弁護士に新たな再審請求手続きを依頼し、5月31日付の再審請求が6月9日に受理された。そして20日に、それまで継続中だった再審請求を取り下げてしまった。

 2009年以来、長年続けている安田弁護団を通じた再審請求を、あっさりと取り下げてしまったことについては、私も仰天したし、彼女の支援を続けてきた人たちにとっても衝撃の事態だった。

 前述した陳述書は、その取り下げを無効とする申し立てだった。再審請求の取り下げというのは、重たい手続きだし、裁判所が受け入れてくれるかどうかもわからない。

 眞須美さんの無効申し立てがどうなるかは予断を許さないのだが、私がその陳述書に興味を持ったのは、取り下げ手続きを無効とする理由として、彼女がつづっていた内容だった。

取下げ手続きと同じ時期に起きた長女の自殺

 6月9日に新たな再審請求が受理され、これまでの請求を彼女が20日に取り下げるその間には、眞須美さんにとって重大な出来事が起きていた。長女が4歳の娘を抱いたまま関西空港連絡橋から40メートル下の海中に身を投じ、自殺したのだ。その長女とは私も面識があり、死刑囚の娘と言われて重たい人生を生きてきた最期があまりに不憫で衝撃を受けたものだ。

 なぜ長女がいきなり自殺を遂げたのか。その真相は、いまだに明らかになっていない。その日、長女の16歳の娘が亡くなっており、虐待死の疑いがあるとして警察が捜査に着手はしたものの、真相解明は難航しているようだ。

 眞須美さんにとっては6月9日、新たな再審請求が受理されたその日に、長女の死という大変な出来事が起きていたのだった。眞須美さんは関係者から長女の死は知らされたのだが、その後、新聞広告で週刊誌が大きく報道しているのを知るなど、何日かその衝撃に翻弄されたようだ。

 再審請求の取り下げを行ったのはまさにその動揺している時期であり、冷静に考えたうえでの措置ではなかった、というのが取り下げ無効申し立ての理由のようだ。

 眞須美さんは長女の死を「59年の人生で一番強いショック」と書いている。その59年の人生の中には、カレー事件で逮捕され死刑判決を受けたことも含まれているはずだから、それを踏まえたうえで「一番強いショック」というのは、彼女が今回の長女の自殺にいかに衝撃を受けたかを物語っているといえる。

 その自筆の陳述書は10枚に及ぶ長文のものだが、長女の死に自分が何を感じ、どう受け止めたかが書かれている。陳述書のその部分を紹介しよう。

《私は、令和3年6月11日回覧の読売新聞を目にして、○○心桜さん(16歳)と目にして、令和3年6月9日に、長女A(37歳)とB(4歳)と○○心桜(16歳)の孫2人の3人が死亡したことを知りました。遺体との対面等したく又、何もできないので、令和3年6月11日に、○○弁護士と○○弁護士の2人は大阪なので面会を求める電報の発信を申出ました。》

「母親なのに守ってあげられなかった」

 陳述書の引用を続けよう。

《6月17日回覧の読売新聞を目にして、「週刊文春」に、大きく広告があり、「週刊新潮」にも広告があり、私の長女等記されており、動揺が大きくなり、ショックも大きくなり、すごしていました。夕方に、和歌山県警察本部より着信交付があり目にしまして、遺体のことや解剖のことや死因のことが記してあり、59年の人生で一番強いショックとなり、遺体とも対面できない、3人共痛々しい解剖もされた等、6月9日に長女と孫2人の3人も同日死亡し、母親として、線香も御花も大好きな物も最後に大好きな衣類や品等も柩にいれてもやれず、顔や髪や頬も撫でてもあげられず、情けなくなり、何もできず、守ってあげれたのに 母親なのに守ってあげられなかったと人生でも1番の強い悲嘆にくれました。》

《母親なのに私は、長女、我が子すら守っていない、守ってあげられなかった等、…ひどい状態となり》《6月19日夕方頃より、体がもう限界となり、起き上がるのもしんどくなり布団に3食以外は寝てました。6月20日は、もう体がしんどくて、とても日昼座ってすごすことも出来ず、起床より心も体も、フラフラであり、子供を守れなかった自分を責めるのみとなり、今日死にたい私も死ぬしかない、と強く思いすごし、洋ケイ紙に、氏名や文面等をあらかじめ記して(指印押印も平日しかできず、パンチも平日しかできず)あった、書面が目に入り、番号と係を記して、職員にわたしました。

 布団の中ですごし、泣きながら長女の名前を叫び、顔や髪を頬を何十回も撫でてあげました。

 職員さんが、自分の封筒で又、出せといってきたので、しんどいので、自分の封筒では出さない、又、封筒をさがしたり切手をさがしたり、記したりするのがしんどかったので、いってすぐに布団にもぐりこみました。泣いたり涙の所をみられたくないので布団の中で泣いてすごし、長女と2人いっしょにいて、顔や髪や頬をずっと名前を呼び撫でてすごしていました。

 職員さんが「あずかっておく」と告知にきました。私はしんどくてこの日は布団中ですごしました。「こちらで郵送する」といわなかったので、弁護士に練絡をしてくれる。してくれた。と理解しました。》

 そんなふうに長女の死にいかに衝撃を受けたかを綿々とつづり、陳述書は最後にこう書かれている。

《6月20日に職員にわたした、取下書は、真意では全くなく無効です。》

長女が姓だけでなく名も変わっていたという重たい現実

 陳述書は、弁護士が取り下げ無効の申し立て手続きをするために本人の意思をまとめたものだろう。長女の自殺や眞須美さんの母親としての思いなど、いろいろなことを考えさせられる文書だが、無効申し立て自体が今後どうなるのか詳細はわからない。

 安田弁護団はかつて、2004年の奈良女児殺害事件の小林薫元死刑囚の控訴取り下げについても無効申し立てを行った経緯があったが、その時も実際に裁判所が受理するまでに時間がかかっている(無効申し立てに対する裁判所の決定は棄却だった)。

 さて、この陳述書を読んでもうひとつ、私が気になったことがある。引用に際してはA、Bとイニシャルにしたが、原文は亡くなった長女の名前が実名で書かれている。その長女の姓と名が変わっていたことだ。

 死亡が確認され、虐待死が疑われているという心桜さんについては、既に報道されているので名前のみ実名にした。この心桜という、孫の名前を林健司さんら家族が覚えていたことが、亡くなったのが長女だと判断する根拠になった。その心桜さんの姓は、長女が最初に結婚した前の夫の姓だ。

 複雑な思いに捉われるのは、引用で匿名にしたが、長女Aと4歳の娘Bの名前だ。AとBの姓は、長女が再婚した夫の姓なのだろう、同じものだ。そして驚いたのは、長女の姓だけでなく名前が替わっていたことだ。実は、事件当初、林健治さんらが戸惑い、少し混乱も起きたのは、そのためだった。

 長女は、かつて毎年7月に開かれる眞須美さん支援集会にも顔を出していたのだが、ある時期から顔を見せなくなった。2006年に開催された支援集会での長女の詳細な発言は、創出版刊『和歌山カレー事件 獄中からの手紙』に収録してあるが、その後長女は、支援集会はもちろん、家族とも10年以上音信不通になっていたらしい。

 彼女は、これからは新たな自分の人生を生きたいと言っていたという。2006年の集会の時、長女は最初の夫と結婚し、姓は変わっていたのだが、その後再婚したのを機に当時の姓とまた別の姓になっていた。それはよいのだが、複雑なのは、彼女の姓が替わっただけでなく名前まで変わっていたことだ。それを眞須美さんの家族は、今回の事件で初めて知ったという。理由は、和歌山カレー事件の林家の長女というのと別の人生を歩もうとしたためだろう。事情によって姓を変えることは時々行われているが、名まで変えるのは極めて異例だし、なかなか認められることではないと言われる。

 だから名前が替わっていたことに、彼女の強い意思が反映されていた。長女が置かれていた現実や、彼女がどんな人生を送り、どうしようとしていたかが反映されていた。

 そうせざるをえなかった理由を考えると胸が痛くなる。そして眞須美さんを始め、その家族も長女の名前を見て、その彼女の重たい人生に思いを馳せたと思う。

 しかもそのことに6月9日の悲しい最期を重ねると、何とも痛ましい思いに捉われざるをえない。

NHK「クローズアップ現代+」が取り上げた家族の苦悩

 7月16日に放送されたNHK「クローズアップ現代+」「カレー事件の子どもたち

闇に追われた23年」は、その家族の問題を取り上げた見ごたえある番組だった。

 後半、スタジオで森達也さんがコメントしていたが、これも的確な指摘だった。日本は欧米に比べて「個の確立」ができていないため、何かの事件で罪に問われた当事者の家族にまで攻撃が加えられ、家族に対する想像力が働いていない、という指摘だ。番組の概要やコメントは下記サイトで見られるので興味ある人はアクセスしてほしい。ついでながら、その番組についての感想を森さんは、8月6日発売の月刊『創』(つくる)9月号に書いている。

https://www.nhk.or.jp/gendai/articles/4573/index.html

2021年7月16日(金)カレー事件の子どもたち 闇に追われた23年

 私はこれまで大きな事件の当事者に5年10年かけて接し取材することが多かったので、

家族の問題に直面することも多かった。12年間取材でつきあった連続幼女殺害事件の宮崎勤元死刑囚の場合は、父親が事件を苦にして自殺しているし、母親は宮崎という姓を変えて生活してきた。オウム真理教の松本元教祖の子どもたちも大変な人生を歩んでいる。私は3女とは彼女が13歳の頃から関わってきたし、4女とも一時期よく会っていた。4女も何度も自殺を試みている。

 和歌山カレー事件の林家の子どもたちも大変重たい人生を歩んできたはずだ。今、マスコミに比較的登場している長男は2019年に『もう逃げない。』という手記を出版しているが、関心のある人はぜひ読んでほしい。

自宅の壁を埋め尽くした落書きが象徴するもの

 カレー事件で両親が逮捕されたその日に子どもたちは児童相談所に連れていかれ、その後はそこで過ごすことになるのだが、翌年春に子どもたちが荷物を取りに自宅へ戻った時のことがその本に書かれている。自宅の塀は落書きで覆われ、家の中にも何者かが侵入した痕跡があった。子どもたちはその光景を見て言葉も発せなかったという。

 1999年5月の眞須美さんの初公判の時に久しぶりに自宅を訪れた時、私もその壁の落書きには衝撃を受けた。まだ有罪とも無罪とも決まっておらず、理論的には無罪推定のはずなのだが、その光景は、もう眞須美さんを犯人と決めつけ、何をやってもいいんだという集団リンチそのものだった。日本社会の一断面がその光景に表れていることを思い、戦慄を覚えたものだ。

林家の塀を埋め尽くした落書き(筆者撮影)
林家の塀を埋め尽くした落書き(筆者撮影)

 和歌山カレー事件については、逮捕前の週刊誌報道などで、眞須美さんが夫の健治さんにまでヒ素を盛っていたとかいう話をいまだに信じ込んでいる人が少なくない。後に健治さん自身が、保険金を得るために意識的にヒ素を飲んでいたことを告白しているのだが、逮捕当時にマスコミ報道によって刷り込まれた印象は、なかなか変わらないのだ。

 そうした日本社会の歪んだ面が、眞須美さんの子どもたちの人生に重くのしかかっていたことは想像に難くない。自宅の壁を心ない落書きで埋め尽くすような荒涼たる空気が、家族にのしかかり、長女は姓だけでなく名も変えて生きねばならなかった。それが今回の彼女の自殺を機に様々な形で浮かび上がり、何ともやりきれない気持ちにならざるをえない。

 なお発売中の月刊『創』9月号の内容については下記にアクセスしてほしい。

http://www.tsukuru.co.jp/

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

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