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衝撃の相模原障害者殺傷事件について話を聞けば聞くほど深刻だと思う3つの問題点

篠田博之月刊『創』編集長
事件現場となった津久井やまゆり園

この8月は連日、相模原障害者殺傷事件の取材で人に会っていた。話を聞けば聞くほど、この事件がいかに深刻かを思い知らされた。これまで社会が覆い隠してきた問題に否応なくこの事件が踏み込んでしまった、という印象だ。9月7日に発売された月刊『創』10月号に相模原事件の大特集を掲載しているから、それをぜひ読んでほしいのだが、ここで簡単に問題点を整理しておこう。

まず第1は、事件当初議論になった措置入院の問題だ。安倍首相が逸早く措置入院の見直しを指示し、厚労省の検討会が設けられたために、保安処分への動きかと一斉に懸念と反発が噴き出たが、検討会は今のところ、その方向には行ってないようだ。

特集の冒頭で香山リカさんとの対談に登場している精神科医の松本俊彦さんはその検討会の委員だが、この対談ではかなり率直に発言している。そもそも措置入院がどんなふうにして決められ、植松聖容疑者を退院させるにあたってどういう対応がとられたかは、いまだに詳細が報じられていないのだが、その検証と解明が、この事件を考えるうえでの大きなポイントのひとつになることは間違いないだろう。

植松容疑者は2月に衆院議長のもとへ手紙を持参し、そこから施設をやめ措置入院にいたることになるのだが、松本さんはこう語っている。

《「衆議院議長にこんな手紙を書いたそうだね。こんな考え方をしているのか」と問い詰めて、彼が「じゃ施設をやめます」ということになったんだけど、その時に警察が控えていて、そのまま措置入院となったわけです。》

同じ特集に登場する精神科医の斎藤環さんは、警察と精神病院との関係をこう説明している。

《警察は薬物依存者や精神障害者を留置することを嫌がるんです。それで病院に、いわば押し付けてくるわけですよ。お宅で診てくれ、措置入院させるべきだと。本来警察が判断することではありませんが、現場では結構そういうことがあるのです。》

ちなみに斎藤医師は、植松容疑者の措置入院は明らかに判断ミスで、むしろ彼が犯行に走ることを促進したのではないかという見解だ。この見解は傾聴に値するのだが、斎藤さんの見立てはこうだ。

《精神科に入院というのは、行為を束縛されるという以上に、スティグマ性を帯びさせる。つまり「お前は頭がおかしい」という烙印を押されたとその意味で二重に屈辱なんです。》

マスコミ報道では一時、退院が早すぎたのではないかとか、医者がだまされたというキャンペーンがなされたが、斎藤さんはそれは全く誤った捉え方で、措置入院させたことが間違いだったというのだ。松本さんも病院の記録を詳しく見たうえで、退院の判断に問題はなかったという見解だ。

そして問題は、植松容疑者を退院させた後の対処で、このへんは十分詳しく報道されていないのだが、彼はその後も外来で通院したが途中から来なくなった。関係を比較的築けていた医師がたまたま3月で退職したりといった事情もあったらしい。また退院後のサポート体制についても当初考えていた枠組が使えなかったなど、いろいろな事情が重なったようだ。松本医師がその対談で詳しく語っているが、一部だけ紹介しよう。

《今回の容疑者の場合は、措置入院が終わったあと生活保護を受けるために役所に行っていますし、雇用保険の件でハローワークにも行っています。広い意味での保健福祉的ニーズはあったという気がしています。その意味で、アウトリーチ支援が入り込む余地はあったと思います。問題は、当初、八王子で両親と同居するという話だったのに、彼が相模原の自宅に戻っちゃったことですよね。それで八王子の社会支援、入院中情報提供した、八王子の社会資源を使えなくなっちゃったわけです。》

そのあたりの詳しい経緯、植松容疑者に対してどんな取り組みがなされたのか、どこが問題でどうすべきだったのかは、検討会の大きなテーマになるはずだ。

その問題の奥にはもちろん、植松容疑者をどうみるのか、精神医学の観点からどう判断するのかという第2の問題が控えている。これについては今後、精神鑑定がなされるわけだが、松本医師は、植松容疑者の表明した考え方を「思想」とみるのか「妄想」とみるのか、という問題の立て方をしている。そして、最初は自分は、植松容疑者は病気ではないという見方だったが、その後、少し見方が変わって来た、と語っている。

一方、同じ特集で斎藤環さんは「精神医療ではクレイジーとマッドを分けるのですが、彼はクレイジーではあるけれどもマッドではない」と語り、松本さんと異なる見解を示している。この問題は、今後、精神鑑定によって解明が求められるのだが、この事件を考える最大の鍵になるだろう。

ちなみに松本さんは、「思想」と「妄想」の境界をどう考えるかは難しい、とも語っている。この特集では、ナチスの障害者大量虐殺についても2つの記事を掲げているが、この歴史的狂気をどう考えるべきかという問題もまだ決着はついていないように思える。ナチスの障害者虐殺、いわゆる「T4作戦」は、過去の歴史と受け止められがちだが、実は解明が進み始めてからまだ日が浅い。作戦には当時の精神科医も協力しており、ドイツでもその責任追及は戦後もある時期までタブーだったという。

この問題についてはNHKがETV特集で昨年と今年にわたって放送した「それはホロコーストのリハーサルだった」が大きな反響を呼んだが、来る9月24日(土)夜11時から再放送が決定している。相模原事件直後は、しばらく再放送は控えようという声が多かったが、事件から時間がたったことを勘案し、再び問題提起をしようというプロデューサーらの決断によるものだ。ちなみにその番組を制作した熊田佳代子プロデューサーと、自ら何度もドイツに足を運び、番組にも出演している日本障害者協議会の藤井克徳代表も、『創』の特集に登場している。番組のホームページは下記をご覧いただきたい。

http://www.nhk.or.jp/docudocu/program/20/2259520/index.html

思想か妄想かというのが重要なのは、言うまでもなく刑法39条の問題に関わってくるからだ。刑法39条は、犯行時に心神耗弱であれば減刑され、心神喪失であれば不処罰つまり無罪になるという規定で、それゆえ精神鑑定によって責任能力の有無を認定することが重要になる。今回の事件のように社会的問題になったものを無罪にするという判断は、社会が納得しないし、国家秩序に関わるから、裁判所にとっては恐らく死刑選択以外ありえないだろうが、純粋に精神医学の観点から見れば、植松容疑者の精神状態をどう考えるかは重要で、かつ難しい問題になるだろう。

ちなみに斎藤医師は、今回の特集で、この刑法39条の規定は見直さなければいけないのではないかという問題提起を行っている。

そのことと関連して言えば、これまで精神障害と認定され、不起訴になったり無罪になった人は、一般に思われている以上に多いらしいのだが、ではそういう人たちがどういう処遇を受けてどうなったのか、ほとんど報道もされておらず、タブー扱いだ。国家にとってもあまり触れたくない問題だろうが、今回の事件は、措置入院といい、精神医療と犯罪にまつわる、これまでブラックボックスとなってきた領域に、一気に踏み込んでしまったように見える。

相模原事件は、幾つもの深刻な意味あいを重ね持った事件なのだが、第3の大きな問題が障害者差別だ。香山リカさんが対談で「裏庭論」と紹介しているが、これまでは障害者に対して、総論では「差別はいけない」と言い、各論では「でも自分の隣に来られるのは困る」というのが平均的な対応だった。そんなふうに総論と各論を使い分け、曖昧なままにしてきたものを、今回の事件はひっくり返してみせたわけだ。

そもそも現場となった津久井やまゆり園のような大規模入所施設がどうして人里離れた郊外のああいう場所にあったかについても、歴史的経緯があった。『創』の特集の中で、障害者インターナショナル副議長の尾上浩二さんがこう説明している。

《新規で作られる入所施設は30~50人のところが多いのですけれど、津久井やまゆり園は1964年設立と歴史のある施設で、150人の規模です。実は日本はかつて高度経済成長期から障害者コロニー政策というので山を切り開いて、障害者を入所施設に収容するのが福祉なんだと信じて突き進んできた歴史があるんです。その当時だと、300とか500人の大規模収容施設が各地にありました。

そういう大規模な収容施設を作るとなると土地代が高いので、都外施設ということで東京都の施設を青森県などに作ったりしてきました。東京都民なんですが、本人が希望したわけでもないのに、なぜか遠く離れた施設に入所するわけです。

さすがに東京都も反省して、今後都外施設は作らないということになりました。ただ都外施設に追いやられてしまった人たちを東京都の責任において戻さないといけないんですが、そういうことへの取り組みは遅々とした歩みと言わざるを得ません。少しずつ変わってきてはいますが、日本は障害のある人とない人を分ける分離政策が中心だったのです。》

実は尾上さん自身、子どもの頃に脳性麻痺の障害を抱えて入所施設にいた経験を持つ。そして障害者に対する差別についてこう語っている。

《私は18歳くらいの頃から40年近く障害者運動をやっていますが、1980年代までは、例えばいろんなお宅、養護学校の時の同級生名簿を訪ねて回ったりするんですが、「何々君いますか、同窓生なんですけど」と言っても「そんな子はいません」と言われるんです。でも玄関から見ると、奥の方に本人が寝転がっている足だけ見える。家の中にいるのだけれど、対外的にはそんな子はいませんと答える。昔で言う座敷牢というイメージですが、それが本当にあったんです。

近年になって変わってきたといっても、障害のある者は親族の結婚式に呼ばれない、ということが今でもある。家族に障害者がいることがわかると結婚が破談になるかもしれないと恐れるわけです。そういうふうに障害のあるものを忌み嫌ってきた歴史的背景は確実にあると思うんです。》

差別にさらされながらも、隔離するのでなく地域の中で共生を図ろうというのが、障害者たちが運動によって勝ち取って来た歴史的経緯なのだが、今回の事件は、そういう流れを一気に破壊しかねない恐ろしさを持っている。

事件直後に「私たち家族は全力でみなさんのことを守ります」というメッセージを発し、「報道ステーション」が番組内でそれを全文朗読した際に、スタジオの小川キャスターが涙ぐんで言葉につまったシーンを見た人も多いと思う。そのメッセージを発したのは、障害者の家族や関係者を中心にした「全国手をつなぐ育成会連合会」だが、その会長の久保厚子さんにもお会いして話を聞いた。私もあのメッセージに感動し、滋賀県在住の久保さんに何とかしてお会いしたいと思ったのだ。

http://zen-iku.jp/info/member/3223.html

ご自身も重度の知的障害者の息子を持つ久保さんのインタビュー全文はぜひ『創』で読んでほしいが、彼女の話で驚いたのは、その障害者の家族の団体にも、植松容疑者の考え方に同調するような匿名の電話や手紙を寄せてくる者がいたという話だ。障害者に税金を使うのは無駄だ、といった意見がネットで一部流れていることは聞いていたが、ネットに書き込むだけでなくわざわざ当事者に電話をかけるというのは、ちょっと信じがたい行動だ。今までは表にあまり出てこなかったそういう差別意識を、今回の事件が触発した面もある。

実際、今回の事件で恐怖を感じるようになったという障害者も多いようだ。

今回の事件で殺害された19人の被害者遺族が、実名を出したくないと言っている背景にも、そういう問題がある。以前、このブログで、殺害された障害者の姉のコメントを紹介したが、その全文を引用しよう。

《亡くなった被害者の実名が報道されていない件についての是非が問われているようですので意見を述べさせていただきます。私は親に弟の障害を隠すなと言われて育ってきましたが、亡くなった今は名前を絶対に公表しないでほしいと言われています。

この国には優生思想的な風潮が根強くありますし、全ての命は存在するだけで価値があるという事が当たり前ではないので、とても公表する事はできません。加害者に似た思想を心の奥底に秘めた人や、このような事件の時だけ注目して心ない事を言ってくる人も少なからずいるでしょう。

家族は弟と生きるために強くなるしかありませんでした。その力の源をある日突然にあまりにも残虐な方法で奪われてしまったのですから、しばらくは立ち向かうことができません。今はただ静かに冥福を祈りたいという思いは他のご家族も一緒なのではないでしょうか。》

何とも切実な言葉だ。ちなみにこのコメントは、8月6日に私も参加した集会で読み上げられたものだが、その集会に寄せられた多くのメッセージは下記サイトに公開されている。関心ある人はアクセスしてほしい。

http://touken.org/20160806tsuitosyukai/

相模原事件の特集にはそのほか、事件を取材し続けているジャーナリストの今西憲之さんの現場レポートや、津久井やまゆり園の元職員のインタビューも載っている。ぜひ読んで、一緒に考えてほしい。なお、前述した厚労省の検討会については、簡単な議事内容要旨や資料が下記ホームページに公開されている。

http://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/other-syougai.html?tid=373375

画像

事件の後、いきなり日本中がオリンピックのムードに包まれ、相模原事件の衝撃がいささか忘れられつつあるかに見える。しかし、この事件は多くの問題を日本社会につきつけた。決して風化させてはならないと思う。

http://www.tsukuru.co.jp/

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

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