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和歌山カレー事件の集会に林眞須美死刑囚が寄せたメッセージ

篠田博之月刊『創』編集長
7月20日に開催された和歌山カレー事件集会(筆者撮影)

 1998年7月25日夜、和歌山市で夏祭りに配られたカレーにヒ素が盛られ、死者4人を含む多くの被害者を出した「和歌山カレー事件」が発生した。社会を震撼させたこの事件を考えるために、毎年、事件前後の土曜日に大阪で集会が開催されるのだが、今年は7月20日だった。

100人以上もの集会参加者が

 私も東京から足を運んだのだが、もう事件から20年以上も経つというのに、100人を超える参加者で会場が埋まった。いつも顔を合わせるメンバーも多いが、初めて参加したという市民もいた。

 私は事件の起きた1998年から事件に関わっており、同年9月には何度か林さんの自宅を訪れて話も聞いている。20日の集会は、無実を訴え再審請求を続ける林眞須美さんを支援する人たちが運営しているのだが、その支援の会は、事件の審理が最高裁に移ってから発足したものだ。私のように事件当時から関わっている人間は、弁護団の一部を除いて他にはいなくなった。

 眞須美さんは、裁判の判決の日にはいつも「勝負服」を着て臨んだ。高裁判決の時には、私が差し入れた深紅のハンカチを胸に(本当は深紅のワンピースも差し入れており、全身、深紅で出廷する予定だったが、ワンピースには紐がついていて不許可になった)、そして最高裁の時にはこれも私が差し入れた真っ赤なトレーナーを着て、拘置所で決定を待った。

 2009年に死刑が確定してからは、決定直後に接見したのを最後に会えていないが、高裁の時には何度も接見のために大阪に足を運んだ。

 再審請求が起こされてからでも、もう10年になるわけだ。歳月の重みを感じさせる。

京大・河合教授が検察側の鑑定を激しく追及 

 集会の内容だが、第1部は弁護団報告だ。再審請求の現状が報告された。

 そして第2部は再審をめぐって大きなポイントになっている京大・河合潤教授の鑑定についてのパワポを使った説明だった。眞須美さんが裁判で有罪とされた決め手は、犯行に使われたヒ素と、林家から押収されたヒ素が同一だという鑑定が、当時は世界的な最新鋭装置と言われたスプリング8を使ってなされたことによるのだが、河合教授はそのヒ素鑑定がいかにずさんなものだったかを次々と立証している。

 河合教授の説明はかなり専門的なもので、初めて聞いた人にはわかりにくかったかもしれない。林家のヒ素と犯行現場のヒ素の同一性については、林家から押収されたヒ素と犯行現場のヒ素を見ると、現場で使われたヒ素の方が純度が高くなっており、それはありえないことだという。

 また眞須美さんの頭髪からヒ素が検出されたという判決内容についても、河合教授は、グラフを見ると、鑑定人がどう見てもヒ素と鉛を間違えていると断罪する。被告を死刑にという判決でそんな鑑定のミスがありえるのか、と集会後の打ち上げの席で河合教授に訊くと、裁判官も専門家ではなく、内容について十分に把握しなくても、この教授が書いたこういう鑑定だというのを見て採用してしまっているのが実情だとのこと。確かにそうかもしれない。

パワポを使った河合教授の説明(筆者撮影)
パワポを使った河合教授の説明(筆者撮影)

 河合教授も集会で説明していたが、眞須美さんの頭髪からヒ素が検出されたとされているのだが、鑑定が行われたのは逮捕から何カ月か経った後であり、その間、洗髪も何度もしたはずなのにヒ素がそんなふうに付着していること自体、疑わしいとのことだ。グラフの形が似ているために鉛とヒ素を間違えた、それがヒ素でなく鉛であることは明らかだという。

 河合教授によると、この両者を初心者が間違えやすいことは、河合教授の2012年のX線分析の初心者向け教科書にも,複数の分析装置メーカーのホームページにも出ているという。つまり鑑定人は「初心者が間違えやすい間違いをした」というのだ。

 河合教授の話はこの何年か何度か聞いているが、発表のたびに新しい発見が語られ、話が進化している。今回は、押収されたヒ素と犯行現場のヒ素の同一性という検察側鑑定を批判しつつ、頭髪のヒ素鑑定について、明白なミスだと断定した。

 ちなみに河合教授のこうした分析は、残されたヒ素などの再鑑定を行った結果でなく、裁判に提出された検察側の鑑定資料を細かく検討していると出てくるものなのだという。弁護団はそれを受けて、有罪の根拠となった鑑定がおかしいので、再鑑定をさせろと再審請求の中で要求しているわけだ。

健治さんも車椅子で集会に参加

 集会には林眞須美さんの夫、健治さんも参加していた。車椅子生活だが、この日も元気に、逮捕後の検察の取り調べがどんなにひどかったか話していた。

 以前はこの集会に、林家の子どもたちも参加して、発言をしていた。最近は、支援活動に参加しているのは長男だが、この日は仕事があって参加できなかった。その日、長男が上梓した本『もう逃げない。』(ビジネス社刊)が書店などで発売されており、会場でも販売されたが、用意した30冊があっという間に完売した。

 事件から21年という歳月を感じさせるのは、林家の子どもたちの成長ぶりだ。今年春、長男がAbemaTVに生出演した時に私も番組に同席したのがきっかけで、その後彼とは、頻繁に連絡をとるようになった。ちょうどその春頃にツイッターも始め、自分の言葉で発信していきたいと言っていたのだが、「和歌山カレー事件 長男」という名前で始めたツイッターは今やフォロワーが1万人を超えている。

 長男は、事件当時は小学校5年生だった。1998年に最初に林家を訪れた時、眞須美さんに言われて2階から冷たいジュースを運んできたのが長男だった。その長男の小学校の運動会が予定されていた10月4日に、眞須美さんと夫の健治さんは逮捕され、残された4人の子どもたちは児童施設に連れていかれたのだった。

 2005年3月に、逮捕から7年ぶりに接見禁止が解除された眞須美さんとは、その年から頻繁に連絡をとるようになり、彼女の手記を月刊『創』に連続して掲載した(それらは現在、『和歌山カレー事件 獄中からの手紙』創出版刊に収録)。

その過程で長女や次女などとも連絡をとることが増えた。最初は健治さん以外は、長女と次女が集会でよく発言して、事件や母親のことを話していた。でも娘たちは、既に結婚して子どももいたりしており、自分の生活を守るため、支援活動からは退いている。この何年かは、健治さんと長男とが、マスコミ取材に応じて母親や事件について語ることが多い。

 その長男の書いた本には林家の家族をめぐる話がいろいろ書かれており、事件から21年を経た彼の成長ぶりが随所に感じられた。母親についての描写も客観的で、こんなふうに書かれている。

《ぼくは父と違って、母の無実をことさら声高に主張しようとは思っていない。母が100パーセント無実だという確証はないからだ。そして、もし母がカレーにヒ素を入れたのならば、死刑に処されるのは当然だと考えている。

 しかし同時に、母がやったという確証もない。もし母がやっていないのであれば、このまま見殺しにするわけにはいかない。そして万が一、死刑が執行されるにしても、息子として最後の最後まで見届けたいのだ。》

長男が著書に書いたリアルな話

 その本の中で、長男の成長ぶりを感じると同時にドキッとしたのは、こういうくだりだ。母親と学生時代の友人YさんZさんが、カレー事件をめぐって母に批判的な証言をしたという話を紹介した後、長男はこう書いていた。

《YさんやZさんが母を悪く言った理由について、母は「生活環境の違いがあったんやと思う」と書いているが、それは違う。「生活環境の違い」に対する母の配慮が足りなかったからだ。配慮が足りないどころか、苦学している友人たちを見下していた節さえある。母から見下されていた人たちの気持ちが、いまのぼくにはよくわかる。》

長男の著書『もう逃げない。』(筆者撮影)
長男の著書『もう逃げない。』(筆者撮影)

 眞須美さんは裕福な家庭に生まれた女性で、「私はわがままだから」と自分で言うこともあった。そういう母親のキャラクターが友人との人間関係に現れていた、と長男は書いているのだが、どきっとするのは、その話に続けて彼がこう書いていることだ。「母から見下されていた人たちの気持ちが、いまのぼくにはよくわかる」

 母親は裕福な家庭に育ったのだが、自分は小学5年生で両親が同時に逮捕されるという運命に至ったばかりか、その後の人生でも、林家の息子だと知られて仕事をやめることになったり、結婚が破談になったりしてきた。そうした生き方も含めて母親に対する複雑な思いがこの1文に感じられる。

 長男は、この数ヵ月ほどは、マスコミの取材を頻繁に受けていることもあるし、母親への接見の頻度が増しているという。そうやってわざわざ接見に来てくれる息子に、眞須美さんは、「あなたにはあなたの人生があるのだから、母に関わるのでなく自分の人生を生きなさい」と勧めるという。でもそれは眞須美さんなりに考えてのことで、本当は家族が会いに来てくれることが彼女の人生を支えているのだと思う。

 集会の時に訊いたら、健治さんも最近、接見したという。獄中で歯の治療が十分にできないため、眞須美さんは歯をやられ、かなり抜けてしまっているという。以前も獄中でのダイエットで10キロくらいの体重を落とし、接見に行ったら若返っていて驚いたことがあった。でも眞須美さんはリバウンドする体質のようで、10キロやせたと聞いた次の機会に接見に行ったら、元に戻っていた。それを眞須美さんは繰り返してきた。

集会で読まれた林眞須美さんのメッセージ

 最後に、集会で最後に読み上げられた眞須美さんのメッセージを紹介しよう。

《平成10年10月4日、小学5年生だった長男の運動会の日に逮捕されて21年になります。

マスコミ報道のひどいことを最近目にしては大変驚いています。なかには保険金目的に「夫殺し」という報道もありますが、夫とはずっと同じく21年間面会をしてきています。

 平成21年6月3日から「死刑確定者」として収容され、「死刑囚」なんて言われたり記されたりすることに、著しい苦痛の日々で過ごしています。大阪高等裁判所第4刑事部、樋口裁判長には一日も早く、「再鑑定」の実施、京都大学教授河合潤先生の証人尋問に実施の決定をし、「無実」としてもらい、死刑台から生還したいです。

2019年7月20日                林眞須美》

 再審の重い扉は、開くのだろうか。

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

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