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元編集スタッフが語った岡留安則『噂の眞相』元編集長の「真相」

篠田博之月刊『創』編集長
『噂の眞相』編集長時代の岡留安則さん(筆者撮影)

 『噂の眞相』岡留安則元編集長が亡くなってもう1カ月以上過ぎた。3月30日にはお別れの会も開かれる。

 他界した直後はいろいろな人が論評した。私も共同通信に依頼されて追悼記事を書き、地方紙などに配信された。その後、3月7日発売の 『創』4月号で「追悼!『噂の眞相』元編集長」という特集を組んだ。評論家の佐高信さんらとの鼎談のほかに、『噂の眞相』元編集スタッフによる「岡留安則の真相」という座談会、それにかつて岡留さんをまじえての『創』誌上での座談会など5本の記事という大きな特集だ。香山リカさんも自身のコラムで『噂の眞相』について書いた。

 その後、雑誌界を見てみたらこんなふうに追悼特集を組んだのは『創』だけだった。『噂の眞相』が休刊してからだいぶ経っていて知らない人もいるから仕方ないのかもしれない。『創』が大きく取り上げたのは、この雑誌の存在について語ることが、今の雑誌ジャーナリズム、あるいはジャーナリズムについて語ることにもなるような気がしたからだ。

『噂の眞相』(筆者撮影)
『噂の眞相』(筆者撮影)

 特集記事のうち『噂の眞相』元編集スタッフ座談会はなかなか面白く、発売中の『サンデー毎日』のコラムで青木理さんも取り上げている。ここではその座談会のうち、岡留さんが亡くなるまでの経緯を語った部分を引用しよう。

元編集スタッフが語った岡留さんの最期

《川端幹人(元副編集長) 岡留さんが亡くなって、正直、スタッフがここまで“岡留ロス”に陥るとは思わなかったね。神林なんて、2週間経っても、まだ何か思い出しては泣きながら電話かけてくるし。

神林広恵(元デスク) 川端さんが冷たすぎるんだよ。私なんて沖縄から帰ってきてからずっと何もやる気が起きない。しかもすこし立ち直ったかなと思ったら、この座談会。また思い出しちゃうよ(泣)。

川端 そう言わず、岡留さんの素顔を伝えるいい機会なんだから。

西岡研介(元デスク) それと、亡くなった経緯についてもきちんと話しておこうや。人のプライバシー暴いてきたんやから、情報公開しとくべきやろ。

川端 そうだね。岡留さんの死因は肺がんだったんだけど、もともとは2016年の秋に脳梗塞であることがわかって、沖縄の病院に入院していたんだよね。

曽我部健(元記者) ていうか、無理やり入院させたんだけどね。もともとは沖縄に頻繁に行っている青木理さんらから「様子がおかしい。病院に行けと言っても行こうとしない」という連絡があって、川端さんの呼びかけで元スタッフや関係者6人で沖縄に説得に行ったんだよね。

神林 岡留さんが那覇で経営していた飲み屋に乗り込んで。そしたら、岡留さん、酒を飲んでカラオケも歌ってた。

飯田久美子(元編集者) ゴールデン街とかでは重病説も流れて心配してたんだけど、会った瞬間、みんなの私生活や仕事に絡めた辛口ギャグを連発してたしね。ただ、左足をひきずっているし、滑舌が明らかに以前とちがうので、やっぱりこれはどこか悪い、と。でも検査に行こうと言ってもかたくなに拒否されて。

常松裕明(元記者) 印象的だったのは、岡留さんが川端さんに「俺の野垂れ死ぬ自由を邪魔する権利はない」「俺だって君の女性関係をとやかく言わなかっただろ」と反論していたこと。縛られるのが嫌いで、スキャンダルで対抗する岡留さんらしい切り返しだった(笑)。》

《曽我部 一転したのが2018年の11月か。リハビリ中の病院で呼吸困難になって別の大きな病院に運び込まれた。それで、末期の肺がんだとわかって、それからはあっという間。

飯田 でも、肺がんがわかって、12月に沖縄に行った時はまだ元気そうだった。沖縄の基地問題や安倍政権の話をすると怒りをあらわにしてたし。

神林 ホスピスに移ってからも元気だった。亡くなる5日前に行ったら、病院内でミニコンサートがあって、いっしょに沖縄民謡を聞いて。でも、その2日後に容態が急変した。

飯田 亡くなる前の日、30日に急遽沖縄に行ったら、目はずっと閉じたままだったけど「岡留さん」って呼んだら顔をこっちに向けて。岡林信康の「私たちの望むものは」と大好きだった「花」を聴かせたんだよ。そしたらスーって涙を流して。川端さんと神林さんにテレビ電話をかけて呼びかけてもらったよね。神林さんが「明日行くから、待っててね」って言ったら、「はーい」って口を動かした。でも、次に川端さんが呼びかけたら、岡留さんは顔をしかめて無視した(笑)。

西岡 川端さんは最後まで岡留さんにうっとうしがられてたってことか。2人の関係を象徴するええ話や(笑)。

川端 どこがいい話なんだよ!

飯田 でも岡留さん、その少し後に息を引き取ったんだけど、苦しそうな表情もまったく見せず、眠るようだった。死に顔もすごく穏やかだったし。》

雑誌ジャーナリズムが活況を呈した時代の象徴

 『噂の眞相』との付き合いは1980年に同誌が創刊されてからだから、かなり長きにわたった。いろいろな関連記事を読み返して改めて思うのは、この雑誌は、80年代90年代の雑誌界が今よりも活況を呈した時代の産物で、今はもう考えられないなということだった。前述した香山さんのコラムでも書かれているが、例えば下記の江川紹子さんの言及もそう。多少事実と違うことがあっても、権力批判という基本スタンスのもとにある程度は許容されるという『噂の眞相』のスタンスは、今はなかなか成立しがたいように思う。

https://www.tokyo-sports.co.jp/entame/entertainment/1269442/

 ただその『噂の眞相』のスタンスをどう見るかというのは、単純ではない。『噂の眞相』と岡留さんを悼む声も多いのは、この雑誌が持っていた良きものも今のジャーナリズムにおいて失われつつあるという思いがあるからだろう。例えば『創』4月号の巻頭座談会で、矢崎さんと佐高さんがこう語っている。

《矢崎 『噂の眞相』が惜しまれながら休刊したのは良かったのかもしれないけれど、やっぱり今のジャーナリズムを見てると、とことんダメになってきたと思いますね。野蛮なジャーナリストというのが少なくなった。

佐高 新聞労連に呼ばれて講演に行った時に、元々新聞記者なんて、ゆすりたかり強盗の類の仕事じゃないかと、そこに戻れって言ったんだ。なんか上品だと思っているからおかしくなるんだと。岡留さんはそこだったと思うんですよ。

篠田 それを言ったら記者たちの反応はどうだったの?

佐高 しらっとしてましたよ。変なのを講師に呼んだなっていう感じでね。最後に、こんなもんだろうなって帰ってこようとしたら、若い女性の記者が寄って来て、「佐高さん、私、立派な強盗になります」って言うんだよ(笑)。女の方がしっかりしてるなって思った。

篠田 今マスメディアって大きくなってしまって、そういう部分がなくなっちゃいましたよね。

佐高 そう。追及する方が上品になっちゃってから、どぶ川の臭いに鈍感になった。臭いをかいだ途端に敬遠するみたいな感じでしょ。

篠田 この10年ほど、筑紫哲也、井上ひさし、永六輔といった反権力を貫いた人たちが次々と亡くなっていくのは、「安倍一強」に象徴されるように日本がおかしくなっていっている状況と関わりがありますよね。矢崎さんにはそういう人たちの分までがんばってもらわないと。

矢崎 俺も体力的にはもうダメ。永さんが呼んでいる声が聞こえる(笑)。

 とにかく反体制、反権力を貫くのは疲れる。怪しい人だったけど、岡留さんにはご苦労さまと言いたい。》

前述したように3月30日に「送る会」が開かれる。私も呼びかけ人の一人だ。

『噂の真相』岡留安則を賑やかに送る会

日時  3月30日(土)18時30分〜21時

場所  アルカディア市ヶ谷(私学会館)3階「富士の間」

会費  5000円

 ご供花、ご献花は辞退させていただきます。ざっくばらんな会でございますので、どうぞ普段の服装でお越し下さい。

問い合わせ先 okadome.jimukyoku@gmail.com》

 ここで引用した佐高さん、矢崎さんとの鼎談と、生前の岡留さんをまじえた『創』のシンポジウムを再録した記事を、先ほどヤフーニュース雑誌に公開した。興味ある方は読んでほしい。

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190320-00010000-tsukuru-soci

タブーに挑み続けた岡留安則さんの死を悼む(佐高信、矢崎泰久、篠田博之)

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190320-00010001-tsukuru-soci

マイナー系雑誌とゲリラジャーナリズム(岡留安則、矢崎泰久、篠田博之)

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

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