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東京医大の女子学生への入試不正は、アメリカなら問題ない?―望ましい入試制度とは何か

千田有紀武蔵大学社会学部教授(社会学)
(写真:アフロ)

アメリカでは恣意的な入試は当たり前?

東京医科大学の入試で、女子学生だけ不当に学科試験を減点し、男子学生だけ小論文で加点していた問題、多くの人の怒りを買っている。

私も都立高校の男女別定員制を記事にしたところ、大きな反響があった(東京医大だけではない。女子中学生も入試で不当に落とされているー都立高校の入試の話)。

その一方で、「アメリカでは普通のことなのに、騒ぐのが不思議だ」というコメントをSNSでちらほらと見つけた。

アメリカでは、入試の際にレガシー入試という制度があって、数割は「縁故」で入る。大統領の二世が、たいてい有名大学に行っているのは、こういったレガシー入試が活用されている(と思う。そこは秘密だから)。

「図書館でもポンと建てれば、誰だってどの大学に入れるよね」という会話も、よく交わされる。大学に金銭的に寄与することで、大学も寄付者に便宜を図るのだ。

これらが問題だと思われていないのは、よく「アメリカでは入学は簡単だが、卒業は難しい」といわれるように、入学が卒業を保証しない側面もあるからだ。

成績不振であれば、他の大学に転編入したり、退学したりする。そして学生は、血眼になって学業平均点をあげようとする。入学が恣意的であることが知られているぶん、そこでの達成が見られる。

格差を広げつつある日本の入試制度

アメリカでは、基本的には日本で言うAO入試のようなもので入学する。センター試験のような統一的なSAT(大学進学適性試験)を受けたあとは、作文や課外活動、面接等で人物アピールをすることが求められる。

アメリカでは、小さなうちから皆がボランティアに熱心なのは、大学入試がそれで決まるからである。

アメリカでは、親がスポーツに熱心なのは、大学入試で文武両道が問われるからである。

アメリカでは、個性をアピールすることに熱心のは、大学入試で問われるのがまさにそれだからである。

社会的エリートの親が、子どもに歯の矯正をさせ、体重のコントロールを厳しく言い渡しているのを見ることがある。それも大学入試のためだと明言していたのに、びっくりした。

つまり、勉強だけではなく、それ以外の「人物」の部分が見られるからだ。

東京医大の件を考えてみよう。

ペーパー入試で女子学生を減点したのは問題として立証できるとしても、小論文での点数はどうなのか。

そこへの男子の加点が恣意的なことを指摘できたとしても、「人物」、つまり面接の出来はどうなのか。

これはもう「素晴らしい人だと思ったので、満点をつけました」。「残念ながら、0点でした」といわれても、反論は難しいだろう。

論文、とくに面接は、かなりの部分、試験官の「主観」に依拠するテストなのである。

望ましい入試改革とは何か?

2020年、オリンピックの年に、大学は新しい入試制度が実施される。

その全貌は分からないが、いまの日本の入試制度はそれほど悪いものではないと思っている。

標準化された問題で、自分で教科書や参考書で勉強たら、いちおうたいていの大学にでも受かる。

塾にも行かず、自習だけで東大に受かったひとは、地方などには実は結構いるのではないかと思っている(塾に行くことが、合格への近道であることは、間違いがないが)。

「詰め込み」「受験戦争」といわれたかつてとは違い、少子化、ゆとり教育を経た現在、勉強をしすぎた学生がそれほどいるのかと思う。

むしろ基礎学力の欠如が、深刻な問題である。

AO入試化する大学入試

勤務校のAO入試はとても丁寧なプロセスを経ており、非難されるべき要素はない。

それはきちんと断っておく。しかしそれを強調したうえでも、AO入試は不平等な試験だという思いもまた、捨てきれない。

豊富な海外経験、そこでのボランティア、堂々とした自己アピール、豊かな教養に基づく素晴らしい文章、それらは、とても素晴らしいことだけれども、多くの部分は、親の経済階層、親の教養、教育戦略、もっているネットワークなどと無縁ではないからである。むしろ、それで決まる部分が大きい。

日本は大学入試にパスすることが、その人の持つ能力の「シグナル」と考えられがちな社会である(実はアメリカのような学歴社会ではなく、日本では社会に出れば、学歴や学校歴はアメリカのような資格としては重視されないところもあるが)。

本人の努力では超えられないような差がついてしまうのが、「人物本位」入試ともいえる。

社会では成績ではなく、その人物がどのようなひとかで判断されるべきだ。

しかし、教育を受ける権利も、「人物」の素晴らしさで問われるべきなのか。そこは、成績がメインであるべきではないのか。

超えられない壁が厚く、高くならない方向での入試「改革」を望みたい。

武蔵大学社会学部教授(社会学)

1968年生まれ。東京大学文学部社会学科卒業。東京外国語大学外国語学部准教授、コロンビア大学の客員研究員などを経て、 武蔵大学社会学部教授。専門は現代社会学。家族、ジェンダー、セクシュアリティ、格差、サブカルチャーなど対象は多岐にわたる。著作は『日本型近代家族―どこから来てどこへ行くのか』、『女性学/男性学』、共著に『ジェンダー論をつかむ』など多数。

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