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相模原障害者殺傷事件・植松聖死刑囚に関するやまゆり園の内部資料が示す新事実

篠田博之月刊『創』編集長
6月に届いた植松聖死刑囚の手紙(筆者撮影)

 2021年7月で、あの凄惨な相模原障害者殺傷事件から5年を迎える。神奈川県は津久井やまゆり園の新園舎を再建し、7月4日開所式を開くなど、新たな動きがいろいろと進められつつある。

 事件を起こした植松聖死刑囚は、既に2020年に死刑が確定し、東京拘置所で執行を待つ日々だ。基本的に接見禁止で手紙も面会も家族以外は禁じられているが、『創』編集部には定期的に手紙が届いている。最近もこの6月に自筆の手紙が届いた。ただ自由に彼の心境などを尋ねることはできない。お金の差し入れに対してお礼を告げるといった制限された事柄しか手紙のやりとりは認められていないからだ。

 それにめげることなく、今も何とか特別接見許可を得るために努力を続けている。

死刑判決を受け入れ、再審は申し立てるつもりがないと言っている植松死刑囚は、自ら控訴取り下げを行うなどしているため、比較的早期に刑が執行される可能性がある。

 なぜ『創』が植松死刑囚との接見にこだわっているかといえば、相模原事件の真相が十分に解明されたとは言い難い現実があるからだ。2020年の裁判では、責任能力の有無に争点が絞られた。つまり彼を死刑にできるかどうかが審理されたわけだ。

 でも本当に大事なのは、あの凄惨な事件がなぜ起きたのか、植松死刑囚は障害者施設の職員という、支援を行う立場であったのに、どうしてあのような考え方に変わってしまったのか。それを解明することだ。

 残念ながら裁判では、その大事なポイントは、いろいろな証言で断片的に語られただけに終わってしまった。判決では、植松死刑囚が犯行に至る考え方に変わっていくうえで、やまゆり園での体験が基礎となっているという認定がなされた。でもその内容はほとんど掘り下げられていない。いったい彼は施設での活動で何を感じ、自分の考えをどう変えていったのか。そこを掘り下げることなしに、あの事件の真相解明はありえない。

2021年6月26日、月命日の献花がなされた津久井やまゆり園(編集部撮影)
2021年6月26日、月命日の献花がなされた津久井やまゆり園(編集部撮影)

 実は裁判と時を同じくして神奈川県が施設の支援のあり方などの検証に取り組み始め、この1年ほどでいろいろな事実が少しずつ明らかになり始めている。そして今回、7月7日発売の月刊『創』8月号では、植松死刑囚のやまゆり園での障害者支援の仕事に関する内部資料を、元職員をまじえて検証するという試みを行った。

 それによって植松死刑囚の、これまであまり語られることのなかった断面が垣間見えた。

 創出版から刊行している植松死刑囚との接見記録など(『開けられたパンドラの箱』『パンドラの箱は閉じられたのか』)で部分的に触れてきたように、彼は事件の約1年前の夏に、津久井やまゆり園からの転職を具体的に考えて準備していた。それを機に改めて教科書などを読むうちに、障害者支援の現状や考え方に根本的疑問を感じるようになっていったという。

 今回、明らかになった内部資料では、その頃、彼がやまゆり園で何を体験し、障害者支援についてどう考え始めていたかが窺える。植松死刑囚について解明するうえで貴重な報告書だ。

 『創』の記事では、ノンフィクションライターの渡辺一史さん(『こんな夜更けにバナナかよ』の筆者)が、資料をもとに元職員T氏に質問を重ね、植松死刑囚の支援のあり方に迫っている。

 ここではそのやりとりのごく一部を紹介しよう。本当はこんなふうに今になってぽろぽろと出てくる事実を植松死刑囚本人にぶつけて事件の真相を解明していかなくてはいけないのだが、その作業は現在、困難な状況にある。

 しかし、このまま、あの事件を過去のものとして葬り、風化させてはいけない。一歩でも事件の真相に迫るための取り組みが、いまだに関係者、あるいはジャーナリズムには問われているのだと思う。 

 事件から5年を機に改めて、相模原事件の本質は何だったのか、考えてみたい。

 なお、『創』8月号の議論を受ける形で、7月25日(日)午後、新宿ロフトプラスワンで、渡辺さんや雨宮処凛さん、それに元やまゆり園関係者らが集まってトークを行う予定だ。コロナ対策のため、会場参加は少人数にして、その議論をオンラインで視聴できるようにする。『創』8月号で発言している元職員T氏も参加する予定なので、関心のある人はぜひご参加いただきたい。発言者など詳細は下記をご覧いただきたい。

https://www.loft-prj.co.jp/schedule/plusone/181453

 以下、『創』8月号の記事の一部を紹介する。最初に津久井やまゆり園の内部報告書「ヒヤリハット」が出てくるが、「ヒヤリハット」とは、介護や医療分野で広く普及した取り組みで、現場でヒヤリとしたりハッとした事例を記録し、職員どうしで共有するための報告書であり、植松の在職中の仕事ぶりを知る上で重要な記録である。

 すでにその内容の一端は渡辺さんが『文藝春秋』6月号で紹介し反響を呼んでいたが、今回の『創』の記事は詳細にわたってその内容が取り上げられている。ここまで詳細な内容が取り上げられるのはこれが初めてだ。

植松の支援の実態は?内部資料に見る意外な事実

渡辺一史 植松死刑囚は、津久井やまゆり園に在職中の約3年3カ月の間に、21枚のヒヤリハット報告書を残しています。これは枚数としては多い方ですか?

T氏(元職員) いや多くはないですが、特別少なくもないと思います。ただ1枚1枚を見ていくと、ちゃんと自分なりの視点で丁寧に書かれていて正直驚きました。

渡辺 職員時代の植松は、ふまじめで「利用者の腕に落書きをした」などのエピソードが早くから報道されてきました。

 また、入倉かおる元園長が判決後の記者会見で語った植松像はこうです。例えば《足が弱くなっている利用者の方を誘導しているときに、ポケットに手を突っ込んで誘導していた》《遅刻や、退勤時間になっていないのに帰ってしまうという、人としての一般的なルール違反》が目につき、《当時からそういう雑な面、人として一般常識に欠ける面のある職員だった》というものです。

 だからこそ、園としては、《デキの悪い支援員だけど、どうにか育てていかなければならないと工夫をしながら育ててきた》と──。これが一般に定着している植松のイメージだと思います。

 ところが、植松が書いたヒヤリハット報告書を読んでみると、実際は違ったのではないかという疑問が湧いてきます。具体的に見ていきますが、21枚中、最も特徴的なのは、植松が利用者を救出した2015年3月の報告書です。

T氏 このときの植松の行動は非常に的確ですし、報告書もよく書けています。

渡辺 内容を要約すると、利用者が入浴中に突然てんかん発作を起こし、湯船に沈みかけるアクシデントが起こりました。それに気づいた植松が、すぐに利用者を抱きかかえ、救出の処置を行ったというものです。植松はこう書いています。

《14:53浴槽内にて発作を確認し、溺れている状況だったので直ぐに担ぎあげる。硬直痙攣20秒程みられる。脱力後脱衣場に移動し、14:55ダイアップ(発作止めの座薬)を挿入する。15:00バイタルチェックを実施。kt(体温)37・5、BP(血圧)125/68、P(脈拍)110、その後、居室で横になって過ごしていただく。看護課に連絡し18:00に検温の指示がある》(カッコ内は筆者が補足)

 この報告書から何が読みとれますか?

T氏 まず、ダイアップという座薬を入れると血圧が低下しやすいので、バイタルチェックをして看護課に申し送る必要があるのですが、植松はそれをしっかり理解していることです。あと、当然ですが、何時何分に何があったかをメモしてないとこんな報告書は書けません。

渡辺 確かに、分刻みで書いてますね。

T氏 血圧を測れば時間が記録されますから、そこから逆算して時間を記入したのかもしれませんが、少なくともどう行動するかだけでなく、最初から記録に残すことを心がけて動いています。

 それと、報告書には「原因及び問題点」という欄がありますが、報告者の個性が一番あらわれる部分なんです。植松は、《発作をもっている利用者様はシャワー浴のみ実施する。しかし、入浴は楽しみの一つの為、見守りの徹底を行う》と書いています。もし利用者のことをあまり考えない職員だったら、「シャワー浴のみ実施する」で終わっていたと思うんです。でも植松は、利用者さんは入浴が楽しみだから、見守りを徹底したいと書いている。彼なりに利用者さんのことを真剣に考えている証拠だと思います。

渡辺 自分が、さも利用者思いであることのアピールというのではなく?

T氏 そう言ってしまえばそうかもしれませんが、普段から何も考えていない人には、おそらく書けないと思います。

イレズミ発覚を機に上司の対応が変わった?

渡辺 かたや、植松の報告に対して、上司のコメントが問題になってくるわけです。全文を引用しますが、一読しただけでは何を言いたいのかわからないと思いますが、上司はこう書いています。

《溺れるとは、広辞苑第三版によると“水中で泳げないで沈む、または死にそうになる”となります。今回の件を確認しましたが、浴槽内に頭部は浸かりましたが、直ぐに気付けたので水を飲むまでには至っておりませんでした。対応は迅速で賞賛すべき内容なのに、報告に〝溺れている〟との記載があるため重大な結果を招いてしまった、と思われてしまいました。今後は、対応はそのままで、報告する際の記述に注意してください。》

 これは要するに、「溺れる」なんていう大げさな言葉を使って、必要以上に騒ぎ立てるなという意味ですよね。

T氏 僕もこのコメントを読んだときは、植松に思わず同情してしまいました。発作を起こした利用者さんを助けたのに、こんなコメントはナンセンスですよ。

 僕自身は、植松と同じ職場で働いた経験はありませんが、植松をよく知る同僚の話によると、彼は「バカ植松」と呼ばれて、職場内ですごく陰口を叩かれていたっていうんです。「あれだけ職場でバカにされてたら、そら頭だっておかしくなるよ」と言っている人もいました。

渡辺 入倉元園長の〈デキの悪い支援員だけど、どうにか育てていかなければならないと工夫をしながら育ててきた〉という言葉も疑わしくなってきますね。

T氏 今回、植松の21枚の報告書を精査してみて、彼がまだ新人だった頃のヒヤリハットを見ると、上司の対応がまったく違っているのがわかります。

 植松は2012年12月に非常勤職員に採用され、「つばさホーム」という部署に配属されますが、その時代の2013年3月、利用者さんの薬袋に植松が間違った薬を入れてしまい、別の職員がダブルチェックした際に気づいたという報告書が出ています。その際、上司は《ミスは誰にでも起こりうる物です。職員個人のミスを組織のミスに発展させない為にダブルチェックを行っています》と植松を励ますコメントを書いています。

渡辺 浴室の報告書が、2015年3月のものですから、その2年で、植松に対する上司の視線がガラッと変わったということですね。それは、一つにはイレズミの発覚があるんじゃないでしょうか。

 入浴介助中に植松のイレズミに同僚が気づき、上司に報告したのが2014年12月のことです。そこから植松が退職に至る2016年2月までの間、彼は職場でかなり冷遇されていた可能性があるということですか?

T氏 まわりの職員も、上司の態度に影響を受けるでしょうから、村八分のような感じだった可能性は十分あると思います。あと、私の元同僚で「つばさホーム」時代の植松をよく知る女性職員がいるのですが、「その頃の植松君はかわいかったし、本当に一生懸命だったよ」と言っていました。ところが、彼が常勤採用されて「のぞみホーム」に移ってから、だんだんおかしくなっていったと。

 先ほどの女性職員が、廊下ですれ違った植松に、「最近どう?」と声をかけると、「やめたいと思っている」と言ったそうです。「どうしてそう思うの?」と聞いたところ、「利用者に気持ちを送っても、返ってくるものがない、働いていてむなしい」と。仕事に対して、もがいていたというか、悩みを受け止めてくれる人がいなかったのかもしれません。

植松聖という人間の不可解な二面性

渡辺 ここまで聞いて、篠田さん(本誌編集長)にお聞きしたいのですが。篠田さんは、植松の接見禁止が解かれた2017年以降、50回以上の面会を重ねてきて、いわば植松を最もよく知り抜いている人ですが、ヒヤリハットから浮かび上がる植松像は、やはり意外ですか?

篠田 そうですね。私が植松との接見を始めた頃に、障害者施設関係者から、彼の犯罪は、障害者虐待の究極の形だと言われたこともあり、彼の支援のあり方や職員時代の植松がどうだったのか、本人にしつこく聞きました。でも、彼は自分の犯罪とやまゆり園の実態を結び付けて語られることに強く反発していた。家族の問題と結び付けて語られることへの反発もあるのですが、いずれにせよそういう話を意図的に避けていました。

渡辺 植松は接見時、篠田さんに、やまゆり園の仕事は《楽な仕事だと思っています。例えば「見守り」という仕事があるのですが、本当に見ているだけですから》と語ったり、《(利用者が)暴れた時は押さえつけるだけですから》とも言っています(『開けられたパンドラの箱』より)。

 こうした植松の言葉をとらえ、「見ているだけ」「押さえつけるだけ」なんて何ごとだと。やっぱり植松ってヤツは、施設職員として不適格者だと言われる根拠になってしまっています。

篠田 支援活動についての植松の捉え方に問題があったのは確かだとは思うけれど、どうしても、ああいう事件を起こした犯人という認識から入っていくから、彼の支援のあり方を仔細に検証していくという作業は十分に行われていないかもしれないですね。

T氏 そこが彼の二面性というか、ヒヤリハットから浮かび上がる植松像と、篠田さんのお話から出てくる植松像が、僕の中で噛み合わないんですよ。両方とも、一人の人間のもつ側面なのですが。

篠田 植松は基本的に、やまゆり園については悪く語らない。彼は自分のしたことを「革命」とか「世直し」だと信じており、家族ややまゆり園の人たちについては、それに巻き込んでしまって迷惑をかけたという思いがあるらしいんですね。

渡辺 僕もトータルで17回、植松と面会していますが、Tさんのいうように、もし職場で冷遇されていたなら、なんで恨みごとの一つも言わないんでしょう。

 普通は、上司に対して「クソったれ」と思ったり、同僚に対しても「なんで俺を認めないんだ」とストレスを感じるはずですが、植松の場合、そうした恨みごとを言わないですよね。それは自分が殺傷した利用者に対しても同じで、よく「ヘイトクライム(憎悪による犯罪)」と言われますが、植松に憎悪という感情はほとんど見当たりませんよね。

 彼は、きっと目の前の利用者に対しては、ちゃんと仕事はしていたし、ぞんざいなことはしていないけど、ただ思想、信条という部分で、「意思疎通のとれない障害者は安楽死すべきだ」という主張に急速に取りつかれていった。まさに思想的犯罪ということかもしれませんが、なんだか人間性が分裂してますよね。

なぜ施設の職員たちは口を閉ざすのか

渡辺 今回、こうしてTさんが証言してくれていますが、これまで、やまゆり園の職員が実情を語ってくれることはありませんでした。なぜだと思いますか。

T氏 植松の発言を聞いて、大なり小なり自分の"痛い腹"を探られる部分があるからではないかと思います。

 実は、「障害者なんていなくなればいい」と言っていたのは植松ひとりじゃないですし、先輩職員の中には、「彼らが生かされてること自体が、血税の無駄遣いだ」とはっきり言い切るような人もいました。そういう環境で、植松がああした思想に染まっていったという可能性が、誰しもの頭によぎったのではないかと思います。だからこそ、この件は心の中にそっと閉じ込めておこうと……。

渡辺 Tさんがこうして証言をしようと考えたのはどういう思いからですか。

T氏 最初のきっかけは、昨年、神奈川県の黒岩知事が、津久井やまゆり園の検証委員会を立ち上げて、5月に中間報告書がまとめられました。

 それによって、これまで表沙汰にならなかった、津久井やまゆり園の不適切な支援の実態に、ようやくスポットが当てられたわけですが、あれを見て、やっぱりどうにかしなくてはいけないと。

 そのとき、たまたまですが、自分が働いていた園のフロアに、のぞみホームから職員が異動してきたんです。その人が相変わらず「おい、こら、てめえ」という口調で利用者さんの頭を小突いたりしているのを見て、植松のことが再び気になり始めたというか……。

篠田 利用者が暴れたりした場合の防御のための暴力というのはよく言われたりするけれど、そうではなく?

T氏 食堂で利用者さんに、何も言わず平手打ちをかますような職員もいますからね。

渡辺 結局、今の職場環境というのは、職員の人たちが鬱積をため込んでいかざるをえないような環境なんですね。

T氏 職員も病んでるんですよ。結局、利用者さんを閉じ込めたり、拘束したり、そうやって〝生かさず殺さず〟の状態に置いていることによって、実は自分たちも〝生かさず殺さず〟の毎日になってしまう。仕事のやりがいも感じられずに、1日8時間なりをムダにしてしまっていることに気づこうとしないんですよ。

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

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