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弘中弁護士の事務所のカルロス・ゴーン氏の部屋の鍵は検察が破壊したままだった

篠田博之月刊『創』編集長
壊されたままのゴーン氏の部屋の鍵(筆者撮影)

壊されたままのゴーン氏の部屋の鍵

 ここに掲載した写真は、弘中惇一郎弁護士の事務所の、カルロス・ゴーン氏が使っていた部屋の扉だ。鍵の部分をアップして見ればわかるが、破壊された跡が残っている。1月29日に検察が家宅捜索のために押し掛け、強引に鍵を壊して入室したのだった。

鍵が壊れたままのゴーン氏の部屋の扉(筆者撮影)
鍵が壊れたままのゴーン氏の部屋の扉(筆者撮影)

 ゴーン氏の出国をめぐっては、日本の国家のメンツが潰されたという思いもあったのだろう。出国には関与していない元弁護人の事務所を急襲した検察は、当初はパソコンまで押収しようとした。弁護士の業務がどういうものか考えれば、これはかなり由々しき事態といえるだろう。しかし、検察の意向を受けた一部の大手マスコミは、どちらかといえば弘中弁護士を非難するような報道を行った。

 2020年3月6日に発売された月刊『創』(つくる)4月号で弘中弁護士が、ジャーナリストの浅野健一さんの独占インタビューに応じて、一連の経緯や報道の誤りについて詳細に語っている。それまでいっさいのマスコミの取材には応じないと言明してきたのだが、浅野さんの依頼に応えて、『創』なら信頼関係があるので応じてもよいということになったのだった。

 ちなみに弘中弁護士とのおつきあいは、かつて三浦和義さん(故人)の弁護人を弘中さんが務めていた時代からだ。『創』は三浦さんがいわゆる「ロス疑惑」事件で1985年に逮捕された後、獄中手記を1年半にわたって連載したのだった。

ゴーン氏が使っていた部屋で弘中惇一郎弁護士(筆者撮影)
ゴーン氏が使っていた部屋で弘中惇一郎弁護士(筆者撮影)

 『創』4月号の弘中弁護士のロングインタビューはぜひ原文を読んでいただきたいが、ここで一部を紹介しよう。

 ゴーン氏が逃亡した後、弘中弁護士の事務所や自宅には連日、マスコミの取材陣が押し掛けたのだが、弘中さんらはその後、弁護人を辞任。次第にマスコミが押し掛けることもなくなっていたのだが、再び取材陣に囲まれるようになったのは、ゴーン氏の逃亡に関わったとされる外国人が前年に弘中弁護士の事務所を訪れていたという話が浮上してからだった。  

 検察が弁護士事務所を家宅捜索するなど、弘中弁護士の周辺は再び騒がしくなった。それ以降の経緯について、弘中さんがこう語っている。聞き手は浅野さんだ。

 

検察の対応でメディアの雰囲気がガラッと変わった

《弘中 ゴーンさんの逃亡を手助けしたとして後に逮捕状が出た3人のうちの1人のピーター氏がこの事務所に来たことがあるという報道があってからがまた大変でした。

 1月20何日かに検察から電話があって、「ピーター・テイラーという人を知っているか」と聞かれて「いや知らない」と答えたら、「お宅の事務所に行ったことがあるんだ」と言われた。それでピーター氏のことを含めて、いろいろと話を聞きたいから地検に来てくれと言われたが、私は「そんなことで行く理由も必要もないから、行きません」と断りました。

ーーそれまでは囲み取材には応じてきたわけですね。

弘中 ゴーンさんがいなくなるまでは、だいたい定期的にというか、公判前整理手続きの後とかですね、ペースで言うと週1くらいの感じで、事務所の前で囲みの取材に応じていました。》(中略)

《弘中 1月29日の捜索の少し前と思うんだけど、ピーター氏の件で、東京地検の斎藤次席検事が司法記者クラブの記者を集めて、弁護士はけしからんみたいな話を言ったらしい。

ーー先生の事務所で逃亡の「謀議」をしたという報道がありました。

弘中 そうです。謀議したみたいな話を事務所でしたとか、そういう人が来ているのに弁護士が把握してないのはけしからんみたいな話をした。その直後だと思うんだけど、あの2日間くらい雰囲気が大きく変わりました。

 メディアもこっちが答えないとずっと家まで付きまとって、「事務所で謀議が行われて何も言わないんですか」などと挑発的な言葉を浴びせて、かつ写真を撮りまくる。なんか僕が悪いことしたみたいな雰囲気でした。

 何でこんなに急に雰囲気が変わって、「自分のとこで謀議があったのにほっとくんですか」「責任を感じないんですか」などと言われるのかなと思ったら、後で地検の次席がそう言うことを言ったとわかったのです。

 それがあって、1月31日に「ピーター・テイラー氏と、ゴーン氏とが、当事務所で面会していた旨の報道に関して」と題した見解文書を事務所の弁護士8人の連名で、報道各社へ送りました。何でそんなことを言われるのか、その理由が分かったものですから。

1月8日にパソコンを渡せと言ってきた

ーー先生は面会記録簿のコピーを毎月地裁へ提出しているのだから、今になって問題にするのはおかしい。

弘中 ちょっと考えればわかるのですが、ここに来た時の記録を出して裁判所に渡している。こちらはきちんとやるべきことをやっている。ピーター氏がもし問題がある人だったら、検事は入手しているんですから、調べればいいんですよ。こっちはピーター氏が何者かというのを調べる能力もないし、必要もない。それを変なやつを入れたなんて言われる筋合いはないと思う。

 あったのに隠したとしたら、非難されてもしょうがないけど。正直に報告して、だから検事もわかったんで、こっちはああそうですかと言う以外言いようがないですよね。なんでそんな変なことになるのかわからない。

ーー記者もわかるはずないのに、4回の面会が捜索でわかったと報道しています。

弘中 ピーター氏がここに来たのは7月か8月頃で、その後はこの事務所ではなく別の場所で会っているらしい。

ーー東京地検の2回の捜索は裁判所から令状が出ているのですか。

弘中 両方とも出ています。

 1回目の1月8日はピンポイントでパソコンなんです。その前提として1月3日に、検察から電話で僕のところに、こういう書類があるので資料を出してほしいって言われたんですよ。で、そのとき僕が友人の車に乗っている時だったから、とりあえずメモだけして「後で返事します」とその場でそれ以上やりとりをしなかった。4日に弁護団会議があって、メモを検討したところ、ないものもある。例えば自宅の監視カメラの記録をUSBに入れたものはあるかと。そういうものは録ってないから、ない。

 それから携帯の通信記録っていうのは、直前のまでは出してあったけど、次のものは1月末にならないと来ない。それから面会簿は裁判所に出してあるから検事も知っている。ただ、パソコンは信頼関係に基づいて保管しているものだから渡しません、と返事をしたわけですよ。

 ないものはない、出すものは出す、パソコンは秘密性があるから渡せませんと返事したのです。

 それを受けて1月8日に、捜索・差押令状を持ってきたのです。そのパソコンを渡せと言うから、それはできないと断った。その時は部屋にも入らず廊下で帰したんですよ。

1月29日に10数人で家宅捜索

ーーその時は素直に帰ったんですね。

弘中 1時間くらい廊下で押し問答をした。向こうも3~4人いました。

 1月29日に今度は十何人連れてきて、それでしかも今度は、いっぱい名刺だとか、メモだとか、あれこれいっぱい羅列した令状を持ってきました。ただ僕はその日、福岡に出張していて不在だったものですから、他のメンバーが対応した。

 捜索自体が許されないと言ったのに、勝手に入ってきて、ビルの大家に頼んだらしくて合鍵を持ってきていました。ゴーンさんに使ってもらっていた部屋のところは、合鍵を向こうは持ってないもんだから壊した。それからキャビネットなんかもこじあけて捜索した。結果的には持っていったのはなくて、唯一、面会簿を持っていった。これは面会簿自体は提出してあるんだけれども、原資料を持っていった。お渡ししますよと言ったものです。秘密性もないしどういう意味だかよくわからない。》

《--検察官が壊したのは直したんですか。

弘中 直していません。そのままにしている。

ーー片っ端から開けていったわけですか。

弘中 そうです。多勢無勢で体張って阻止しようとすると公務執行妨害って脅かす。実際はそう詳しく点検はしなかったですけどね。

ーーかなり威圧的ですよね。

弘中 威圧的ですよ。

弘中 あの捜索押収について国賠提訴ができるかどうか、今検討しています。学者の方と議論しようと考えているんですけどね。

 やるべきだと思っているんですけど、理論武装をきちんとしてからの方がいいと思って。弁護事務所の捜索というのは事例が少ないので、専門書にもあまり詳しく書いてないですから。》

常識を欠いたマスコミの張り込み取材

ーー弘中先生はこれまで多くの対メディア訴訟を担当してきましたが、今回、先生自身がマスコミに取り囲まれ、叩かれたりしたことについてどう思っていますか。

弘中 当事者にならないとわからないことがあります。その立場になってみると、疑問に思うのは、どうしてあんなに写真をバンバン撮ることが許されるのかということです。今は皆すぐにカメラをまわして動画を撮る。それとフラッシュを一斉にたかれる。

 記者クラブなんかで会見する時は、カメラを入れていいですか、いけませんかと、断りを入れてくる。「今日はカメラなしだ」と言っておくと、カメラは入れない。やっぱり人の肖像取るときは、まともなメディアは了解を取るものだと思ったら、全然違う。

ーーカメラを無言で向けるのは、圧力になりますよね。

弘中 そう。やっぱりそれが続くとぞっとしますよね。不愉快です。だから不愉快だって言ったんです。試しに走ったら向こうも走るんですよ。

 それから、自宅のインターホンのピンポンは良くないと思う。他の住民に迷惑だよね。あのピンポンって一箇所しかないんだからそこに群がって、30分おきにやるわけですからね。

ーー子どもたちも出入りします。

弘中 本当に常識がないなと思う。一回やって出なければ、30分おきにやったって、出るわけない。何なんだろうなーと思っています。

ーー事件の度に、被害者と被疑者の家族に、毎回そういう取材が行われています。

弘中 本当辛抱強く待っていますよね。1月5日にゴルフに行ったことがあって、行く時は午前7時前に家を出ちゃうから誰もいなかったんですよ。でも夕方帰ってくるとずっと待っているんです。何時から何時まで待っていたんだろうと思ってね。》

 以上がロングインタビューの一部だ。インタビューは、ゴーン氏出国の知らせを受けた経緯から、マスコミ報道についての詳細な指摘まで多岐にわたっている。『創』4月号の内容については下記を参照いただきたい。

https://www.tsukuru.co.jp/gekkan/2020/03/20204.html

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

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