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「金正恩氏の娘」の登場に感じた、怒りと恐怖と悲しみ

徐台教ソウル在住ジャーナリスト。『コリア・フォーカス』編集長
金正恩氏の娘である少女(左から2人目)。19日、朝鮮中央通信より引用。

「火星17型の試験発射現場には金正恩委員長の娘も同行しました」

昨日19日の午後遅く、行きつけの食堂のテレビから流れるニュースに、熱々のテジクッパを口へと運ぶ手が止まった。この日は午後2時から4時まで、日本の川崎市の高校生と交流を続ける韓国・富川(プチョン)市の高校生十数人に日韓にまつわる講義を行い、心地よい疲労と共にあった矢先の出来事だ。

前日はここ4年間かかわってきた韓国での脱北青少年野球団の会合があり夜遅くまで酒席が続いた。速報は早くから流れていたが、午前中はダウンしていたこともありニュースを細かくチェックしていなかったため、やっと細かい情報に接したことになる。

この時に食堂で感じたショック——怒りと恐怖と悲しみ——は甚大だった。ようやく心を整理することができたので、この場を借りて短い所感を記録しておきたい。

◎「愛する子弟と一緒に」

(前略)国防科学部門の全ての職員と科学者、戦略核武器部隊の戦闘員たちは、共和国の核武力強化における重大な里程標となる歴史的な重要戦略武器試験発射場に、愛する子弟と女史と一緒に直接お越しになり試験発射の全過程を直接指導くださり(中略)敬愛する金正恩同志に絶対の崇拝と熱烈な忠誠を誓い(後略)

朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮)の朝鮮中央通信は19日の記事でこう報じた。

要旨は18日に行われた「新型大陸間弾道ミサイル」の発射実験の成功を伝えると同時に、その成果を指導者・金正恩氏へと帰結させ、拡大抑止の強化を掲げる米韓への対決姿勢を明らかにするものだった。

18日に発射されたミサイルは『火星17型』とされ、最大飛距離1万5000キロ、多弾頭の搭載が可能と見られている。韓国のメディアではさっそく「米国のワシントンとニューヨークを同時に攻撃できる」と大きく取り上げている。

このように発射自体は大変大きな出来事であり、「核には核、全面対決には全面対決」とした金正恩氏の発言も特筆に値する。

だが、合わせて公開された23枚の写真、そして冒頭の一文にはもう一つの驚きが隠されていた。発射現場に立つ金正恩氏の傍らにはこれまで見たことのない娘(北朝鮮では子弟、子女を使い分けない)がいた。

父・金正恩氏と共にミサイルを背景に歩く娘。19日、朝鮮中央通信より引用。
父・金正恩氏と共にミサイルを背景に歩く娘。19日、朝鮮中央通信より引用。

◎「4代世襲」もある

韓国メディアによると、金正恩氏には3人の子どもがいるとされる。一人目は2010年生まれの息子、二人目は13年生まれの娘、三人目は17年生まれだが性別が明らかになっていない。

この日公開されたのは13年生まれの娘で、名前は「ジュエ」だというのが大方の見立てだ。

娘を公開した背景について、韓国ではすでに専門家がいくつか判断を下している。

「家族を公開することで安定感を演出した」、「未来の世代へのメッセージ」、「先の9月、膝の上に乗せた少女が娘か否かで話題になった。今が公開のチャンスと見た可能性がある」などだ。

もちろん、様々な側面があるだろう。これらを否定するものではない。しかし、明確な目的の一つには「4代世襲への土台作り」があることは明確だ。

そして今回、私が感じた恐怖もここにある。目を逸らしたい現実、想像したくもない未来としての「4代世襲」が初めて明確にちらついたことで、絶望感すら感じた。

金正恩氏が初めて後継者としてデビューしたのは、2010年9月のことだった。そして翌年12月に父・金正日氏が急逝したことで後を継いだ。この時も「3代世襲」の正当性や成功可能性をめぐって大いに議論が起きた。

さらに一部では「金正恩氏は開明派」といった楽観論もあった。欧州で学び世界の流れを知っている金正恩氏は改革開放に向かうだろうというものだ。それから10年が経ち、この希望ももはや潰えた事を知らない者はいないだろう。

そんな中で嬉しそうに手をつないで歩く金正恩氏の姿が発するメッセージを、私は「『次もあるよ』という予告」と受け取った。

一方で、北朝鮮という社会がより開かれたものになるために、この10年いったい何をしてきたのだろうと自責の念にもさいなまれている。

◎娘の未来を奪うのか

次に感じたのは、強い怒りだった。写真の少女が「ジュエ」で、2013年生まれというのが事実ならば、私の娘と同い年である。

小学校3年生であるが、その娘を政治ショーに引っ張りだすのは、あまりにも過酷ではないのか、子どもを不幸にするのではないかという怒りだ。

今さら確認する必要もないが、金正恩氏は独裁者である。民主的で開かれた選挙制度は存在せず、形式的なものに過ぎない。

さらに北朝鮮の住民の自由は大きく制限され、本来、国が最優先で取り組むべき国民の生活向上は、安全保障を理由にいつまでも後回しにされ続けている。20年からの新型コロナの流行はこれに追い打ちをかけ、統制に正当性を与えた。

将来、北朝鮮の社会がどうなるかは分からないが、ジュエさんにとってはどうなっても茨の道となる。どこまで行っても「独裁者の娘」だからだ。

独裁が続く場合には住民の怨嗟の対象となるし、体制の軟着陸など何らかの変化がある場合には父と同様に罪に問われる可能性もある。

つまり、金正恩氏は娘を政治の世界に引っ張りだすことで、娘の可能性を奪ってしまい、一生消えない「独裁者の娘」というレッテルをみずから貼ったのではないかと私は思うのである。

金正恩氏はそれでも幼い頃、金正日氏によって海外留学に出され、バスケットボールに触れるなど子どもの好奇心を満たす機会を得たではないか。だが「ジュエ」さんにその機会は果たしてあるだろうか。

9歳の子だ。写真で判断するに父の事も嫌いではないのだろう。屈託なく笑う姿に罪はないが、いつかそれが変わる時が来る。悲しいことだ。

18日のミサイル発射を見つめる金正恩氏とその娘(右端)。19日、朝鮮中央通信より引用。
18日のミサイル発射を見つめる金正恩氏とその娘(右端)。19日、朝鮮中央通信より引用。

◎際立つ異質感

思い出すのは2018年のことだ。

4月、金正恩・文在寅の南北首脳会談が行われ『板門店宣言』が発表された。この時に韓国を覆った期待感は、文在寅政権への支持率80%超という数字となって表れたが、当時の雰囲気を別の言葉で表すと、「金正恩はまだこちらに戻って来られる」という期待だった。

金正恩氏は父から独裁政権を受け継ぎそれを維持してきたものの、今ならまだその過程での「罪」を帳消しにできるとでもいうような期待とでも表現できようか。

非常に上から目線な言い方であり、また北朝鮮の内情を知らないナイーブすぎる意見であることは確かだが、この心情が金正恩氏への信頼を構成していたのは否めない。

だがそれも今はなく、娘の登場は結果として南北間の異質感だけを際立たせる可能性が高い。南北の離間は金正恩氏が望むものであるとはいえ、朝鮮半島の未来は暗い。

北朝鮮の朝鮮中央TVは20日、19日には公開しなかった新たな映像や写真を通じ、「ジュエ」氏の存在を再度アピールした。

ここまで読んだ方の中には、「今回の娘の登場を大げさに捉えすぎているのでは」と意見を持つ人もいるだろう。私もこんな怒りや恐怖や悲しみが杞憂に終わることを願っている。

ソウル在住ジャーナリスト。『コリア・フォーカス』編集長

群馬県生まれの在日コリアン3世。1999年からソウルに住み人権NGO代表や日本メディアの記者として朝鮮半島問題に関わる。2015年韓国に「永住帰国」すると同時に独立。16年10月から半年以上「ろうそくデモ」と朴槿恵大統領弾劾に伴う大統領選挙を密着取材。17年5月に韓国政治、南北関係など朝鮮半島情勢を扱う『コリアン・ポリティクス』を創刊。20年2月に朝鮮半島と日本の社会問題を解決するメディア『ニュースタンス』への転換を経て、23年9月から再び朝鮮半島情勢に焦点を当てる『コリア・フォーカス』にリニューアル。ソウル外国人特派員協会(SFCC)正会員。22年「第7回鶴峰賞言論部門優秀賞」受賞。

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