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三浦春馬さん主演映画「森の学校」が公開から20年を経て各地で上映されている事情

篠田博之月刊『創』編集長
映画「森の学校」パンフレット(筆者撮影)

 TOHOシネマズ日本橋で映画「森の学校」を観てきた。2002年に公開された映画で、昨年亡くなった三浦春馬さんが12歳の時に主演した映画で、三浦さんの本格的デビュー作ともいえるものだ。

 この映画はいま、全国各地で上映が広がっているのだが、なぜそうなっているかといえば、三浦さんの死を悼む人たちが上映を求めてドリームパスという仕組みに投票をしているからだ。かつての名作などの上映を求める投票を行い、それが一定数以上になった映画を実際に映画館で上映しているのだ。

 三浦さんの映画はそのほかにも幾つか投票によって上映がなされているが、この「森の学校」が今大きく浮上しているのは、同作品が監督の「この映画は映画館で観て欲しい」という意向もあって、ずっとDVD化がされていなかったからのようだ。

 昨年7月に三浦さんが死を遂げて以降、それに衝撃を受け、それまで特にファンでなかった人たちも、三浦さんのDVDを買い求め、昨年12月に公開された最後の主演映画「天外者」には、10回も20回も劇場に足を運ぶ人もいる。その多くは一定年齢以上の女性たちだが、「春馬ロス」ないし「三浦春馬現象」とも言うべき現象がもう何カ月も続いているのだ。

 三浦さんが出ているといっても12歳の時だから、と最初は思っていたファンたちも、実際に映画を観てみると、後の三浦さんをほうふつとさせる演技に認識を新たにするばかりか、丹波篠山の大自然を背景にしたその映像が素晴らしく、改めて評価が高まっているのだ。

映画を貫く「命」についての思い

 私が観に行ったのは3月10日だったが、さすがに平日の朝9時からの上映とあって満席というわけにはいかなかったが、観て良かったと思うような見応えある映画だった。

 全編を貫いているテーマは「命」だというのが私の感想だ。春馬少年扮する小学生の主人公は生き物が好きで、庭でウサギやモグラ、モルモット、はてはフクロウといろいろな動物を飼って、自宅の庭に「動物園」を作っている。その動物たちとの交流や子どもたちの友情などが大自然を背景に描かれるのだが、クライマックスは少年を可愛がってくれた祖母が亡くなって、子どもたちが「みんないつか死ぬんや」と口々に語るシーンだ。

 三浦さんは12歳で、俳優としてこれから成長を遂げる時期だから、もちろんこの映画が最初に公開された時点では、あのような最期を遂げることは誰も予想していなかったと思う。でも昨年の死をきっかけにファンになった女性たちは、その死をめぐるやりとりにはドキッとしたに違いない。

 この3月からは、三浦さんが重要な役で存在感を占める「ブレイブ-群青戦記-」も公開されており、TOHOシネマズ日本橋でも上映されている。いやそればかりか、「天外者」もこの映画館にかかっており、「春友」と呼ばれる三浦ファンたちが頻繁に足を運んでいるようだ。 

 映画と言えば、三浦さんが昨年出演したテレビドラマ「太陽の子」も劇場映画として公開されることが既に発表されている。

「受け入れがたい死」にどう向き合うか

 さて「森の学校」を観た後、私には衝撃の知らせがあった。冤罪問題などで関わり、今は一緒に「再審法改正をめざす市民の会」を一緒にやっていた客野美喜子さんがその朝亡くなったというメールが届いたのだった。すい臓がんが見つかっていたのは知っていたが、それから数カ月、最近も会議には元気な姿を見せていたから、突然の死には驚き、なかなか受け入れることができなかった。これはすい臓がんの特徴で、以前にも知人が見つかって3カ月で他界してしまったことがあった。

 先頃まで元気だった人が突然、存在までもがなくなってしまうというのは、死というものの持つ恐るべき特徴で、人間はみなそれに直面するとたじろぎ、畏怖の念を覚えざるをえない。

 三浦春馬さんの突然の死に直面し、いまだに心にぽっかりと穴が開いたままだという人が多いのは、俳優として順風満帆に見えた彼が突然、存在しなくなってしまったという成り行きに負うところが多いのだろうと思う。いまだにそこから脱け出せずに涙を流しているという女性も少なくない。

 コロナ禍でそれまでと異なるコミュニケーション環境に置かれたことも、背景にはあるのだろう。昨年から女性の自殺が増えているという不気味な現象も、そうしたことと関わっていると思われる。

 周知のように私の編集する月刊『創』(つくる)には毎月、そういう女性たちからたくさんの投書が寄せられ、毎号かなりのページを使ってそれを公表している。それを読んで、自分と同じ思いの人がたくさんいることを知り、孤立感がやわらいだという女性も多い。

「三浦春馬ロス」がなぜこんなに続くのか

 それら雑誌に掲載した女性たちの投稿は、このヤフーニュースでも随時紹介している。インターネットのすごいところは、雑誌などと違って遠く離れた海外でもアクセスできることで、ヤフーニュースでの記事を見て、海外から投稿してくる女性もいる。

 この4月には、それら約半年間掲載してきた投稿などをまとめた別冊『三浦春馬 死を超えて生きる人』も刊行予定だ。当初は3月下旬発売予定と言っていたため、今、毎日のように「刊行はまだか」という問い合わせの電話が入っている。これまで『創』やヤフーニュースに載せてきた記事のほかに新しいインタビューなども載せるなどしているため、予想以上に作業は大変で発売が遅れているが、4月5日発売をめざしている。4月5日は三浦春馬さんの誕生日だ。

 40代から70代まで、人生をある程度生きてきた女性たちが「春馬ロス」に陥り、時間薬も効かない状態が続いているというこの現象は、社会学的にも掘り下げてみる必要があるような気もするのだが、この間、紹介している投稿では、女性たちが自分の人生を振り返り、自分自身に語りかけている。だからなかなか重たい内容が多い。以下にも幾つか紹介しておこう。

 なお4月発売の『三浦春馬 死を超えた人』には多くの投稿を掲載予定だが、まだ今からでも間に合うので、私もと思う方は下記へメールを送ってほしい。

mail@tsukuru.co.jp

7月18日の衝撃をいまだに受け止められない

●私も昨年7月18日から春馬くんを忘れることができないままでいる1人です。

こんなにも長い間、いっときも心から離れずにいることを誰にも言えずに毎日を送っています。同じような思いで過ごしている人たちがいることを記事で知り、少し安堵しつつ、この気持ちを吐き出すことで、悲しみが少しでも整理できたらと思い、メールしました。

 春馬くんの死をきっかけに、私は死がとても身近な存在に感じられるようになりました。「私の生きている毎日も、終わらせようと思えば簡単に終わってしまう」そんなことを急に考えるようになり、あれから、ふと衝動的に沸き起こってくる「死」への感情と葛藤する日々です。

 私は、春馬くんよりも一回り年上で、元々熱狂的なファンだったというわけではありません。でも、春馬くんは10代の時から第一線でずっと活躍していたので、亡くなってから改めて、春馬くんの出演作品をたくさん見てきたこと、いつも私たちのそばで輝いている存在だったことを思い知りました。そして、なぜ春馬くんの死がこんなにも強く心をひきつけてやまないのか、自分なりに色々と考えてみました。

 一つには、人に優しく、たゆまぬ努力を重ね、キラキラと輝きを放ち、心身ともに美しい春馬くんのような人が生きていくことのできなかった世界に絶望感を感じたことは確かです。

 何があったのかは私たちは永遠に知ることはできませんが、あの笑顔の裏に、とてつもない苦しみを抱えて生きていたことや誰も救いだすことができなかったこと、あんな最期を一人で迎えさせてしまったことを思うと、深い悲しみに襲われます。

 また、死とはほど遠い場所にいるように見えた春馬くんが自死を選んだというそのギャップに、心が追いつかないという現状もあります。ドラマの撮影中に主役級の俳優が自死をするなど、今まで聞いたこともなく、前日夜まで普通に働いて、「また明日」と言っていた人が翌日に自ら命を断つという出来事を、いまだにどう理解したら良いのかわからないままです。

 どうしてあんな最期を迎えなくてはいけなかったのだろう。本当はどこかで生きていてくれるのではないだろうか、そんな思いがぐるぐるとめぐり、日に日にやりきれなさが増します。そして、自分もある日そのような心情にかられることがあるのか、また、自分の身近な人であったら、と考えては不安に苛まれる日々です。

 亡くなったあとも、次々にドラマや映画が公開され続け、死から半年以上経てもまだ新作が残っているという状況も異例な事態だと感じています。その姿を今もなお目にするたびに悲しみや寂しさ、悔しさが募り、「もうこの世に春馬くんはいないのだ」と現実を直視させられ、心が休まる時がありません。

 春馬くんの死は、ひとりの芸能人の死という出来事にとどまらず、この先どれほど真面目に頑張っても決して報われないのではないか、とコロナ禍で閉塞感の漂う毎日にとどめを刺された気がしました。

 7月18日の衝撃は今もなお心を揺さぶり、春馬くんの死を受け止めることがまだできません。思い出すのはいつも、あのキュートな笑顔で、だからこそ悲しさは増すばかりです。忘れない、ということは時に苦しさを伴いますが、春馬くんの美しい姿を私はずっと忘れずにいたいと思っています。今はただ春馬くんの魂が、どこかで安らかに幸福に包まれていることを願います。(東京在住、匿名)

自分と同じ状況の方がこんなに沢山いることに驚き

●11月号から三浦春馬さんに関する記事をずっと拝読しています。自分と同じような状況にいる方がこんなにも沢山いることに正直驚いています。同時に、『創』を読むことで、こんな風になってしまったのは自分だけではなかった、と少し安心することもできました。皆さんが心のあり様を吐露してくれたこと、それをこういった形で世に出してくださった編集長に感謝します。

 実は私は三浦さんの事をずっと見て来たファンではありません。あの日から、もういないはずの三浦さんの存在が心に刺さり、辛い日々を過ごしてきた“にわかファン”の一人です。最初ニュースを見た時には、きっと悩んでいたことがあったんだろうね(ファティマさんの最初の寄稿で言及されていたことです)と冷静に受け止めていたのですが、その翌日からじわじわと心が締め付けられる時間が多くなってきて…ついに秋を迎える頃には自分の死を考えるほどのひどい精神状態になってしまいました。自分が何をするかわからない、クローゼットに近づくのが怖い、そんな日々でもありました。

「太陽の子」についてインタビューされた時に、「今日という日は(戦時中に)”誰かがあれほど生きたいと願った1日”なんだ」と語っていました。だからこんなコロナ禍でも「時代に沿って順応していかなければいけない」と。

 これが2020年7月8日。三浦さんが旅立つ10日前の言葉です。こんなに前向きな言葉を発することができる人が、どうして自分で命を絶ってしまったんだろう。三浦さんが最後をどんな心境で迎えたのか、それを考えると今でも胸が苦しくなります。あの日から三浦さんの出る映画、TV番組、ドラマ、ミュージカル等片っ端から観てきました。そのどれもに涙も笑いもあり、彼がこれほど一所懸命に生きた日々を、仕事に忙殺されリアルに応援できなかった自分の人生を悔やんでばかりでした。ただ、この世に起きることには何か意味がある、そうなのだとしたら、彼がいなくなった理由を探すのではなくて、彼が生きて残してくれたものの意味をしっかり受け止めて前に進んでいかなければいけないと思うようになりました。

 決して時間薬が効いたのではありません。彼をだんだん忘れる日々が始まったのでもありません。彼はいつだって30歳の若さで皆の心に留まり輝き続ける、思い出せばいつでもそこにいる、死を超えてなお生きている、その事実をやっと受け止められる自分に昇華したのだと思います。

 三浦さんが自身の20歳の誕生日に10年後の自分に送った言葉があります。それに今は大きな拍手と共に応えてあげたい。「あなたは凄い人になっていますよ、自信をもって前を向いて歩いてください」と。そしてこの言葉を自分自身にもかけられるように、1日1日をしっかり生きていきたいと思います。三浦さん、あなたが身をもって教えてくれたことに心の底から感謝します。ありがとう。     (東京都 52歳 のりこ)

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

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