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吉祥寺「おかしのいえとパン屋のぱんさん」キッチンカーで本格パンと焼き菓子を販売

清水美穂子ブレッドジャーナリスト
キッチンカーのショウケースには早朝から魅力的なパンと焼き菓子が並ぶ(筆者撮影)

吉祥寺から歩いて十数分、駅からは少し離れた住宅街に、その店「おかしのいえとパン屋のぱんさん」(東京都武蔵野市吉祥寺南町4-27-11)はある。店名が絵本のタイトルのようなやさしい雰囲気だが、実はすごい店である。まず、ユニークなのは店名だけではなく店構えもで、なぜかといえばその店は、住宅の駐車スペースに停めたキッチンカーなのだ。オフィス街や駅前、あるいはイベントスペースにキッチンカーを見かけることはあるが、住宅の駐車場というのはめずらしい。訪れるのは、ほとんどが地元の人たちだ。

そんなユニークな店のたたずまいが気になって足をとめていると、「おはようございます!」と明るい声が、一段高くなった車内のショウケースの向こうから、笑顔とともに降りてくる。

朝7時半に開店し、14時から15時頃に完売して閉店するまで、「おかしのいえとパン屋のぱんさん」のショウケースには、パン約20種類、クッキーやスコーン、ブラウニーなどの焼き菓子が10数種類ほど並ぶ。

住宅の駐車スペースに停めた車がお店(筆者撮影)
住宅の駐車スペースに停めた車がお店(筆者撮影)

お菓子を焼いているのは、竹内凜さん。「ローズベーカリー」や都内のレストランで菓子職人を務めた後に独立、東京都のチャレンジショップを経て、実家の工房でこの店を開業した。

人気のスコーンは、プレーンのほか、イチジク、さつまいも、自家製の干し柿、レモンアイシングをかけたものなどが、日替わりで2種類ほど並ぶ。チョコやナッツ、バターケーキ、ドライフルーツ、クランブルなどが「ごちゃまぜ」になっていることにその名の由来のある「ミッシュマッシュ」もバリエーションゆたかなオリジナルの焼き菓子だ。

お菓子の中で一番人気は「お花のクッキー」。こんがりと濃い焼き色に、香ばしく硬めに焼かれたバタークッキーで、きび砂糖とバターに含まれる塩のミネラルが呼応するのか、旨味があって後味もいい。

質問するとスタッフがていねいに説明してくれる(筆者撮影)
質問するとスタッフがていねいに説明してくれる(筆者撮影)

凜さんのパートナー、「ぱんさん」こと大平勇介さんは、ホテルのベーカリーに勤めた後、「VIRON」「みんなのぱんや」「セントル ザ・ベーカリー」などの一流店に9年、「ブレッドワークス」や「ザ スタンダード ベイカーズ トウキョウ」などの新店の立ち上げにも携わった。そのため、フレンチスタイルのハード系のパンからニッポンの菓子・惣菜系のパン、食パンまで、引き出しをたくさん持っている。今までパンを焼いてきた店とは、環境や規模がまったく異なる現在の小さな工房でも、難なく本格フランスパンを焼いてしまう、職人歴14年のベテランだ。

「フランスパン」は国産小麦と、ライ麦から起こして継ぎ続けている酵母で、2日かけてつくられる。いわゆる「バゲット」と呼ばれるものより小さいサイズだが、その味わい深さに驚く。

左からフランスパン、スコーン、ぶどうパン、まるパン、あんバターサンド、キッシュ(筆者撮影)
左からフランスパン、スコーン、ぶどうパン、まるパン、あんバターサンド、キッシュ(筆者撮影)

定番の「武蔵野あんぱん」や、たまに登場する「あんバターサンド」は口どけのよい食感もさることながら、使われているこしあんがおいしい。地元武蔵野市に古くからある平澤製餡所のもので、凜さんの実家でも代々使われてきた。お祖母さんの命日にはお母さんがこれで饅頭をつくる。「おばあちゃんはつくるのが好きな人で、クッキーやケーキやプリン、それからパンでもなんでもつくってくれました。小さな手のひらに乗せてくれるおやつが、子供心にときめく大きさだったんです。おばあちゃんのお菓子が大好きでした」それが凜さんがお菓子を焼くきっかけとなっているし、この店全体を包む温かな雰囲気と、商品のサイズ感となって表れている。

子供に向けたようなやさしさを感じる店名、住宅の一室の小さな工房のコンベクションオーブンで生まれるパンやお菓子。でもそこに、筋金入りのプロの職人の味を感じる地元の人たちは、少なくないだろう。

竹内凜さんと大平勇介さん(筆者撮影)
竹内凜さんと大平勇介さん(筆者撮影)

2020年、新型コロナウィルス感染症の拡大に伴い、緊急事態宣言が発令されて、勤め先が休業してしまったため、職を失った凜さんは、家の工房でお菓子を焼いて、駐車スペースで販売した。その数年前から吉祥寺の手作りマルシェや朝市に出品するために、実家の一室を工房に造り替え、菓子製造業の許可を取っていたことは幸運だった。コロナ禍で家にいた兄弟はみんなでそれを応援してくれた。なんと彼女は、7人兄弟の長女なのだった。それはすなわち「お母さんは7人分のママ友ネットワークを持っているんです!」ということだった。工房前の駐車場でのお菓子の販売は、手作りマルシェに参加した時と同じような勢いと情熱で臨んだ。それは自分のためであり、地域の人のためであり、家族参加型の楽しいものだったに違いない。彼女の焼き菓子は、コロナ禍で暗い気持ちになっていた地元の人たちを、どれだけ元気づけたことだろう。

左から季節のあんパン、おうち食パン、フランスパン、日替わりスコーン、ジンジャーマンクッキー(筆者撮影)
左から季節のあんパン、おうち食パン、フランスパン、日替わりスコーン、ジンジャーマンクッキー(筆者撮影)

訪れた人たちの中に、井の頭公園にほど近い場所に東京都のチャレンジショップ「創の実」があることを教えてくれた人がいた。「誰かに背中を押されているように、たまたまということがかさなった」と当時を振り返って彼女は言う。「創の実」の審査が通り、凜さんは小さなスペースを借り、店の運営を経験する。半年ずつ、トータルで1年の契約期間を終えた2021年の12月、凜さんは勇介さんと結婚し、実家の工房前のキッチンカーで「お菓子のいえとパン屋のぱんさん」を開業した。店舗を構えることはできない場所だったが、可動式のキッチンカーなら可能だった。

2022年のはじめには、「おかしの畑」もスタートした。埼玉県深谷市で農業を営む同級生の畑を借りて、店で使う無農薬の野菜を育てるのだ。じゃがいもはタルティーヌに、にんじんはキャロットケーキに、ほうれん草はキッシュに、にんにくはガーリックトーストに、ほかにもイタリアンパセリ、かぼちゃ、ルッコラ、玉ねぎなどを作って、たまに販売もしている。畑の野菜を使って、料理人のスタッフがつくるスープも人気だ。「素材の味を食べてもらうことが鉄則。レシピはほとんどなくて、みんなで味見をしながらつくっています」。

お花のクッキーとフランスパン(筆者撮影)
お花のクッキーとフランスパン(筆者撮影)

この12月で「おかしのいえとパン屋のぱんさん」は1周年を迎えた。

勇介さんと凜さんには夢がある。それは地元吉祥寺で、朝食からバータイムまで一日中楽しめるカフェを併設した店を持つこと。人気のある街で、物件探しは簡単ではないが、そう遠い未来のことではないような気がする。

「いらっしゃいませ、というと他人行儀な感じがするから、おはようございます、とか、こんにちは、と挨拶したいと思っています。そして、ただいま、と帰って来られる場所を作りたい」。凜さんは言う。帰りに、「また遊びに来てくださいね」と見送ってくれることもある。レシートにも書いてあった。「また遊びに来てね◎」。

小さいが、暮らしに即した個人店が点在する西荻窪、吉祥寺の界隈にまた一つ、魅力的な個人店が誕生した。

おかしの畑の野菜も販売。クリスマスにはスペシャルなビーフシチューのテイクアウトも(筆者撮影)
おかしの畑の野菜も販売。クリスマスにはスペシャルなビーフシチューのテイクアウトも(筆者撮影)

ブレッドジャーナリスト

東京出身。2001年より総合情報サイトAll Aboutでガイドを務めることにより、パンに特化した取材執筆活動を開始。注目のベーカリーとつくり手についてWeb、TV、ラジオ、新聞、雑誌等メディアで発信、紹介する一方で、消費者動向やトレンド情報を業界に提供、ベーカリーと消費者の相互理解を深める活動をしている。取材執筆、企画監修、講師、各種コンテスト審査員、コンサルティングなども行う。主な著書『BAKERS おいしいパンの向こう側』(実業之日本社)『日々のパン手帖 パンを愉しむsomething good』(メディアファクトリー)『おいしいパン屋さんのつくりかた』(ソフトバンククリエイティブ)他

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