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平壌訪問で見えた「人間・文在寅」と政権のスタンス

徐台教ソウル在住ジャーナリスト。『コリア・フォーカス』編集長
20日午前、白頭山頂の湖・天池の水を汲む文在寅大統領。写真は平壌写真共同取材団。

15万人を前に演説

9月19日夜、文在寅大統領は朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮)の平壌中心部にある「5月1日競技場」で、15万人の平壌市民を前に約7分間の演説を行った。

内容は大きく3つに分けられる。

まずは、「南北両首脳と8000万同胞は新しい時代を作っている」、「その時代とはこれ以上、戦争のない平和な時代であり、共同繁栄と自主統一の未来」、「両首脳は美しいわが山河を永久に核武器と核脅威の無い平和の土台に作り上げ、後世に引き渡す」といった、現状を説明するもの。

次いで、「私と共にこの大胆な旅程を決断し、民族の未来に向かって一歩一歩歩いている皆さんの指導者・金正恩国務委員長に惜しみない賛辞と拍手を送る」、「困難な時期にも民族の自尊心を守り、どうやってでも自ら立ち上がろうとする不屈の勇気を見た」と、金正恩氏と北朝鮮の市民を称えるものが含まれた。

19日夜、「5月1日競技場」で演説する文在寅大統領。写真は平壌写真共同取材団。
19日夜、「5月1日競技場」で演説する文在寅大統領。写真は平壌写真共同取材団。

そして最後に、「わが民族は優秀です。わが民族は強靭です。わが民族は平和を愛します。わが民族は共に生きなければなりません」、「私たちは5000年を共に生き、70年を別れて暮らしました。私は今日この場所で、過去の70年の敵対を完全に清算し、再び一つになるため平和の大きな一歩を踏みだすことを提案します」という、民族を全面に押し出したものだった。

文大統領の口調は静かで断固とした、いつものものであったが、合間に平壌市民の拍手が入る中で、次第に熱を帯びていった。特に「わが民族は優秀です〜」のくだりでは非常に力強いものとなった。

筆者はこれまで文大統領の演説を多く見てきたが、今回のように上気した姿は初めてだった。

「分断」の中で生きてきた半生

よく知られているように、文大統領の両親は北朝鮮の東北部・咸鏡南道の咸興(ハムン)出身で、朝鮮戦争が激しかった1950年12月に戦火を避け韓国に逃れてきた避難民だ。

文大統領は1953年の1月に釜山市に隣接する巨済郡(現・巨済市)で生まれた。同年7月、約3年に及んだ朝鮮戦争が停戦し、南北の自由な往来は禁止された。

こうして文氏の両親は、故郷を失った「失郷民」となった。母は存命中だが、北朝鮮で公務員を務めた父は78年、故郷を想いながら亡くなった。

一方、文氏は大学時代の74,75年に、当時の朴正煕(パク・チョンヒ)大統領による独裁政権に反対するデモを主導し、逮捕された経験がある。

1970年代(20代)の文在寅氏。左は金正淑夫人。文大統領のフェイスブックより引用。
1970年代(20代)の文在寅氏。左は金正淑夫人。文大統領のフェイスブックより引用。

82年に釜山で弁護士となってからは、故盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領と共に民主化運動、労働運動を支援し、時に先頭に発ちながら87年6月の民主化に貢献した。

ここで筆者は南北の「分断」に想いを馳せる。分断の影響は何も往来の自由が制限されるだけでない。南北対立という非常事態の名の下に、権力者による横暴・弾圧・人権無視が正当化され、軍事偏重の暴力的な社会となっていく。

「分断暴力」と呼ばれるこの現象を、民主化と労働運動の最前線にいた文氏は何よりも痛感していたはずだ。両親の想い、分断の傷跡…そうしたものに加え、11年前に平壌を訪れた今は亡き盟友・盧武鉉氏をも思い、あのような演説のトーンになったのではないかと筆者は考えた。

文政権の「強引さ」はどこから

冒頭の演説と今回の訪朝での発言を通じ、筆者には初めて文在寅政権の「オリジナルカラー」が見えた気がした。

これまで文政権の北朝鮮政策のスタンスは、過去に北朝鮮との初の南北首脳会談を実現させ「和解協力」を推し進めた金大中(キム・デジュン、98年〜03年)政府や、それを受け継ぎ「平和繁栄」を基調にした盧武鉉(ノ・ムヒョン、03年〜08年)を踏襲するものと一般的に思われていた。

だが、もう一歩踏み込んだ所に軸足が置かれているのではないかと筆者は思い直した。二つの例を挙げる。

一つ目は初日18日に平壌で金正恩氏と共にカーパレードを行ったあと、迎賓館「百花園」に到着した際に行った「平壌市内を見ると、平壌が驚くほど発展していて驚きました。山にも木が多かったです。困難な条件で人民の生活を向上させた金委員長のリーダーシップに敬意を表し、期待するところが大きいです」という発言だ。

二つ目は冒頭で引用した演説にある以下の部分だ。

「金正恩委員長と北の地の同胞たちがどんな国を作っていくのか熱い想いで見ました。どれほど民族の和解と平和を渇望しているのか切実に確認しました。困難な時期にも民族の自尊心を守り、なんとしてでも自力で立ち上がろうとする不屈の勇気を見ました」

共通するキーワードは「困難」。

ではその困難はいったいどこから来るのか。米国による圧迫という外因に求めるのが北朝鮮の解釈で、核開発への傾倒や改革開放の不実施など北朝鮮の政策にも一因があるとするのが筆者をはじめ一般的な解釈だ。

だからこそ、今年6月12日の米朝首脳会談は「歴史的」であった。写真は共同取材団。
だからこそ、今年6月12日の米朝首脳会談は「歴史的」であった。写真は共同取材団。

だが文大統領の一連の発言からは、北朝鮮寄りの解釈をする印象を抱かざるを得なかった。金正恩氏に対し「正当性、無謬性(過ちがないという解釈)」を与えているとさえ思えた。

こうした「強引さ」とも取れる積極性がどこから来るのかはもう少し見極める必要がある。

政権としての戦略的な譲歩である可能性もあるし、大統領を含む政権高官たちに「民族史の完成」といった観念的な想いがあるのかもしれない。

人権の視座から

筆者が「無謬性」に対し少なくない拒否感を感じるのは、北朝鮮の人権問題にある。北朝鮮では「最高指導者を決死擁衛」し「党の唯一領導体系確立の10大原則」を守ることが最優先であり、そのためには人権侵害と規定できる内容を含め、あらゆることが認められる。

そしてその論理的な根拠の一つに外勢による圧迫がある。すなわち、これもまた「分断暴力」の一つの現れと言えるが、文大統領の発言はこうした北朝鮮の論理に免罪符を与えたようにも受け取れる余地があるということだ。

もちろん、筆者も「人権を掲げては北朝鮮と交渉はできない。まずは関係を改善し、北朝鮮との交流を増やすことが長期的には社会と住民生活の改善につながる」という現政権の主張を知らない訳でも、理解できない訳でもない。

だがこの部分は、依然として文政権が越えていくべき課題であるという点を指摘しておきたい。人権問題というのは、全てが「長期的」の名の下に免除されるものではない。即時的に、今すぐ改善されなければならないものもたくさんある。

ただ、文大統領は19日の平壌共同宣言署名時の記者会見で、以下のように述べている。

「1953年、停戦協定で砲声は止まりましたが過去65年、戦争は私たちの生活の中に続いてきました。死ななくともよい若い命が無くなり、隣人との間に目に見えない壁が生まれました。朝鮮半島を恒久的な平和地帯として作ることで私たちは今後、私たちの生活を正常に戻せるようになりました。

その間、戦争の脅威と理念対決が作ってきた特権と腐敗、反人権から抜け出し、わが社会を完全に国民の国へと復元できるようになりました。私は今日、この言葉をお話することができ、胸がとてもいっぱいです」

南北双方に当てはまる発言である点に留意したい。

評価は歴史が決める

今回の文大統領の演説を「歴史的な演説」とする評価が韓国内には多い。

たしかに首都・平壌の、おそらく金正恩政権への忠誠心の高い層に向け、朝鮮半島の未来について韓国の大統領が発したメッセージは長く記憶に残るだろう。

だが韓国では未だ、48年の韓国政府樹立以来「反共」を拠り所にしてきた保守層と、南北関係改善による分断克服を目指す進歩派層の間に深い溝がある。

この溝は今後もおそらく埋まることはないだろう。現実がどちらに進むかによって、一方は力を急速に失う他にない。今回の首脳会談と演説は、そんな韓国社会の過渡期に文大統領と進歩派が投じた一石でもある。

20日、白頭山の天池で記念撮影する南北両首脳夫妻。歴史的な場面だ。今後どんな位置づけになるか。写真は平壌写真共同取材団。
20日、白頭山の天池で記念撮影する南北両首脳夫妻。歴史的な場面だ。今後どんな位置づけになるか。写真は平壌写真共同取材団。

今後、南北関係がどう発展し、その中で南北の社会がどう変わっていくのか。そしてそこに人間・文在寅がどんな影響を及ぼしたのかという評価は、歴史が決めるだろう。大切なのは冷笑せず、積極的に関わることだ。

最後にこの点に関し、「わが民族は優秀です」と民族心を過度に強調するのは止めて欲しいという個人的な想いを明らかにしておく。

何度も書いてきたように、これからは朝鮮半島に住む誰もが、そして周辺国の誰もが経験したことのない新しい時代が来る可能性がある。

筆者は民族の想いは尊重しつつも、たくさんの国や地域の多様な人々が気軽に未来の朝鮮半島建設に参加できるような、そんな雰囲気を望みたい。

ソウル在住ジャーナリスト。『コリア・フォーカス』編集長

群馬県生まれの在日コリアン3世。1999年からソウルに住み人権NGO代表や日本メディアの記者として朝鮮半島問題に関わる。2015年韓国に「永住帰国」すると同時に独立。16年10月から半年以上「ろうそくデモ」と朴槿恵大統領弾劾に伴う大統領選挙を密着取材。17年5月に韓国政治、南北関係など朝鮮半島情勢を扱う『コリアン・ポリティクス』を創刊。20年2月に朝鮮半島と日本の社会問題を解決するメディア『ニュースタンス』への転換を経て、23年9月から再び朝鮮半島情勢に焦点を当てる『コリア・フォーカス』にリニューアル。ソウル外国人特派員協会(SFCC)正会員。22年「第7回鶴峰賞言論部門優秀賞」受賞。

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