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『長谷部誠に蘇った自信。レヴァークーゼン戦快勝の夜』

島崎英純スポーツライター
(写真:アフロ)

 記者の立場から、彼のプロサッカー人生の軌跡を見てきた。18歳だった少年はすでに三十路を超え、今はドイツ連邦共和国ヘッセン州に属するフランクフルト・アム・マインという街に居る。

 この街で暮らす彼を、この街のクラブで闘う彼の実像を知りたいと思った。長谷部誠の等身大の姿を、この眼で見て、この耳で聞いて、この肌で感じたいと思った。その熱に、匂いに、鼓動に、触れたいと思った。

 それが、この物語を綴ろうと思った、純粋な動機だった。

 2019年10月18日、金曜日。昼間に降っていた雨はすでに止み、フランクフルト中央駅の背中越しに眩い太陽の光が射し込んでいる。

 日本で開催されているラグビーワールドカップ、ドイツではほとんど話題になっていない。ドイツラグビー協会の設立は1900年と古く、もちろん代表チームもある。ちなみにドイツ代表の現在の世界ランキングは28位で、ワールドカップへの出場歴はない。

 でも、僕は当然ワールドカップのラグビーの試合を観ている。ボールゲームは大好きだし、関東大学ラグビー対抗戦の早稲田大学vs明治大学、いわゆる『早明戦』を旧・国立霞ヶ丘競技場で観たこともある。日本代表“ブレイブ・ブロッサムズ”の躍進は、黎明期からこの競技に心血を注いできた人々、そしてそれを支えたファンのことを思うと感慨深く、心に染み入る。ドイツではワールドカップを民放テレビ局が毎試合フル中継しているので、フランクフルト市内にラグビーの“熱“はないが、少なくとも、僕の自宅は熱狂の渦に包まれている。

 この街の熱狂の源、ドイツ・ブンデスリーガのゲームが金曜の夜にある。これは“週末好き”のドイツ人にとって至福の時だ。小さな女の子が満面の笑みを浮かべて手を引く父親の顔を見上げている。夕方の市内中心部はユニホーム姿の集団で溢れかえり、500ミリリットルのビール瓶を手に歓声を上げている。ドイツ国内では公共交通機関にビール瓶を持ち込む者が多数いるが、誰もそれを咎めない。瓶は下手をすると凶器にもなりかねないが、こちらのサポーターはほとんど乱暴狼藉を働かない。もし問題を起こして瓶の持ち込みが禁止にでもなったら、その人物は数多のサッカーファンから生涯糾弾されてしまうだろう。この国の人々は暗黙の了解で、自由を得るために秩序的な行動を心がけ、自警の念でコミュニティの治安を維持している。ちなみにスタジアム内はもちろん瓶の持ち込みは禁止で、場内で売られているビールはベッヒャーと呼ばれるプレスティック製のカップで提供されている。

(写真:島崎英純)
(写真:島崎英純)

 今日の『コメルツバンク・アレーナ』は綺麗だった。澄んだ空に夕陽が浮かび、青と橙のコントラストが幻想的な色を織り成している。スタジアム併設のファンショップは長蛇の列で入場制限がされている。レプリカユニフォームは約80ユーロ。背番号付きにしたら100ユーロを優に超えるが、皆、こぞって購入している。日本とドイツのサッカーファン、サポーターは観戦傾向が似ているように思う。ゴール裏の“ウルトラ”は独自に制作したTシャツを着ているが、大半の方々は応援するチームのユニホームを着ていて、“ウルトラ”の掛け声に合わせてチャントやコールを送っている。言語の違いこそあれ、そのコールはJリーグでよく聞くフレーズだったりもする。

 ドイツの“ウルトラ”は発煙筒を焚いたり、ときに激しい野次や叱責の声を飛ばしたりもするが、こちらもまたドイツ人らしく秩序的だ。しかし、彼らはその信念に従ってクラブ、チーム、選手などに対して果敢に自らの立場や思想を主張することがある。

 スタジアムの外壁に奇妙なポスターが貼られていた。ある人物の顔に斜線が引かれていて、その上下には『Persona non grata』と書かれている。ラテン語で『好ましからざる人物』の意。アイントラハトのウルトラがこの人物、元ドイツ代表MFアンドレアス・メラーに対して浴びせる言葉だ。

 メラーは10月にアイントラハトのアカデミー組織であるジュニアパフォーマンスセンター長の職に就いたが、これにサポーターが反発している。フランクフルト出身で、現役時代に3度もアイントラハトに在籍した元選手が何故、これほどまでにサポーターから拒否反応を示されているのか。それはメラーが現役引退後に自身のキャリアで最も輝いたボルシア・ドルトムントへの愛着を示し、「自分がボルシア人であることは明らかだ。私はアイントラハトとは関係がなく、フランクフルトとは何の関係もない」と述べたことが発端となっている(参考[ドイツ語]:https://www.ruhrnachrichten.de/bvb/moeller-ueber-sge-bvb-und-ganz-besondere-momente-28540.html)。

 サポーターはメラーの言葉を反芻するかの如く、ゴール裏に『我々はアンディ・メラーとは関係がなく、裏切り者とは何の関係もない』という横断幕を掲げた。サポーターはクラブへの忠誠心に溢れる者にはありったけの愛情を注ぐが、後ろ足で故郷に砂をかけるような者ははっきりと拒絶する。それがこの街のサポーターの矜持なのだろう。

 ブンデスリーガ第8節、アイントラハト・フランクフルトvsバイヤー・レヴァークーゼン。アイントラハトは7試合を終えて勝ち点11で9位、レヴァークーゼンは勝ち点14で7位。だが、今季のブンデスリーガは混戦で、首位のボルシア・メンヘングラードバッハとアイントラハトの勝ち点差はわずかに5だ。アイントラハトがこの試合に勝てば、得失点差次第でレヴァークーゼンとの順位が入れ替わる。重要な『6ポイントゲーム』だった。

 国際Aマッチウィークからの中断明け。だが、アイントラハトは目下リーガ3試合連続ゴール中のFWアンドレ・シウバが足のケガで欠場。また日本代表に招集されてモンゴル代表戦で代表初ゴール、そしてタジキスタン代表とのアウェー戦にも出場したMF鎌田大地は温存の形でベンチスタートとなった。

 一方、第7節のユニオン・ベルリン戦で脳震盪に見舞われた長谷部誠はリーガ開幕以来8戦連続のスタメン、そして4試合連続でキャプテンマークを巻いた。入場時、『トン』とステップを踏みながらピッチへ入り、エスコートキッズに正面とバックに手を振るよう促す所作もいつもと同じだ。肩の負傷で長期欠場を強いられたGKケヴィン・トラップに代わってゴールマウスを守るフレデリク・レノウと肩を抱き合って戦意を高めると、両脇のマルティン・ヒンターエッガーとアルマミ・トゥーレを従えて試合開始のホイッスルを聞いた。

 アイントラハトは気迫に満ち溢れていた。“左の槍”フィリップ・コスティッチがドイツの新星MFカイ・ハベルツのチャージを吹き飛ばし、サイドバックのミッチェル・ヴァイザーをぶっちぎる。最前線で構えるバス・ドストとゴンサロ・パシエンシアの2トップがゴール前に飛び込むも得点はならず。しかし、このラッシュだけで、スタジアムの鼓動が一気に早まった。

 4分、“右の槍”ダニー・ダ・コスタが縦に切り裂き高速低弾道アーリークロスを送ると、パシエンシアがスヴェン・ベンダーとアレクサンダー・ドラゴヴィッチの追撃を振り切り、GKルーカス・フラデツキーの股を通してゴールゲットした。

 大歓声が場内にこだましている。パシエンシアが胸に拳を当てている。チームメイトが群がり、歓喜の輪が広がる。最後尾に居た長谷部がいつものようにゆっくりと歩み寄り、パシエンシアと軽く手を合わせた。

 脳震盪から1週間後に出場した前節ヴェルダー・ブレーメン戦の長谷部は動きが鈍く、試合終了直前に相手を倒してPKを献上し、ドローの結果を甘んじて受け入れるしかなかった。しかし、約2週間のインターバルを経た彼はリフレッシュされていた。相手FWのルーカス・アラリオを抜群の読みで手玉に取る。ラインコントロールは良い意味で強引だ。味方ストッパーよりも前へ走って『ここまで来い!』と手を振る。味方コーナーキックのときのポジショニングも個性的だ。相手FWが2人残ってカウンターを狙うと、長谷部はストッパーふたりにマークを任せて自らは前方に位置取る。その研ぎ澄まされた読みで、相手のあらゆる攻撃手段を寸断しようと敵陣中央に立つのだ。

 電光石火。15分、パシエンシアのシュートをドラゴヴィッチが手で弾いてPKを得る。パシエンシアがゴール右へ蹴り込みドッペルパック。ホームチームの猛襲にレヴァークーゼンの面々が震え上がっている。アイントラハトはトゥーレが負傷して急遽ダビド・アブラームが入るが、長谷部以下、バックラインの結束は乱れない。レヴァークーゼンのペーター・ボス監督はコスティッチに凌駕され続けたヴァイザーを前半途中で下げ、カリム・ベララビをピッチを送り出す。この指揮官の采配だけでも、アウェーチームにアラート信号が発せられているのが分かる。

 ビハインドを負ったレヴァークーゼンが後半に牙を剥く。しかし、それでも長谷部は動じない。

 相手が左脇を抜けようとしている。慎重に身体を寄せてサイドエリアへ追いやる。身体の向きを一定に保ち、相手の侵入を限定させたうえで足を伸ばす。ボールがサイドラインを割った瞬間、スタジアムに万雷の拍手が降り注いだ。

 辛抱の先に成果がある。80分、ドストがコスティッチとのワンツーからゴール前へ突進。相手DFと競り合って倒れ込みながらシュートを打つと、ボールは緩やかに前方へ転がってゴールに収まった。3-0でアイントラハトが完勝し、サポーターが高らかにクラブマフラーを頭上へ掲げた。

 試合が終了してミックスゾーンで待機していると、出場機会のなかった鎌田が柔和な表情を浮かべて通り過ぎていく。

「今日は(取材)、いいですよね(笑)」

 鎌田に遅れること数十秒後、誰かにユニホームをプレゼントしたのか、長谷部がGPSや加速度センサーなどを内蔵する装具のみをまとった姿で引き上げてきた。

「ちょっと、上着を着るので」

 そう言って一旦ロッカールームへ引き上げた彼はすぐさまインタビューゾーンへ戻り、2本のテレビ取材を受けた後に日本人記者が待機する囲み取材の場へ歩いていった。

 10分弱が経っても戻ってこない。気になって様子をうかがうと、彼は日本人記者との話を終え、今は多数のドイツ人記者に囲まれて、微笑みながら質問に答えていた。時折ドイツ人記者たちから笑い声が起こる。この国のメディアが、アイントラハトのキャプテンの言葉を聞きたがっている。

 金曜のナイトゲーム。時刻は23時を指していた。スタジアムの地下にあるミックスゾーンを出て地上に上がると、快勝に酔いしれた多くのサポーターが勝利の美酒に酔っていた。

 彼らの宴はこれから始まる。夜空に浮かぶ月夜が、その舞台を明るく照らしていた。

Im Frankfurt-第4回(了)

(写真:島崎英純)
(写真:島崎英純)
スポーツライター

1970年生まれ。東京都出身。2001年7月から2006年7月までサッカー専門誌『週刊サッカーダイジェスト』編集部に勤務し、5年間、浦和レッズ担当記者を務めた。2006年8月よりフリーライターとして活動し、2018年3月からドイツ・フランクフルトに住居を構えてヨーロッパ・サッカーシーンの取材活動を行っている。また浦和レッズOBの福田正博氏とともにウェブマガジン『浦研プラス』(http://www.targma.jp/urakenplus/)を配信。浦和レッズ関連の情報やチーム分析、動画、選手コラムなどの原稿も日々更新中。

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