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学校は心理的安全な職場になっているか?

妹尾昌俊教育研究家、一般社団法人ライフ&ワーク代表理事
画像はいらすとや

■声の大きな人の意見が通る

「職員でもっと意見を戦わせることが必要ですね。」

 先日わたしが講師を務めたある研修会で、中学校の先生がそうおっしゃいました。コロナ禍で“飲みニケーション”がなくなり、じっくり話をする場や本音をぶつける場もずいぶん少なくなっている、とのこと。

 さらに各学校では、感染症対策に細心の注意を払いつつ、ICT対応(児童生徒一人一台端末の活用など)や行事の見直し(たとえば、修学旅行の延期など)などでてんてこ舞い。

 教職員の間でしっかり意見を言う、議論するという時間も、ハショりがちになっています。

 もちろん、さまざまな職場、学校がありますから一概には言えないのですが、わたしが教職員の方たち(上記の方以外も含めて)から聞くのは、次のようなケースです。

  • 一部の声の大きな先生の意見が通りやすい。その人がしゃべった後は、異論や疑問をはさむ人はほとんどいない。
  • 職員会議や学年、行事に関する会議では、情緒的な主張、意見がよく出る。たとえば、「子どもたちがかわいそう」、「すべては子どものためです」といった一言で、その後の議論を封じ込めてしまう。根拠や前提を確認したり、論理的に議論をしたりすることは少ない。
  • 反対意見を述べたり、疑問をはさんだりすると、会議が長引くし、「面倒なヤツ」と思われる雰囲気がある。

  • 新しいことや挑戦することを言うと、提案した人一人がやる(やらされる)ことになりかねない。なので、黙っておく。
  • みんな忙しいので、今以上のことはできないと、多くの人ははじめから、あきらめている、思い込んでいる。

写真はイメージ
写真はイメージ写真:アフロ

■意見を戦わせて、仕事の質を高めているか?

 ちゃんと調査したわけではないので、断定はできませんが、おそらくこうした状況が多く見られる職場(ここでは「おとなしい職場」と呼んでおきます)では、意見を戦わせることはほとんどありません。前例踏襲を打破して挑戦したり、異なる意見や価値観のなかで、よりよい方策を導いたりすることも苦手なはずです。

 言い換えれば、先生たちが「おとなしい」学校では、事なかれ主義的になりがちです。もしくは、特定の考え方や価値観に強く同調しても、それではうまくいかないときに軌道修正を図りにくいでしょう。

 こうした話は、なにも学校にだけ言えることではありません。企業研究でも、「心理的安全性」について、ここ数年、よく注目されるようになってきました。「心理的安全性」とは、対人関係におけるリスクをとっても安全だと信じられる職場環境を指しますが、平たく言えば、率直に意見やアイデアを出して、仕事の質を高められるチームであるかどうかということでしょう。先ほど、「おとなしい職場」と表現したのは、心理的安全性の低い職場ということです。

 先行研究によると、心理的安全性の低い職場では、健全に意見を戦わせることはなく、挑戦しようとすることも少ない。うまくいかなかったこと、失敗から学ぶということも少ない傾向があります。

 今般の新型コロナのような不確実性の高い状況では、これまで通りの考え方とやり方では通用しない場面が多いですし、さまざまなことを試行しながら改善していくしかないのですが、心理的安全性の低い職場、「おとなしい職場」ではうまく対応できないのではないでしょうか?

■授業(教育課程)や部活について突っ込んで検討しているか?

 具体例で申し上げましょう。

 各学校では、昨年度の授業、教育課程の振り返りは、どのくらいできたでしょうか?

 あれほど休校が長引きましたが、ともかく教科書を最後まで終えるということには注目しても、そもそもどんな学びを実現したかったのか、その点でどのくらい実現したのか、課題は何だったのかなどを突っ込んで反省したでしょうか。また、学力や家庭環境でしんどい子どもたちが置いてきぼりになってはいなかったでしょうか(そうした問題はコロナ前からもありましたが)。

 学校評価など1年間の振り返る取り組みはどこの学校でも行っていますが、形骸化している、と多くの教職員が述べます。多少のアンケートをとって、結果をグラフにして、「肯定的な回答が多くてよかったね」という程度の職場もあります。もしくは何かよくない情報が出てきても、「コロナなので仕方がなかったよね」という程度の感想を述べて、それ以上突っ込んで検討しようとしません。

 教職員間で議論し、多様なアイデアや声を出して改善を図っていくという職場はどれほどあるでしょうか。人事異動もあるし、4月には昨年度の反省などなかったかのようにリセットして再スタート。

 別の例では、急速に少子化が進むなか、いまの部活動数を維持できない(維持しようとすると、さまざま無理や過大な負担が生じる)中学校や高校は多いはずです。また、プライベートも大切にしたい先生も多く、いまの部活動の体制やあり方のままでいいとは考えていない人も少なくないはずです。

 ですが、部活熱心な先生(大会などで実績も上げている)の声が大きく、あるいはそういう先生のことを他の教職員は忖度して、「部活のあり方を考えようなんて話し合いはとてももてない」。そんな声も多く聞きます。

写真:アフロ

 「#教師のバトン」をはじめ、Twitterなどで部活の不満がたくさん出ているのは、裏を返せば、リアルな職場では改善はおろか、意見すら出せていないからかもしれません。

 わたしは文科省等が「PDCA」とさまざまな文書で何度も強調するのは、どうかとは思っていますが(そもそも事前にきちんと計画できない事態も多いし、PDCAと書くことで思考停止している節もあるのは問題)、学校でCheckもActionも、さらにはPlanも形骸化していると思うことは多々あります。その背景には、上記のように、意見を戦わせることがないという問題があるように思います。みなさんの学校はいかがでしょうか?

 先生たちの多忙はほんとうに深刻で、改善に向けてできることを進めていきたいですが、忙しいからといって、大切な対話や議論をすっ飛ばしてしまうのは、考えものです。

 根本的な見直しが起きないので、一向に忙しさが改善しないという事態にもなりかねません。つまり、「忙しいから、議論ができない」という因果関係もあるでしょうが、「ちゃんと議論しないから、忙しい」という関係もあると思います。

 冒頭のコメント「職員でもっと意見を戦わせることが必要ですね」にわたしはこう申し上げました「主体的で対話的で深い学びは、まず職員室からですね。」

※本稿は、教育新聞への寄稿(2021年5月17日)を加筆して作成しました。

(参考)

石井遼介『心理的安全性のつくりかた』

エイミー・エドモンドソン『恐れのない組織』

中原淳・中村和彦『組織開発の探究』

妹尾昌俊『教師と学校の失敗学:なぜ変化に対応できないのか』

※妹尾の記事一覧

https://news.yahoo.co.jp/byline/senoomasatoshi/

教育研究家、一般社団法人ライフ&ワーク代表理事

徳島県出身。野村総合研究所を経て2016年から独立し、全国各地で学校、教育委員会向けの研修・講演、コンサルティングなどを手がけている。5人の子育て中。学校業務改善アドバイザー(文科省等より委嘱)、中央教育審議会「学校における働き方改革特別部会」委員、スポーツ庁、文化庁の部活動ガイドライン作成検討会議委員、文科省・校務の情報化の在り方に関する専門家会議委員等を歴任。主な著書に『変わる学校、変わらない学校』、『教師崩壊』、『教師と学校の失敗学:なぜ変化に対応できないのか』、『こうすれば、学校は変わる!「忙しいのは当たり前」への挑戦』、『学校をおもしろくする思考法』等。コンタクト、お気軽にどうぞ。

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