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福田事務次官セクハラ問題、何が問題なのかを考えてみる #Me Too#We Too#With You

千田有紀武蔵大学社会学部教授(社会学)
#With Youなどの札をもって撮影に応じる参加者たち

高校生の頃から、記者になるのが夢だった。もしも夢が叶ったら、財務省の福田淳一事務次官による「セクハラ発言」のようなものを聞いたのだろうか。

答えは、間違いなくイエスだろうと思う。なぜなら、社会学者という肩書きの私ですら、駆け出しの頃に業界で体験した言動は、一線を越えていたからだ。「触られてもいないんじゃないの」「だったらすぐに男に替えればいいだけじゃないか」(麻生太郎財務大臣発言)といわれることはわかっていたから、何も言えなかった。

たかが発言、我慢して受け流せばいいじゃないのと思われるかもしれない。就職が決まったことにかんしても、女性であることの評価、若さや容姿に言及する発言を第三者にされたときには、本当に傷ついた。研究者でさえも、業績だけで評価されないのか。女性が働くということは、セクハラ発言を我慢することも含まれているのか――若い女性である当時の私は苦悩した。

「女性」であるがゆえにセクハラにあい、実際の仕事から外されそうになるのに、逆に「女」を使ったといわれ、正当に評価されない。記者さんの気持ちは、察して余りある。長い自分語りになったが、そういう体験を思い出させられた「セクハラ被害者バッシングを許さない!4.23緊急院内集会#Me Too #We Too #With You #私も #もう終わりにしよう in 永田町+霞が関」であった。取材をする記者さんたちの熱気をあそこまで感じた院内集会はなかったし、実際の記事にも納得である。

「セクハラ疑惑で緊急集会=「被害者バッシング」危惧-東京」(時事通信社)

「「セクハラ黙認、終わりにしよう」国会で200人が集会」(朝日新聞)

「セクハラ疑惑 国会で黒服抗議 女性記者へ連帯示す」(毎日新聞)

新聞労連中央執行委員長の小林基秀は、女性たちがセクハラに悩まされ、我慢してきたことすらが、次なるセクハラを容認したのではないかと自らを責めていることを、不要な悩みだという。

トップは「セクハラは人権侵害である」「セクハラは許さない」「セクハラをした人間は厳しく処罰する」という当たり前の事実を宣言をする必要がある。また報道機関のトップがセクハラ対応をしてこなかったことを反省し、「取材先、取引先、同僚からセクハラを受けたら、すぐに報告してくれれば、守る」という必要がある。

組織的にきちんとセクハラに対応するということで、事態は劇的に変わるというのだ。

労働政策研究・研修機構の内藤忍副主任研究員は、セクハラ対応の法制度の限界を指摘した。民間の職場では、男女雇用機会均等法がセクハラに対応する法律になるが、事業主に対する措置義務のみである(公務員の場合には、職員がセクハラをしないように注意する義務がある)。

また均等法には、セクハラの定義がない。被害者の適切な行政救済のためには、行政が判断できる「セクハラ禁止規定」「セクハラの定義規定」、法的判断ができる、ハラスメント救済委員会などの救済システムの構築が必要であるという。

また公益通報者保護法に、均等法違反の外部通報の保護を明確に盛り込む必要があるとも主張した。先の小林委員長は、今回の福田事務次官の録音は、「取材」の域を超えており、「公益通報」にあたるとの判断をされている。

また集会では、超党派の議員を代表して、山本あき子議員が狛江高橋都彦市長のセクハラ疑惑についても語った。市長は、「エレベーターでお尻を触られた」「夜誘われることが多く困っている」「自席に電話がかかってくるので、他の職員にも誘われていることが知られている」とったセクハラ被害者の訴えを認めることなく、「身に覚えがない」「性的好奇心で職員と接したことはない」と主張、市政を混乱させた責任として、2か月20パーセントの給与減額に応じているという。

「(狛江)一家意識というか家父長的な意識でやっている」(「狛江市長セクハラか 議会で追及、本人は否定」東京新聞)という市長の発言の紹介に、会場はどよめいた。

福田事務次官は、セクハラ発言を「言葉遊び」といったという。しかし受け手にとっては、セクハラ発言は「遊び」ではなく、まさに傷つけ、仕事をする者の尊厳を奪う「凶器」そのものである。「時には女性が接客をしているお店に行き、お店の女性と言葉遊びを楽しむようなことはある」というが、「お店の女性」の側は、そのような遊びを楽しんでいただろうか。「お店」であれば、許されるのか。

男性であればあたり前の一対一の取材を、「ネタをもらえるかもってそれでついていったんだろ」といわれるようなことを許してはならない。職場、とくに今回のようなマスコミの業界でセクハラにはきちんと対応することが、報道の自由を守り、労働環境を守り、結果として健全な社会環境を作り出すことになる。その重要性を、男性であれ、女性であれ、否定するひとはいないだろう。またセクハラをしても処分されないという先例が、セクハラを許す土壌を作り出していることも、否定できない。

「なんでもセクハラといわれるから堅苦しい。自由になにもいえない」という声をよく聞く。そう。自由にものを言ってはいけないのだ。他者を傷つけないのか、ハラスメントにあたらないかを吟味して、自らの責任において発言をすることが求められるのではないか。

*集会の動画は、認定NPO法人ウィメンズアクションネットワークのウェブサイトで公開中である。

武蔵大学社会学部教授(社会学)

1968年生まれ。東京大学文学部社会学科卒業。東京外国語大学外国語学部准教授、コロンビア大学の客員研究員などを経て、 武蔵大学社会学部教授。専門は現代社会学。家族、ジェンダー、セクシュアリティ、格差、サブカルチャーなど対象は多岐にわたる。著作は『日本型近代家族―どこから来てどこへ行くのか』、『女性学/男性学』、共著に『ジェンダー論をつかむ』など多数。

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