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映画『グッドモーニングショー』君塚良一監督のメディア論が面白かった

篠田博之月刊『創』編集長
『グッドモーニングショー』2016フジテレビジョン・東宝

今年はマスメディアを素材にした映画が目につく。アメリカの映画としては4月に公開された『スポットライト 世紀のスクープ』、7月公開の『ニュースの真相』、それにジョディ・フォスターが監督を務めた『マネーモンスター』もあった。前2作は実話をもとにしたものだが、特に『スポットライト 世紀のスクープ』はアカデミー賞の作品賞・脚本賞を獲得しただけあって、骨太で、よくできた映画だった。

そしてこの10月、日本でもメディアを題材にした映画が2本公開された。アメリカ映画とだいぶ趣を異にしているのだが、これが2本ともなかなか面白い。両作品ともテレビ局の製作によるものだが、10月1日公開のテレビ朝日製作『SCOOP!』は大根仁監督、8日公開のフジテレビ製作『グッドモーニングショー!』は君塚良一監督だ。

両映画とも相当量のプロモーションがなされたから、ほおっておいてもヒットするだろうと思っていたが、最近聞いてみると、必ずしもそうでないらしい。興行収入10億円の壁をなかなか超えられないでいるという。今、映画は『君の名は』に席巻されてしまっているといった事情もあるだろううが、『君の名は』もいいけど、メディアに関心のある人はぜひ『SCOOP!』と『グッドモーニングショー!』も観てほしい。

ということで、ここで君塚監督に『創』でインタビューしたものを公開しておこう。わざわざ話を聞くのだから、映画評論家の作品論とは違った趣にしようと思い、もっぱらメディアをめぐる話を聞いた。

君塚監督と言えば『踊る大捜査線』の脚本を書いた人として知られ、今回の映画もテレビドラマふうに作られているのだが、そのコメディタッチの活劇という味わいも悪くはないが、メディアに関わっている人やメディアに関心を持っている人に観てほしいのは、そのベースにある監督のメディアあるいはテレビについての洞察だ。映画の舞台は朝のワイドショーだが、これは最もテレビ的だという意味で素材に選ばれたのだろう。

監督が投げかけているテーマの第一は、「報道と情報の垣根」だ。いまや報道番組がワイドショー化し、ワイドショーが報道の要素を取り入れるといった傾向が顕著だが、その現場における双方の確執などを戯画化して描いたのがこの作品だ。テレビの仕事が長い君塚監督だけに、その問題提起はなかなか深い。

インタビューではそのあたりに踏み込んで訊いているのだが、それに関して面白かったのは、例えば報道と情報のせめぎあいを描いたこの映画に、テレビ関係者はどう反応したか、あるいは海外の人たちはどういうシーンにどう反応したかという点だ。

例えば海外の反応について訊いた時の答えはこうだ。

《海外で上映した時、映画の中盤で立てこもり犯が「お前いつも毎朝くだらないコーナーばかりやりやがって、偉そうに」って言っているところで拍手が来ました。そのへんは世界的に同じなんでしょうね。そのかわり後半については、日本よりもシリアスに観てくれたようです。日本人よりも、メディアを恐ろしいものと取っているのかもしれません。》

また前述したように、この映画はアップテンポですごくテレビ的に作られているのだが、テレビと映画の違いをどう監督が考えているかも訊いた。「テレビはチャンネルを変えられないように絶えず小さな山場を作っていかなくてはいけないが、映画はとりあえず2時間客が観てくれる」と言われてきたのだが、監督に言わせると、最近は映画もそうばかりと言えなくなったという。監督の指摘はこうだ。

《映画でも今は、ハリウッド映画の脚本家の壁に「先を急げ、観客は待ってくれない」って書かれているくらいで、テレビと同じなんですよ。DVDとか、オンデマンドで観られる機会が増えたから、それこそつまらないと途中でお客が逃げてしまう。もちろんそれはエンターテイメントに限ったことですけれどね》

映画は映画館で観るものという前提で語れない時代になっているというわけだ。このあたりもなかなか考えるべきテーマを含んでいる。

さて、以上のような君塚監督のメディア論、以下にインタビュー全文を掲載するのでぜひ読んでいただきたい。そして映画館でぜひこの映画を観ていただきたい。

●『グッドモーニングショー』 君塚良一監督

テレビを凝縮したワイドショーを舞台に

――君塚さんは映画のお仕事も多いですが、基本的にはテレビの人と考えてよいのですよね。

君塚 僕はコント作家から始まって、バラエティとかドキュメンタリーの構成をやって、それからテレビドラマですね。その後、映画の脚本を書いて、監督して、ここ数年は映画監督を中心にやっていますけれど、基本的にはテレビの人間です。映画の作品も結果的にほとんどテレビ局が関わったものです。つまりドラマを作っていたほぼ同じスタッフで、発表の場がテレビドラマから映画になっているという感じですね。

――今回は、そのテレビの世界を映画で描いたということですね。

君塚 2013年公開の『遺体』という映画を撮ってから、次の作品を考えていた時にテーマをテレビにしようと思ったんです。僕自身、何十年もテレビの仕事をやっていますが、テレビというのが、問題視されたり、悪口言われたり、だけれども一方で人気があって多くの人が観ている。その複雑な問題点について他の人に訊かれても、僕自身、テレビの世界にいたくせにすぐ答えが出ないんですね。だから答えを探すために、映画の作品作りの中で考えてみようと思ったんです。

そこでテレビをどう描くかと考えた時に、一番テレビらしいのは何かというと、生放送だったり、即時性であるとか、あるいは同じ素材を作り方を競って面白くしていく、さらには視聴率戦争やスポンサーの問題だとか、そういうものを凝縮しているのが、どうもワイドショー、朝の情報番組という感じがしたんです。あの中にいろんな要素があるのかなと思って、自分で取材していったんですね。

主にフジテレビですが、情報番組やニュース番組を取材しました。僕は数年前ですけどCSで放送したドラマのために報道部の取材をしているんですね。今回はそれにプラスして、情報番組の取材をしました。

――今回の映画では、現場での報道部門と情報部門の対立というのがひとつのテーマになっていますね。

君塚 実際は取材を重ねていくと、あれほど対立はしていないんです。どっちにせよ協力しない限りはやっていけない。ただ、いろいろ聞いていると、気持ちの上で、報道には報道のプライドがあって、ニュースを面白おかしく伝えようとしている情報番組に対する反発があるし、情報番組は情報番組で素材を面白く工夫して見せるために苦労しているというプライドがある。どっちもテレビのことを真剣に考えた上でのことなんですが、ちょっとぶつかる面もあるという感じがしました。それを映画の中では少しカリカチュアライズしたという感じですね。

――中井貴一さんを主役にされたのも、この作品にとって大きなことですよね。

君塚 基本的には視聴者とともに少しテレビをいじめたいという感じがあったんですね。そこで、いじめられて面白い、しかもきちんと芝居ができる日本の俳優と考えると、まっさきに浮かんだのが中井貴一さんでした。ちょっと困った顔をした時とか、とてもリアルだし、でも一方でキャラクターの芯(しん)の部分は動かさずに演じてくださるということでは、中井さん以外にいないなと思いました。かなり早いうちから、台本づくりでも頭に入れてやっていましたね。

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――中井さんもテレビ局をある程度取材されたんですね?

君塚 そうです。舞台となったのは朝の7時くらいから始まる情報番組ですから、当然夜中からスタッフは準備するわけです。そういう番組の制作過程を中井さんもずーっと見ていました。ご自分で自発的に見て、話を聞いたりして、アナウンサーの立ち居振る舞いとか、スタッフとアナウンサーの関係。あるいは何かこハプニングが起きたときの対処の仕方なんかを観察していました。だから凄くリアルです。実際にアナウンサーの方も中井さんを見て、立ち姿とか、足の裁きとか、身体の裁きが凄くリアルだと言っていました。

テレビは面白く作るものというのが基本認識

――報道系と情報系の対立という構図でいうと、君塚さんの監督としての立ち位置は少し情報系寄りでしょうか。

君塚 そうです。僕は基本的に、テレビというのは面白く作るものだと思っています。僕の師匠は萩本欽一なんですけど、面白く作って楽しませる、視聴者のことを絶対に忘れてはならないという教えのもとに修行してきましたから。もちろん報道の大切さも理解していますけれど、それと違う視点から料理をして、視聴者に伝えることの難しさと大変さを身にしみて知っています。だから、どうしても情報番組のスタッフに対して、肩入れをする。それが僕個人の位置ですね。

映画の中でも言ったけれど、「夜のニュースだってグルメやってるじゃん」って。今は報道番組自体がバラエティ的な要素を入れるようになっている。それはどうしてかと言えば、報道でさえ視聴率なんですね。そこがずっと昔から言われている問題ですけれど、どうしてニュースで視聴率の戦いをしているんだと。あるいはニュースにスポンサーがついてやっているんだと。テレビっていろんな矛盾があって、それもその中の一つですけど、今ちょっと報道番組が視聴率のために芸能ニュースをトップでやらなければならないとか、そういう決断を迫られているところがありますね。だから、報道は報道なりに辛いですよね。

そういう問題を考えていただきたい。僕も答えが出なかったんですね。テレビはやっぱりだめだとか、テレビって素晴らしいとは言っていないですから。いろんなものを提示して、もちろんその中には暴走していく人がいるでしょうし、立てこもり事件さえもショーにしようとしてしまう人もいる。そういうところを見せて、さあどう感じますかというところですよね。

――テレビの視聴者投票についても問題を投げかけていますね。。

君塚 多分ああいう視聴者投票というのは、別れた恋人のプレゼントを捨てるとかとっておくとか、そのくらいの遊びに使うのが良いんです。社会的な問題とか、政党支持率みたいなのはやらない方がいい。だって、面白がって支持政党をひっくり返しちゃうこともできるじゃないですか。例えば海外で拘束された日本人がいたときに、どうすべきかとか、そういうアンケートに使ったら怖いだろうと思います。人の命をボタン一つで左右できるようになったらね。

あそこはシナリオを作った段階で、テレビ局の人たちにチェックをしてもらいました。

――テレビ局の人に観てもらって感想を聞いたそうですが、どういう意見が多かったですか?

君塚 意見でいうと、例えば報道の人はもう少し今は仲いいし、協力体制ですよと言われました。あの映画はもちろん創作ですからわかってはいるけど、そういう意見が出ましたね。

あと意外だったのは、テレビの現場にいる人間たちが、この映画をエールとして見たという。応援してくれている感じがしたので、また頑張ろうって思いましたって言うんです。僕は必ずしもそういうつもりで作ったんじゃないんです(笑)。皮肉を相当入れているんですがね。

そもそもテレビってともするとサービス過剰になるじゃないですか。いまサービス過剰が暴走を始めているわけですよね。はたから見れば喜劇に見える。だから喜劇にしたんです。だから、このコメディ自体も僕にとってはすごい皮肉なんですよ。だけどそれでも応援してもらったような気がするという感想が多かった。だからよっぽどその中でみんなが悩んでいるのでしょうね。

――君塚さんがテレビの人だから、現場に対する愛というのもあるのでは?

君塚 僕自身テレビをやってきた人だから、テレビが嫌いでも、批判の対象でもない。どんなに皮肉を書いても、ちょっと愛が入っちゃってるかも知れない。僕はテレビで育ったのでテレビが好きですから。

テレビと映画の違いをどう考えるか

――君塚さんならではという、テレビドラマを作っている人の感覚が随所にあふれていますよね。テンポの速さとか、笑いの取り方とか。

君塚 編集の段階でも、すごくスピーディなものになるだろうなと思ったんです。本を読んで、編集マンが最初に自分の感性でばっとつないだら1時間40分だった。すごいスピードですよね。説明をタラタラしないで、セリフとか雰囲気で、この主人公、この美女にちょっと勘違いされているかなって思わせる。それはテレビドラマの感覚かもしれないですね。だから情報量も多いですよ。説明しないでどんどん行きますから。乗ってくれれば楽しんでもらえるなと思います。

――テレビドラマは、途中でチャンネルを変えられないようにしないといけないとよく言われますよね。

君塚 当然視聴率を意識しますから、とにかくテンポを上げるのと、45分の中でも2回か3回山場作らなきゃだめというふうに、怯(おび)えながら作っている感じがあるんですね。

でも、映画でも今は、ハリウッド映画の脚本家の壁に「先を急げ、観客は待ってくれない」って書かれているくらいで、テレビと同じなんですよ。DVDとか、オンデマンドで観られる機会が増えたから、それこそつまらないと途中でお客が逃げてしまう。もちろんそれはエンターテイメントに限ったことですけれどね。

――従来、映画は、映画館に入ったお客は2時間はじっと観てくれる、そこがテレビと違うと言われてましたよね。

君塚 昔は暗闇の、スクリーンの中にいて「漂う」って言いましたよね。例えば寅さんってどの作品を見ても一緒なんだけど、毎回観ると、世界に漂っている感じなんです。今は映画を観て漂うんじゃなくて、情報をもっとくれっていう感覚を持っているかもしれないですね。

――今回の映画は海外の映画祭で上映されたそうですが、映画で描かれたテレビ現場のおかしさは海外でも同じように理解されたのでしょうか。

君塚 笑いどころも日本と変わらなかったですね。とにかく今は、世界中に朝の情報番組はあるんですね。しかも海外の方がもっと激しいらしいです。それこそ水着で天気予報やったり、ジェットコースターに乗りながら天気予報やったりするらしいですから。例えばヘリコプターでカーチェイスを追いかけたりして生でどんどん放送しますから。

海外で上映した時、映画の中盤で立てこもり犯が「お前いつも毎朝くだらないコーナーばかりやりやがって、偉そうに」って言っているところで拍手が来ました。そのへんは世界的に同じなんでしょうね。そのかわり後半については、日本よりもシリアスに観てくれたようです。日本人よりも、メディアを恐ろしいものと取っているのかもしれません。

――君塚さんは『踊る大捜査線』でテレビドラマを映画でやって成功したわけですが、テレビと映画を連動させるということはその後も意識されていますか?

君塚 『踊る大捜査線』は脚本だけですけど、そのときに考えたテレビから映画へというやり方は、意外と普通のことなんですよ。例えば出演者を変えないとか、あんまり映画だからって力込めてテーマ主義に陥らないとかね。観客にすれば、映画だから、あるいはテレビだからって僕らが思っているよりも、差別感なく観ています。テレビで観ても、映画館で観ても面白いものは面白いんですね。当初は僕も、いよいよ映画化とかね、いよいよ映画界にこの作品を持っていくのかって意識はあったんですが、でも全然観客側にそれはなかった。面白ければいい。心にぐんぐん迫ってくるものであればそれがどんなメディアであろうが関係ないんだ、と感じましたね。

『踊る大捜査線』は、思いっきり「ザ・映画です」とやらなかったんですが、あれは本当は冒険だったんです。テレビっぽい小さなギャグを入れているから、映画としてみると、「これかよ」とか反発されるのではないか。そういう心配もあったのですが、実際には観客には、全然そんなことはなかったですね。

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月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

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