Yahoo!ニュース

Im Frankfurt-『長谷部誠の情熱、呉越同舟の街』

島崎英純スポーツライター
(写真:アフロ)

 記者の立場から、彼のプロサッカー人生の軌跡を見てきた。18歳だった少年はすでに三十路を超え、今はドイツ連邦共和国ヘッセン州に属するフランクフルト・アム・マインという街に居る。

 この街で暮らす彼を、この街のクラブで闘う彼の実像を知りたいと思った。長谷部誠の等身大の姿を、この眼で見て、この耳で聞いて、この肌で感じたいと思った。その熱に、匂いに、鼓動に、触れたいと思った。

 それが、この物語を綴ろうと思った、純粋な動機だった。

強豪との一戦

 2019年9月22日、日曜日。晴天のフランクフルトが華やいでいた。

 自宅を出てトラム(路面電車)の停留所へ向かうと、黄と黒のレプリカユニホームを着た一団が前を歩いている。週末のドイツ各地ではブンデスリーガのゲームが開催されていて、この街でもアイントラハト・フランクフルト(以下、アイントラハト)のホームゲームがある日は街中にサッカーファンが溢れかえる。ただ、その大半はホームチームのサポーターたちで、遠方からわざわざやってくるアウェーサポーターの姿は少ないのが常だ。それなのに今日は、中心部から少し離れた道で、対戦相手であるボルシア・ドルトムントのサポーターが闊歩していた。

 近年はバイエルン・ミュンヘンの後塵を拝するドルトムント(BVB)だが、その人気は国内屈指。ホームスタジアムであるジグナル・イドゥナ・パルクの収容人数は81,359人で、過去5年間の平均観客動員数は80,230人。実に98.6%に及ぶ集客率はイングランド、スペイン、イタリア、フランスの五大リーグを含めた42カ国・51リーグに属するクラブの中でナンバーワンの数字だ。アイントラハトも平均入場者数47,942人で同20位と立派な集客率を記録しているが、やはりBVBの勢いには敵わない。

 トラムがフランクフルト中央駅へ止まると、両サポーターが大挙して乗り込んでくる。いつもは威勢の良いアイントラハト・サポーターが“敵”の勢いに気圧されているように見える。

『今日は分が悪いかな』

 車内の座席にありつけた僕は、甲高い声で笑い転げる黄色のユニホームを着たおばさんたちに取り囲まれて身体を縮こませていた。

 スタジアム最寄りの駅を降りると、民族衣装をまとった人々がいた。なんだか千鳥足で歩いている。遠くで楽しげな音楽が流れているのが聞こえて膝を打った。スタジアム脇の敷地でオクトーバーフェストが開かれているのだ。本来オクトーバーフェストはバイエルン州の州都ミュンヘンの世界的お祭りだが、最近ではドイツ各地でも同じような催し物が行われている。フランクフルトもご多分に漏れず、広大な敷地を有するアイントラハトのホーム『コメルツバンク・アレーナ』周辺などは絶好の開催場所でもある。

 ビール好きの我が身からすると、とても心が惹かれる。そもそもドイツのサッカー観戦ではソーセージとビールがスタジアムグルメの定番で、酒盛りしているサポーターを見ると『毎試合、オクトーバーフェストみたいなものだよな』なんて思っていた。今日は、まさにブンデスリーガとオクトーバーフェストが呉越同舟する日で、勝手に気分が高揚してきた。まあ、僕の目的は試合取材だから、ビールは試合が終わるまで飲めないのだが……。

(写真:島崎英純)
(写真:島崎英純)

アイントラハトの長谷部

 最近のアイントラハトは公式戦で連敗していた。3日前のUEFAヨーロッパリーグ・グループステージ・アーセナル(イングランド)戦は0-3。アイントラハトはホームでアーセナルを追い込んで24本ものシュートを打ち込んだがゴールを奪えず、逆に味方が退場処分を科せられた影響もあって相手にアウェーゴールを献上して敗れた。

 惜しむらくはアーセナル戦の5日前に戦ったブンデスリーガ前節のアウェー・アウクスブルク戦だ。前半からアイントラハトを迎え撃つ形でカウンターを狙うアウクスブルクの戦略に嵌って前半だけで2失点し、後半の追い上げも虚しく1-2で敗れた。長谷部は「前半と後半では、まったく別のチームだった」と窮状を嘆いたが、確かに最近のアイントラハトは1試合90分間の中でプレーレベルが安定しない。ただ、長谷部はアウクスブルク戦後に「次の連戦が重要になる」とも語っていた。それがアーセナル戦、そして今回のドルトムント戦だった。

 『コメルツバンク・アレーナ』の記者席はメインスタンド最上段中央にあって、地上から幾つもの階段を上って辿り着かねばならない。運動不足が祟っている僕は、いつも肩で息をしながら最上部まで歩を進める。階段から一旦コンコース側へ回り、関係者用通路から扉を開けて中へ入ると、濃紺の座席と新緑のピッチのコントラストが映える場内の景色が飛び込んでくる。

 スターティングリストが配られた。アイントラハトはアーセナル戦から中2日の厳しいスケジュールで、ターンオーバーが必須だった。鎌田大地がベンチに回ったのはその一端だったし、ダニー・ダ・コスタもスタメンから外れ、セバスティアン・ローデはチームに帯同すらしていなかった。

 アイントラハトのキャプテンはダビド・アブラームだが、今試合のアブラームはベンチ。この場合、昨季まではジェルソン・フェルナンデスがキャプテンマークを受け継ぎ、そのフェルナンデスも先発しなかったときに限って、長谷部がその任に就いていた。しかし今回はフェルナンデスが先発したにもかかわらず、ウォーミングアップでは長谷部がチームメイトを引き連れて登場した。選手紹介では背番号20のコールとともに、『Kapitan(カピテーン=キャプテン),Makoto』とアナウンスされ、サポーターが『Hasebe!』と返して呼応した。

 長谷部自身はキャプテンとしてプレーした方が自らの力を発揮しやすいと言う。チームリーダーを担う責任の重さは闘志となって表れ、その気迫が彼のプレーレベルを引き上げるのだろう。

「自分はよく試合中に感情を露わにするけど、それがバロメーターになっている部分もある。気持ちを込めてプレーすることでモチベーションを高めるというか……」

 長谷部はピッチ上で様々な者と関与する。味方には激しくコーチングの声を飛ばし、手を叩いて叱咤する。キャプテンとして審判とも密接にコミュニケーションを取るが、その態度は非常に感情的だ。執拗な抗議の過程で熱くなりすぎてイエローカードを掲げられることがままあるのはその一端。そして相手選手に対しては、これでもかとばかりに生来の気性を剥き出しにする。今回もアクラム・ハキミが軽微な接触で倒れると『立てよ、この野郎!』とばかりに食って掛かったが、この所作こそ彼の真骨頂でもある。個人的には大人しい長谷部などまったく魅力がないと思っているから、元気溌剌な彼のアクションを見ると心が躍ってしまう。

 日本代表でキャプテンマークを巻いていたときの長谷部は冷静に振る舞っているように見えた。どこか達観したような目線で、自らの影響力を考慮したうえで最善の選択策を模索しているような気がしていた。だが、それは長谷部誠という人物の本質を示してはいない。むしろアイントラハトの長谷部の方が、彼の本性を正確に表しているように思う。

 試合は試合終了間際に途中出場の鎌田がトーマス・ディレイニーのオウンゴールを誘発して2-2のドロー。アイントラハトは勝利こそ逃したものの、アウクスブルク戦、アーセナル戦と続いていた連敗をここで止めた。

 試合が終わった直後の長谷部は大抵平静さを取り戻している。サポーターへの挨拶を終え、ピッチからトンネルをくぐってその先にあるミックスゾーンに現れる頃には、普段の落ち着き払った姿がある。この日は日本のTV局のフラッシュインタビューを2本、ドイツメディアのフラッシュインタビューを1本、そして新聞・雑誌記者向けの囲み取材をこなしたが、どの質問も懇切丁寧に応えていて、その話し方にも淀みがなかった。かつて10代の頃にプロデビューした頃と今とを比較しても、彼の佇まいに変化は微塵も感じられない。

 試合から1時間ほどが経過したトラムに、乗客が立錐の余地もなく詰め込まれていた。ホームとアウェーのサポーターが混在して様々な会話が行き交う中で、トラムの車掌が車内アナウンスを通して優しく語りかけた。

「今日は両チームのサポーター一緒に、朝まで美味しいビールを飲んでくれ」

 一斉に歓声が沸き上がり、トラムがゆっくりと出発する。両サポーターがお互いの健闘を称え合っている。男性も女性も、大人も子どもも、多様な人種を乗せた21時の路面電車に柔和な光が灯り、その穏やかな光景を、僕はとてもドイツらしいと思った。

(了)

スポーツライター

1970年生まれ。東京都出身。2001年7月から2006年7月までサッカー専門誌『週刊サッカーダイジェスト』編集部に勤務し、5年間、浦和レッズ担当記者を務めた。2006年8月よりフリーライターとして活動し、2018年3月からドイツ・フランクフルトに住居を構えてヨーロッパ・サッカーシーンの取材活動を行っている。また浦和レッズOBの福田正博氏とともにウェブマガジン『浦研プラス』(http://www.targma.jp/urakenplus/)を配信。浦和レッズ関連の情報やチーム分析、動画、選手コラムなどの原稿も日々更新中。

島崎英純の最近の記事