「虫はまずい野菜につく」退職金使い果たした有機野菜農家がたどり着いた驚愕の答え

みずみずしく元気に育つ野菜たちに囲まれて(写真提供/いただきます事務局)

 誰もが健康でいることを当たり前に思えなくなった今、食べることのありがたさを感じずにはいられない。

「全ての生き物には役割がある」と断言する、有機野菜農家の吉田俊道さん(『菌ちゃんふぁーむ』代表。1959年長崎市生まれ)。九州大学農学部を卒業し、同大学大学院修士課程修了後、長崎県庁の農業改良普及員を経て、1996年、有機野菜農家へ新規参入。しかし当初は失敗の連続。

「どうしても野菜に虫が来る。でもある時に、虫の来ない野菜を見つけた。なぜ?」

その答えを見つけた時に、自然界の全ては循環していることに気付けたという。

私たちが健康であるために必要なこととは――。連載3回シリーズの第1回。

農業に向いている人というのは……

―― 吉田さんは有機野菜農家をされながら、講演会にも多く呼ばれているんですよね?

「農業と半分ぐらいですね」

―― 本来だったら、今頃、講演会に行かれているのでしょうが、今はどんな状態ですか。

「全部中止ですね。おかげで、逆に野菜作りで忙しくて(笑)」

―― では、今は丸々、野菜作りに時間が使えていると。どういう一日を過ごされているんですか。

「1人でやっている頃は朝早くから夜遅くまで働いていましたが、今は、株式会社にしましたし、スタッフもいますので一般の企業と一緒ですよ。8時半スタートの5時半あがり」

―― スタッフは何人ぐらいおられるんですか。

「正社員は5人です。今日から研修させてくれという子が1人来たでしょう。しばらくするとまた何人か来るみたいで。コロナ関係で仕事がなくなったし、よければ少し体験させてくださいとか、うちで働かせてもらえんでしょうかという人とか、結構いらっしゃるんです」

―― そういう方は直接吉田さんに連絡がきて、面接試験とかをするんですか。

「試験はしませんが、とにかく1~2週間やってみて、お互いにいいかなと思えば残るし。募集するとどっと来そうだから募集はしていないですけれども、勝手に連絡がくるわけです」

―― 一応やりたいと言われたら歓迎ですか。

「研修は歓迎です。だってお金を払わんでいいですもん(笑)。スタッフはちゃんと選ばないと、やっぱり他の人と合うかどうかとか」

微生物のことを「菌ちゃん」と愛らしく呼ぶ吉田俊道さん。オオタヴィン監督のドキュメンタリー映画『いただきます ここは、発酵の楽園』にも出演「(写真提供/いただきます事務局)
微生物のことを「菌ちゃん」と愛らしく呼ぶ吉田俊道さん。オオタヴィン監督のドキュメンタリー映画『いただきます ここは、発酵の楽園』にも出演「(写真提供/いただきます事務局)

―― 全く野菜のことが何にも分からなくても、どういう条件だったらいいですか。何か一つ条件を挙げるとしたら。

「経験も大切やけど、やっぱりとにかく考えるのが好きな人。器用な人。常に考えとかにゃいかんから、ぼーとしたらできんとですよ。とにかく知恵を使いますよ」

―― 農業というのは、こういうことをしたらいいというルーティンではなくて、毎日やることが違うんですね。

「そうそう。だって野菜を見ながら天気を見ながら段取りを考えないといかんし、とにかく1日たりとも同じ仕事はないですから」

―― 今は、どういう作業をされているんですか。

「いろいろですよ。例えば、土作りのために生ごみの漬物を作って、それを雨の前の、土が一番乾いている時に『よし、今日だ』ということで畑にバーと入れる。それで、耕して、トラクターをかけるわけですが、そういう時にじゃあどっちからかければいいかとか」

―― 方向を。

「方向も考えないといかんし、どの作業を優先させなきゃいかんかと、とにかくいくらでもやることがあるんです」

―― 天気予報を見て、雨が降るとなったら、雨が降る前にやることがあるわけですね。

「そうそう。雨が降る前だといっても、それぞれの土の状況が違いますので、あんまり濡れすぎているところに機械を入れちゃいけないでしょう」

―― そういうことは吉田さんが土の状態を見て判断して指示をするんですか。

「最終的に私が判断しますが、それをちゃんと判断できるスタッフが育たないといかんわけですよ。だから、日ごろから常に土のことと野菜のことを観察して知恵を使って、頭を働かせるのが好きな人だったら育つんですよ。でも、昨日と同じことをしようぐらいに思ってやると、やり方が全然昨日と今日は違うわけです」

―― 同じことを淡々とやればいいんだと思っている人だったら戸惑いますね。

「一般の家庭菜園でやるんだったらそれでいいんですよ」

―― 農業となるとね。

「農業にマニュアルはないと言いますけれども、私の場合は、基本、最低ライン、いい土を作って、いい野菜を作る、ということに関しては、こういうふうにしたらいいよというのがあるんですよ。ただ、そこからよりうまく効率的にやらないと農家として生活ができないんです。お金を稼がにゃいかんわけ。そのために日々工夫、判断するのがまた面白いんです」

子どもの頃から野菜作りが好き

―― 吉田さんは、肩書きとしては、有機野菜農家ですか。

「そうですね。ちゃんとした肩書きは、株式会社『菌ちゃんふぁーむ』代表取締役」

―― 有機野菜農家をされて何年目ですか。

「1996年に就農しましたから。25年しかたっていない。それまで県庁勤めをしていて、農業改良普及員でした」

―― その話も聞きたいです。吉田さんは、九州大学農学部を卒業して、同大学院修士課程を出られていますが、そもそもなぜ、農学部に? 子どもの頃から野菜が好きだったとか?

「恐らくそうですね。そのとおりです。野菜作りが好きだったんです」

―― 野菜作りの何が好きだったんですか。

「分からないけれども、母親が野菜を作っていたからです。貧乏だったから、ちょこっとした土地をもらっちゃ、一生懸命家庭で食べるためのお野菜を作っていたのを小学校の時に手伝っていたんですよ」

―― 家が農家だったわけじゃなくて、お母さんが家庭菜園で野菜を作られていて。

「たまたま土地が空いているから、地主さんに使わせてくださいと言って、野菜を作っていたわけです」

―― どれぐらいの大きさですか。

「最初は、畳2畳ぐらい。それからは、親が自分の家を建てて、そこに少し土地があって、5~6畳分くらいだから3坪くらいね」

―― その野菜の作り方は、今のような作り方だったんですか。

「たまたますぐ近くに鯉の養殖の池があって、鯉を飼うために水を引くでしょう。藻がいっぱい残るわけですよ。その藻がすごく栄養になるよと聞いて、それを一生懸命自分の畑に入れたんですよ。そしたらすごく立派なカボチャができちゃって、今考えてみたら確かにそこにミネラルがいっぱい入っていて、しかも畑に浅く混ぜている。子どもだから深く混ぜられなくて、結果として腐敗せずうまく発酵したんです」

キッカケは作った野菜を褒められたこと

―― 農学部に行ったのは、家で作った野菜がおいしくて野菜が好きになって勉強しようということなんですか。

「そうでしょうね。農家の人からめちゃくちゃ褒められたからですよ」

―― 野菜がおいしいということで、ですか。

「大きなカボチャが駐車場の屋根の上までいっぱいになったから、『とし坊ちゃん、上手やね』と言われましたから、それをいまだに覚えているってことは、やっぱりうれしかったんじゃないですか」

―― 九大の農学部ではどういう勉強をされたんですか。

「農業というよりは植物生理で、水ストレスで植物がどういうふうに反応するかとか、そういう研究をしていたんですが、現場の農業と農学部は全く違っていました」

―― どんなふうに?

「とにかく植物がストレスによってどう進化したかとか、純粋な学問みたいな感じです」

―― でも、その後、その知識は生かされるんですよね?

「それは生かされています。仮説を立てて、その仮説に合うような実験計画を立てるとか、農学としての基本知識、土壌のこととか植物生理のこととか、そういう意味では勉強になりましたけれども」

―― 吉田さんのセミナーは、図やグラフ、データがいっぱいありますものね。

「だって、今この世界をリードしているのはやっぱり学者ですから、そうすると専門家が見ても『なるほど、そうかもしれない』と思わせないといけないから」

吉田さんの著書。元気野菜をつくるまでのストーリーもわかる(撮影/佐藤智子)
吉田さんの著書。元気野菜をつくるまでのストーリーもわかる(撮影/佐藤智子)

―― その後、長崎県庁の農業改良普及員になられて。具体的にどういうお仕事なんですか。

「農学部の就職口としては、県の職員になって現場の農家に役に立つことを教えられたらいいなと。農業改良普及員というのは、一つは畜産だったり、作物だったり、花卉(かき)だったり、技術的なことを農家の人に伝えたり、経営改善の助言をしたり」

―― 作物の育て方を改良するだけじゃなくて、経営も指導する。

「そうそう。けれども農業改良普及員というのは実際に農業をしたことがないわけ。農業という一つの大きな業務の中の一部だけはよく知っている。トラクターをどう動かせばいいかは何も知らないけれども、品種の違いとか、この病気の原因は何という病原菌だからこういう農薬をまけばいいというのはわかる」

大学で学んだ知識は、現場では何も役に立たなかった

―― 吉田さんのそれまでの知識は、生かされたんですか。

「大学では農業の基本的な知識は学びましたが、現場では何も役に立っていませんよ。強いていえば、未知の分野に飛び込んだ時にいろんな現象を観察して、仮説を立てて、検証していくという姿勢はできていました」

―― 例えば?

「虫が来た時に、よく観察して、『何でこの辺にだけ虫が来たんだろう。こっちは何で来てないんだろう』と考えて、その違いを、水分かな、堆肥を入れたからかなと、仮説を立てて、それを証明するためにはどうすればいいか、どうなるだろうかとか、常に検証していくという態度は確かに大学で勉強しましたから。だからこそ有機農業の一番基本的な原理について本にも書くことができたし」

―― では、知識はあっても、実際に農家の人と話すとギャップがあるわけですか。こうしたらいいのになと思っても、なかなか商売となると違う。できないという、ジレンマがあったとか。

「そうですね。自分の知っていることを少しでも農家の人に伝えようと、例えば、経営のことや技術的なことを教えたりしますが、農家の人はそれに興味があれば聞くし、興味のない人は聞かないし」

―― では、あんまり、こうしてくださいというガイドラインがあって、それを強制的に何かするとかいう話じゃないんですね。指導する感じですか。

「難しいな。作物とかお米づくりとかになると栽培基準というのがあって、『肥料はこれがいいですよ』とか、『さあ、今から農薬を入れましょう』と、ちゃんと暦を作るんです。暦に従って農家の方に指導をする。私の場合は、経営とか、花の担当でしたから、花はマニュアルはなくて、栽培について、バラを作っているんだったら、こういう病気にはこういう農薬がいいですよとか、今こんな品種が来ているからやってみましょうかとか、新しい情報を農家の人たちに伝えていく仕事だったんです」

野菜丸ごと、皮もいただく。『菌ちゃんふぁーむ』のニンジンは土の温かさも感じられる(撮影/佐藤智子)
野菜丸ごと、皮もいただく。『菌ちゃんふぁーむ』のニンジンは土の温かさも感じられる(撮影/佐藤智子)

有機野菜に興味を持ち始めたのは

―― その仕事をされている一方で、自費で全国の有機野菜農家を訪ねられていたんですよね。なぜですか。いつから有機野菜について興味を持ち始めたんですか。

「だって、農薬をバンバン使いますから。『できたら使わないほうがいいよね』という時代だったんですよ。でも、仕方なしに農薬をみんなが使っている中で、無農薬で一生懸命頑張っている人たちがぼちぼち出てきた時だったんです。今から30年ぐらい前。有機農業が広がりだしたけれども、まだまだ一般的には認識されていなかった頃に一切農薬を使わずに作っている人がいらっしゃるわけですから、『へえー!』という感じです」

―― 興味がわきますね。

「そうです。だから、どんなふうに作っているんだろうと見に行くわけよね。『あーなるほど、これはいいな』と思ったら、地元に戻って農家の人に『こんな方法でやっていましたよ。みんなやってみませんか』と提案できるわけです」

―― 有機野菜農家をどれくらい見に行かれたんですか。

「もう、何十回何十軒と行っていますよ。例えば、EM関係でも結構行きましたし、島本微生物農法とか、自然農とか、有機農業にも流派がいろいろあるんですよ。そういうのを幾つも見に行って勉強しました」

―― それは地域差で、この辺はEMが多いとか、そういうのはあるんですか。

「地域じゃないですね。EMも全国にありますし、自然農も全国にあります」

「あんたは公務員やから」と言われて

―― 有機野菜に興味を持たれて、いつ頃から自分もやってみようと思うようになったんですか。

「農家の人に『いい方法があったよ。農薬を使わんでもいいし、こんなおいしい野菜ができそうですよ』と言って教えるわけですけれども、うまくいかないんですよ」

―― それは聞いてもらえないということですか。

「いやいや、興味のある人に伝えますから農家の人もやってくれるわけです。でも、あんまりうまくいかないんですよ」

―― 野菜が育たないということですか。

「やっぱり虫が来たり、病気になったり、思ったように育たない。そうすると今度は私に『あんたは公務員やから言うだけで済むけどね、自分たちは失敗したら、生活ができなくなるんだ』と言われて、うまくいけば喜ばれるけれども、失敗するとそうやって言われる。失敗してもこっちは給料をもらえるけれども、農家は失敗したら収入になりませんから」

―― そうですね。無収入になってしまう。

「だから、途中で挫折して慣行農法に戻るわけです。やっぱり自分でできもしないのにうまくやった人の事例を人に伝えても説得力がないし。だったら自分でやるしかない。本当にうまくいくかどうか」

―― 自分がやってみて伝えようと。

「自分で成功していないのに、人に伝えること自体が大体おかしいわけですよ。それに気付いたということと、もう一つはやっぱり、小さい時に農家の人から褒められて、だからこそ農学部まで行き、しかも就職先も農業改良普及員という農家に近い場所に就職をして、だけれども自分で農業をしていないわけでしょう。一般の人が実際に農業に参入するのは難しいですから」

―― やっぱりそうなんですか。

「出来ないことはないけどそれなりに難しいです。農家になるというのはね。だから今まで農業に関連する仕事に就いていたけれど、やっぱり本来の農業を実際に自分でもやりたいと思ったわけです」

「県職員を辞めて農家になる」と言ったら、母親が猛反対

―― それが何歳ぐらいのことですか。

「1996年に県職員を退職しましたから、36歳かな」

―― その時は結婚されていたんですか。

「ええ。子どももいましたよ」

―― そこで辞めると言った時に反対はされませんでした?

「母親がすごく反対したんですよ。もう本当に諦めようかと思うぐらい大変でしたよ。あの頃の母親は特に、子どもは自分より大切なものだから、自分は何も食べずにとにかく辛抱してでも子どものために学費も含めてずっとお金を出して、何とか幸せな道に入ってほしいと思って育てあげたわけですから、自分の分身ですよ。そして、大学に行って県の職員になって、母親にとっては『ああ良かった』という感じでしょうね。あの頃の県職員というのはやっぱり一番安定した仕事ですから」

―― エリートですよね。自慢だったでしょうし。

「でも、私たちは、めちゃくちゃ苦労して育った世代ではないからやっぱり自分が納得する仕事をしたいという思いが強いから」

―― 最終的にはどういう言葉で、説得したんですか。

「説得はできなかったですよ。親は何とか辞めんでほしいと必死でしたから。だから早く4月になって欲しかった。実際に退職したら親も諦めがつくやろうから」

―― じゃあ、思い切って辞めちゃったのが先なんですか。有機野菜農家になるための準備をして辞めたわけじゃなくて。

「辞めようと決めたのは、やめる前の年の夏。上司にも報告をし、親にその報告をしたら大反対で、親戚からは『おまえんとこの子どもは一番優秀と思っとったら一番バカやった』と言われて」

―― 親戚の中では農家をされていた人はいるんですか。

「母親の実家は農家ですから」

―― じゃあ農家の苦労を知っているわけですね。

「一番知っていて、農業は一番しんどいと思っているから、そこの子どもは誰も農業を継いでいません」

―― 奥さんはどうだったんですか。

「奥さんも本当は公務員と結婚したつもりだったんです。まさか農業をするとは思っていなかったから、でもしたいと言うから消極的賛成。反対するわけにもいかないという」

「野菜作りが子どもの頃から好き」と笑う吉田さん。農業、野菜作り、土作りに情熱を傾けている(撮影/長崎新聞社 尋木章弘)
「野菜作りが子どもの頃から好き」と笑う吉田さん。農業、野菜作り、土作りに情熱を傾けている(撮影/長崎新聞社 尋木章弘)

―― では、誰も歓迎したわけではない。

「はい。でも、その猛反対されたおかげで絶対成功させるという強烈な気持ちを持てたんです。有機農業をしている人はいるけれどもちっとも広がらない現状を見て、本当に広げたかったんですよ。で、自分に何ができるかと考えたら、やっぱり自分が本当に無農薬でちゃんと野菜ができたら伝えられるじゃないですか」

―― 経験者としてね。

「自分でまずやってみて、やっぱり有機農業だというのを実証したかった。でも、実際にうまくいくかどうか分かんないし、その葛藤の中で一つ考えたのは、自分の場合は、農業改良普及員をしているからある程度農業のことは知っている、しかも先進農家、実際にうまくいっている事例を見てきているわけで、しかも、自分が農業を始めて、もしうまくいかなくても奥さんが仕事を持っていて最低限お金を稼いでくれる。こんな条件のそろった私がしなかったら、日本で他に誰がすると」

―― 確かに。

「やらなかったら、それは本当にバカですよ。これだけ条件がそろっているんですよ。だから絶対にしようと、もうそれしかないと思いました」

―― 実際にやる前には自分はできるという自信がありました?

「分かんなかったですよ。まず県職員を辞めたら、時間どおりに起きて仕事をしているかなと心配もありました。公務員は出勤時間が決まっているから。でも農業は全部自分でしょう、好きにできるから」

―― 実際に3月に退職して、4月から始めるために準備はされていたんですか。全く畑を持っていない、というわけではないんですよね。

「そんなことはない。半年前から地元の農家に相談をして、農家の人が私のために動いてくれて、『ここの土地を借りたらいいよ』と。だって、農業改良普及員だから農家の人をいっぱい知っているじゃない」

有機野菜農家をするために、退職金を全部使い果たした

―― 農家を始めるとなると、初期投資としてどれぐらいお金がかかるものなんですか。

「やり方次第ですよ。私の場合は、退職金700万以上を全部使い果たしましたけれども」

―― それは機械とか設備で? 何にお金がかかるんですか。

「お金があるから使ってしまうんですよ。人を雇ったり、機械を買ったり。でもうまくいかないからどんどんなくなってしまう」

―― まず最低限として何があれば農業を始められるんですか。

「有機農業をしようとすれば少なくとも、地上部の植物体をバラバラにするハンマーナイフモアーと、あとは、耕したり溝を上げたりする管理機。ハンマーナイフモアーが50万、管理機が30万、草刈り機が5万、それだけあればいい」

―― 畑の大きさはどれぐらいですか。

「やり方でいろいろなんですよ。もし野菜だったら3反、3,000平米もあれば十分ですよ」

―― 吉田さんの場合は最初にどれぐらいの規模でやり始めたんですか。

「欲があるし、絶対うまくやろうと思っているもんだから、いっぱい土地を借りたんですよ。6反、6,000平米ね」

―― 倍ですね。1人でやられていたんですか。

「そうですね。収穫のときはやっぱり1人じゃ無理だから人を雇いました」

―― それはこれぐらいだったらやれるという、全く無謀な話じゃないんですよね。

「頭の中ではね。まずは、親を安心させるために収入があったほうがいいでしょう。ホウズキとかスターチスとか、普及員時代に専門だった花で収入を得ながら、有機野菜を作っていくというスタイルで」

農家を始めた当初は日の出から日の入りまで畑で働いた(撮影/長崎新聞社 尋木章弘)
農家を始めた当初は日の出から日の入りまで畑で働いた(撮影/長崎新聞社 尋木章弘)

―― 実際、農業を始められて、すぐに朝も起きられたんですか。

「起きれた、起きれた(笑)。早く起きるし、夜遅くまで仕事をしましたよ」

―― 何時くらいに起きて畑に行かれていたんですか。

「朝明るくなったらすぐですから季節によって違いますよね。夏は5時ぐらいでしょう」

―― 日の出とともに。

「そうそう。絶対失敗しちゃいけないという思いがあったから、これ以上母親に心配させるわけにはいかないですから、『あの時は心配したけど何とか生活できてるね。良かった』と母親に早く思わせたかったからね」

―― そうしたら1年目は実際にはどうだったんですか。

「キレイなホウズキが作れたんですよ。だって自分が一生懸命指導していた花だから。県庁のときはそのホウズキが1個300円とかで売れたわけ。でも花は価格の変動が激しいんですよ。特にホウズキは夏だけでしょう。7月盆と8月盆だけで売れるんですよ。そうしたらなんと相場が30円、40円なの」

―― なぜ? そのとき何があったんですか。

「たまたま全国的に多いとガタガタと値段が下がるんですよ」

―― 豊作だったんですか。

「豊作というか、たまたまその年は作る農家が多かったんでしょうね」

―― そんなに変動があるんですか。

「大きいよ。当たれば、蔵が建つぐらい。1個300円ですよ。1箱に50本入って1万5,000円だと本当に蔵が建つはずだったんですよ。ところが1本30、40円でしょう。一生懸命切って葉っぱを落として箱に入れて出して、その労賃と箱代引いたら収入ゼロですよ」

―― 全然利益にならなかった。

「ほとんどならなかったです。でも今になってみれば、これは神様の指導なんですよ。おまえは花を作るなと、野菜をちゃんと頑張れということだったんでしょうね。あそこで儲かっとったらもっと花を作ったでしょうからね」

―― 実際にはどれぐらいのスペースが花だったんですか。

「半分ぐらいがホウズキじゃなかったかな」

―― 残りの半分で有機野菜を作っていて、最初はどうだったんですか。

「最初はとにかく虫がよく来ました。まだよく分かっていなかったから。例えば、いろんな微生物を畑に入れたところで、入れたらすぐうまくいくわけじゃないですから。土そのものが変わらないといけないわけです。土の中のいろんな生き物のバランスがね。そこに至るまでに時間がかかるわけです。急に無農薬で野菜ができるわけじゃないから」

野菜がうまくできるところとできないところは何が違うのか

―― もらった土地というのは元々耕作地だったんですか。

「そうそう。最初はキレイな土地を農家が教えてくれて、ここを借りなさいと言われて借りたところは結局日ごろ農業をされているところで、今まで長く肥料を入れて慣行農法をやっているところだから。本当に生き物がいっぱいの土に変わるのに何年もかかるわけです。だからうまくいかない」

―― でも、素人目で見たら耕された土地をもらったほうがありがたい気がしますが。

「そうそう。でも、うまくいかなかったの。で、たまたま『こっちの土地もやってもいいよ。ハウスの骨組が隠れているから、それも使っていいよ』と言われて、借りたんですよ。草がぼうぼうだから最初は大変でしたよ」

―― どれぐらいの草。

「だってハウスの骨が見えないんだから。1.5メートルぐらいのカヤとかカズラとかでぐちゃぐちゃでした。とにかくウワーとしているところを鎌で刈って一生懸命耕して作ったんですよ。だけど、そこは最初からうまくいくんですよ」

―― へえー。うまくいくのとうまくいかないのは、最初は原因が分からなかったんですか。

「同じ人間が同じようにものを植えて、一方はほとんど育たない。虫が来る。一方は虫が来ない。キレイなものができる。同じ品種なのに。例えば、タアサイを作ったんですけれども、一方はこれまで農家が管理してきたキレイな畑でちゃんと堆肥を入れて有機農業をして、それで虫が大発生して、寒くなると虫も凍るし野菜も凍るわけ。でも昼間になるとどっちも溶けてまた食い始めるの。夜になるとまたどっちも凍るの」

―― ええー。

「本当は凍ってないですよ。表面が凍って動かなくなる。それで昼間になると表面が溶けてまた虫が食いだすの。どんなに寒くても食べてんの。ところがそこから300メートルぐらい標高が低いところでも同じようにタアサイを育てたんですけれども、そこは虫がいないんです。来ないんですよ。暖かくても来ないの。普通は暖かいからよく虫が来て、寒くなったら虫が来ないとか言うでしょう」

―― 違ったんですか。

「違ったんですよ」

―― 温度じゃない。

「寒かろうと暑かろうと食べるべき野菜があったら、どんなにしてでも虫は食べる。その差を見た時に、それを見て初めて、どうしてこんなに違うんだろうと考えましたよね」

―― そこで、大学で研究をしてきた能力が発揮されるわけですね。

「そうそう。全く同じ人間がやってそうなんだから品種の違いじゃないと。で、温度の違いでもないと、ということは土しかないでしょう。土はどういう土かといったら、一方は実際にはキレイに見えているけれども、年に何回も耕していて有機物がほとんどいない。微生物もほとんど住んでいない土であることが想定できますよね」

虫がつかないニンジンと、虫がつくニンジンの違いは、土にあった(撮影/長崎新聞社 尋木章弘)
虫がつかないニンジンと、虫がつくニンジンの違いは、土にあった(撮影/長崎新聞社 尋木章弘)

―― それは有機農業を始められていつ気付いたんですか。

「3年目ぐらいじゃなかったですかね」

―― その時は貯金とかは大丈夫だったんですか。

「だいぶなくなっていましたよね。だって、いっぱい人を雇ってずっとホウズキを作ってお金を払っているわけでしょう。いくら収穫してもお金にならないわけです。収入がないの」

―― でも諦めなかったんですね。

「だって諦めるわけにいかんから」

―― 例えば、農薬をまこうとか、そういうことは思わなかった。

「ホウズキはまいていたんですよ」

―― 野菜のほうは。

「野菜でまいたら何のために県職員を辞めたのか分かんないですよ。みんなにたんかを切って絶対にやると言った以上、諦めるということはなかったです。あり得なかったですね」

―― 土が違うんじゃないかという仮説を立ててからどういう検証をしたんですか。

「じゃあということで他の耕作放棄地も借りてみた。やっぱりうまくいくわけですよ」

草ぼうぼうの畑のほうが野菜がうまく作れる

―― 草がぼうぼうのところがうまくいく。

「そうそう。それで確信したから、今までずっと何回も耕したり堆肥も入れたりして一生懸命土作りをしてきたほうのキレイな土地を返したんですよ。結局何にも作れないままに。2年間も堆肥を入れて土作りをしてきて、これからさらに何年間も土作りをするよりも、今からでも耕作放棄地に乗り換えたほうがいいものができることが分かったから」

―― 耕作放棄地はタダでもらえる感じなんですか。

「そうですね。だって草ぼうぼうだから農地とはいえないくらいだもの。でもくやしかったですよ。一生懸命労力とお金をかけたところはそのまま元を取らずに返すわけですから、今までの2年間はパーだなと」

―― すごい決断でしたね。そのまま意固地になってやり続けていないから。

「このままやるよりもこっちのほうがいいというのが分かったから」

―― じゃあ、そこからうまくいくようになったんですか。

「大体そうですね。そうは言いながらもその頃は80点ぐらいなのかな。今はさらに要領が分かってきたんで、もっとうまくいくようにはなりましたけれども」

虫は農業の敵ではなかった

―― 吉田さんの畑や野菜作りは、「菌ちゃんふぁーむ」というぐらいだから微生物にすごく特化されているんですけれども。まず、虫がいるところといないところがどうしてあるのか、という点から入っているじゃないですか。素人には分からないので、虫がよく食べる野菜と食べない野菜はどこが違うのか教えてもらえますか。

「よく考えたらおかしいんですよ。虫も人間も同じおいしい野菜を食べるとしたら、じゃあ弱ったおいしくない野菜は誰が食べるかという話ですね。自然界は循環しているわけで、例えば、私たちは臭いところや腐ったものは大嫌いですよね。でもウジ虫はそれが好きで、モグラもそこにいて、それでうまく回っていくわけ。ところが虫も人間も同じ野菜が好きだったら、弱った野菜は誰も食ってくれないじゃないですか。それはおかしい。あり得ないですよ。自然界は全部回っているわけだから、必ず私たちと反対のものを食べる生き物がいないと困るんです」

―― なるほど。

「多くの虫は分解者と言われていて結局死んだものとか死にかけたものを食っているわけで、人間が食う野菜と虫が食う野菜は違う、というのが、道理に合っているわけですよ」

―― それは農学部でも勉強していて、知っていたことなんですか。

「一切そういうことは知らないです。虫はむしろ農業の敵としか思っていないから」

―― えっ、そういうふうに教えられているわけですね。というか、そういう知識になっちゃう。

「そうそう。だって病害虫防除所という機関が各県にあるぐらいですよ。虫と人間が食べる野菜が違うなんて、そんなふうに考えている専門家はいまだにほとんどいないと思います」

―― だから、虫を殺そうという話になっちゃうんですね。

「そうそう。虫は敵だから殺そう、なんですよ。でも、昔の日本人は違った。虫がそこにいる以上何かやっぱり役割があるはずだ、どんな役割なんだろうと、考えたんでしょうけれども」

吉田さんが作る野菜は実際に光って見えるほどイキイキとしている(写真提供/いただきます事務局)
吉田さんが作る野菜は実際に光って見えるほどイキイキとしている(写真提供/いただきます事務局)

―― では、吉田さんの中で常識が覆る発見があったわけですね。

「そうなんです。だって、ブロッコリーは、毎日取っても取っても虫がいるわけ。そして、やっと収穫してお湯の中に入れたらそのブロッコリーの蕾からまた小さな虫が出るわけ。一生懸命無農薬でやっていてね。そんな中でたまたま虫の来ない場所があったの。もしかしたら虫が来ないということはおいしくて元気な野菜だから虫が来ないんだろうかと思って、いつも虫が食うブロッコリーと、虫が来ないところのブロッコリーとを食べてみたんですよ」

―― そうしたら?

「虫の来るほうのブロッコリーは後味がピリピリくるの、まずいの。虫の来ないほうは本当に後味が良かったんですよ。現場で、自分でそれを体験してしまったからはっきり違うということが分かったんですよ。『虫はまずいほうに来てるじゃん』と。本当に感動しました。涙が出ましたよ」

―― わあー、それは感動しますね。

「だってほら、無理やり県職員を辞めて、反対されて、それでもなかなかうまくいかない中での……。ああ、おいしい野菜には虫が来ないじゃん、ということを、実際に体験したから、やっと希望が見えたわけです。ということは、もっとその虫の来ないような土ができればいいんじゃないかと。そうしたら、無農薬がいいんじゃなくて、結果的においしい野菜をつくったら、農薬も要らないと。そうしたら一石二鳥じゃないですか」

―― 農薬を使わないということじゃなくて、いい土をつくればいいということだったんですね。

「そう、土が出来上がっておいしい野菜ができる、健康な野菜ができたら、結果的に虫も病気もなくなるということです」

―― そこで、その「土がいい」というのは、どうやって分かったんですか。

「一つは、耕作放棄地で分かったんです。有機物がたっぷりあって、自然の中で、というのは、腐敗がほとんどない。うまく発酵している有用微生物がいっぱいいる土がいいんだと。もう一つは、同じ畑で虫が来るところと来ないところがあって、虫が来るのは未熟な堆肥を入れたところなんです。例えば、たまたま近くで買った堆肥を入れたところだけが虫が来る。他には、同じ畑で同じように土作りをしても、排水が悪いところだけが虫が来たんです」

―― つまり、元気な土というのは、微生物が多いということですか。

「そうです。まさに微生物だらけで、虫がほとんどいない土です。虫は微生物を補完する生き物なんです。地球上の死体をうまく次の命に変えるために、微生物がいるわけです。微生物はいわゆる、宮崎駿監督作品の『もののけ姫』のシシ神と一緒で、死の局面に現れて生を作る生き物です」

全部何か役割があって生きている

―― なるほど。微生物は、分解者ですよね。

「そうそう。その微生物では分解が間に合わないときに、虫が来るんです。そうすると、スムーズに分解されるんです」

―― そこに農薬をかけることによって、その分解者である微生物や虫がいなくなっちゃうから、もう循環しなくなっているということですよね?

「そうです。そしてもう一つ私が言いたいのは、いい土とは何かというと、虫や菌がいっぱいいるというよりも、菌がいっぱいいる土なんです。菌が多いと、虫は逆に少なくなります。ここで言っている菌とは、微生物のことです」

―― 虫の出番がなくなる。

「そうそう。菌が十分にいると、虫は必要なくなるんです。菌では分解がうまくいかない時に、虫がそれを食べるチャンスが生まれるわけ」

―― なるほど、そういうことなんですね。

「だから、うちの畑にはミミズもあまりいないし、害虫も、いわゆる益虫といわれているものも含めて、あまりいなくなります。だから、モグラも当然、少なくなります。ただ、土が悪くなると、ミミズが発生してモグラが発生します」

―― でも、それはつなげる、良い土に返すためなんですよね?

「そうそう、土を良くするため」

殺す必要のあるものなんか何もない

―― では、やっぱり全ての生き物は、役割があるということですよね。

「『風の谷のナウシカ』でいうと、腐海の蟲(むし)たちというでしょう。腐海の世界まで持っていくと虫が出てきますけれども、腐海の世界に行く前に循環する。それが発酵なんです。それが無理なら虫の出番になる」

―― そう思うと、ありがたいですね。

「そう、虫も菌もモグラも敵じゃなかった。よい土をつくってくれていた。全部何か役割があって生きているというのが、有機農業の世界ですから。だから、今までモグラを殺せ、虫を殺せ、菌を殺せとやってきたけれども、殺す必要のあるものなんか、何もなかったんです。というよりも、いないといけなかったんです。モグラも必要だったし、菌も考えてみたら必要なんです。だって、本当においしい野菜には虫が来ない、菌が来ないとすれば、どれを人間が食べていいかということを、結果的に教えてくれているようなものでしょう」

―― そうですね。それが、実際、有機農業をやってみて、わかったんですね。

「そうなんです」

●第2回インタビュー記事はこちら