元徴用工訴訟、「もう一つの本質」と文政権に足りない「努力」
昨年10月30日の判決以降、日韓で平行線が続くいわゆる「元徴用工判決問題」。11日に韓国であった大きな動きを整理し、韓国側の「見方」とその「課題」をまとめた。
●前大法院長・梁承泰へが検察へ
「国民の皆さんに大きな心配をおかけして申し訳ない。この全てが私の不徳によるもので、その責任は全て私が負っていくのが正しい」。
11日午前9時、ソウル大法院前。梁承泰(ヤン・スンテ)前大法院長が大勢のメディアに囲まれ口を開いた。大法院は日本における最高裁判所、大法院長は最高裁長官にあたる。
李明博(08年2月〜13年2月)、朴槿恵(13年2月〜17年3月)政権時代にまたがり、11年9月から17年9月まで大法院長を務めた梁氏はこの日、ソウル中央地方検察庁で聴取を受ける前に、自身の「職場」だった大法院を訪れ記者会見を行ったのだった。
続く9時半、梁氏はすぐ隣にあるソウル中央地方検察庁に到着。ここでは待ち構えていた報道陣の前で口を開かず、そのまま庁舎内に入っていった。
梁氏の嫌疑は「司法ろう断」。日本では聞き慣れない言葉だが、大法院長の職権である「司法行政権」を濫用したことで、三権分立の秩序を乱した疑いだ。
その内容は多岐にわたる。複数の韓国メディアを参考にまとめるだけでも、「朴槿恵政府政権が要求する判決を出すための裁判取引」や、「政府に批判的な判事のブラックリストを作成し不利益を与えたこと」、「朴槿恵大統領の弾劾裁判において、憲法裁判所の内部機密を抜き出そうとしたこと」などが挙げられる。
また、昨年10月30日に大法院が上告を棄却することで確定した、いわゆる「元徴用工判決」を「遅延させ、結果を覆そうとした」という疑いがある。
こうした疑いは、先立って検察の取り調べを受け起訴された法院行政処長を務めた梁氏の元部下をはじめとする者たちの「梁氏の指示」という証言によるものだ。疑いは多岐にわたり、40ほどになると見られている。
●「元徴用工判決」への介入
中でも韓国メディアも「最大の嫌疑」とするのが、「元徴用工判決」についてだ。
これまでの検察の捜査により、梁氏みずからが被告・新日鉄住金を弁護してきた韓国最大のローファーム「金&張」を訪れ、外交部などとやり取りしながら、2013年7月のソウル高裁での差し戻し判決(原告勝訴確定)を延期させ、その後は大法院(最高裁)でこの判決を覆そうとした形跡が発見されている。
梁氏はこの「対価」として、「上告法院」の設置を求めたとされる。韓国は地方法院→高等法院→大法院の三審制であるが、高等法院と大法院の間、もしくは大法院とは別に「上告法院」を設置しようというものだった。
その理由について、梁氏は法により14名と決められている大法官の業務過多を挙げていた。
キー局のSBSは18年6月8日付けの記事で「2014年基準で上告事件が37,615件、大法官1人あたり処理するべき事件が3000件を超え、綿密な事件審査ができない」と背景を説明していた。
だがこの「上告法院」は憲法違反にあたるという指摘があった。同じ記事にはこうある。
この対価に関する梁氏の真意はまだ分からないが、いずれにせよ検察側が韓国メディアに明かしたところによると「元徴用工判決」への介入については多くの証拠が集まっているという。
●最大の焦点「誰が指示したのか」
そこで最大の焦点となるのが、梁氏に介入を指示したのは誰か、という点だ。この点に関して、日刊紙『ハンギョレ』は1月7日付けの記事で以下のようにまとめている。
朴槿恵大統領が在職中、何度も強調した「漢江の奇跡」には、日本との国交正常化が無関係ではない。つまり、朴槿恵大統領が父・朴正煕大統領の治績に「汚点」となるような判決を望まなかったということだ。
だが、当の朴槿恵前大統領は口をつぐんだままだ。ソウル地検は9日、ソウル拘置所に収監中の朴前大統領に捜査官を派遣したが、朴氏の拒否により調査は行われなかった。なお、朴大統領は一連の裁判への出席も拒否している状態だ。
検察の見方は一貫している。やはり『ハンギョレ』の9日付けの記事を引用してみる。
●文大統領は「もう少し待って」
韓国の文在寅大統領は10日、記者団との新年記者会見の席で、日本メディアによる「請求権協定問題」への対応について聞かれた際、以下のように答えた。
「韓国の大法院の判決に対し、日本も韓国も、世界のすべての文明先進国が同じ様に、三権分立により司法部の判決に政府が関与することができません。政府は司法部の判決を尊重しなければなりません」。
「新たな財団や基金の可能性などといった部分は、もう少し、この事件について、今まさに捜査が行われている状況であるため、そういった状況が整理されるのを待って、判断しなければならないと考えている」。
この発言について、政権に近い関係者は匿名を条件に筆者にこう説明する。
「政治による司法への介入という問題が、韓国では今現在、とても深刻な問題として受け止められている。さらに裁判が続いていることから文大統領としても『司法判決に対し、政治が議論しない』という立場を堅固に表明するしかない脈絡がある」。
確かに、韓国では大法院長(最高裁長官)を務めた人物が検察の取り調べを受けるのは前代未聞の出来事だ。
18年6月、全国の弁護士2015人は宣言文を通じ、梁氏を頂点とする司法ろう断の徹底解明を訴えた。関連する文書をすべて公開し、それに関わった者や、裁判取引などの詳細を調査した上で、責任者を処罰および弾劾することを要求するものだ。
しかし、これを行う場合、司法界に深刻な「内紛」や「分裂」が起きる恐れもある。こうした声を含め、今なお韓国の法曹界でも梁氏について賛否があるとされる。
こうした事情が文大統領による「もう少し待ってくれ」という判断につながっていると見て良い。
なお、嫌疑が膨大なため、梁氏の捜査結果が出るまでには時間がかかるとされる。しかし、最優先で最も介入の証拠が多い「元徴用工判決」を扱うと韓国メディアは報じている。
●韓国の事情は分かるが、より一層の努力を
ここまでが判決内容とは別な、「元徴用工訴訟」をめぐる韓国側の「もう一つの本質」だ。
長く続いた独裁政権時代の名残として大統領が司法部に強い影響力を持つ韓国において、朴政権時代に行われたとされる「司法ろう断」を明らかにし、再発防止策を立てることは、大きな挑戦と呼んでも過言ではない。
そしてそれはようやく今、始まったばかりだ。言わば、朴前大統領は司法に介入し、文大統領はそれを慎重に正していると見て良いだろう。
前出の政府関係者は「結局は司法ろう断の問題が解決してこそ、日韓関係に対する文大統領の発言も今より自由になると解釈すべき」と説明する。
しかし今、こうした韓国の事情が日本政府や日本社会に十分に伝わっているとは思えない。
毎日新聞が10日付けの記事で伝えたところによると、李洛淵(イ・ナギョン)国務総理に一任されていた日本への対応が、「あまりに多くの利害が絡むので、首相室で調整できず、青瓦台で検討することになった」という。
だからこそ、韓国政府は外交ルートや議員間のネットワークを利用して、日本側に十分に現状を説明するべきだ。しかし、駐日韓国大使館をはじめ、そうした各方での努力が「不十分だ」という声が聞こえてくる。
文大統領が言うように、日本の「政治家や指導者が政治争点化」している部分はあるだろう。しかし、韓国政府として当然、行うべき努力も明確に存在すると筆者は考える。