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三浦春馬さんめぐる最近の気になる動きと、いまだ死を受け入れられないファンたちの声

篠田博之月刊『創』編集長
『女性自身』『週刊新潮』などが相次いで三浦春馬さんの遺族の近況を報道(筆者撮影)

女性の自殺増加に政府が「対策室」を設置

 2月19日、首相官邸内閣官房に「孤立・孤独対策室」が発足した。昨年6月以降、女性と青少年の自殺が増えていることが契機だ。今年1月の厚労省と警察庁の統計でも、男性は前年同期比で5・7%減と自殺者が減っているのに、女性は5・6%増と増えている。男女の違いが顕著なのだ。女性の自殺はいまや深刻な社会問題になりつつある。

 そうした傾向と昨年7月の三浦春馬さんの死の衝撃からいまだに抜け出せないという女性が多いこととは明らかに重なっている要因がある。「三浦春馬ロス」あるいは「三浦春馬現象」というべきものだが、以前から三浦さんのファンというわけではなかったにもかかわらず、大きな衝撃を受けたという女性が多い。コロナ禍など社会的要因を背景として、三浦さんの死が多くの女性たちに共振現象を引き起こしたといえる。

 それについて月刊『創』(つくる)は昨年11月号から誌面で取り組んできた。一時は、三浦春馬さんのいる世界へ自分も逝きたいと自殺衝動を口にする女性も多かったため、多くの女性たちの投稿を載せることで、あなたたちは孤立していないというキャンペーンを張ってきた。同じような感情を抱えている人が多いことを本誌で知って救われたという女性も多い。

 この3月にはそうした声を含めて、三浦さんの死を考える別冊『三浦春馬 死を超えて生きる人』を発売する。既に書店やアマゾンを通じてたくさんの予約をいただいている。そこに女性たちの投稿を載せることも予告しているため、この1カ月ほどかなりの投稿が寄せられている。

 それらの最近の投稿の一部は3月8日発売の『創』4月号に掲載したが、ここでは発売中の3月号に掲載した投稿を紹介しよう。なお3月発売の別冊にはもっと多くの投稿を収録する予定なので、ぜひ声をあげたいという方は下記へメール送信するか封書で投稿を送っていただきたい。

mail@tsukuru.co.jp

三浦春馬さん実父の急死と実母の告白

 その内容に入る前に、この間、三浦春馬さんをめぐるいろいろな動きがあったことを報告しておこう。三浦さんの遺産をめぐって実の母親と父親が弁護士を立てて争っていたことは既に知られているが、何とその実の父親が1月15日未明に急死した。前夜から、いきつけの飲食店にいたのだが、気分が悪くなったと言って帰宅後、息を引き取ったという。『女性自身』2月23日号が「独占キャッチ!三浦春馬さん実父が遺産問題渦中に急死!」と題して大きく報じた。

 そしてもうひとつ大きな動きは、三浦さんの実母が『週刊新潮』2月25日号に登場、タイトルは「『三浦春馬』実母が訴える『息子は事務所に奪われた』」だ。『週刊新潮』といえば、春馬さんの死後、その背景のひとつとして実母との確執を指摘し、実母とは対立してきた関係だから、この記事にはいささか驚いた。

 彼女は昨年12月24日発売の『週刊文春』12月31日・1月7日合併号「三浦春馬実母初告白『遺骨は手元にあります』」に登場していた。同日発売の『週刊新潮』も三浦さんの記事を載せていたが、見出しは「遺骨・相続トラブル…『三浦春馬』が泣いている」。両誌とも実母と実父の相続争いには批判的だった。

 そして両誌の発売当日、三浦さんが所属していたアミューズは「本日の週刊誌報道について」と題する文書をホームページに公表。週刊誌報道を激しく批判した。

《未だ悲しみの中におられるご遺族への執拗な取材行為について、(略)これまでも再三控えるようお願いして参りましたが、それを一切無視する形で強引な取材を行い、故人とご遺族の尊厳を傷つけるような記事が掲載されていることについて、当社としては強く抗議いたします》

 文末は「法的措置を含む対抗策をこれまで以上に毅然と講じる所存です」と結ばれている。この時点では週刊誌の報道に対してアミューズが、実母を代弁するような形で抗議していたのだった。

実母のアミューズ批判の意味するものは

 それが今回の『週刊新潮』2月25日号には実母が登場し、事務所批判を行っているのだった。どうやら週刊誌で、実母が息子にお金を無心するなどして確執が生じていたことが死の背景のひとつであるかのような報道がなされることを、本人が否定しようと考えたらしい。恐らくライバルの『週刊文春』に先にインタビューされたことに対して『週刊新潮』が巻き返そうとしてアプローチし、一連の報道への批判や否定も載せるからと持ち掛けたのだろう。実母はこう語っている。

「だいたい、私についてメディアで書かれていることは全然違うの」

 さらに、自分が息子と疎遠だったと報じられたのは、事務所が息子を囲って、母親と会えなくしていたのではないか、と事務所批判まで口にしたのだった。彼女は、息子が2014年にドラマ『僕のいた時間』で無理に体重を落としたことでうつ状態に陥った、さらに事務所が、仕事に専念させるために本人を囲い込んだと語っている。この記事を読んでアミューズ側もショックを隠せなかっただろう。

 この実母とアミューズの関係が今後どうなるのかは注目すべき事柄だが、それは今後フォローすることにして、ここでは以下、『創』3月号に掲載した三浦春馬さんの死に対する多くの女性たちの投稿を紹介しよう。何せ数が多いので長くなるが、関心の強い人もいると思うので、一応掲載分は全て紹介することにする。既に3月号を購読している方は同じ内容であることをお断りしたい。

春馬の死からいまだに立ち直れない

●新しい年を迎えた。春馬が旅立ってから、もう半年経つが「天外者」の公開が、また私を「春馬沼」へ引きずり込んだ。正確には、浮上したフリをしていたが喪失感という底無しの「春馬沼」で、ずっと私は溺れていたのだろう。

 大晦日、私は独り寝室のベッドの上で泣きながら、彼の歌声と写真集のお気に入りのページを抱きしめながら年を越した。2020年のあの日に春馬をひとり置き去りには出来ない、私の手で2021年にも一緒に連れて行く。独りよがりの自己満足の儀式であったが、同じようなことをしたのは私だけではないであろう。

 階下では、春馬とさほど年齢の変わらない息子2人と旦那の笑い声が聞こえる…。私がこの様な、やり場の無いやるせない気持ちで新年を迎えたことを、3人は知らない。

 春馬の死から立ち直れない50代の女性、まさしく私もその一人である。彼の人なりを知れば知るほど、世の中の不条理と虚しさ、切なさと愛を覚える。思うに、ある程度子育ても一段落し、空の巣症候群に近い状況にある中での、待ったなしの親の介護問題、新たなやり甲斐のある社会的役割も見出せず、若くもなく、人生ももう折り返しを過ぎたかと、悶々とする我々世代の女性の心の表層に、あのクシャとした笑顔でスッと音もなく入り込んで静かに浸透してくる存在、それが「三浦春馬」だったのではないか、と。

 彼は私たちにとって、母性愛がダダ漏れする理想的な息子であり、図々しくも願わくば年下の恋人でもあり、時として達観し老成した先輩にも見え、人生に彩りを添えてくれる柔らかな光であったから、我々はその灯し続けることが叶わなかった、守れなかった光に…何故、救えなかった、助けてあげられなかった…と虚無感に苛まれ、抜け出せずに自分を罪人だとさえ思う…。

 彼は死後「大天使」「gifted」「ライトワーカー」等と表現されるが、そんなに高潔な存在じゃあなくても良かったんだよ。

 春馬も人間だもの、苛立ったり、時には他人に嫉妬したり、怠けたり、自分をもっと許して良かったんだよ。そんなに頑張らないで、良かったんだよ…自分自身をもっと信じて甘やかして欲しかった…。

 もし「三浦春馬」という鎧を脱ぎ捨てて、全てをさらけ出せる人が側に居たのなら、結果は違っていたのかな…「たら、れば」ですね。

 今はただ、ただ…全ての苦痛から解放されて、春馬の気持ちの赴くまま、新たな幸せな旅を続けて欲しい。

 神様お願い…春馬は小さい頃からとてもたくさん頑張ったんです。だから、私たちの代わりに「良くやった」と褒めちぎって抱きしめてあげて下さい。

 私には、彼が命を削りながら遺した作品が沢山あるから、もう何も望まないから、彼の欲しかったもの、見たかった景色、全て、与えてあげて下さい。

 春馬、ありがとう…これからも多くの人が貴方を想い、空を見上げるよ。ありったけの感謝と愛を込めて、旅の安全を祈っています。穏やかに、安らかに、幸せに、と。(北海道 かんなお 53歳)

いつ死んでもいいと思いながら生きてきた

●もう半年。まだ三浦春馬? きっと世間ではそんな感じなのかな。でもまだ朝目覚めては夢ではなかったと胸が痛み、わけもなく涙が溢れる瞬間がある。もうこの世にいない俳優なのに。

 追悼番組のようなものも、花を手向ける場もなく、新作のCDが発売され、新作映画が公開され続ける。もういないのだという現実を受け入れようにも、脳がバグって収まらない。

「天外者」のドキュメンタリーで、彼はカメラのずっと向こうを刺すような瞳で、やり切りました、悔いはないです、一生懸命やりましたと言い切っていた。

 それはちょっと売れて自惚れた役者が自信満々で語るものとは違う。映画、舞台、ドラマ…。一つの作品に向かい合うたびに彼は歴史的背景を学び、取材し、多言語を学び、殺陣を習い、所作を身につけ、体をつくり、コンディションを整え、周りへの気配りをしていたという。

 何年ものスパンでどんな役が来ても演じ切れるように準備して挑む彼の血の滲むような努力に裏付けられた言葉。彼と共演された方が皆、口を揃えて彼はパーフェクトだと言う。ひとつひとつ己の限界まで努力してストイックに仕事に臨み、かたをつける。

 ただそれは無意識のうちに、いつ終わってもいいように、いつでも引き金を引くことができるように、日々「三浦春馬」を更新し続けていたのではないのか。そんな気がしてしまうのだ。

 4年の月日をかけた著書は世に出て、新曲は発売日も決まって、何本もの映画は撮り終えていて、ミュージカルの中止は不可抗力。ビッシリ埋まった仕事の中、唯一途中になってしまったのはドラマ一本。引き金を引くタイミングが来てしまったのではないか。

 以前から不安定になることがあると語っていた彼は、日常的に生と死の境界線があやふやである危うさをずっと感じながら生きてきたのではないのだろうか。子役の頃から多くの人に囲まれて過ごしながらも、家庭や血縁からは一歩引いたところで孤独を抱えて。

 私的な話で恐縮だが、少々歪んだ父母の関係性の中育った私は、子供の頃からなんとなくずっといつ死んでもいいと思いながら生きてきた。ただ強烈に刹那的な人生という訳ではなく、死ねないから生きているという感じで。

 奇跡的に結婚したが、子供は欲しいと思ったことがない。春馬くんのお母さん世代ではあるけれど、子供のように見ていた訳でなく、「14才の母」から成長していく魅力的な俳優さんとして見ていただけだったのだが、あの日、彼が自ら命を絶ったことを知った時、とてつもない絶望感に襲われた。

 特定の宗教は持たないが、人は皆この世に生を受けたときから運命によって決められた最後に向かって生きているだけなのだと思ってきた。春馬くんの30年も最初から決まっていて、だからこそ平凡な人の何倍もの密度とスピードで駿馬の如く駆け抜けて行ったのではないのか。だからこそあんなにも魅力的だったのだと。

 そんな彼に魅せられたファンは、彼の生きた証、魂の作品を心に抱えて、自分に決められた最後に向かって、死ねずに生きていかなければならないのだろう。

 生き方にも終わり方にも正解などないことを自問しながら。

 (徳島県 匿名 54歳)

空を見ても涙があふれてくる

●7月18日から半年。春馬くんが逝ってしまったことは頭の中では分かっています。でも未だ受け入れられない私がいます。春馬くんの姿や歌声をいつも観たいし、聴いていたい。でも、セリフや言葉が刺さっては涙。現実とリンクしては号泣。空を見ても涙があふれてくる。

 私は春馬くんのお母さまより年上で、30代後半の長男長女、春馬くんより1つ歳下の次男の母親です。こんな年齢の私が、この思いは何? 母性? この感情は何なんだろう。この喪失感はどうして…ずっと問いかけていました。

 自分の両親、姉が亡くなった時も、これ程涙を流していなかったし、こんなにも悲しみを引きずることもなかったのに…と(ごめんなさい)。でも、こんな風に深い悲しみ、苦しみを感じている人が大勢いることを知りました。

 一番好きな俳優さんなのに、テレビやネットニュースなどからの流れてくる情報が主だった私。なので、知らなかった事や作品が沢山ありました。舞台やミュージカルを一度も観に行けなかったことは、凄く悔やまれます。CDで聴く『キンキーブーツ』のローラも圧巻ですが、観たかったな。

『天外者』観たさにひとり映画館デビューし、何度も通いました。観に行っていた映画館での上映が終了となり、別の場所を探し観に行きました。淋しいですね。終わってしまうなんて。逢いに行けないなんて。未来の春馬くんをずっと観ていたかった。応援したかった。

 でも、これ程沢山の素晴らしい作品と、優しい笑顔を遺してくれた「春馬くんありがとう。」この宝物を大切におばさんは生きて行くよ。『ブレイブ群青戦記』『太陽の子』の公開が楽しみです。でも、この上映が終わり、お別れ会が行われた後、果たして気持ちに一区切りできるのか…。喪失感が増すのか…。不安です。 (ひふみん 61歳)

ふと飛び降りそうになってしまう衝動が…

●三浦春馬さんの活躍は「ごくせん」以降、「ラストシンデレラ」など、テレビドラマやCMを通し、ファンを公言するほどではなかったですが、いつも微笑ましく、カッコいい方だなぁと、拝見しておりました。

 人間生きているとドラマ以上に辛いこと悲しいことが多く、三浦春馬さんが想いを込めて演じていらした、ドラマ「君のいた時間」や「わたしを離さないで」などは明らかに重みのある内容だった為、当時の私には受け止める余裕がなく、敢えて見るのを避けていた記憶があります。最近これらの作品に触れ、非常に後悔いたしました。

 私自身が三浦春馬さんを再認識するきっかけとなった「TWO WEEKS」も、どちらかというと哀しげで理不尽なストーリーそうでしたので積極的に見たいという思いはなく、テレビを掛け流ししていたのですが、ドラマ最初の登場シーン、春馬くんの、憂いのある、でも優しい輝きを秘めた映像が、私の心の奥に細胞レベルでブワッと響いて来たのを今も覚えています。

 また、ドラマの途中で流れるCMでは、ドラマ劇中の汗まみの春馬さんとは打って変わって、キラキラ感満載、ミュージカル映画のワンシーンのように歌って踊る姿を見て、多彩さに改めて感動致しました。FNS歌謡祭では、群を抜いた、余裕さえ感じさせるような歌唱力、ダンスレベルの高さに「何という、素晴らしい俳優さんなのだろう」と感銘を受け「この人俳優なんだよぉ」「こういうトコ、もっと早めに披露しといてよお」と何度も何度も繰り返しひとり思い、「これからが非常に楽しみな役者さんだな」と深く感じたことを記憶しています。

 今年、コロナ禍、世界規模で大きく生活に変化が訪れ、暑さと相まって皆、疲れがどっと出始めた7月上旬、普段よりも更に透明度、儚さが増した印象で爽やかに「日本製」を携え、カマキリが苦手という話題で可愛らしい笑顔を見せながら、番組内で日本が誇る職人技について真剣な眼差しでお話しされる姿に「この本読んでみたいな」という想いが沸いたのを忘れません。

 そこから日常の忙しさと、実際コロナによる業務内容の変化、対応の多さで仕事のストレス度も高く、7月18日の段階で本を買うというところまで至ってはいませんでした。これも後悔の一つとなりました。

 あの頃の私は、帰りの電車に乗ろうとプラットホームに立つと身体が自然と線路に吸い込まれていきそうになったり、いつも利用しているエレベーターで3階に到達し、気を抜いていたらふとそこから飛び降りそうになってしまう衝動が湧き上がってくる暗く漠然とした毎日を気持ち的にもギリギリなラインで過ごしていました。

 だからこそだったのかもしれませんが、そうして迎えたいつもの土曜日、ランチ休憩後、開いた携帯の速報が、浮き上がったように目に入りました。正直、その瞬間湧き上がった思いは「先を越された」感でした。

 動揺しつつも、20年前に自殺で親友を失い、つい3年前に父を亡くし、自らも色々な別れを経て生きてきたせいか、衝撃が多い情報で仕事に差し障りが出るのを恐れる時には「考えないように努める」技として、「目の前にあることのみに集中する」という言葉を自分に繰り返しかけながらくたくたになり仕事を終え、閉店後、即座に携帯でニュースの詳細を検索し始めました。

 そこから、三浦春馬さんを探し求めることが、日々のルーティンとなっています。7月、8月は、自分でも何故こんなに三浦春馬さんの死が気になるのか、何故涙が止まらないのか、さすがにおかしいんじゃないのか? と思う時期もありました。でも、私の心の何処かで「気持ちわかる気がする」と思っていたのも事実でした。生きるってキツいよね…私ももういいんじゃないのかな…と。

 そうやって、繰り返し繰り返し三浦春馬さんの笑顔を探し、仕事に向き合う想いに触れ、春馬さんが読んで感動したという本を読んでは感銘を受け、彼への尊敬が日毎に深まっていきました。

 春馬さんの勇姿を目に焼き付けたいという想いから、5年近く足が遠のいていた映画館へも通いだし、ミニマムな生活を心がけて買わないようにしていたDVDも、三浦春馬さんの出演作品の全てを観たくて購入しました。40代に入り、忙しさキツさを理由に雑に生きてきたけれども、三浦春馬さんの作品に触れる度、三浦春馬さんのようなお人柄に近付きたいと背筋を伸ばし、三食食する際なども彼の美しいマナーを手本とし、日々の細々とした動きにも注意払い、そして何より身近な方々へも優しさを持って敬意払うように毎日の生活が変わって来ました。

 そしてふと、死して尚、私達の中に生き続ける、影響を与えてくださる、三浦春馬さんに、私は生かされたことを感じました。生きてまだまだ人として学ばなければと思いました。

 ファンとしての欲、これが哀しみに繋がっているともいえますが、多くのものを与えてくださった三浦春馬さんご自身が、本来のご自身のお気持ちのまま、ありのままの心で、自由に幸せを感じ、人が期待し望む生き方でも、人を喜ばすためのことでもなく、自らの人生を無邪気に自由に、時間に追われず楽しむ時間を、もう少し多く味わって頂きたかったな、と。ただ同時にそれが三浦春馬さんの生き様であったのだなとも感じつつ…涙が流れます。

「天外者」は圧巻でした。どれをとっても素晴らしい三浦春馬さんの作品、アートともいえる生き様を、命の尽きる最期の最後までみせてくださったこと、三浦春馬さんへは感謝しかありません。

 (鹿児島出身 おはんな、まっこと、てんがらもんじゃっどより)

死ぬことも怖くないと思うようになった

●あの日から半年が経とうとしています。

 彼は作品の中で生きていると言う人もいますが、まだそんな気持ちにはなれず、もうこの人の未来がみられないという現実がただただつらいです。半年経ってもふとした時に涙が溢れてきます。私たち一般人よりはるかに多くの人が彼と関わってきたはず。なのに誰も気づかず、なぜこんなことになってしまったのか。

 そんなことを言ったら仲の良かった方や、最後まで一緒に仕事していた方、特に翔平さんの気持ちを考えると胸が苦しくもなります。

『日本製』も本当に素晴らしい内容でした。スタッフとの仲の良さも伝わってきました。4年かけて取材して作り上げた本。一緒に作った方たちはいま、何を思うのでしょう。前に進めていないのは何も知らないファンの私達だけなのでしょうか。私も篠田様の記事のとおり、彼の死を社会全体で考えていかなければいけないと思っています。

 私は看護師をしており、死は遠く感じることではありませんでした。ですがこの半年、彼のような人がこの世からいなくなるということが理解できず、亡くなったらどこにいくのかなど真剣に考えました。特に信じているものもないので答えはわかりません。ただ、子供たちも中学生だし、まだ何があっても私は死ねないと思っていた気持ちは、彼が向こうにいると思えば死ぬことも怖くないと思うようになりました。

 いまは毎日ツイッターなどで同じ気持ちの方に共感し涙を流すことで自分を保っているような気がしています。私は春友さんと呼ばれるような方をフォローはしていません。ですが、毎日つらい気持ちを呟き、それに共感してくれる方がいること。また、知らない誰かが春馬さんに向けて送った言葉に私も支えられているのです。

『創』さんのように記事に取り上げていただけることは寄り添っていただいている気持ちでただただうれしいです。彼のことは忘れてはいけないことだと思います。それなのに、なんとなく名前を出すこともタブーになっているようなところも感じます。彼の友達数人だけは彼の話をしてくださり、彼のことを想っていることが伝わってきてあたたかい気持ちになります。もっともっと彼のことを話して今はみんなで涙を流すでいいと思います。

 彼のように日本の素晴らしいことに気付き伝えようと頑張っていた人が生きていけない世の中。何の目標も夢もなく毎日過ごす私は、今たくさんのことを彼から教わっています。

 そして私にできることを考え、この悲しいつらい気持ちを乗り越えることができるかはわかりませんが、同じ思いをしている方の気持ちをわかってあげられるかもしれない。そう思って、グリーフケアについて勉強をはじめました。ここ3カ月ほど看護師の仕事から離れていましたが、訪問看護に復帰することにもしました。彼が願った、優しい世の中になるようなお手伝いができればと思っています。(横浜市 匿名 42歳)

15年来の春馬くんのファンより

●月刊『創』に出会い、春馬くんのことについての記事を読むようになりました。そうだよね! と共感する事ばかり。私は15年来、春馬くんのファンです。舞台や映画をみるのは元々好きで、若い頃から他の方の作品も色々とみてきました。春馬くんは、朝ドラ「ファイト」から知ってはいましたが、「14才の母」の何とも言えない演技に引き込まれファンになりました。

 それからは出るドラマ、映画、舞台は、ほぼみてきました。いつもすごい熱量がある姿をみるにつけ、素晴らしい! と思っていました。初めて上京して初舞台をみたときには、演技だけでなくダンス、歌のすごさにビックリしました。唄うときの表情も、10代とは思えなかった。テレビドラマ中心に活躍していたけれど、画面だけでは収まらないので舞台がとてもあっているなーと感じていました。

 娘たちに近い年齢ということもあり、フォトブックや、カレンダーを購入するにあたり、隠しきれないと思い、まるでカミングアウトするように春馬くんのファンであることを公言しました。それからは娘からは色々な情報もいち早く教えてもらったり…。

 7月18日のニュースは事実としてはわかるのだけど、いったいどういうことなのか体感としては感じることはできなかった。心が固まったような気持ち。7月初め頃にオンエアされた番組でみた春馬くんは、とても痩せていて着ているジャケットも大きく見えました。どうしたんだろう?と心配でした。それから2週間ほどたってからの信じられないニュース。

 私は、ただの一ファンだけど、何かできなかったんだろうか? 少し前の痩せた姿をみたときに、心で思うだけでなく、手紙でも書けばよかったんじゃないだろうか?と、いろいろ思いました。

 あの日は、いつもならそろそろ梅雨開けして夏が来るだろう季節。なのに長い長い梅雨が続き、コロナ禍も収まらず。ほんとに鬱積した気持ちをもつ人々が多かったと思います。あの日が晴れていたら!とか3月の舞台が1週間で、終了しなければ!とか、すぐ近くに心が穏やかになれる彼女がいたのなら!とか、考えてしまいました。

 私も愛知県でみるはずだった舞台は、またいつか、再演があるだろうから、行こう!と思っていたのに。思えば、2016年に、あまり前情報もなく観ることができた「キンキーブーツ」の春馬くんの素晴らしさ! 演技も弾けて、歌、ダンスも凄かった!「14才の母」からずっと観てきて、とんでもなく素晴らしい表現者に、なったね!とほんとに嬉しかった! これからもずっとファンとしてどんどん成長するだろう春馬くんとともに生きたかった!

 私は両親がなくなったあとも、よく夢をみる方でした。今回、春馬くんも、何回か夢に出てきてくれました。一番初めの夢は「どうしてこの世界からいなくなってしまったの?」と聞くと、少しはにかむように「仕方がなかったんだよ」と。

 そうなんだ。どうしてもいなくなりたい理由があったんだ! それなら尊重しないと!なんて思い冷静を保とうとしていた。でも時がたつに連れて、そんなの嫌だ!と受け入れられなくなり…。

 自分にできることはなんでもやっていこうと思い、まず「お別れ会」に出ることを目標に日々生活していました。が、それもコロナ禍もあり、延期。

 心の整理をするためにもと、最期のドラマ撮影していたロケ地、鎌倉や本人の素に一番近いらしい映画「東京公園」の、公園巡りをして、春馬くんの出身地である土浦で、1泊して出身校やヨットハーバーを巡り、サーフィンをしていた茨城の海を見に行ったりしました。自分で計画しての1泊旅行は、自分だけの満足かもしれないけれど、心の整理には、役立ったと思います。

 動画をみたり今までの作品を見直して、手元に置いておきたいものはどんどん購入しています。それに情報を得た春馬くんが愛読していた本も、購入して読んでいます。全国の皆さんが、「時間薬」がきかないと言っています。私もそうで、初めの頃の固まってしまった感情よりは前に進めた気がしますが、いろいろな作品や、動画をみて、少しは笑顔を取り戻すことができても、この世界に今いないんだ!降ってくる雪をみた時、今この雪もみることはできないんだ!大好きなチーズも、食べることができないんだ!と思った瞬間に、寂しく哀しくなってしまいます。

 もうすぐ、半年たつと言うのに。どうしてだろう? もしかしたら、私はファンとしてだけでなく、まるで息子のように、年の離れた弟のように思う気持ちも強かったんだと思いました。

 いろいろなネット情報により言われていることは、ほんとに悲しいことです。最期に、撮影していたドラマに対しても言われることがありますが、私は一緒に出ていた、役者の方々や脚本の方には、とても感謝しています。確かに春馬くんは痩せていたので、体調はよくなかったと思います。それでも精一杯表現者としてそこにいたのは事実です。その姿を皆さんが引き継いでくれた! 正真正銘この世界からいなくなる直前の、春馬くんに、何回も会うために、何回も何回もみています。

 先日春馬くん12歳の幻の映画「森の学校」を観てきました。子役の時から、私たちの前に現れて、2019年に撮った「天外者」にしても最期の「カネ恋」のドラマにしても、いつもいつも表現者として努力し続けて素敵な役者になってくれました。

 生の舞台で会うことは不可能になりましたが、残してくれた作品で会うことができる! 2回のシングルでの歌はこれからもずっと聞ける! 8月にでたCD製作のメーキング映像のDVDでは、調子が悪くなる少し前の映像でしたが、コロナのことを気にしながらも、元気に夢を語り、前年に出したシングルの曲「you」は、私も一番好きな歌ですが。それは幸せそうな顔でリズムに乗って唄う春馬くんをみることができてよかった! と思います。私は今も私たちを見守ってくれながら好きな歌を口ずさんでいることを信じています。

 これからも春馬くんとともに生きる! 恥ずかしくない生き方をする!と決心しています。春馬くんのファンにならせてもらったことを、誇りに思っています。春馬くんありがとうございます。 (いつまでも春馬くんのことが大好きな 洋子より)

社会現象とも言える「春馬ロス」

●50代、独り暮らし、大学を卒業してから、地味に公務員として生きてきました。父は亡くなり、母は施設に入所し、兄弟のいない私は天涯孤独の身です。そんな私にとって、一世代下の人気俳優、三浦春馬さんは何の接点もない、芸能人でした。「こんな夜更けにバナナかよ」は劇場で見ていましたが、きれいな俳優さんだなと思っただけでした。それなのに今はDVDを集め、映画を見に行き、YouTubeで動画を探す、ありがちな遅ればせのファンになりました。

 きっかけはYouTubeの動画、night diverでした。「この人が三浦春馬さんか…」何となく気になり、何度か見るうちどんどん深みにはまり、今では春馬さんの出ていないテレビにも映画にも全く興味を持てなくなり、すっかり春馬diverになってしまいました。その理由は何なのか?

 自問自答してみるとその答えは「孤独」にあるような気がします。もちろん春馬さんのプライベートを知るよしもないファンの一人ではありますが、コロナでの自粛生活が彼にとっても辛かったのではないかと思うにつけても、彼が身近な人に思えてきて、その優れた演技力・歌・ダンス・飾らない人柄までが、この上もなく愛おしいものに感じるようになりました。

 初の映画主演の「森の学校」から最後になってしまった主演映画「天外者」まで、春馬さんは数え切れないくらいの人生を演じ、生きてきたのだなあと思います。個人的には、ごく普通のへたれ高校生と、サムライ小太郎をみごとに演じ分けている「サムライハイスクール」が好きで見ています。作品の中ではありますが、両親と妹、友人たちに囲まれて、普通の高校生活を送っている春馬さんを見るとホッとするのです。

 アーティストといわれる人は、その表現を通して、多くのことをファンに語りかけてくれます。他の誰でもない、この「私」に春馬さんは語りかけてくれているのだと多くのファンが思ったからこそ、社会現象とも言える春馬ロスが起きているのだと思います。これから、春馬さんの新しい作品に出会うことは少なくなってしまいましたが、彼が遺してくれた作品をいつまでも大切に愛していこうと思っています。(大阪府 しまこ)

ヨーロッパから春馬君を想う

●春馬君が亡くなって5カ月が経ちました。私は、多くの方と同じで彼が存命中はファンというわけではありませんでした。「14才の母」で彼のことは初めて知り、この子はくるなと当時感じたことを覚えています。しかし、その後は10数年、育児と仕事に追われてドラマや映画などから遠ざかり、春馬くんを見る機会がありませんでした。

 2020年夏、私は現在住んでいるヨーロッパにて春馬くんの訃報を知ることになりました。久しぶりの彼の名前を、こんな形で聞くことになるとは…。

 彼の死から2カ月ほど経ち、ヨーロッパでコロナ第二波による外出禁止令がでて引きこもり生活が始まった頃、ふと「14才の母」を見たくなり見てしまいました。それが最後…彼から滲み出る魅力にすっかり魅せられてしまいました。

 毎日毎日彼の動画を見ることが続き、外見だけではない芝居だけではない、彼の素晴らしい人柄を知ってしまうことになりました。今私は、彼を思い胸が締め付けられるように毎日が苦しいです。

 何故か? それは、助けられた命だと思うからです。彼は、死にたかったけど本当に自ら計画的に死のうとした訳ではないと思っています。心の病により限界が来て、気づいたら死んでしまっていたのだと思っています。仕事を途中で放り投げる人ではないからです。

 心を病んだ原因は複雑にいくつもあるはずですが、それを知ることを私は望んでいません。ただ、周りの人々が気付けて早めに介入ができたのではないかと思って悔しいのです。

 動画を追っていくと明らかに彼は、2019年に入る前後から表情に変化をきたしています。2020年に入るとそれはもう顕著に現れています…。昔からトーク番組でも精神的に強くないこと、自分を知らないところへ行きたい、忙しすぎて心身共に限界を感じた、と話しています。

 周りの方々が、彼の異変に気付いていたのかどうか、適切に受診行動やカウンセリングを受けることが出来ていたのか、はたまた彼も周りも彼の心に異変を来していると思っておらず本当に突然だったのか。長年ファンの方の中に、彼の異変を感じ何かしらアクションを起こした方がいなかったのか。

 おこがましいですが、私がもっと早くから彼の活動に注目していたら、異変を感じて忠告なり何か出来たのではないか…と毎日タラレバで考えてしまうのです。実際そうだとしても行動できていたかは分かりませんが。

 しかし余りにも明らかに異変がでており、彼の性格を知っているべきはずの彼に近い人々は何を見ていたのか…仕事の入れすぎをとめてくれれば…素の彼に戻る時間を与えてくれていたのか…悔やまれてなりません。苦しいです…。

 事務所の所属タレントの健康管理、特にメンタルケアについてどのようになっていたのでしょうか。何も体制が整っていないのであれば、早急に考えるべきです。それこそが大切なマネージメントですよね。

 彼を失った喪失感は、あまりにも大きすぎます。私のようなものでさえ、このショックで後追いしたくなる気持ちが分かります。私には子供がいるので、出来ませんが。彼の命を助けてあげたかった…助けられた…いつになったらこの苦しい気持ちが落ち着くのでしょうか…。

 コロナも憎いです。コロナが無ければ、もしかしたら彼は何とか踏ん張って生きていたかもしれないから。2020年は悲しい年となりました。彼は、幸せな人生だったのでしょうか。

(ヨーロッパ在住40代主婦 元医療従事者)

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

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