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'二度奪われた人生'と'イバラの道'...日韓関係、激動の3月6日の先に待つもの

徐台教ソウル在住ジャーナリスト。『コリア・フォーカス』編集長
強制動員被害者の梁錦徳(ヤン・グムドク、93)さん。2月16日、筆者撮影。

2023年3月6日は、日韓関係の歴史に刻まれる一日となった。韓国政府が日韓の間で懸案事項となっていた徴用工問題の解決案を発表したことをきっかけに、日韓そして米国で一挙に動きがあった。一体この流れはどこに向かうのか。この日の出来事を時系列で整理しながら考えてみた。

●午前9時〜、参議院予算委員会

韓国政府の発表に先駆けること2時間半、この日午前の国会で、以下のようなやり取りがあった。

▼自民党の佐藤正久氏は太平洋戦争中の「徴用」をめぐる問題で、韓国側が「誠意ある措置」を日本側に求めていることに関連し「現時点で『反省とおわび』を総理の口からことばにするのはよくない。歴史認識に関する歴代内閣の立場を全体として引き継ぐことに変わりはないか」と問いました。

岸田総理大臣は「岸田政権としても歴代内閣の立場を全体として引き継いでおり、今後も引き継ぐ考えだ。今、外交当局間で調整が進んでいるので、具体的なことを申し上げるのは適切ではないが、今後とも適切に表現し発信していくのは大事なことではないか」と述べました。

また、林外務大臣は、この問題は解決済みだとする日本政府の立場に変わりがないか問われ、「日韓関係を健全な関係に戻すべく、日本の一貫した立場に基づいて韓国と緊密に意思疎通をしていく考えは変わっていない」と述べました。

一方、半導体の原材料など韓国向けの輸出管理を厳しくしている措置について、岸田総理大臣は「安全保障上の観点から、輸出管理を適切に実施するためのもので『徴用』の問題とは別の議論だ。経済産業省を中心に韓国側に適切な対応を求めていく」と述べました。

出処:「徴用」問題で首相 “歴代内閣の立場 全体として引き継ぐ”(NHK)

ここで強調されているのは、▲新たなお詫びはしない、▲日本の一貫した立場は変えない、▲輸出管理は徴用工問題とは別、という三つの点だ。

午前11時半の韓国外交部の発表を控え、日本政府としては「徴用工問題は1965年の請求権協定で解決済み」という点から一切のブレがない点をふたたび強調した形だ。

※徴用工問題・徴用工判決とは何か?

植民地時代の1937年以降、朝鮮半島が戦争のための兵站基地となる中で、日本政府により朝鮮人が労働力として動員された。

「募集」「官斡旋」「徴用」と段階を踏み日本政府の介入が強まる一方で、徴用工として動員された朝鮮人は過酷な環境で労働を強制された。

当時の未払い賃金の支払いなどは戦後、日韓国交正常化の過程で議題にのぼった。議論の末に日韓当局は植民地支配の不法性を棚上げにしたまま1965年の日韓請求権協定により請求権問題が「完全かつ最終的に解決した」とした。

しかし90年代から徴用工被害者たちは日本企業に対し損害賠償と謝罪を求める裁判を始めた。

途中、日韓請求権協定で個人請求権は消滅していないといった判決や、強制連行・強制労働であったことを認める判決も一部あったものの、全ての裁判で敗訴した。

一方で被害者たちは韓国でも裁判を起こした。管轄権や日本の判決からの影響(既判力)などの論点があったものの、韓国大法院(最高裁)は2018年10月30日の判決における多数意見(法廷意見)として、「日本が国家として関与した反人道的不法行為や植民地支配と直結した不法行為による損害賠償請求権は請求権協定の対象に含まれない」との見解を確定させた。

1965年の日韓請求権協定締結当時、強制動員が不法行為であるとの合意が日韓の間で無かったため、不法行為に対する損害賠償債権が議論されていない、つまりは請求権協定の「枠外」にあったという解釈だ。

これを元に「『植民地支配と直結した不法行為』である強制動員を行った企業の被害者個人に対する責任は日韓請求権協定で消滅していない」との判断を示し、被告の日本企業に賠償を命じたのだった。

22年8月現在、こうした論拠により大法院で勝訴判決が確定した裁判は3件にのぼる。

18年10月30日の新日鉄住金(旧日本製鐵、現日本製鉄)に対し4名が、同年11月に三菱重工業に対し2件10名が勝訴した。また、三菱マテリアルに対し1名が敗訴している。

なお「徴用工問題」とする際には、この18年の判決そのものに加え、判決以降、日韓政府の仲が「戦後最悪」と言われるまで悪くなったことも含める場合がある。

韓国では「強制徴用問題」「強制動員問題」とも呼ばれる。

参考文献:徴用工裁判と日韓請求権協定(現代人文社、2019年)

19年8月15日の「光復節」に合わせ光化門広場に設置された徴用工像。「日本は謝罪せよ」と書いてある。筆者撮影。
19年8月15日の「光復節」に合わせ光化門広場に設置された徴用工像。「日本は謝罪せよ」と書いてある。筆者撮影。

●午前11時半〜韓国外交部の会見

韓国政府の朴振(パク・チン)外交部長官が記者会見を行い『強制徴用大法院判決関連解法』を発表した。解法とは、解決法のことだ。

朴長官は「1965年の韓日国交正常化以来、構築されてきた両国間の緊密な友好協力関係を基に、今後韓日関係を未来志向的により高い次元で発展させる意志を持っている」と切り出した。

そして「政府は強制徴用被害者の方達が、長い期間受けた苦しみと痛みに対し深く共感し、高齢の被害者および遺族の方々の痛みと傷が早くに治癒されるよう最大限努力していく」とした。

朴長官が明かした解決法は、韓国政府傘下の『日帝強制連行被害者支援財団(以下、財団)』が日本の被告企業に代わり、大法院で勝訴が確定した3件の確定判決の原告(14人)に対し賠償金を支払うというもの。

財団の財源は韓国内の民間(企業)の自発的な寄与により賄うとのことで、日本の被告企業(日本製鉄、三菱重工業)の参加には続く質疑応答で「期待する」との言及にとどめた。

朴長官は続いて「日韓両国が1998年10月の『二一世紀の新たな韓日パートナーシップ共同宣言(金大中ー小渕共同宣言)』を発展的に継承し、過去の不幸な歴史を克服し、和解と善隣友好協力に立脚した未来志向的な関係を発展させていくため共に努力することを望む」と語った。

さらに「政府は最近の厳重な韓半島および地域・国際情勢の中で自由民主主義、市場経済、法治、人権という普遍的な価値を共有する最も近い隣人である日本と共に、日韓両国の共同利益と地域および世界の平和繁栄のために努力していけることを望む」とし、会見を終えた。

こうした一連の発言は、尹大統領が3月1日の「3.1独立運動記念式典」の演説で述べた以下の部分と正確にリンクする。昨年2月のロシアによるウクライナ侵攻以降、厳しさを増した国際情勢への対応が、今回の解決法の原動力となっていることが分かる。

3.1運動から一世紀が経った今、日本は過去の軍国主義侵略者から、私たちと普遍的価値を共有し、安全保障と経済、そしてグローバルアジェンダ(課題)で協力する協力パートナーに変わりました。

特に、複合的な危機と深刻な北韓の核脅威など、安保の危機を克服するための韓米日間の協力がいつになく重要になりました。

私たちは普遍的価値を共有する国と連帯して協力し、世界市民の自由の拡大と世界共同の繁栄に寄与しなければなりません。

出処:「日本は侵略者から今やパートナーに」尹大統領が3.1独立運動記念日で'歴史からの教訓'を韓国民に要求

外交部はまた、記者会見に合わせ別途配布した資料を通じ、財団は後続措置として被害者たちの苦痛を記憶し未来の世代へと発展的に継承するための事業を拡大するとした。

興味深いのは、韓国政府みずからが解決法へと下した評価だ。

ここには、▲高まった韓国の国の格と国力に合う大乗的な決断による韓国主導の解決策、▲高齢の被害者への責任感と過去の出来事による国民の痛みを積極的に抱きしめる措置、▲厳重な国際情勢の中で日韓関係をこれ以上放置できず、日韓の葛藤と反目を超え未来に向かう新たな機会、▲大法院判決を尊重し実質的な解決法を提示し過去を記憶する新たな努力、▲終わりでなく真の始まりである、など美辞麗句が並んだ。

6日午前、記者会見する韓国政府の朴振(パク・チン)外交部長官。韓国国営放送KTVをキャプチャ。
6日午前、記者会見する韓国政府の朴振(パク・チン)外交部長官。韓国国営放送KTVをキャプチャ。

●同じ時間、光州の梁錦徳さん

「物乞いして得るようなお金は受け取れない」

韓国政府の会見の様子を光州(クァンジュ)市から見守っていた梁錦徳(ヤン・グムドク、93)さんがこう語る様子を、聯合ニュースは大きく伝えた。

梁さんは小学6年生の時、ふるさとの羅州(ナジュ)市で通っていた小学校の校長先生から日本行きを誘われた。級長であった梁さんは優秀な生徒として「選抜」されたのだった。

「お金も稼げるし、中学校にも通える。故郷に戻りたい場合にはいつでも戻れる」との触れ込みだった。勉強して学校の先生になりたかった梁さんは喜んだ。だが父は「ここでも日本人は朝鮮人を動物扱いするのに、そんな良い話があるはずない。おそらく死ぬほど苦労することになる」と反対した。

梁さんは明くる日、校長先生に「日本には行けない」と伝えたが、返ってきたのは「選抜されたのに日本に行かないなら、両親を警察署に拘束する」との返事だった。

脅迫におびえた梁さんは数日後、留守中の父の印鑑を持ち出し先生に渡し、日本に行くこととなった。

日本に出発したのは1944年5月30日。だが到着した名古屋で待っていたのは過酷な生活だった。勤労挺身隊として三菱重工業名古屋航空機製作所道徳工場に配置され毎日10時間働いた。

満足な道具を与えられないまま素手で飛行機を磨き塗装した。食事は常に足らず、体調が悪く働けない者にはそれすら与えられなかった。

梁さんは敗戦と共に45年10月に韓国(当時は米軍政下)に戻るが、日本での生活は約束した中学校への進学はおろか、給料を一銭も貰えない文字通りの強制労働だった。

祖国に戻ってきた梁さんには新たな問題が降りかかった。日本に「慰安婦」として連れて行かれたと周囲の人から誤解を受け(梁さんはもしそうだとしても労りの言葉をかけるべきだったと自伝に記している)、結婚する際にも、結婚した後にもえも言われぬ苦労をした。生活のため、ついに先生になる夢は諦めた。

このように日本への徴用はひと一人の人生を狂わせ夢を奪っていった。

梁さんは6日、「過ちを犯した者は別におり、謝罪する者も別にいるのに(韓国政府が肩代わりする形で)解決してはいけない」、「それでは謝罪とは呼べない」とも語った。

梁さんは現在生存している強制徴用被害者3人のうち一人。平素から「被告企業の謝罪が賠償金よりも重要」と訴えてきた。

●正午〜、ふたたび岸田首相、林芳正外相

韓国政府の会見を受け、岸田首相がふたたび参院予算委員会で日韓関係に触れた。

岸田首相「日本政府として、この措置を、日韓関係を健全な関係に戻すためのものとして評価いたします。日韓、日米韓の戦略的連携を一層強化していく必要があります。今後とも尹大統領と意思疎通を緊密に図りながら、日韓関係を発展させていきたいと考えています」

出処:岸田首相 韓国側の対応を評価する姿勢「健全な関係に戻すもの」 “元徴用工問題”で(日本テレビ)

また、これに前後し林芳正外相は会見を開き、以下のように述べた。

【林外務大臣】本日、韓国政府は旧朝鮮半島出身労働者問題に関する政府の立場を発表しました。

日本政府は、1965年の国交正常化以来築いてきた日韓の友好協力関係の基盤に基づき日韓関係を発展させていく必要があり、そのためにも旧朝鮮半島出身労働者問題の解決が必要であるとの考えの下、尹錫悦(ユン・ソンニョル)政権の発足以降、韓国政府と緊密に協議をしてきました。

日本政府としては、本日韓国政府により発表された措置を、2018年の大法院判決により非常に厳しい状態にあった日韓関係を健全な関係に戻すためのものとして評価します。

日韓は、国際社会における様々な課題への対応に協力していくべき重要な隣国同士であり、ユン政権の発足以降、日韓間では、首脳間を含め、緊密な意思疎通が行われてきています。

日本政府として、現下の戦略環境に鑑み、安全保障面を含め、日韓・日韓米の戦略的連携を強化していきます。また、自由で開かれたインド太平洋の実現に向け、韓国と連携して取り組みます。

この機会に、日本政府は、1998年10月に発表された「日韓共同宣言」を含め、歴史認識に関する歴代内閣の立場を全体として引き継いでいることを確認をします。

日本政府として、1965年の国交正常化以来築いてきた友好協力関係の基盤に基づき、日韓関係を健全な形で更に発展させていくために韓国側と引き続き緊密に協力していきます。

今回の発表を契機とし、措置の実施と共に、日韓の政治・経済・文化等の分野における交流が力強く拡大していくことを期待をいたします。

出処:林外務大臣臨時会見記録(外務省)

また、林外相はこれに続く質疑応答で、▲韓国側の財団に日本企業は拠出しない、▲1965年の請求権協定で解決済みという立場に変わりはない、▲「不可逆性」の担保は韓国の役目、▲「労働者問題」と輸出規制は無関係、との見解を明かした。

「労働者問題」という表現に、「強制徴用」という不法性を認めない日本政府の頑なな姿勢が透けて見えた。

「旧朝鮮半島出身労働者問題についての会見」に臨む岸田首相。首相官邸HPより引用。
「旧朝鮮半島出身労働者問題についての会見」に臨む岸田首相。首相官邸HPより引用。

●午後1時〜、バイデン米大統領が声明

日韓が慌ただしく動いていた午後1時過ぎ、5日の深夜を迎えていたワシントンで、バイデン米大統領が声明を発表した。駐韓米国大使館による声明全文は以下の通り。

今日発表された日韓間の強制動員被害賠償案は、米国の最も近い二つの同盟国間の協力とパートナーシップの画期的で新たな章を開くものです。

歴史的な外交部長官の声明を通じ、尹大統領と岸田総理はより安全で、固く、繁栄する韓日両国民の未来を開くための重要な一歩を踏み出しました。

米国は今回の合意が持続的な進展につながるよう、韓日両国の指導者たちの努力をこれからも支持していきます。

両国間の措置が完全に実現するとき、自由で開かれたインド太平洋地域に向かう私たちの共通のビジョンを守り、発展させる助けとなるでしょう。

これからも私は韓米日三国同盟を強化し発展させていくことを望みます。今日の発表が今一度示すように、韓米日三国が共にある時、私たちは、そして世界は、より安全で繁栄するでしょう。

声明からは、日韓の「和解」は米国が望むものに他ならないという点が濃厚に感じられる。

米国は他にもブリンケン国務長官も声明を出し、シャーマン国務副長官もツイッターで日韓の労苦を称えるなど、諸手を挙げて歓迎する姿勢を示した。

●午後2時〜、原告支援団体、代理人弁護士が会見

原告側は韓国政府の「解決案」をどう捉えているのか。ソウル市内の民族問題研究所で、原告側支援団体と訴訟代理人弁護士が会見を開いた。

原告側は「解決法は植民支配の不法性と戦犯企業の反人道的な不法行為に対する賠償責任を認めた2018年の大法院判決を事実上、無力化するものだ。韓国の行政府が日本の強制動員加害企業の司法的な責任を免責するもの」と政府を強く批判した。

また「韓国政府は『無くなる前にどんな形でもお金を受け取りなさい』と侮辱している。尹錫悦政権は韓日関係の改善という自身の外交的な成果に汲々とするあまり、被害者たちに『賠償金』ではない『寄付金』を受け取るよう不当な選択を強要している。韓国政府が被害者たちにふたたび犠牲を強要し、被害者たちの人権と宣言を踏みにじっている」と強調した。

今後の動きについては、政府の解決法に同意する原告(被害者。遺族を含む)の場合には「債権消滅(放棄)手続き」を開始することになるとし、同意しない原告はこれまでのように「執行措置を進める」と説明した。つまり、現金化に向けた動きは止まらないということだ。

原告側は会見で、政府がこれまで原告に対し行ってきたのは「説明」であり、政府が原告に同意を得る過程はこれから始まるものとした。

原告14人のうち政府案に賛同する原告は「半分以下」とも明かした。特に、90歳を超えた3人の生存者(梁錦徳、李春植イ・チュンシクさん、金性珠キム・ソンジュさん)はいずれも明確に政府案を拒否する姿勢を示しているという。

原告側はさらに「新たな被告企業財産を差し押さえた」事実を、この日初めて公表した。

三菱重工業が韓国内の企業『MHパワーシステムズコリア』に対し持つ債権を21年9月に差し押さえたという。約5億8900万ウォンに至るまで差し押さえることができ、確認できた金額は約7700万ウォンにのぼるという。

これは従来の財産差し押さえ→現金化(売却)の流れよりも遙かに手続きが簡単に済み「早ければ1年以内」に債権を回収できるとのことだ。

この事実はこれまで韓国政府に知らせず、一般にも公開していなかったという。韓国政府の「解決法」発表を受け、原告側も全面対決に踏み切ったことを示すものと言える。

会見には大勢の記者が集まったこともあり、質疑応答も盛んだった。やりとりは以下のように要約できる。

韓国政府は今日を基準に徴用工問題を外交問題から国内問題に転換させようとしているが、政府案に同意しない原告がいる限り被告企業は依然として存在するためそう簡単ではない。

2015年の日韓「慰安婦」合意と比較する場合、より後退したものとすることができる。特に意見を集めるという点であまりにも拙速だった。さらに15年当時はそれでも日本政府の謝罪があったが、今回は日本が強制動員の事実を認めず「朝鮮半島出身労働者」としている。こんな状態で韓国政府はどう納得するのか理解できない。

ー韓国外交部とは対話チャンネルが無くなった訳ではないが、これからはおそらく外交部は一線から引いて、財団と財団が所属する行政安全部が前面に出てくるだろう。

会見では、これまで政府案が出てくることを見越して譲歩をしていた原告側が、政府と明確に対立する路線を選んだことが印象的だった。

6日、会見に臨む金英丸・民族問題研究所対外室長、原告側訴訟代理人の林宰成弁護士、金世恩弁護士(左から)。筆者撮影。
6日、会見に臨む金英丸・民族問題研究所対外室長、原告側訴訟代理人の林宰成弁護士、金世恩弁護士(左から)。筆者撮影。

●午後2時〜、韓国国会

国会の外交安保委員会に所属する最大野党・共に民主党の議員と、無所属の金弘傑(キム・ホンゴル)議員が連名で『尹錫悦政府は「強制動員賠償案」、屈辱の'害法'を撤回し'解法'を作れ』という声明書を発表した。

声明では「尹政権が何度も明かしてきた日本側の誠意ある呼応は無く、自己否定的な解決法であると共に、被害者の政府が被害者ではなく加害者の顔色をうかがう亡国的外交、屈辱の害法(韓国語で解法と害法は同じ発音)だ」と痛烈に批判した。

また、「尹錫悦政府が発表した賠償案は韓国最高機関の判決を揺るがし、憲法が明示した三権分立の精神を日本のために自ら壊す行為だ」とし、「『不法な植民支配と侵略戦争による被害の救済』を明示した大法院の判例を韓国政府がみずから否定する、日本が望んでやまない『合法的な植民支配』の主張を韓国政府が認めたもの」と批判を続けた。

この一文は植民地支配をめぐる韓国と日本の解釈の差を鮮明に表すものと言える。

1965年の日韓基本条約第2条には「1910年8月22日およびそれ以前に大韓帝国と大日本帝国間に締結され得たすべての条約および協定がすでに無効であることを確認する」とある。

これは韓国にとっては、1905年の第二次日韓協約と1910年の韓国併合に関する条約は「当初より無効」すなわち「不法占領」という解釈になる。

一方、日本にとっては1910年の併合条約は当初は有効だったが1948年の大韓民国樹立により失効したという「合法支配」という解釈となり、文字通り玉虫色の決着だった。

このため、今日の「解決法」の発表により尹政権は明確に日本に手を上げたという解釈が可能になる。共に民主党は尹政権を「親日政権」と名指しし批判の声を高めているが、日本を間に挟み韓国の両陣営が対立する最悪の事態となった。

最大野党・共に民主党のバナー。「親日政権の本質を見せてくれた最悪の屈従外交」とある。共に民主党ホームページより引用。
最大野党・共に民主党のバナー。「親日政権の本質を見せてくれた最悪の屈従外交」とある。共に民主党ホームページより引用。

●午後3時〜、韓国産業通商資源部の会見

韓国政府の「成果」とも言うべき日本側の呼応について、韓国産業通商資源部のカン・ガムチャン貿易安保政策官による発表があった。

カン政策官は「両国の政府は輸出規制に関し、双方が19年7月以前の状態に戻すための協議を迅速に行うとし、協議が行われる期間中にはWTO提訴手続きを中断する」と明かした。

同様の会見は日本でも行われた。実はこの日の韓国側の発表は19年11月22日の「韓日間の輸出管理政策対話が正常的に進行するあいだ、日本側の3つの品目(レジスト、フッ化ポリイミド、フッ化水素)の輸出規制に対するWTO提訴手続きを停止することにした」というものと、全く同じ内容だ。

当時、GSOMIA(韓日軍事秘密情報保護協定)の破棄(更新停止)を明言していた韓国は土壇場で破棄を「条件付きで延長」した。

その際に韓国の金有根(キム・ユグン)国家安保室第一次長がその条件として発表したのだった。韓国は19年9月に3つの品目についてWTOに提訴していた。

しかし当時の約束は翌20年6月に韓国によって撤回される。韓国側の主張は「改善措置を積極的に行ったにもかかわらず日本政府からは問題を解決する意志が見られない」というものだった。

この前例があったためか、この日の会見でも「あくまで暫定的な停止」と韓国政府は一線を引いた。

一方で韓国側はゴールが「日韓が互いをホワイトリストに戻す原状復帰」にあると明確に示し、この点で両国は既に共感していると付け加えた。今後は輸出管理政策対話で話を詰めることになる。

これがこの日、唯一日本側が示した具体的な「呼応」だった。

●午後3時20分〜、韓国大統領室

満を持して韓国大統領室のキム・テヒョ国家安保室第1次長が会見した。尹政権の外交安保ブレーンの核心人物だ。

金次長は「尹錫悦政府は強制徴用問題の解決を日韓関係正常化の重要な出発点と認識し、解決方案を探してきた」と明かし、「日本とは過去の苦しみと痛みを共に克服し、ひいては両国の未来の世代の交流と協力を促進する方案を議論し履行していく」と述べた。

また「『過去に対する反省と謝罪の立場を再確認し、未来志向的な両国関係の発展のために多角的に努力する』とした日本側の立場を評価する」とも語った。

金次長の会見後、韓国政府高官は日本の被告企業がどう行動するのかについて「両国の経済団体の間で議論が行われている」と明かした。設立が噂される『未来青年基金』に被告企業が参加する可能性があるということだ。

また林芳正外相の「政府としては一般に、民間人又は民間企業による国内外での自発的な寄付活動等について、特段の立場をとることはない」という発言は、上記の活動を妨げない趣旨である、とも説明した。

この高官によると、6日の発表は韓国政府が過去6か月のあいだ日本側と重ねてきた協議が終わったことと「日本政府ができる最後の限界値に達したために」行われたとのことだ。

限界値が何かは明かされなかったが、前任の文在寅政権が譲らなかった「被告企業が参加する賠償が行われるべき」という日韓対立の最前線から尹錫悦政権が後退することにより、新たな合意の動力が生まれたと理解することができる。

この高官はさらに韓国側の立場として、「65年の日韓合意に大きな傷を与えず、韓国政府が解決できる方法を探し、日本の被告企業が法的にいったん避けながら政治的に謝罪し寄与する方案を考えた」と裏幕を明かした。

また、15年の慰安婦合意のように不安定なものになるのではないかという懸念に対しては、「先に韓国が譲歩することにより、日本を説得し動かしていく動力を得る」という視点を示した。

この日、日本政府の対応からは冷たさばかりが目立ったが、一連の発言からは韓国政府のそれなりの覚悟が垣間見えた。

昨年11月、カンボジア・プノンペンで首脳会談を行った尹錫悦大統領(左)と岸田文雄首相。韓国大統領室提供。
昨年11月、カンボジア・プノンペンで首脳会談を行った尹錫悦大統領(左)と岸田文雄首相。韓国大統領室提供。

●午後4時〜、経団連と全経連

夕方になって、日本の経団連と韓国の全経連が相次いで立場を発表した。

経団連の十倉雅和会長は「今般、旧朝鮮半島出身労働者問題の解決に関して韓国政府から発表が行われ、日本政府から評価する旨のコメントが示された。これは日韓関係の健全化に向けた大きな一歩であり、経団連としても評価する」と述べた。

また、「経済界に対して日韓関係の更なる強化への期待が示された。経団連としても日韓間の経済交流の強化に前向きに取り組んで参りたい」とし、『未来青年基金』への含みを持たせた。

また、全経連も発表した歓迎声明の中で「今回の合意は日韓の間の協力関係をより強め、北核への対応など東北アジアの安保共調と、このための韓米日の協力にも大きな力となる」とし、「両国の経済交流活性化にも大きな力となる」と続けた。

●二度奪われた人生

以上が長かった一日のドキュメントである。

総合すると尹錫悦政権はこの日の「解決案」の発表を通じ、政権発足後に対峙し続けてきた日本政府と徴用工裁判の原告側という「二つの戦線」のうち、日本政府との戦線を解消することにひとまず成功したと言えるだろう。

だが見てきたように、残る一つの「戦線」は茨の道である。

原告側、特に強制徴用被害者たちとその遺族は失われた人生の一部を取り戻そうと、より必死になるだろう。

韓国外交部は「供託」を通じ解決案に同意しない原告に対しても解決が可能とするが、原告側はこれを否定する。あくまで真っ向から立ち向かう構えだ。

現金化を避ける手は無いようにも見え、日本との関係がふたたび疎遠になる可能性もある。これを防ぐためには超法規的ともいえる措置が必要で、既に「前例がない(弁護団)」状況の中、三権分立が揺らぐ危険が今よりも高くなる。野党とも全面衝突は避けられない。どこから見ても韓国政府は楽観できない。

実は韓国側の発表を控えたここ数日、記事をどう書くか迷いに迷った。たどりついた結論は、今年2月に光州を訪ね強制徴用被害者の梁錦徳さんに聞いたこの言葉だった。

「私はなぜ日本に行ったのかと心底悔しく、残念に思います。故郷で勉強を続けていたら、私は何になれたでしょうか。先生になりたい思いで日本に行ったために、ついに先生にはなれませんでした」

梁さんはいわば二度、国家に人生を奪われたのではないか。

一度目は植民地に生まれた者として、日本に騙され強制徴用の被害に遭い夢を失ったばかりか、女性としても苦しい人生を歩んだ。

それでも失われた人生と尊厳を取り戻すべく立ち上がり20年かけ裁判で勝利するも、今度は守ってくれるはずの自国・韓国に判決の意味を奪われてしまった。

こんなことがあってよいのだろうか。あまりにも過酷ではないか。個人の救済と国家間の親善が両立し得ないなどと、いったい誰が決めたのだろうか。これが世の現実だというなら、真にひどい話である。

日韓政府ともに、ここからさらに積み上げられるものがたくさんあるのではないか。何も解決していないという思いが、絶え間なく押し寄せてくる。

強制徴用被害者として裁判を闘う過程で故人となった人々の写真。6日、筆者撮影。
強制徴用被害者として裁判を闘う過程で故人となった人々の写真。6日、筆者撮影。

ソウル在住ジャーナリスト。『コリア・フォーカス』編集長

群馬県生まれの在日コリアン3世。1999年からソウルに住み人権NGO代表や日本メディアの記者として朝鮮半島問題に関わる。2015年韓国に「永住帰国」すると同時に独立。16年10月から半年以上「ろうそくデモ」と朴槿恵大統領弾劾に伴う大統領選挙を密着取材。17年5月に韓国政治、南北関係など朝鮮半島情勢を扱う『コリアン・ポリティクス』を創刊。20年2月に朝鮮半島と日本の社会問題を解決するメディア『ニュースタンス』への転換を経て、23年9月から再び朝鮮半島情勢に焦点を当てる『コリア・フォーカス』にリニューアル。ソウル外国人特派員協会(SFCC)正会員。22年「第7回鶴峰賞言論部門優秀賞」受賞。

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