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『コバチ監督解任の引き金になったバイエルン戦で、長谷部誠に募った危機感』

島崎英純スポーツライター
(写真:アフロ)

 2019年11月2日、試合前のコメルツバンク・アレーナはそれほど熱気が感じられなかった。アイントラハト・フランクフルトの対戦相手は“盟主”バイエルン・ミュンヘンで、もちろんチケットはソールドアウト。万人に認知されるバイエルンは当然注目度が高いが、この日のアイントラハトはDFBポカール(ドイツカップ戦)2回戦のザンクトパウリ戦から中2日の過密日程で、疲労を抱えたまま戦うチームを憂いた地元サポーターの大半は苦戦を予想し、少しだけ気後れしているようだった。

 朝から降り続いていた雨は止んでいたが、スタジアムのコンコース内は雨水で濡れていた。横なぐりの雨が吹き込んだのだろう。フランクフルトは深々と小雨が降ることが多いから、突風のような豪雨は珍しい。それでも客足は絶えない。午後3時を過ぎて分厚い雲の隙間から太陽の光も差し込んできた。アイントラハトが土曜日にホームゲームを開催するのは今季初めてのことだった。UEFAヨーロッパリーグ(EL)がミッドウィークに開催され、週末のブンデスリーガはEL開催の影響で金曜日や日曜日に実施されていたから、ホームサポーターにとっては久しぶりの“サタデーナイト”だ。チームのコンディションは心配だが、それでも“お祭り”は楽しみたい。期待と不安が交錯する中で、今節のスターティングメンバーが発表されようとしていた。

(写真:島崎英純)
(写真:島崎英純)

 試合開始1時間前、メディア向けにスターティングメンバーリストが配られる。アイントラハトの先発には長谷部誠も鎌田大地も入っていなかった。

 2人は3日前のザンクトパウリ戦でスタメンフル出場していたし、長谷部に至っては8月中旬のEL予選3回戦のFCファドゥーツ戦をターンオーバーで、そして10月初旬のELグループステージ・ギマランエス戦を脳震盪の影響で欠場した以外は公式戦18試合全てでフル出場していて、チーム内で最も出場時間が長かった。また、アイントラハトはバイエルン戦から中4日でELグループステージ突破の行方を占うアウェーのリエージュ(フランス)戦が控えている。アディ・ヒュッター監督はこれまでも様々な選手を入れ替えて過密日程を乗り越えようとしてきたから、バイエルン戦で長谷部をベンチに控えさせたのは今後を見据えた采配だとも評価できる。実際、長谷部は昨季の12月中旬にフル稼働が祟って肉離れを負い3試合の欠場を余儀なくされた前例もあり、この時期に一旦小休止するのは得策だとも思えた。

 かたやバイエルンはリーガ9試合を終えて5勝3分1敗の勝ち点18。この数字は他チームならば好調と捉えられるが、このクラブの置かれた境遇では停滞とみなされる。順位もボルシア・メンヘングランドバッハとボルシア・ドルトムントに次ぐ3位で、指揮官のニコ・コバチ監督は早くも針のむしろに立たされていた。

 コバチ監督は2シーズン前に指揮を執っていたアイントラハトでDFBポカール制覇を成し遂げたが、その時の決勝の相手はバイエルンだった。すでにバイエルンの指揮官に就任することが明らかにされていたコバチ監督は、その勲章を携えて勇躍ドイツナンバーワンのクラブを率いることになった。しかし就任初年度の昨季はチーム成績に浮き沈みがあって、UEFAチャンピオンズリーグではベスト16敗退。それでもリーガでは7連覇、そしてDFBポカールでは3年ぶりの優勝を果たして国内2冠を達成し、世間の評価を高めたかに見えた。しかし今季はMFフェリペ・コウチーニョ(←バルセロナ/スペイン※レンタル)、MFDFベンジャミン・パバール(←シュトゥットガルト)、DFリュカ・エルナンデス(アトレティコ・マドリー/スペイン)、イヴァン・ペリシッチ(インテル/イタリア)などの実力者を獲得して戦力補強したにもかかわらず、ゲーム内容が向上せず、再びコバチ監督の手腕が疑問視されつつあった。

 おそらくコバチ監督の懸念は続出するDF陣の負傷者をどう穴埋めするかにあったはずだ。アイントラハトとのゲームでは本来左サイドバックのダビド・アラバとベテランのジェローム・ボアテングにセンターバックを任せたが、この指揮官の選択が悲劇的な結果を招くこととなる。

 試合開始から僅か8分、バイエルンの攻撃を防いだDFマルティン・ヒンターエッガーが前線のFWバス・ドストに縦パスを通すと、ドストが間髪入れずに2トップの相棒、ゴンサロ・パシエンシアへボールを流す。ドストのパスに反応したボアテングが足を伸ばすがボールに届かない。視界が開けたパシエンシアがバイエルンゴールへ突進する。必死に戻ったボアテングがペナルティエリアライン付近で追いついて構えると、パシエンシアが俊敏なクイックタッチで前へ出た。ボアテングが思わず右足を出した刹那、パシエンシアが転倒し、主審はペナルティスポットを指差してボアテングにイエローカードを提示した。

 ここでVAR(ビデオ・アシスタント・レフェリー)が発動する。スタジアム内はVARの対象が何かは分からない。主審がインカムで連絡を取り合い、『オン・フィールド・レビュー』(主審自らがピッチ脇のモニターで映像を確認することの意)を選択する。画面を凝視した主審が判断を下した。ボアテングに示されたのはレッドカード。そしてファウルはPKではなく、ペナルティエリア外からの直接FKに変更された。

 この判定の焦点はボアテングがペナルティエリアの内側でファウルを犯したか否か。これには2016−2017シーズンから改定された競技規則第12条の『三重罰』の対象と関わってくる。三重罰とは『ペナルティーエリア内において、“決定的な得点機会の阻止”をした競技者は退場処分となり、かつ相手チームにPKが与えられ、反則した競技者は次節以降の出場停止が科せられる』というもの。この罰則が厳しいとの判断から、反則競技者に対しては退場ではなく警告処分を科すものにルールが改正された(例外もあるが、本稿では詳細を割愛する)。それでもファウルを受けた側はPKを得られ、反則を犯したチームはそれなりの報いを受けることになる。

 しかし、もしもボアテングがペナルティエリアの外でパシエンシアを倒したとすれば、『三重罰の軽減』は適用されず、ボアテングは“決定的な得点機会の阻止”を犯したとして退場処分となる。主審は『オン・フィールド・レビュー』でファウルが起きた位置を見極めたうえで、ボアテングに対して判定を覆したのだ。

 バイエルンにしてみれば、たとえPKを献上して先制を許しても、まだまだ逆転できる時間は十分にあった。しかし82分を残す中で10人での戦いを強いられるとなると、その深刻さは増す。結果的にボアテングが犯したファウルがペナルティエリアの外側だったことはバイエルンにとって大きな痛手になった。

 劣勢を覚悟していたのに、突如訪れた勝機にアイントラハトサポーターが歓喜の声を上げる。25分、ダニー・ダ・コスタのクロスに反応したジブリル・ソウのシュートが相手DFのアラバに当たってファーサイドへ流れる。誰よりも速くボールにアプローチしたフィリップ・コスティッチが利き足の左足で慎重に面を合わせて放ったシュートがニアサイドのポストに当たってゴールへ入った。沸騰するスタンドに轟音が鳴り響く。記者席の隣に座っていたバイエルンのスカウティングスタッフが小さな声で「Oh my God」と呟いた。

 33分、ドスト、パシエンシア、セバスティアン・ローデが流麗なワンタッチパスでバイエルン守備陣を翻弄し、コスティッチの左クロスをファーで受けたソウがボレーを叩き込んで2点目を奪取する。呆然とするバイエルンイレブンが肩で息をしている。コメルツバンク・アレーナの天井に吊るされた大型ビジョンには、コバチ監督が悲壮な表情でコーチングスタッフと話し合っている姿が映し出されていた。

 37分、バイエルンのエースFWロベルト・レヴァンドフスキがDF2人を置き去りにするスーパーシュートを決めて1点差に迫るも、アイントラハトのパワーは増幅されたまま。後半開始直後の49分にダ・コスタの右クロスをDFのダビド・アブラームがファーで合わせて3点目をゲットすると、バイエルンの面々は諦念したかのように下を向いた。61分、コスティッチの右CKを受けてニアへ飛び込んだヒンターエッガーがヘディングシュートを打ち込み4点目。コバチ監督はもはやベンチに座ったまま出てこない。85分、ダビド・シウバのお膳立てからパシエンシアが駄目押しの5点目を決めると、ホームサポーターは大音量で勝利の歌を奏でた。

 試合終了直後、アウェーサポーターの下へ歩み寄ったアラバが真剣に彼らと向き合っている。トーマス・ミュラーも、その場に加わっていたかもしれない。ドイツの“盟主”にアラートサインが灯っている。不沈艦だったはずの彼らが、深い闇の淵に堕ちようとしている。翌日、バイエルンのクラブフロントはコバチ監督との話し合いの末に指揮官交代を決断した。

(写真:島崎英純)
(写真:島崎英純)

 ベンチに待機したまま不出場に終わった長谷部が、途中出場して役目を果たした鎌田と談笑しながら引き上げてきた、通常ならば試合に出場しなかった選手は取材対応の義務がないが、長谷部は当然のようにミックスゾーンへと進み、日本人記者が待ち構える場へと歩を進めた。

「今日は監督と僕のフィーリングの中で話をして、(ベンチスタートが)決まりました。チームドクターから僕のフィジカルの数値が監督へ伝達されていましたしね。相手が早い時間に退場して優位な形になったとはいえ、それでもバイエルンの怖さはもちろん感じました。その中で5-1という結果は素晴らしい結果だったと思います」

 バイエルン戦から中4日でアウェーのリエージュ戦、続けて中2日でアウェーのブンデスリーガ第11節・フライブルク戦がある。

「今季はホームで良い形で結果を出しているんですけども、アウェーでなかなか勝ててない、結果が出てないので、この2試合、リエージュ、そしてフライブルクとの試合は、アウェーでしっかりと勝ち点を取りたいなと思います。そこを取ることで、また上に行けると思うので」

 淡々と自らの立場を説明し、試合を振り返り、直近の未来を見据えた。しかし、彼の態度と言動を額面通りに受け取ってはならない。

 長谷部が負けず嫌いなことを知っている。浦和レッズでプロになった最初のシーズン、サテライトリーグ(セカンドチーム)の試合に出場できずにベンチ脇で涙した彼の姿を忘れない。

 彼はバイエルン戦のミックスゾーンでこうも言っていた。

「バイエルン戦……、もちろん出たかったですよ」

 “盟主“を相手に躍動するチームメイトをベンチから見つめた彼は、たった1試合でチーム内の境遇が激変するかもしれないことを理解している。少しでも気を抜けば、若くて将来のある者に光が注ぎ、35歳の選手は淘汰される。

「またね、ここから競争が始まる思いで。そう思ってますよ、今は」

 快勝の裏で、長谷部誠が、静かに反骨の炎を燃やしていた。

Im Frankfurt-第6回(了)

スポーツライター

1970年生まれ。東京都出身。2001年7月から2006年7月までサッカー専門誌『週刊サッカーダイジェスト』編集部に勤務し、5年間、浦和レッズ担当記者を務めた。2006年8月よりフリーライターとして活動し、2018年3月からドイツ・フランクフルトに住居を構えてヨーロッパ・サッカーシーンの取材活動を行っている。また浦和レッズOBの福田正博氏とともにウェブマガジン『浦研プラス』(http://www.targma.jp/urakenplus/)を配信。浦和レッズ関連の情報やチーム分析、動画、選手コラムなどの原稿も日々更新中。

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