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相模原障害者殺傷事件裁判の法廷で明かされた植松聖被告の凄惨犯行現場

篠田博之月刊『創』編集長
事件直後の津久井やまゆり園献花台(筆者撮影)

 2020年1月10日、横浜地裁にて相模原障害者殺傷事件・植松聖被告の裁判の第2回公判を傍聴した。事件からもう3年半、この事件をずっと追い続けてきたし、植松被告と接見や手紙のやり取りを行うようになってからでも2年半がたつ。ただ、この第2回公判を傍聴して、改めて事件の深刻さを思い知らされた。

植松聖被告は大きな手袋をはめて出廷

 この日はまず、前回8日の初公判で、右手小指をかみ切ろうとした自傷行為を行った植松被告が出廷するかどうかに注目が集まった。結果的には、被告は両手に白い大きな手袋(ミトン)をはめて法廷に現れた。公判の冒頭で裁判長から、前回の被告の行動について厳重注意がなされた。「わかりましたね」と裁判長に促されて、被告は「わかりました」と応えた。

 手袋をはめられた被告だが、ケガをした手を隠すためというよりも、自傷行為防止という説明だった。しかし、今回の法廷では両脇を刑務官にガッチリとはさまれ、勝手な動きはできそうになかった。その日の公判は、相模原事件の現場の詳細な状況が当時の職員たちの調書朗読によって再現されるというものだったのだが、植松被告は終始、無表情のまま前を向いてそれを聞いていた。私は一般傍聴席の後ろの方に座ったが、途中、目があったので、彼は私が傍聴していることを認識したと思う。

 ちなみに、横浜地裁最大のその法廷は、傍聴席から見て右側3分の1が、ついたてで仕切られた被害者家族などの特別傍聴席、そして左側3分の1が報道席。一般傍聴席は真ん中の26席のみ。初公判に比べれば倍率は半分以下になったが、それでも傍聴希望者は500人ほどいた。一般傍聴席には、私や『こんな夜更けにバナナかよ』の作者である渡辺一史さんや、津久井やまゆり園の入倉園長や施設関係者も座っていた。

 相模原事件については、私は植松被告にもいろいろなことを聞いているが、その日に検察官が明らかにした事件現場の詳細は、捜査機関でなければ把握できない生々しい話だった。犯行現場の状況についてもいろいろなことが明らかになった。

例えば、事件当時、植松被告は重度の障害者だけを殺害したと言われ、本人もそれを確認して刺したと言っていたのだが、実際にどういうやりとりがなされたのか詳細にはわからなかった。今回明らかになったのは、被告は結束バンドで両手を拘束して連れまわした職員に、「こいつはしゃべれるのかしゃべれないのか」と尋ねていたのだった。また同じ部屋でも殺害された障害者とされなかった者がいたことや、なぜ襲撃された部屋とされない部屋があったのか、施錠されていた部屋もあったことなど、いろいろな疑問がかなり氷解した。

法廷で何時間にもわたって職員の調書を朗読

 関係者の調書が法廷で読み上げられるのは裁判でよくあることだが、今回のように何人もの調書の全文が何時間もかけて朗読されるのは異例かもしれない。検察側の狙いは、事件当時、心神喪失だったという弁護側の主張を崩そうということだろう。実際、職員拘束のための結束バンドの使用など用意周到に準備がなされていたことや、現場で被告がどんな振る舞いをしていたかなど、殺害現場の状況を聞くと、心神喪失で責任能力なしという主張は、かなり無理があるという印象を受ける。

 読み上げられた供述調書は事件直後にとられたもので、極めてリアルで、傍聴していて衝撃も受けた。夕方5時近くに傍聴を終えた時には全身に重い疲労を感じたものだ。

 傍聴していた被害者家族にはさらに衝撃だったはずで、やまゆり園家族会前会長の尾野剛志さんは、初めて聞く話で聴きながら涙が出たと語っていた。普段接してきた入所者が目の前で次々と殺害されていく様子を見せられた職員には精神的後遺症に悩まされた人もいたようだ。

 さてその現場状況を語った調書内容は、後で可能な範囲で紹介しようと思うが、その前に、午前10時に開廷した第2回公判全体の流れを報告しておこう。

受傷状況を一人一人報告したものの… 

 午前の審理で多くの時間が割かれたのは、19人の亡くなった方を甲、負傷した24人の方を乙、さらに負傷した職員を丙とし、それぞれA、B、C…と順番をつけて、甲Aさん、甲Bさんと、一人一人の受傷状況を、鑑定医の診断にもとづいて明らかにしていったことだ。

 甲Aさんは、公判前に「記号で呼ばれるのでなく、娘の名前だけでも明らかにしたい」とマスコミに遺族が名乗りをあげて手記を発表した当時19歳の女性、美帆さんだ。ただ、この遺族の訴えは時間的に間に合わなかったのだろう。公判では当初の予定通り、「甲Aさん」と呼ばれた。

 ちなみに甲Aさんは包丁で刺されて死亡しているのだが、鑑定の結果では防御創が認められず眠っているところを襲われたようだと説明された。眠っていたためか身体的反応をするのが困難だったのか、防御創が認められないという犠牲者は3分の1ほどいたろうか。 

 寝ているところをいきなり刺されても、通常は第一撃で目をさまし、身を守ろうと手をあげるなどして防御創ができると思われるのだが、今回の説明ではひとりひとりについて防御創の有無が語られた。未明の就寝中だったことと重度の障害者だったこととふたつの要因が考えられるのだが、防御創があったかどうか逐一明らかかにされたのは、この事件の特徴だろう。

  

 それと被害者が記号でこんなふうに、しかも多人数にわたって読み上げられていくというのは、やはり異様で、この事件の深刻さを物語っていた。私は、秋葉原無差別殺傷事件の加藤智大死刑囚の公判も傍聴したが、この事件も被害者が多数にのぼり、一人一人の犠牲者の紹介がかなりの時間をとって行われた。ただ大きな違いは、秋葉原事件の犠牲者は実名で、その生い立ちや遺族が提供した写真が傍聴席にも見えるモニターに映し出されたことだ。遺族にとっては、そんなふうに家族が生きていた証しを公開の法廷で明らかにすることが死者への弔いだという意識があったように思う。

 しかも秋葉原事件裁判では、遺族が次々と証言台に立って、同じ法廷にいる加藤被告を非難し、詰め寄ったのだった。一人の犠牲者遺族のために1回の公判があてられるなど、裁判所も遺族の思いに応えようという姿勢が感じられたし、犠牲者が生前、家族と一緒に映した写真が公開されるのを見て多くの傍聴人も目頭が熱くなった。それは加藤死刑囚にとっては相当の精神的打撃にもなったはずで、2審から彼は出廷しなくなってしまった。

犠牲者19人、被害者24人のうち尾野さんだけが実名

 その光景を覚えていた私には、甲さん乙さんと、実名どころか年齢や性別も伏せられて受傷状況が述べられていく今回の裁判には違和感を禁じえなかった。途中、尾野さんの名前だけが実名で語られた。乙Nさんの説明の次に突然、「続いて尾野さんについてです」と実名が呼ばれた時には、ホッとしたような感覚になった。しかし、尾野一矢さんの説明が終わると再び、「続いて乙Oさんについてです」と、次の被害者からは記号で受傷状況が報告された。

 午後の職員の供述調書朗読においても、尾野さんが出てきた場面だけが「尾野さん」という実名で読み上げられた。入所していた尾野一矢さんは、重傷を負いながらも廊下に出てきて、拘束されている職員に「痛いけどがんばって」と励まされ、続いて頼まれて携帯電話を持ってくるという大事な役割を果たしていた。

その携帯電話で職員は午前3時1分、警察に通報を行っている。最初の通報は後述する、植松被告の拘束を免れた職員によってなされたのだが、その後にも何人かの職員によって通報がなされたのだった。

用意周到に準備された事件当日の犯行

 午後の法廷では、職員の調書朗読によって犯行現場の詳細が明らかにされた。植松被告は2016年7月26日午前2時頃に複数の包丁、ハンマー、ガムテープ、結束バンドなどを入れたスポーツバッグを持ってやまゆり園に侵入、窓ガラスを割って入った女性が入居する「はなホーム」で5人を殺害、2人を負傷させた後、「にじホーム」へ移動して5人殺害、1人を負傷させ、男性が入居する「つばさホーム」で2人を殺害、2人を負傷させた。その後も各ホームを移動しながら犯行を重ねていった。

そのやり方は、まず夜勤の職員がいる支援員室(正式には指導員室らしいが通常「支援員室」と呼んでいたという)に押し入って、包丁で脅し、携帯電話を差し出させた後、両親指を結束バンドで結び、両手首を結束バンドで縛る。そしてその職員を脅したまま連れ歩いて、各部屋で「この人はしゃべれるんですか?しゃべれないんですか」と聞いて犯行に及んだ。

 職員も、「しゃべれない」と答えた途端にその入所者が殺害されるので、すぐに訊かれた全員について「しゃべれます」と答えるようになったのだが、植松被告もそれを察知して、途中からは自ら入所者に近寄って、「こいつはしゃべれないじゃないか」と言いながら刺すようになった。施錠してある部屋はとばされたし、目を覚まして起きあがった入所者には「こいつめんどくさい」と言って襲わないこともあった。

 この施錠してある部屋は、供述した職員が「私の判断で施錠していた」と述べているのだが、2019年12月に植松被告に接見した際、施錠した部屋があったか訊いたところ、「よく覚えてないがなかったように思う」と答えていた。犯行現場では被告も興奮しており、とっさの判断で行動していたようだ。2人部屋で奥にもう一人入所者がいたのだが、植松被告が気付かなかったという調書のくだりもあった。

 ひとつのホームで犯行を終えると、被告は連れまわした職員の手を、廊下のてすりなどに結束バンドでゆわえつけ、顔をガムテープでぐるぐる巻きにして放置。次のホームへ移動するということを繰り返した。

 職員2人に「この後、厚木に行く」と言っていたというから、衆議院議長への手紙で予告していたように、津久井やまゆり園で殺害を行った後、他の園も襲撃するつもりだったのかもしれない。また犯行途中に「こういう人っていらないですよね」と言ったり、結束バンドで縛り上げる際に「君は殺さないから。自分の塀の中の暮らしは長いと思うけど」と言ったりしたという。

職員も恐怖と興奮の中にあったことを、供述調書を読む場合念頭に置く必要はあるが、彼らが見聞きした植松被告の現場での行動や発言は、心神喪失かどうか判断する材料にはされるだろう。

 ちなみに調書朗読においては、受傷状況報告では「丙さん」と記号化されていた職員はKCさんなどとアルファベットになっており、直接被害を受けていない職員については実名だったこともあった。公判で職員を含めてどの被害者をどう呼ぶかについては、公判前整理手続きの中で検討されたのだろう。

 調書朗読は、植松被告が犯行現場を移動した順に、そのホームの職員の調書が読まれるというように、犯行全体の詳細が浮かび上がるように構成されていた。最後に朗読された職員は、拘束しようとする被告の手を逃れて逃げ出し、部屋に入って外から開けられないようにしたうえで最初の通報を行ったのだった。

拘束した職員に「しゃべれるのかしゃべらないのか」訊いた

 ここで朗読された職員のうち2つの例を紹介しよう。夜勤の仕組みの説明といった細かい情報は省くし、細部を再現すると凄惨すぎる場面もあるので、ある程度割愛しながらまとめた。もちろんあくまでも法廷メモをもとにしたものだから、細部のニュアンスなど伝わっていない面もあるかもしれない。

●2番目に朗読された「にじホーム」勤務の女性職員の調書

 午前1時の見回りの後、支援員室でパソコンの作業をしていました。夜中も集音マイクのスイッチを入れたままにしているのですが、はなホームの方からキャーキャー、ドンといった物音が聞こえてきました。

 2時前の見回りをしようとした時、人影に気付いて顔をあげると、帽子をかぶり眼鏡をかけた人物が立っていました。そして「親指を出せ」と言いました。

 「誰ですか? 何でそんなことするんですか?」と言うと、犯人は近づいて私のポケットに手を入れ、職員用の携帯を取り上げました。その時、血のついた包丁と結束バンドを持っていることに気付きました。

 犯人は「植松…」と名乗り、「早く手を出せ」「早くしないと手を切り落とすよ」などと言い、手を差し出すと手首を結束バンドで縛りました。その過程で私の眼鏡がはずれたり、床に倒れたりしたため、目の周りを骨折し、下の前歯が欠けました。

 その後、腕をつかまれて201号室の前へ連れていかれ、「こいつはしゃべれるのか」と訊かれました。そこで「しゃべれません」と答えたところ、犯人は甲Fさんの首のあたりに刃物を振りおろしました。甲Fさんは、「うっ」と声をあげました。

 目の前の光景が信じられず涙が出てきました。「やめて」と叫んだのですが、犯人は奥の甲Gさんの所へ行き、「こいつはしゃべれるか?」と聞きました。「しゃべれます」と答えるといったんその部屋を出ようとしたのですが、「しゃべれないじゃないか」と言って刃物を振り下ろしました。私は「やめて」「何でこんなことするの」と泣き叫びました。

 隣の202号室でも犯人から「しゃべれるかしゃべれないか」と訊かれ、私は泣きながら「しゃべれます」と答えました。すると犯人は202号室を出て、203号室を素通りして204号室へ行きました。途中で「こんなやつらは生きてる意味がないんだ」と言っていました。

 204号室でも「しゃべれるの?」と訊いてきたので「しゃべれます」と嘘をつきましたが、犯人は「しゃべれないじゃん」と言って2~3回刺しました。

 次に205号室に連れていかれましたが、利用者が上半身を起こしたため何もせずに出ていきました。私は利用者に「まだ夜だから寝ていてください」と言いました。

 206号室でも「しゃべれるのかしゃべれないのか」と訊いてきたため「しゃべれます」と答えたのですが、無言のまま上半身を起こした甲Iさんに「しゃべれないじゃないか」と言って刺し、奥に眠っていた甲Jさんにも首元を狙って刃物を振り下ろしました。私は「やめてください」「どうしてこんなことするの」と叫びました。

 207号室では室内の入所者が目を覚まして起き上がったのを見て、犯人は「こいつめんどくさい」と言って部屋を出ました。終始泣き叫んでいた私にも「お前めんどくさい」と言いました。(一部略)

 209号室前で犯人は私に「めんどうなやつだな。おびえすぎてる」と言い、私を結束バンドで手すりに縛り付けました。口をガムテープで押さえ、「苦しくなったら鼻で息を吸え」と言って、犯人は支援員室の方へ歩いていきました。(一部略)。その後、つばさホームのKCさんがやってきて、「もう大丈夫。犯人もつかまってる」と言いました。ホーム長の内山さんから「大丈夫?」と聞かれ、思わず泣き叫びました。

 事件の後、いまも涙が突然出てきたり、精神的に耐え切れずに本日もつらくて涙が出てきました。利用者を守り切ることができずに申し訳なかった、と今も自分を責める日々が続いています。

職員に逃げられ通報されて警察署に出頭

●最初に通報した「つばさホーム」の男性職員の調書

 支援員室で机に向かってパソコン作業をしていたところ、扉が開いたので見たら、帽子をかぶった男がリュックのようなものを背負うか持っていました。その男が右手に刃物を持っていることに気が付きました。その刃物には赤っぽい液体がついていました。男は袋に入った結束バンドを持ち出し、「心配ないから」と言って近づいてきましたが、私はつかまらないように一気に駆け出しました。男も「大丈夫だから」と言いながら走って追いかけてきました。

 廊下の奥の812号室に入り、あけられないようにしました。男は「じゃあいいよ」と言っていました。私は室内から携帯電話で110番通報しましたが、その間も隣の811号室から「うわ、痛い」という声が聞こえてきました。

 電話に出たオペレーターに状況を伝えると、「電話はつなぎっぱなしにしてください」と言われ、2時45分から3時16分まで通話の状態を続けました。電話口から聞こえる警察署の様子で、出頭してきた人がいると大声が聞こえました。

 廊下に出てみるとそこは血まみれで、誰か座っているように見えました。私は非常口の扉をあけて外に出ました。

 以上が読み上げられた職員の調書のうちの2つだ。植松被告は、職員に逃げられ通報されたことを知ってそれ以上の犯行を思いとどまり、やまゆり園の外にとめていた車に戻った。犯行前に投稿したつもりだったツイッターの画像がアップされていないことを知ってアップした。

そしてコンビニに立ち寄った後、津久井警察署に出頭する。

 そのへんの経緯は、植松被告本人が書いた報告が『開けられたパンドラの箱』(『創』編集部編/創出版発行)に収録されている。被告は「今、やまゆり園で起きた事件の犯人は私です」と言って警察署に入るのだが、警察署は大騒ぎになった。被告はその時点で、包丁を握っていた右手小指の肉がえぐれていることに気付いたという。その後、被告は現場に連れていかれて実況見分が行われた。

 

 『開けられたパンドラの箱』は植松被告への獄中インタビューや、被害者側のインタビュー、さらには障害者の親、精神科医など多くの関係者の声をまとめて、相模原事件の全容がわかるようにした本だ。事件そのものだけでなく、事件の背景にある障害者差別や施設の問題など含めて、議論の材料をわかりやすく提示したものだ。出版したのは2018年7月だが、この事件についての本では最も読まれているものだ。 事件に関心のある方にはぜひ読んでいただきたいと思う。

https://www.tsukuru.co.jp/books/2018/07/post-37.html#more

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

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