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東京へ。アジアユースパラで金メダルを獲得した陸上競技・三須と水泳・東海林の新たな一歩

瀬長あすか障がい者スポーツライター/健康系編集ライター
表彰式で笑顔を見せる三須(パラスポ!提供)

次世代のパラアスリートが参加する「ドバイ2017アジアユースパラ競技大会」が13日、UAE・ドバイで閉幕した。

12歳から23歳までの若手を対象としており、87選手を派遣している日本は、初日から水泳や陸上競技で金メダルを獲得。2020年の東京パラリンピック、2024年のパリパラリンピックを目指すアスリートたちが着実に歩を進めている。

そんななか、若くして国内トップに上り、昨年のリオパラリンピック出場が叶わなかったふたりの選手の姿もあった。

三須「もう一回、強くなった姿を見せたい」

陸上競技で19歳の三須穂乃香(T47/片上肢切断など)は、新潟・村上高時代の2015年に彗星のごとく現れた。100メートルで当時の日本記録を更新。レース後の囲み取材で、消防士を夢見ていたこと、その夢はあきらめたがパラリンピックという新たな夢に出会えたことをうれしそうに話していた姿を覚えている。その後、世界選手権にも初出場し、陸上競技の強豪・日本体育大学に進学すると、リオパラリンピック出場への期待が高まった。しかし、記録は伸び悩む。リオの出場権を手にするには、世界ランキング上位のタイムを記録しなくてはならない。ラストチャンスだった2016年のジャパンパラ陸上競技大会では、100mを13秒18で走り終え、ついにリオの日本代表に選出されなかった。報道陣には「気持ちよく走れた」と気丈にふるまったものの、地元・新潟で好タイムを出せず悔しかったのが本音だろう。事実、顔なじみのスタッフを見つけると顔をうずめて泣いた。

出場できなかったリオでは同じ障がいクラスで陸上競技部の先輩である辻沙絵が女子400メートルで銅メダルを獲得。メダリストを身近に感じながらも、自身が出場できなかった悔しさを募らせた。その後は、東京パラリンピック出場の可能性を探り、やり投げにもチャレンジした。

100メートルに照準を当てた今大会は、フィニッシュ直前にインド選手を刺して1着。速報タイムは表示されなかったが、スタジアムのモニターに映されたスローモーション動画で自らの優勝を確認し、笑顔を爆発させた。

「3月のドバイグランプリでは2人の選手に刺されて負けたんです。ドバイは私にとって最悪な思い出の地。それを奪還するためにしっかり準備してきたので自信がありました」と話し、笑顔のなかに気持ちの強さをのぞかせる。

ユース世代のなかでも高い意識を維持できたことには理由がある。普段から健常のスプリンターのなかで、互いに高め合いながら練習を重ねているのだ。「いつもひとりで走っていたものが競い合うことで、日ごろの練習から『ここで記録を残す』という強い意識を持てるようになりました」

とはいえ、目指すのは選ばれし精鋭しか出場できない3年後の大舞台。この結果に満足することは決してない。

「まだまだ最後の一歩で勝つような選手ではだめ。来年はアジアパラ競技大会があるのでそこに選ばれてしっかり結果を残すことで、もう一回強くなったぞ、とみんなに見てもらいたい。周りのみんなに食らいついて追い越すんだという気持ちで練習します」

三須は金メダルを糧に東京に向かって走り続ける。

東海林「国際舞台を楽しみたい」

リレーのメンバーと写真に納まる東海林(左から2番目)筆者撮影
リレーのメンバーと写真に納まる東海林(左から2番目)筆者撮影

「勝負もあるけど、今回は楽しみたい」

そう話していたのは、知的障がい者の水泳で男子200m自由形、200m個人メドレー(ともにS14クラス)で日本記録を持つ18歳・東海林大だ。

誰もが認める国内のトップ選手でありながら、“一発勝負”のリオパラリンピック選考戦では実力を発揮できず、すぐ目の前にあったはずのパラリンピック切符を逃した。

母の美恵子さんは当時を振り返る。

「(選考会の会場だった)富士から自宅のある山形に着くまで、新幹線の中でもずっと声を上げて泣いていて背中をさすることしかできませんでした」

しばらくプールに足が向かわなかったという東海林だが、もちろん泣き続けたわけではない。再始動した後、今年3月に開催された「パラ水泳春季記録会兼ワールドパラ世界水泳選手権大会代表選手選考会」に出場。200メートル個人メドレー、200メートル自由形ともに一着で、世界選手権の日本代表切符をつかんだ。会場はリオの選考戦と同じ富士水泳場。1年前の苦い思い出を払拭する泳ぎでフィニッシュ後は喜びを爆発させていた。

その後は、苦手だったスピード練習にも注力し、「スタミナもまだまだですが、以前よりはついてきました」とは本人談。当面は日本記録更新を目標にして練習に励むという。

世界選手権はメキシコ地震の影響で延期に。この12月に開催されたが、日本は選手団の派遣を見送ったため、アジアユースが東海林にとって久しぶりの国際大会になった。

そして、大会初日200メートル個人メドレーで今大会1個目の金メダルを獲得。レース後、「スタートはよかったが、もっとスピードが必要だと感じました」と話し、高みを見据えた。続く200メートル自由形、100メートル平泳ぎ、4×100メートルメドレーリレー、4×100メートルフリーリレーでも金メダルを獲得。納得の表情で大会を終えた。

アジアユースはパラリンピックの登竜門ともいわれる。世界を舞台で戦うふたりも、この地からまた羽ばたくだろう。

障がい者スポーツライター/健康系編集ライター

1980年、東京都江東区生まれ。大学時代に毎日新聞で記事を書き、記者活動を開始。2003年に見たブラインドサッカーに魅了され、2004年のアテネパラリンピックから本格的に障がい者スポーツ取材をスタート。以後、パラリンピックや世界選手権、国内のリーグ戦などに継続的に足を運び、そのスポーツとしての魅力を発信している。一方で、健康関連情報のエディター&ライターとして、フィットネスクラブの会報誌、健康雑誌などに携わる活動も。現場主義をモットーに、国内外の現場を駆け回っている。

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