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「素人」と「紙切れ」、露のウクライナ侵攻も韓国では大統領選の’ネタ’に

徐台教ソウル在住ジャーナリスト。『コリア・フォーカス』編集長
次期韓国大統領の座を争う与党の李在明候補(左)と最大野党の尹錫悦候補。筆者作成。

ロシアによるウクライナ侵攻は、投票日まで10日を切った韓国大統領選に大きな波紋を投げかけている。与野党が全面衝突し、2人の有力候補が自分の都合の良いように解釈する現実をまとめた。

●与党・李在明候補の「素人」発言に国際的な非難

「これは恥ずかしいことだ(this is shameful)」

26日、韓国・釜山大学のロバート・ケリー教授はツイッターにこう書いた。17年、英BBCニュースにリモート出演中、部屋に娘が乱入し世界的に有名になった人物と言えばピンとくる方がいるだろう。

ケリー教授が強く批判したのは、前日25日の大統領候補4人による討論会であった与党・李在明(イ・ジェミョン)候補の発言だった。該当部分を引用する。

6か月の初歩政治家が大統領になり、NATOが加入はダメだと言っているのに、加入を公言し、ロシアを刺激することで結局、ロシアと衝突した。

もちろんロシアが主権と領土を侵犯することは非難されるべきで強く糾弾すべきだが、外交の失敗が戦争を呼ぶという克明な事例で、戦争が経済にどれだけ悪影響を及ぼすのかは言うまでもない。

今回のロシアによるウクライナ侵攻が、「政治キャリアが6か月しかない素人政治家が招いた事態」であるという発言だった。これはウクライナのゼレンスキー大統領を指すものだ。

ケリー教授はこの発言を「恥ずべきもの」としつつ、「プーチンは20年間ウクライナの独立に反対してきた。李在明がどんな気持ちでこんな無礼な発言をしたのか分からない」とした。

折しもウクライナのゼレンスキー大統領は首都・キーフ(キエフ)に留まり抗戦を訴えていた矢先の出来事であった。

ケリー教授のツイートが拡散する一方、米国の著名ウェブコミュニティ掲示板「Reddit」などでも李候補の発言に批判的な視線が集中し、国際的な話題となった。

(ロバート・ケリー教授の該当ツイート)

●李候補の弁明と発言の背景

すると李在明候補は事態の深刻さを悟ったのか、26日午後10時過ぎ、Facebookに弁明文を発表した。

李候補はこの中で「ウクライナの大統領をけなしたのではなく尹錫悦候補の不安な外交・安保観を指摘したものであることは明らか」とした。

その上で「不本意ながらウクライナの国民の皆さんに誤解を与えたならば、私の表現力が足りなかった」としたものの、直接の謝罪の意を表明せず、大統領選を争う最大野党・国民の力の尹錫悦候補への批判に大半を費やした。

こんな李候補の発言の裏には、ロシアのウクライナ侵攻を「ウクライナが招いたもの」と見る与党と政府寄りの専門家の視点がある。

韓国の外交官を教育し、シンクタンクの役割も果たす国家機関「国立外交院」の洪鉉翼(ホン・ヒョニク)院長の発言が象徴的だ。

同氏は21日にあった国立外交院を含む国策シンクタンク3つが共同主催したシンポジウムで以下のように発言していた。少し長いが引用する。

今日(こんにち)起きているウクライナの事態からも私たちが教訓を得ることができる。国家の安全保障において、あちら側、こちら側と飛び跳ねることがとても危険であることが分かる。

ウクライナも西側の支援を得るために、ウクライナ情報部が『ロシアによる侵攻の脅威があるため、NATO加入を急ぐ』という風に刺激したことが、結果としてロシアがウクライナを戦争危機に追いやる決定的な動機となった。

一方の強大国である米国は、NATOにおける指揮力を回復するために戦争を辞さないという覚悟で臨んでいる。ウクライナ行政部がいたずらに『強大国を自分の思うようにできる』と考えて、あちこちに手を伸ばしながら外交を行った結果、ウクライナは国家存亡の危機に至ったと考える。

私たちはこうした点を教訓に、米国と中国双方と平和を維持し、必ずしもどちらか一方に偏るのではなく、双方との友好関係を維持していかなければならないという教訓を得ることができる。

この発言は、ロシアの侵攻が始まる前のものだが、侵攻後の25日にも洪院長はFacebookへのコメントにこう書き込んでいる。

ウクライナの愚かさが主な要因で、その次に米国とロシアの国益を押し出した為政者たちの政治的な計算の合作品だ。

私たちに重要な教訓は、強大国でないのにいたずらに外交政策を広げる場合、他人事ではなく私たちにも起きる出来事であるということ。今の状況を私たちの状況に合わせてきちんと解釈すべき。

洪院長の発言は韓国の危機感から出ている点は理解できるものの、韓国のウクライナ情勢理解に一定の影響を与えたことは否めない。

さらに、与党の重鎮で前職の法務部長官、元与党代表でもある秋美愛(チュ・ミエ)氏はfacebookでこう書いている。

指導力が足りないコメディアン出身の大統領が露骨にNATO加入を公言し、太刀打ちできない危機を自ら招いたものだ。

(ウクライナ)内部の分裂がロシア介入の名分となり、外交経験がないコメディアン出身のアマチュア大統領が未熟なリーダーシップでロシアを刺激した。

また、現職の朴範界(パク・ポムゲ)法務部長官も自身のツイッターに『侵攻を予測できず危機を育てた「アマチュア大統領」』という記事をシェアした。

21日のシンポジウムで発表する「国立外交院」の洪鉉翼(ホン・ヒョニク)院長。同シンポジウム動画よりキャプチャ。
21日のシンポジウムで発表する「国立外交院」の洪鉉翼(ホン・ヒョニク)院長。同シンポジウム動画よりキャプチャ。

●「紙切れ」尹錫悦候補側の反論

洪院長の発言は外交面からの危機感があるにせよ、秋美愛・朴範界という両法務部長官の姿勢に通底するのは、「検察改革(=検察の力を削ぐこと)」をめぐり真っ向から対立してきた前検察総長である尹錫悦候補へのけん制だ。

尹候補は周知のように、検察ひと筋27年で政治家経験はなく、外交面に関しては全くの素人である。

政治経験のないゼレンスキー大統領と尹錫悦候補を同じ「素人」として重ね批判するもので、李候補もこの「フレーム」をなぞり尹候補の批判のためにウクライナを持ち出したものだ。

これに対し、尹候補や最大野党・国民の力側も黙ってはいなかった。

26日、尹候補はfacebookを通じ一連の李候補の発言や与党の動きに対しこう反論した。

国の格を落とす出来事だ。不幸な出来事に直面した他国を慰労しないばかりか、選挙に勝つようためにはどんな発言でもする姿が、全世界の公憤を引き起こしている。

また、国民の力の李俊錫(イ・ジュンソク)代表も27日、選挙支援遊説の中で「ロシアの侵攻を正当化するような話を許すことができない」とし、「そんな敗北主義的で2次加害に近い発言をする李在明候補が韓国の外交と国防を担う場合、どんな発言をするのか心配になる」と批判した。

さらに「政権交替」を掲げる野党の攻撃対象は、李候補だけにとどまらず文在寅政権に向けられた。

尹候補は侵攻直後の24日、やはりfacebookに「ウクライナ事態から学ぶべきもの」として以下のように書き込んだ。

1994年、ウクライナは『ブダペスト覚書』という紙の覚書ひとつを信じて自ら武装解除した。ウクライナの大統領は戦争が迫るや、この覚書を根拠に支援を要請しているが、国際社会は積極的に動いていない。

(中略)安保は冷酷な現実だ。韓国は冷静な選択をしなければならない。言葉だけで叫ぶ終戦宣言と平和協定が決して韓半島(朝鮮半島)の平和を保障してくれない。力に基づかない覚書には何の意味もない。

これは当時、ウクライナが核を手放した際の出来事を取り上げたものだ。

尹候補は続く25日の討論会でも「自ら守る力と強力な同盟がなければ、言葉だけの平和になり、紙とインクだけで書かれた協約書や宣言文だけでは、絶対に平和は維持されない」と述べた。

最大野党・国民の力の尹錫悦(ユン・ソギョル)候補。26日、筆者撮影。
最大野党・国民の力の尹錫悦(ユン・ソギョル)候補。26日、筆者撮影。

また、国民の力の報道官の一人が論評で「国民の生命と安全を脅かす危機が目前にあるのに、依然として太平なこの政権(文政権)と李候補は余りにも似ている」と政府を批判した。

朝鮮戦争の停戦体制を根本的に解決するための「平和協定」と、その入り口としての「終戦宣言」という『韓半島平和プロセス』の根幹にあたる戦略を、あたかも「紙切れに頼るもの」と批判された青瓦台(大統領府)も黙ってはいなかった。

青瓦台の朴洙賢(パク・スヒョン)国民疎通主席(報道官より上の職位)は27日、facebookに「韓国の国防力は言葉一つで揺れ動く弱いレベルではない!」とし、「文政権下での防衛力改善費の増加率が歴代政府に比べ圧倒的」と成果を具体的に並べた。

弱腰を指摘する野党に強く反発した形だが、「大統領選に介入しない(してはならない)」基調を持つ政府としては異例の反応となった。

このように、韓国内ではウクライナ事態をめぐり与野党が全面衝突する事態となっている。

●尹錫悦候補は「攻撃的?」

もっとも、こんな対立には前段があった。

与党は「外交の素人」という理由だけで尹候補を非難しているのではなく(そもそも、外交経験では李候補もまた素人と大差がない)、尹候補の攻撃的な外交姿勢を危険視してきた。

その最たるものが、首都圏を防衛するための「THAAD(終末高高度防衛ミサイル)の追加配備」と「先制攻撃」をめぐる発言だ。

2016年から始まった韓国の在韓米軍へのTHAAD配備をめぐっては、中韓の間で強い外交摩擦が起きた。中国は「限韓令」と称される韓国関連企業や文化への圧力を行使し、実害が生じている。

文政権はこれに「三不」、すなわち▲THAADの追加配備をしない、▲米国のミサイル防衛システムに参加しない、▲日米韓軍事同盟を結ばないという三つの約束を中国に提示することで縫合を計っている(韓国政府は公式には否定)。

だが、THAADの追加配備はこれを破ることになり、ようやく収まりつつある「限韓令」を強化させるきっかけになると与党は指摘する。李在明候補が「中国の報復を甘受するのか」と反対している背景だ。

27日、釜山(プサン)市内で演説する李在明候補。共に民主党提供。
27日、釜山(プサン)市内で演説する李在明候補。共に民主党提供。

与党側はまた、尹候補が「北朝鮮に対する先制攻撃」を公言していると非難してきた。

これは今年1月の記者会見で尹候補が、「北朝鮮の核攻撃の兆候が見える場合」を前提に、「今は『3軸体制』の一つ目にあたる『キル・チェーン』という先制打撃しかこれを防ぐ方法はない」と発言したことを受けてのものだ。

多少ややこしい話になるが、この『3軸体制』というのは、朴槿恵政権時代(2013年2月〜17年3月)に導入されたもので、北朝鮮の核の脅威に対応するものだ。

具体的には、自衛権としての先制打撃を加える「キル・チェーン(Kill Chain)」、北朝鮮のミサイルを迎撃するための「韓国型ミサイル防衛体系(KAMD)」、そして抑止のための「大量応酬報復体系(KMPR)」を指すものだ。

文政権の下では『核・WMD(大量破壊兵器)対応体系』と名を変えたものの、今も存在している戦略だ。

このため、尹候補の発言は突飛なものではなかったが、与党は「好戦的な指導者」と尹候補を批判した(追記すると、そもそも戦時作戦権が韓国に無い現状では、先制打撃を韓国ができないという指摘がある)。

だが尹候補はこれまで「反共」や「滅共」というスタンスを掲げてきたことにより、北朝鮮や中国といった周辺国との葛藤を辞さない人物と見なされている。

つまり、李候補は「平和対戦争」という「フレーム」を尹候補との対立にはめ込み、攻め立てていることになる。

【参考記事】

「鬼滅」の次は「滅共」?…財閥企業CEOと尹錫悦氏による‘遊び’の危険度

https://news.yahoo.co.jp/byline/seodaegyo/20220112-00276999

なお、THAADの追加配備をめぐっては、尹候補側の「韓国軍としての配備」という立場と、李候補側の「L−SAM(長距離地対空ミサイル、韓国型THAAD)で代替」という意見が衝突し、結論が出ないままになっている。

●北朝鮮のミサイル発射と「我田引水」

こうした中、朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮)は27日朝、ミサイル発射実験を行った。韓国国防部によると発射されたのは『北極星2』型やその改良型の可能性がある、準中距離弾道ミサイルとされる。

なお、北朝鮮は朝鮮中央通信を通じ28日、今回の発射を「偵察衛星の開発のための重要実験」と位置づけている。

発射について、李在明・尹錫悦両候補はするどく反応した。

李候補は27日、Facebookを通じ「厳重に糾弾する」とし「北韓の武力挑発は認めることのできない、緊張を造成する行為で(中略)軽挙妄動を中断すべき」とした。

また、尹候補は28日、やはりFacebookに「『弾道ミサイルの技術を利用した発射』を禁止する国連安保理決議を正面から違反するものであり、全ての国民と共に強く糾弾する」とした。

このように、両候補の立場は共通しているが、続く発言が印象的だった。

李候補は27日、釜山(プサン)市での遊説で「安保問題は李在明に任せてくれれば、心配どころか危機を活用し防衛産業を確実に育て、北朝鮮からの防御を超えて世界に進出する経済的な機会にしてみせる」と述べたのだ。

「起・承・転・経済」、いかにも「有能な経済大統領」を自任する李候補ならではといった発言だ。筆者は思わず眉をひそめた。

一方の尹候補は前出のFacebookの書き込みの末尾に「私、尹錫悦は強い抑止力を背景に『力を通じた平和』を達成する」と明かしている。

これは今後、北朝鮮との関係を緊張一辺倒にしていくという宣言であり、韓国右派の反共精神と、若者世代の嫌中意識を刺激し支持を集める浅薄な発言に他ならない。

韓国大統領選の主要候補。3月9日の午後6時に出口調査の結果が発表される。筆者作成。
韓国大統領選の主要候補。3月9日の午後6時に出口調査の結果が発表される。筆者作成。

●「超接戦」選挙の行方は

このように、両候補とも今回のウクライナ事態を自説の強化と相手の批判に積極的に活用する「消費者」としての立場を隠さない。

背景にはあらゆる世論調査で両候補が今なお誤差の範囲で拮抗しており、最後まで目が離せない接戦となっている状況がある。

有権者の約3割が投票するとされる事前投票を3月4日、5日に控えると共に、3月3日からは世論調査結果の発表が禁止されるため、各候補者ともに「追い込み」期間に差し掛かっており、なりふり構わない攻防が続く。

特に李候補側では「ウクライナ事態は経験で勝る李候補にとって追い風」(党関係者)という認識がある。

『韓国ギャラップ』社が今月25日の調査で明かしたように、回答者が「大統領を選ぶ基準」の中で「能力・経験」を34%でトップに掲げた点などがその根拠になる。同項目は11月1週目には25%、1月1週目には30%だった。

とはいえ、これまで見てきたように「世界史的な出来事」とまで評されるロシアのウクライナ侵攻が、韓国では5年に一度の大統領選というブラックホールに吸い込まれている事実に変わりはない。筆者はこの点に強い危機感を感じている。

今後、誰が大統領になろうと、韓国は周辺国と利害を調整し、朝鮮半島の恒久的な平和に向けたプロセスを歩んでいく他に道はない。ウクライナでの出来事を真摯にとらえ、両候補には節度と中身のある議論を期待したいところだ。

ソウル在住ジャーナリスト。『コリア・フォーカス』編集長

群馬県生まれの在日コリアン3世。1999年からソウルに住み人権NGO代表や日本メディアの記者として朝鮮半島問題に関わる。2015年韓国に「永住帰国」すると同時に独立。16年10月から半年以上「ろうそくデモ」と朴槿恵大統領弾劾に伴う大統領選挙を密着取材。17年5月に韓国政治、南北関係など朝鮮半島情勢を扱う『コリアン・ポリティクス』を創刊。20年2月に朝鮮半島と日本の社会問題を解決するメディア『ニュースタンス』への転換を経て、23年9月から再び朝鮮半島情勢に焦点を当てる『コリア・フォーカス』にリニューアル。ソウル外国人特派員協会(SFCC)正会員。22年「第7回鶴峰賞言論部門優秀賞」受賞。

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