Yahoo!ニュース

23年前の集団レイプ事件被害者が語った性暴力被害女性の衝撃の座談会

篠田博之月刊『創』編集長
法務省の建物(筆者撮影)

 8月7日発売の月刊『創』(つくる)9月号に「性暴力被害女性の衝撃の座談会」という記事を掲載した。性暴力の被害にあった女性3人の鼎談だ。いまだに心の傷が癒えていないために事件を語るたびにすすり泣きが漏れるという壮絶な座談会だった。

 『創』は大きな事件の様々な当事者の手記を掲載してきたのがひとつの特徴だが、もうひとつそれを10年20年と長期にわたってフォローし続けることが多いのも特徴かもしれない。担当者が3年ごとに異動する新聞・テレビにはできないことだ。

 1997年に起きた集団レイプ事件のA子さんのケースも、『創』では何度か取り上げてきた。性暴力は「魂も犯す」と言われるように、被害者が事件後、長年にわたって苦しめられることが多い。被害が、その人の人生を大きく変えてしまうのだ。

 もともとその事件を取り上げたのは、加害者とされた男子学生が次々と逮捕され、連日、ワイドショーや週刊誌が大報道を展開した後、その報道の検証も含めて大きな特集を組んだ1998年だった。逮捕された男性たちにも何人も話を聞いたし、被害女性にも直接話を聞いた。

事件から12年後に被害女性から連絡が

 そしてその12年後の2011年にA子さんが、突然連絡してきたことで、この事件はもうひとつ別の意味を持った。

 その経緯については以前、ヤフーニュース雑誌に公開して大きな反響を呼んだが、今回、改めて公開することにした。今回、この問題に初めて接する人は、その過去の記録から読んだ方がわかりやすいかもしれない。

https://news.yahoo.co.jp/articles/c7e3b1ecc890018d4361ada27f59eefecc32c193

大きな反響を呼んだ集団レイプ被害女性闘病記

 この事件は後に『さよなら渓谷』という小説に素材として使われ映画化もされたのだが、その物語のモチーフは集団レイプ事件の被害者と加害者の微妙な関係、だった。実際にA子さんが12年後に接触を試みた元交際相手男性は、事件現場にはおらず、逮捕されたのは冤罪だったと主張していた。彼女はずっとその男性が好きで忘れられないのだが、一方で、集団レイプ事件はこの男性もグルになって起こされたのではないかという疑いも持っていた。   

 その屈折した思いに苦しめられてきた彼女は、自分を襲うPTSD(心的外傷後ストレス障害)を克服するために、その男性に会って、真相を確かめたいと考えたのだった。当時、彼女は精神科への入退院を繰り返していた状態で、とても自分でそんな冒険を犯すことはできず、結局、私が代わって男性に接触した。事件後の取材で私はその男性に会っていたし、その男性には好印象を感じていたからだ。

 実際のその後の経緯については、ヤフーニュース雑誌にあげた前出の記事を読んでほしい。

きっかけは被害女性の回復の様子を知ったこと

 今回、『創』で性暴力被害者の座談会を行うことになったのは、昨年秋に久々にA子さんと会って話したのがきっかけだ。事件当時は19歳だった彼女が今は子どももいて少しずつ新たな人生を歩み出していた。2011年に再会した時には、いまでも死にそうな状態だったが、20年を経て、彼女は自力で回復への道を歩いていた。

 子どもたちの写真をうれしそうに見せてくれた彼女と話す中で、他の性暴力被害女性と一度話してみようかということになった。実はA子さんの闘病日記などがあまりに衝撃的だったために、それを読んだ多くの女性から問い合わせがあった。今回、座談会に参加いただいたB子さんもC子さんも、そうだった。

 B子さんもC子さんも『創』に自らの体験を手記に書き、その語もやりとりを続けてきた女性だ。でも今回、改めて驚いたのはB子さんの話だった。彼女は『創』に手記も書いたし、そのほかにも私は話を聞いていたのだが、今回改めて詳細を聞いて驚いた。

 彼女の事件が起きた当時社会問題になっていた女子高生コンクリート詰め殺人事件によく似た経緯なのだが、一歩間違えば同じような事態になっていた可能性が高い。驚いたというのは、それほど凶悪な事件が、当時は性暴力が親告罪で、被害届けが出されないまま、事件にもならないで終わってしまったことだ。

 2017年の刑法改正で被害者の親告がなくても立件が可能になるなど性犯罪をめぐって大きな変化はなされたものの、集団強姦罪が廃止されてしまったことへのB子さんの思いなど考えさせられた。

 C子さんは『創』2019年8月号に手記を書き、しかも自分の覚悟を示すために実名でそれを掲載した。学生時代からマスコミ志望で本誌を読んでいたという彼女がマスコミ界に入って取材の過程で再び性被害にあうという体験も悲惨なものだ。

 壮絶な3人の女性の話はぜひ『創』最新号の全文を読んでいただきたいが、ここでその一部を紹介しておこう。

集団レイプ事件から23年経た今の生活は…

《――きょうは性暴力被害者の3人に集まっていただきましたが、A子さんの集団レイプ事件が起きたのは1997年だからもう23年になります。

 A子さんは事件後ずっとPTSDに襲われ、精神科で入院を含む治療を続ける時期が続いたわけですが、今どういう生活をしているかという話からお願いできますか?

A 私は、現在3度目の結婚をしており、最初の夫と2番目の夫の間には子どもがいます。子どもは2人とも東京の実家の親に預かってもらっています。私は、今はコロナのこともあるのですが、もともと人混みに出られないし、病院に行くにも1人で電車にも乗れない状況です。今の夫は、事件のことも知ったうえで理解してくれているし、私の心と身体のことを優先してくれる、すごく優しい人です。(略) 

 治療は、EMDR(眼球運動による脱感作と再処理療法)を続けたかったんですが、再婚して今のところに引っ越した後、こちらで同じ治療ができる先生を探していました。でも一度行ってみたらその先生とは合わなくて、今はひたすら自宅療養ですね。一日中寝たきりで引きこもり状態です。犬の散歩もよっぽど頑張らないと行けないような状態です。

B 私もA子さんと同じく集団レイプの被害にあっています。2014年頃、私もちょうど治療に悩んでいる時にA子さんの記事を読んで、私だけじゃない、同じように苦しんでいる人がいるのだと、いてもたってもいられなくなって、篠田さんに連絡させてもらったんです。

 私が事件にあったのは、16歳、高校1年生の春休みでした。家庭環境が複雑だったこともあって、家にいられなかったんです。事実上の家出をして知らない土地に行ったんですが、駅前で知らない男たちに無理やり車に連れ込まれ、拉致されました。

 ちょうど1988年、足立区で女子高生コンクリート殺人事件があった頃ですが、当時その一帯はそういうグループがすごく多かったのですね。私はA子さんのように勇気を持って警察に被害届けを出さなかったのですが、そのことを後ですごく後悔しました。

 一人で思い悩んでいた時に、親にポロッと言ったのですが、「忘れたほうがあなたの幸せのためよ」という感じで言われてしまったんです。今思えば、母親自身もどうしたらいいかわからなくて、そう言ったのかもしれません。彼女自身も今は後悔しています。私も責めることはないんですが、「あの時、自分はすごく悲しかった」という話をすると、母も「すごく悪かった」と言っています。

 傷も回復してきたから今はこんなふうに話ができるのですが、事件当時から20代はずっと自分の気持ちを閉じ込めていました。30代で結婚を考えた時期があったのですが、ブライダルチェックで、「妊娠が難しいかもしれない。若い頃の性病を放っておいたから不妊になったんじゃないか」と女医さんに言われました。それも「昔遊んでたんじゃないの?」みたいなニュアンスで言われて、すごく傷つきました。結婚はそれで破談になってしまいました。

 それがきっかけでパンドラの箱が開いちゃったみたいな感じで、事件の記憶や感情が抑えられずに雑性PTSDを発症しました。希死念慮があり、リストカットがやめられずに、自殺未遂を何度も繰り返しました。被害月のあたりになるとそういったことを何度も繰り返すので、家族も心配で、一番ひどい時は3年連続で3カ月くらい精神科に入院するというのを繰り返していました。

 

 私の場合は、精神科に行ってもすぐに集団レイプのことを話せなかったのです。ネグレクトの環境で育ったということもあって、精神科では家庭環境のことをずっと相談していて、それが原因で境界性人格障害(境界性パーソナリティ障害)という病名がつきました。カウンセラーが気づいてそこが引き出されない限り、よっぽど信頼できる医師でないと、集団レイプにあったということは話せなかったのです。

 精神科を退院してもA子さんと同じようにたくさんの薬を飲んで、なんとか生きているという生活をしていました。A子さんの日記に書かれていたEMDRが治癒率が高いと聞いていたので、A子さんの記事を読んだ後、その治療を2年くらいしました。治療中は辛かったけれどやって良かったと思っています。

 A子さんの記事を読んで、連絡を取りたいと篠田さんに電話をしたのですが、ちょうどその年に離婚をしました。A子さんとは連絡がとれなかったけれど、自分から行動したことで勇気が出ました。治療を始めることができた自分に対しても自信を持てたこともありました。今は新しい夫と再婚しています。

A その時は篠田さんから連絡をいただいたけれど、誰とも会える状態ではなかったので、応えることはできなかったのですが、今のはうれしいお話です。

――B子さんはきのう(7月11日)もフラワーデモに行ったのですよね。

B コロナの影響で中断していたフラワーデモが久しぶりに行われたのです。東京駅前で行われた「フラワーデモ東京」が規模も大きいし、行こうと思ったんですが、私は被害にあったのが埼玉なので、一度埼玉のフラワーデモにも行きたかったんですね。それまでは怖くて行けませんでした。被害地に近いこともあってなかなか勇気が出なかったんです。でも仲間ももう一人行くというので昨日、初めて行きました。コロナの影響で、東京のように大勢が集まってかわるがわる話すということはできず、主催の何人かだけが話して、行き交う人に聞いてもらうという感じでした。

記者として取材中にも性暴力被害にあった

――A子さんもB子さんも『創』に自身の体験を発表したのですが、C子さんもそうでしたね。しかも実名の手記でした。

C 私は何回か被害にあっています。最初の被害は18歳で一人暮らしを始めたばかり、19歳の誕生日の前日だったんです。翌日は朝一番が大学のテストだったので、遅くまで英語の単語を覚えていました。クーラーのない安い部屋で暑かったので、網戸にして寝てしまったら、窓から入ってきた男に襲われ、レイプをされました。縛られてしまって抵抗できず、そのまま死んでしまうんだと思いました。

 結局、命は奪われなかったのですが、そういうことがその地域で連続で起きていたらしく、半年後くらいに警察から連絡が来ました。犯人が私を襲ったことも自白したようなのです。その当時は親告罪だったので、起訴しますかと聞かれましたが、その件からもう離れたいと思っていたのでそうしなかったんです。何もかも忘れたいと思っていたのですね。

 当時は何の治療もしていませんでした。大学のカウンセリングルームに行ったんですが、先生との相性が悪く、すごく傷ついてしまったんです。もう治療にも繋がれないから自分で頑張るしかない、と思って、心機一転、東京の大学に入り直しました。

 でもやっぱりレイプの出来事から逃れられないことに気がつきました。孤独で、誰かが必要だという思いにかられ、その当時大学の先輩だった、最初の夫に出会って一緒に住み始めたんです。

 というのも最初の被害が自分の家だったので、家に一人でいると、気が狂いそうになるんです。だから家で寝られずに、公園の植え込みとかで寝ていたんです。でもそんな生活が続くはずはなく、最初の夫と住み始めました。(略) 

 とにかく私は命が助かって、レイプをする人から物理的に離れられたので、トラウマの症状を抱えて治療を受けながら、しばらく引きこもり生活をしていました。夫は実家の場所を知っていたので、実家にも帰れないし、仕事関係も全部一緒だったので仕事もできませんでした。

 何年かして体調を整え、決死の覚悟でようやく仕事に戻れたんです。でも今度は、取材中に取材相手からレイプされてしまいました。日本の刑法の欠点である、暴行・脅迫要件の壁がすごく高いことを知っていたので、その時に、これはすごくまずいシチュエーションだと分かったんです。自分はフリーズしていて、抵抗もできない。ただ仕事柄持っていた録音機だけは回しました。

 すぐに通報しないといけないと思って、性暴力専門ダイヤルに電話をして、一切こちらに落ち度がない被害者として、録音も提出したんです。けれども相手は不起訴になってしまった。これはもう私個人の問題ではないということが逆にはっきりしました。それが2012年です。

辻褄を合わせるって何だろう

B A子さんとは事情が違うんですが、私は全く知らない人に拉致されて集団レイプされました。男が次々に新しい仲間を呼び出すんですが、その電話する後ろ姿もフラッシュバックするんです。いっそ帰れないほうがいい、殺してほしいと思いました。そのくらいの心情だったんです。でも一方で、何としてでも生きたいという気持ちもありました。

 学生証もとられていたし、恐怖しか感じませんでした。結局、高校生の自分はどうすればよいか判断できずに、警察には行けませんでした。実際に、勇気を出して警察に届けたとしても、ひどい事情聴取をされたあげくに不起訴になったり、起訴されても去年のように裁判で無罪判決が続いたりとか、日本の司法はまだまだおかしいことばかりだと実感しています。

 そもそも警察の事情聴取にしても、被害者はショックで乖離とかもしているのに、整合性をつけないといけないからと聞いてくるでしょう。無理ですよ。時系列はバラバラだし、思い出せなかったりとか、感覚でふと思い出すとか…。私も「辻褄が合わない」と電話相談で言われたんですが、辻褄を合わせるって何なんだろう、と思いました。

 ただ、このところ少しずつですが、警察庁とか検察官や裁判官も意識が変わってきているのかなと思っています。フラワーデモや#MeTooが盛り上がって、当事者の声を聞こうというふうになっていると思います。(略)

 私たちにしか語れないことがあるから、それを伝えればいいと思う。私も集団レイプの被害者だと言いづらい時期がありました。恥ずかしい気持ちが強いんです。辱められたというか、自分がモノ扱いされたという気持ちがすごく強いんです。

C 私はメディアで仕事をしていた頃に、スーパーフリー事件の取材をしていて、裁判も傍聴していました。そこで性暴力被害者として感じたのは、集団強姦に関わった一人ひとりの加害意識の薄さです。裁判で語るのも先輩後輩の上下関係のいろんなことがあるんだという話だったし、そういう光景を見て、これって日本社会の姿そのものなんじゃないかと思いました。日本人が意識しづらい集団の同調圧力みたいな…。罪を犯してしまう、罪を感じづらい。集団強姦の罪がなくなってしまったことで、見えづらくなったことがあるんじゃないかと思っています。そこをなくしてしまって良かったのかなと今でも思います。》

 

 以上、ごく一部を紹介した。関心がある方はぜひ『創』で全文を読んでほしいと思う。性暴力については刑法の不備もあって、被害者が泣き寝入りせざるをえなかった問題などが当事者の口から語られている。

性犯罪加害者にどう対処すべきかも大事な問題だ

 そして最後にもうひとつ書いておきたいことがある。『創』は事件の被害者にも加害者にも当事者に接触して自ら手記を書いてもらうことを続けてきた。性暴力についても加害者側への取材も継続的に行っている。

 最近になって日本では、性犯罪の仮釈放者にGPSをつけることを本格的に検討するという話になっているようで、報道もなされた。確かに性犯罪は再犯率が高いと言われており、それにどう対処するかは大きな課題だ。

 ただそうした議論を見ていて感じるのは、例えば出所した性犯罪者がどういう状況なのか、そういう具体的な実態がほとんど知られていないことだ。実態がわからずにいると恐怖だけが増幅し、とにかく厳罰化をということになりがちだ。

 でも実際には、もう10年以上にわたって、薬物犯罪と性犯罪の再犯防止のためには、処罰だけでなく治療が大切だという指摘がなされ、様々な試みがなされている。問題はそういう試みも含めてマスコミ報道がほとんどなされていないことだ。理由のひとつは、マスコミの事件報道が警察や裁判所に全面的に依拠しているめに、刑確定後の犯罪者にほとんどアプローチできていないことだ。死刑囚でない限り、罪を犯した者は再び市民社会に戻ってくる。特に依存性の高い犯罪は、社会的治療を講じない限り、追い詰められて再び犯罪を犯すという悪循環を繰り返すことになる。

 『創』は薬物犯罪だけでなく性犯罪についても、出所した人とのやりとりを続けている。例えば性犯罪で13年も服役していて2018年に出所した男性については、出所後の生活を定期的にレポートしている。出所した人間は、何よりも自分の前科や身元を隠さねば生きていけないからマスコミ取材にはほとんど応じない。だからそのレポートは貴重なのだが、『創』8月号に掲載したその出所者、樹月カインさん(仮名)のインタビューを、先頃ヤフーニュース雑誌に公開した。

https://tools.newsbiz.yahoo.co.jp/feed/edit/confirm/

性犯罪で13年間服役した男性は出所後2年どうしているのか本人に聞いた

以前にヤフーニュース個人に書いた出所後レポートも参照いただきたい。

https://news.yahoo.co.jp/byline/shinodahiroyuki/20181109-00103612/

性犯罪で13年間服役し出所した男性の訴えは社会に受け入れられるのか

https://news.yahoo.co.jp/byline/shinodahiroyuki/20190131-00113156/

性犯罪で13年間服役し出所した男性の更生レポートその1

 被害者も加害者もそうだが、まずそうした当事者の話に耳を傾け、実情を知るところからしか物事は始まらない。ぜひそうしたレポートを読んで議論してほしいと思う。

 なお月刊『創』9月号の詳しい内容は下記を参照いただきたい。

https://www.tsukuru.co.jp/gekkan/2020/08/2020-09.html

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

篠田博之の最近の記事