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毛染め強要あるいは禁止から考える、校則はなんのため?【もっと学校をゆるやかにしよう】

妹尾昌俊教育研究家、一般社団法人ライフ&ワーク代表理事
(写真:アフロ)

 東京都立の高校の一部が、生徒の地毛でも黒く染めさせている頭髪指導を巡り、NPO代表や弁護士ら有志が30日、指導中止を求める1万9065人分の署名や要望書を都教育委員会に提出した。都教委は地毛の黒染め指導を行わないと回答した(毎日新聞2019年7月30日)。

 少し前のデータとなるが、朝日新聞2017年4月30日によると、こんな実態があるようだ。

「朝日新聞は全日制の都立高(173校)の校長や副校長らに取材し、地毛証明書の有無を聞いた。170校が取材に応じ、全校の57%の98校が「ある」と回答。少なくとも19校が、幼児や中学生の時の髪の毛が分かる写真も求めていた。」

 2万近い署名が集まるということは、いまも多くの生徒が苦しんでいる、ということだろう。前述の毎日新聞記事では、P&Gが「今年2月、現役の中高生400人を含む計600人を対象に実施した調査で、13人に1人が地毛の黒染めを求める指導を受けた経験があった」との実態も紹介している。

 本来的には、都教委に言われなくても、あるいは、署名等で言われなくても、校則や”指導”を各学校が見直していけばよい話だ。「学校には自浄作用はないのか?」とも感じてしまうニュースであるが、多くの人が、教職員も保護者等も、校則について誤解していることも、問題の背景にあるように思う。

 ちょうど、先日と今日、教育新聞で憲法学者の木村草太教授に、校則の法的な位置づけなどについてインタビュー、対談した記事が載っている。詳細はそちらもご覧いただきたいが、きょうは、校則とはどのような性格なのか、多くの人の誤解を解いていきたい。

※公立学校を対象にする。なお、私立学校は別の観点での検討が必要となる。

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【木村草太氏×妹尾昌俊氏】学校の当たり前を法から見直す(上)

【木村草太氏×妹尾昌俊氏】学校の当たり前を法から見直す(中)

※(下)も近日アップされる予定

 申し上げたいことは3点ほどあるが、今回の記事では1)、2)を扱う。

1)学習指導や施設管理上必要なものを除いて、校則をもとに学校は生徒に強制、強要できない。

2)校則で髪の毛や服装について規定しても、それは”オススメ・ファッション”に過ぎない。

3)「生徒指導上必要だ」、「ゆるめると保護者・地域からクレームがくる」など校則を正当化してきた根拠を見つめ直す必要がある。

1)学習指導や施設管理上必要なものを除いて、校則をもとに学校は生徒に強制、強要できない。

 前述の木村先生へのインタビューを引用する。

妹尾

最近は、ブラック校則など学校ルールの見直しが始まっていますが、どう考えたらいいでしょうか。

木村 

まず校則の法的な位置付けを明確にする必要がありますよね。校則に従わなければいけない、と定めた法律はありませんから、「学校には校則を定めても、それを強制執行する権限がない」ということが出発点だと思うんです。

妹尾 

法令でもない校則をもとに、頭髪や服装などを生徒に強要はできない、というわけですね。

木村 

学校には「教育指導権」と「施設管理権」という二つの権限があります。例えば「駐輪場がないので、自転車で学校に来ないでください」というのは「施設管理権」にのっとって言えること。一方「教育指導権」に基づいて言えるのは、「授業中は他クラスの授業の邪魔にならないように、廊下で騒がないでください」といったことです。

校則は、「学校の教育指導権および施設管理権の行使基準を定めたもの」と理解するのが正しいでしょう。教育指導権や施設管理権をもつ人は、教育指導と施設管理のための要求を柔軟に行うことができる。ただ、その基準を明確にしておいたほうが、利用者にとって公平になったり、分かりやすくなったりしていいじゃないか、という形で定まっていくのが、本来の「校則」でしょう。

出典:教育新聞電子版2019年7月25日

 公立学校での茶髪禁止とか、あるいは都立高校の一部のように、黒く染めるのを事実上強要するというのは、教育指導上も施設管理上も必要不可欠とは言えないだろうから、学校側は、そういう校則と指導の存在理由を、きちんと説明できないのではないだろうか。裁判で、教育委員会・学校側が勝つか負けるかは別の論点もかかわるので、一概には言えないが、校則のあり方について、教育指導と施設管理という2点で整理して、必要性等を点検していけると、いいと思う。関連するのが次の2)だ。

写真素材:photo AC
写真素材:photo AC

2)校則で髪の毛や服装について規定しても、それは”オススメ・ファッション”に過ぎない。

妹尾

ただ法的に拘束力がないとはいっても、実質的に強制力があるようにみんなが信じてしまっているところがありますね。離脱すると先生からいろいろ言われるので、事実上強制されるということが起きてしまう。でもそれは校則が問題なのではなく、校則に基づいた指導が行き過ぎているかどうか、つまりその指導権限上、適切な範囲内に収まっているかどうかを考える必要がある、ということでしょうか。

木村 

そうですね。例えば昔「長髪裁判」というものがありました。男子生徒は全員丸刈りという校則がある学校で、丸刈りにしなかった生徒が訴えた。裁判所の認定では、この生徒は「3年間長髪で過ごした」とあり、(中略)丸刈りにしなかったからといって、無理やり髪をそるとか、罰金を取るということは起きていない。そこで裁判所は「まあ、いいんじゃない」ということを判決で言っている。丸刈りはあくまで学校の「お勧めファッション」であって、違反者が出ても制裁は課していないということでした。

ただし、制裁を課した場合に適法だとも言っていないので、もし髪を伸ばした、あるいは染めたという程度のことで停学や退学処分が行われたら、裁判所はかなり厳しい判断をするだろうと予想できます。

妹尾 

なるほど、校則の規定は「お勧めファッション」にすぎない、という考え方はすごくいいです。強制ではなく「推奨しているだけ」ということですね。そもそもそんな校則が要るのか、ということも考えないといけませんが。

木村 

以前、大阪の市営地下鉄の運転手が、規則でひげをそるよう強制された件について訴訟がありましたね。判決は、規則自体は適法だけれど、そることを強制したり、そらなかったことを理由に解雇したりしたら違法だと言っているんですが、これと同じ発想です。

出典:教育新聞電子版2019年7月30日

学校をもっとゆるく。ほとんど迷惑をかけないことへの制限は抑制的に。

 校則に法的拘束力はないし、教育指導権限上必要でないことは学校はできない。髪の毛の色や服装(制服、標準服)について規定しても、それはオススメ、推奨に過ぎない、と考えると、ずいぶん気が楽になると思う。さまざまな価値観や文化的背景をもつ人もいるなかで、もっと学校をゆるやかなものにしていったほうがいいのではないか。

 とはいえ、「いやいや、でも校則は必要だ」とか、「変な校則はやめたいとは学校側もよく感じているが、一部のクレームがあって」という意見もあろう。長くなったので、いくつか想定される反論やギモンについては、別の記事でお話してみたいと思うが、その校則や”指導”がなんのためで、何を守るためのものなのかは、よく見つめなおす必要があると思う。今回の最後に、次のことも紹介しておく。

妹尾 

授業中にうるさく騒ぎ過ぎる、というのであれば、他の子供の学習権侵害になるので教室から追い出されることもあると。

木村 

そうですね。一方、「制服を着なさい」というのはお勧めレベルなので、たぶん停学や退学にはできない。要は「誰の権利も侵害していないし、法律にも違反しない」というランクです。これは処分対象にはできないでしょう。

妹尾 

そういう意味では、よく校則違反をする生徒が「いや、これは誰にも迷惑をかけていないし」と言うのは、結構本質を突いている話ですね。

木村 

本質を突いています。

出典:教育新聞電子版2019年7月30日

教育研究家、一般社団法人ライフ&ワーク代表理事

徳島県出身。野村総合研究所を経て2016年から独立し、全国各地で学校、教育委員会向けの研修・講演、コンサルティングなどを手がけている。5人の子育て中。学校業務改善アドバイザー(文科省等より委嘱)、中央教育審議会「学校における働き方改革特別部会」委員、スポーツ庁、文化庁の部活動ガイドライン作成検討会議委員、文科省・校務の情報化の在り方に関する専門家会議委員等を歴任。主な著書に『変わる学校、変わらない学校』、『教師崩壊』、『教師と学校の失敗学:なぜ変化に対応できないのか』、『こうすれば、学校は変わる!「忙しいのは当たり前」への挑戦』、『学校をおもしろくする思考法』等。コンタクト、お気軽にどうぞ。

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