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光州民主化運動39周年…文大統領が記念式で「統合」訴え(演説全文訳含む)

徐台教ソウル在住ジャーナリスト。『コリア・フォーカス』編集長
18日、光州民主化運動記念式典で演説する文在寅大統領。政府広報TVをキャプチャ。

韓国の文在寅大統領は18日、全羅南道の光州で行なわれた「光州民主化運動」39周年記念式に参加し、国民に向けて広く「統合」と「前進」を訴えた。文大統領の演説の内容をまとめた。

●光州民主化運動とは

光州民主化運動とは、光州市民が1980年5月、前年に軍事クーデターで権力を掌握した全斗煥(チョン・ドゥファン)率いる新軍部勢力による民主主義の破壊行為に対し立ち上がった市民運動だ。

5月18日に全南大学を中心に始まった抗議行動は、次第に市民の間に広まり2万人以上が結集する集会となった。鎮圧を図る政府の戒厳軍は21日、ついに市民に向け発砲する。

当時の光州を象徴する写真2枚。左は戒厳軍により亡くなった市民と遺族。右は光州民主化運動で亡くなった父の遺影を掲げる少年。5.18記念財団HPより。
当時の光州を象徴する写真2枚。左は戒厳軍により亡くなった市民と遺族。右は光州民主化運動で亡くなった父の遺影を掲げる少年。5.18記念財団HPより。

これに対し市民の一部は武装、市民軍を結成し戒厳軍と対立した。戒厳軍が光州を包囲し、光州市民が秩序を維持しつつも孤立する中、戦車を押し出した戒厳軍により、ついに市民の運動は鎮圧された。

光州市民の勇気と悲劇は、全国に知れ渡る中で80年代の民主化運動を牽引する大きな原動力となり、1987年6月についに民主化が達成された。だが、今なお「北朝鮮の指令によるもの」という虚偽の主張が保守派の一部からされており、韓国現代史におけるその存在感が際立っている。

●文大統領と光州

この日、光州市内の国立5.18墓地で4000人余りの市民が参加し行なわれた記念式典に、文在寅大統領が出席した。1953年生まれの文大統領は、高校・大学時代と民主化運動を積極的に行った経験があり、その「前科」から80年の光州民主化運動当時にも戒厳令により逮捕された経験を持つ。

文大統領は就任直後の2017年5月、光州民主化運動記念式典に参加した際の演説で「光州の痛みを共に分かち合うことができなかったという、とてつもない負債感が民主化運動に臨む勇気をくれ、私を今日この場に立たせるまで成長させてくれた力になった」と、自身にとっていかに光州が大切かを明かしている。

(参考記事) [全訳] 5.18民主化運動37周年 記念辞(2017年5月18日文在寅大統領)

https://www.thekoreanpolitics.com/news/articleView.html?idxno=97

文大統領は今年の演説の冒頭でも、「私は今年の記念式に必ず参加したかったのです。光州の市民たちに、あまりに申し訳なくて恥ずかしく、国民たちに訴えかけたかったからです」という部分で言葉を詰まらせ涙声になるなど、やはり光州民主化運動に対する格別な想いを垣間見せた。

続いて、「公権力が光州で行った野蛮的な暴力と虐殺に対し、大統領として国民を代表しもう一度深く謝罪します」と公に謝罪も行った。

式典では、光州で叔父を失った女性がお祖母さんと叔父に向けて「光州を忘れない」と涙ながらに語った。政府広報TVよりキャプチャ。
式典では、光州で叔父を失った女性がお祖母さんと叔父に向けて「光州を忘れない」と涙ながらに語った。政府広報TVよりキャプチャ。

●「民主主義」価値観と真相究明による「統合」訴え

この日の演説のおける中心テーマは、光州の価値を共有することによる「統合」にあった。

「5.18の真実は保守・進歩で分けることはできません。光州が守ろうとした価値こそがまさに『自由』であり『民主主義』であったからです。独裁者の後裔でない限り、5.18を別の目で見ることはできません」という部分がそれを象徴している。

また、過去の全斗煥軍事政権が市民の暴動を意味する「光州事態」と名付けたものを、同じ保守派の盧泰愚(ノ・テウ)政権「光州民主化運動」と名前変えた経緯を紹介し、一部の保守派による光州を否定する声にクギを刺した。

このような言及からは、韓国の市民、韓国の社会が何よりも大切にしてきた「民主主義」の伝統の下、左右真っ二つに割れている現在の社会状況を収拾したい想いが透けて見える。

演説する文大統領。政府広報TVよりキャプチャ。
演説する文大統領。政府広報TVよりキャプチャ。

文大統領は次いで、昨年3月に制定されたものの、関連委員会を立ち上げられないままでいる「5.18民主化運動真相究明特別法」に言及し、国会と政治家の努力をうながした。また、「委員会が発足する場合は政府が独自調査した内容を提供する」と、協力と支援を約束した。

文大統領は演説の最後の部分で「真実の前で私たちの心を開くとき、容赦と包容の場は大きくなるでしょう。真実を通じる和解だけが真の国民統合の道であることを、今日の光州が私たちに教えてくれます」と、ふたたび統合を訴えた。

さらに「光州の自負心は歴史のものであり、大韓民国のもので国民皆のものです。光州により蒔かれた民主主義の種を共に育て大きくしていく事は、幸せなものになるでしょう」と、国民にさらなる民主主義の発展をうながした。

以下は演説全文の日本語訳。青瓦台から配布されたテキストによる。翻訳は筆者。

●第39周年 5.18民主化運動記念式 記念辞

尊敬する国民の皆さん、

光州市民と全羅南道道民の皆さん、

今年もまた五月がやってきました。

この世を去った人々が恋しい五月がやってきました。

生きている五月がやってきました。

悲しみが勇気として咲きほこる五月がやってきました。

決して忘れることができない五月の民主英霊たちを悼んで、

厳しい歳月を生きてきた

負傷者と遺家族の方々に慰労のお言葉をおかけします。

真の愛国とはなんなのか、

人生で証明してこられた光州市民と全南道民たちに

格別な尊敬の想いを伝えます。

来年には5.18民主化運動40周年になります。

そのため、大統領がその時に

記念式に参席する方がよいという意見が多くありました。

しかし、私は今年の記念式に必ず参加したかったのです。

光州の市民たちに、あまりに申し訳なくて恥ずかしく、

国民たちに訴えかけたかったからです。

特に光州市民の皆さんと全南道民たちに

もう一度お話ししたいです。

80年5月、光州が血を流し死んでいく時

光州と共にできなかったことが

その時代を生きた市民の一人として本当に申し訳ありません。

あの時、公権力が光州で行った野蛮的な暴力と虐殺に対し

大統領として国民を代表しもう一度深く謝罪します。

今も5.18を否定し侮辱する妄言が、

はばかりなく大きな声で叫ばれている現実が

国民の一人としてあまりにも恥ずかしいです。

個人的には、憲法前文に5.18精神を込めるとした約束を

今まで守ることができていないことが申し訳ありません。

国民の皆さん、

1980年五月、私たちは光州を見ました。

民衆主義を叫ぶ光州を見て、

徹底して孤立した光州を見て、

孤独に死んでいく光州を見ました。

全南道庁を死守した市民軍の

最後の悲鳴と共に

光州の五月は私たちに深い負債意識を残しました。

五月の光州と共にできなかったこと、

虐殺される光州を放置したという事実が

同じ時代を生きた私たちに消せない痛みを残しました。

そうして私たちは光州を共に経験しました。

その時わたしたちがどこにいようが、

五月の光州をすぐに知ったか後で知ったかに関わらず

光州の痛みを共に経験しました。

その負債意識と痛みが

1980年代民主化運動の根となり、

光州市民の叫びがついに1987年6月抗争につながりました。

6月抗争は5.18の全国的な拡散でした。

大韓民国の民主主義は光州にあまりにも大きな借りを作りました。

大韓民国の国民として同じ時代、同じ痛みを経験したのならば、

そして民主化の熱望を共に抱いて生きてきたのならば

誰一人としてその事実を否定することはできないでしょう。

5.18の真実は保守・進歩で分けることはできません。

光州が守ろうとした価値こそがまさに

「自由」であり「民主主義」であったからです。

独裁者の後裔でない限り、5.18を別の目で見ることはできません。

「光州事態」と呼ばれた5.18が

「光州民主化運動」として公式に規定されたのは

1988年の盧泰愚政府の時でした。

金泳三政府は

1995年、特別法により5.18を「光州民主化運動」と規定し

ついに1997年に5.18を「国家記念日」に制定しました。

大法院もやはり新軍部の12.12クーデターから

5.18民主化運動に対する鎮圧過程を

軍事反乱と内乱罪と判決し、

光州虐殺の主犯を司法的に断罪しました。

国民の皆さん、

こうして私たちはすでに20年も前に

光州5.18の歴史的意味と正確について国民的な合意を成し遂げ、

法律的な整理まで終えました。

もうこの問題についてこれ以上の議論は必要ではありません。

意味のない消耗なだけです。

私たちがすべきことは

民主主義の発展に寄与した光州5.18を感謝しながら

私たちの民主主義をより良い民主主義に発展させていくことです。

そうしてこそ私たちはより良い大韓民国に向けて

互いに競争しながらも統合する社会に歩んでいけるでしょう。

私たちの歴史が一ページずつ区切りをつけながら

未来に向けて進めるように

国民の皆さんが心を合わせてくれることを望みます。

しかし、虐殺の責任者、秘密埋葬と性暴力の問題、ヘリからの射撃など

明かすべき真実が依然として多いです。

今なお究明されない真実を明らかにすることが

今、私たちがすべきことです。

光州が担った重い歴史の荷を下ろすことであり、

悲劇の五月を希望の五月に変えることです。

当然、政治家たちも参加しなければなりません。

私たち皆が共に光州の名誉を守り

残された真実を明かさなければなりません。

私たちは今、新しい大韓民国に向けて進んでいます。

5.18以前、維新時代と第5共和国時代にとどまる立ち遅れた政治意識では

ただの一歩も新しい時代に進んで行くことはできません。

私たちは五月が守った民主主義の土台の上で

共に歩んで行かなければなりません。

光州に借りを作った心を

大韓民国の発展で返さなければなりません。

尊敬する国民の皆さん、

光州市民と全南道民の皆さん、

昨年3月、

「5.18民主化運動真相究明特別法」が制定されました。

核心は、真相調査究明委員会を設置し

残された真実を残さず明かすことでした。

しかし今なお委員会が発足すらできていません。

国会と政治家たちが

より大きな責任感を持って努力してくれることを促します。

わが政府は国防部独自の5.18特別調査委員会の活動を通じ

戒厳軍によるヘリ射撃と性暴力、性的暴行、性拷問など

女性の人権への侵害行為を確認し、

国防部長官が公式に謝罪しました。

政府は特別法による真相調査究明委員会が発足すれば

その役割を果たせるように

全ての資料を提供し、積極的に支援することを約束します。

光州市民と全羅南道の皆さん、

5.18民主化運動39周年の今日、

光州は平凡な人生と平凡な幸福を夢見ています。

その年に生まれて39回の五月の過ごした光州の子どもたちは

中年の大人になりました。

結婚もしたでしょうし、親になっているでしょう。

真実が常識になる世の中で光州の子どもたちが

共に良く暮らすことを私は心から望みます。

民主主義を守った光州は今や

経済民主主義と相生(共生)を導く都市になりました。

労使政(政労使)すべてが譲歩と分け合うことで社会的な大妥協を成し遂げ

「光州型雇用」という名前で社会統合型の雇用を作り出しました。

すべての地方自治体がうらやましがり、

第2、第3の「光州型雇用」を模索しています。

「光州型雇用」の妥結により、国内の完成車工場が23年ぶりに

ピッグリーン産業団地に建つことになりました。

自動車産業も革新の契機となることでしょう。

「第4次産業革命」のための光州の努力もまぶしいものがあります。

未来の稼ぎ頭として水素、データ、人工知能(AI)産業などを

先頭に立って育成しています。

昨年3月国内ではじめて

「水素融合エネルギー実証センター」を竣工したことに続き、

国内最大規模の親環境「水素燃料電池発電所」建設も推進しています。

都市問題の解決のために自治体と民間企業が共にする

「スマートシティチャレンジ」公募事業にも

光州が最終的に選定されました。

光州は「国民の安全」にも模範となっています。

感染病への対応、国家安全大診断、災害予防などを含む

災難管理評価で光州は

今年、17の広域自治体の中で災難管理最優秀機関に選ばれました。

交通事故の死亡者数の減少率全国1位を達成する成果も成し遂げました。

光州市民と公職者すべてが

「全国で最も安全な光州づくり」のために努力した結果です。

痛みを経験した光州が

安全な大韓民国を作る先頭に立っていただきありがとうございます・

政府は光州が自身の夢を叶えられるように

常に共にあることでしょう。

国民も応援してくれると信じます。

尊敬する国民の皆さん、

光州市民と全南道民の皆さん、

今日から228番市内バスが五月の主要な史跡地である

周南(チュナム)マウルと全南大病院、旧道庁と5.18記録館を運行します。

228番は「大邱2.28民主運動」を象徴する番号です。

大邱でも518番市内バスが運行されています。

大邱のタルグボル(達句伐)と光州のピッコウルは「タルピッ同盟」を結び

正義と民主主義で結束しました。

光州に対する否定と侮辱が続く状況で

大邱のクォン・ヨンジン市長は光州市民に対し謝罪の文章を送りました。

二つの都市は歴史の歪曲と分裂の政治に反対し

連帯と相生の協力を実践しています。

これが、私たちが進むべき容赦と和解の道です。

五月はこれ以上、怒りと悲しみの五月になってはいけません。

私たちの五月は希望の始まり、統合の土台にならなければなりません。

真実の前で私たちの心を開くとき

容赦と包容の場は大きくなるでしょう。

真実を通じる和解だけが真の国民統合の道であることを

今日の光州が私たちに教えてくれます。

光州には勇気と恥、

義の心と羞恥、

怒りと容赦が共にあります。

光州が担った歴史の荷はあまりにも重いものです。

その年の五月、光州を見て経験した国民が

共に担うべき荷です。

光州の自負心は

歴史のものであり、大韓民国のもので国民皆のものです。

光州により蒔かれた民主主義の種を

共に育て大きくしていく事は、幸せなものになるでしょう。

私たちの五月が毎年かがやき

すべての国民に未来に進む力となることを望みます。

ありがとうございます。

式典の最後に『イム(あなた)のための行進曲』を斉唱する文大統領夫妻と参加者たち。政府広報TVよりキャプチャ。
式典の最後に『イム(あなた)のための行進曲』を斉唱する文大統領夫妻と参加者たち。政府広報TVよりキャプチャ。
ソウル在住ジャーナリスト。『コリア・フォーカス』編集長

群馬県生まれの在日コリアン3世。1999年からソウルに住み人権NGO代表や日本メディアの記者として朝鮮半島問題に関わる。2015年韓国に「永住帰国」すると同時に独立。16年10月から半年以上「ろうそくデモ」と朴槿恵大統領弾劾に伴う大統領選挙を密着取材。17年5月に韓国政治、南北関係など朝鮮半島情勢を扱う『コリアン・ポリティクス』を創刊。20年2月に朝鮮半島と日本の社会問題を解決するメディア『ニュースタンス』への転換を経て、23年9月から再び朝鮮半島情勢に焦点を当てる『コリア・フォーカス』にリニューアル。ソウル外国人特派員協会(SFCC)正会員。22年「第7回鶴峰賞言論部門優秀賞」受賞。

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