ビジネスにも婚活にも活かせる、三浦豊さんの驚きの「木の見方」

「木と一体になれたら」と森の案内人、三浦豊さん撮影/Minako Yoshida

「光だけを求めていたら必ずバランスを崩す。木は枝を伸ばして自分を支えている」。3000カ所の森、木を見続けて15年、庭師でもある「森の案内人」三浦豊さん。一本の木をずっと眺めるだけでも学びがあるという、三浦さん独特の「木の見方」とは。生き方の学びにもなる「木の生き残る術」を教わった。

木は置かれた環境でもたくましく生き抜く

―― 三浦さんの木の見方はすごいですね。

「一つの木を1時間ぐらいは見ていられますね」

―― どこをどう見ているのか。オススメの見方があれば、教えてください。

「僕たちは木を見るときは、物みたいに見るじゃないですか。でも、物じゃなくて、僕たちと一緒の生き物なんですよね。まずは観賞する前に、生き物として、ここで生まれてここで死ぬと思ったら、愛おしく思えてきませんか」

―― そうですね。木は動けないですもんね。

「本当に動けないと思うんですけれども、2年前から僕の中でブレイクスルーがありまして、意識が変わりました。『木は動く必要がないんだ』と思って」

丁寧な説明に興味深く聞き入るガイドツアーの参加者たち。ツアー後に著書のサインを求められることも多い 撮影/Minako Yoshida
丁寧な説明に興味深く聞き入るガイドツアーの参加者たち。ツアー後に著書のサインを求められることも多い 撮影/Minako Yoshida

「木は動く必要のない生き物」

「僕たちは、動いてエネルギー消費をしているけど、木はエネルギー消費をあまりせずに、その場所で生き続ける」

―― 生まれた場所で生き続けるしかない。

「でも、木からすると、僕らはすごく無駄に見えるかも。日本中、地球中、木が生えているということは、生き物としてすごく優れていると思います。動く必要がない生き物」

―― なるほど。

「僕たちはひたすら、彼らにお世話になっている、もらってばかりじゃないですか。居心地がいい空間を提供してくれていて、スケールが大きい存在だなあと思いますね」

「このままだとヤバイ」じゃなくて、木に関して「楽しい」を伝えたい

―― つまり、生き物として、まず、尊敬、感謝の気持ちで木を見る。

「見てもらえたらと思います。物ではないよと。街で、物として、ひどい扱いを受けていて、正直見るのがつらいことも多いんですけれど。並木でもめちゃくちゃ剪定されていたりして」

―― わかります。根元から何本もバッサリ伐られていたり、看板や荷物をぶら下げられていたり。

「でも、あんまりネガティブなことは言いたくないんです。『これはヤバイ』と言うのは、人に興味を持ってもらいやすいのかもしれないんですが、僕は、そう言うことも森に対して失礼な気がして。『このままだったらヤバイ』ではなくて、木に関わることは『楽しい』というのを伝えたいから」

「木は生き物としてもすごく優れている」と三浦豊さん撮影/Yutaka Miura
「木は生き物としてもすごく優れている」と三浦豊さん撮影/Yutaka Miura

―― 「森林伐採をやめましょう」「植林しましょう」「マイ箸にしましょう。割ばしは使いません」と、木を守ろう、守ろうと、みんながしているけれども、それはとてもいいことかもしれないけれど、木はもっと強いものだということですか。

「はい」

―― だから、まずは目の前の木を尊敬の目で見る。それから?

「やっぱり、姿を見る」

―― 全景、全体像を見るんですね。

「その場で生きていますから、見る角度と距離によって姿が変わるんですよね」

―― 引いて見たりするんですか。

「庭師は一番イケてる角度と距離を、『顔』というんですけれども、グッとくる角度があるんですよね」

木は逃げ場がない。その場所でどう生きていくか

―― 真っすぐだけじゃなくて、裏や横に回ったりして、全体を見て。

「街の中だったら、剪定する人がどういう意図で切ったかとか。自然そのものだったら、枝ぶりとか。枝や葉っぱを見て、なんでこういうふうに枝を伸ばしているのかなと。必ず意図があるんですよね。僕たちの思考とは違っていて、何ていったってその場で生きていますから。そこでどう生きるかというのは、勝負なわけですよ。間違えたら、死、なわけですし」

絶妙なバランスで立つ木 撮影/Yutaka Miura
絶妙なバランスで立つ木 撮影/Yutaka Miura

木はヨガマスター

―― 逃げ場がないですもんね。

「そうです。どこにどう枝を伸ばしているかは、枝の先の葉っぱでわかります。葉っぱを光の当たるところに伸ばしていくと思いがちですけれども、それだけだと、倒れてしまいます。光だけを求めていたら、必ずバランスを崩すので、枝でバランスも取っているんですね。枝を伸ばすことで自分の体の重心を取っている。ヨガマスターみたいなもんです(笑)。だから、枝は漢字で書くと、木を支えると書くんですよ」

―― 本当だ。

「自分の体のバランスを取ることと、光が当たるようにすることを同時にやっちゃっているという」

―― なんか木はすごいですね。

「木は本当にすごいですよ」

茂ることがポジティブで、枯れることがネガティブなことではない

―― 葉を伸ばすときに倒れる木なんてないですもんね。よくぞこのバランスで立っているなという木もありますもんね。

「茂るということがポジティブで、枯れるということがネガティブなことに思われがちですけれど、『枯れる』ではなくて、『枯らす』です。日当たりが悪いところに葉っぱを茂らせていていも、割に合わないんで、自分で枯らします。枝の付け根から、水と養分をいかなくして、その枝を枯らして、そこにいっていたエネルギーをしかるべきところで、展開させる。枯らすこともダイナミックにやるんで、茂らせる、枯らせるのと、枝ぶりの重心と光をどうしているのかなというのを見る」

―― なるほど。

私たちの生活は元気な木のパワーをいつもいただいている 撮影/Yutaka Miura
私たちの生活は元気な木のパワーをいつもいただいている 撮影/Yutaka Miura

木が元気でなければ、人間は不安になる

「あと、右脳で見ることもいいかなと思っています。『きれい』とか、『すてき』とか『ここに長くいたい』と思える木は、元気ですね。これは本当に我々の深いところに染み付いていると思っていて。木が元気じゃなかったら、恵みがもらえないので、人間は不安になります。我々は木から多くの恩恵をいただいてきたので、きれいだなと感じる感覚は、木に生命力があって、そこにいると安心するという心地なわけです」

―― 感覚を大事にするということですね。

「そうです。いいなあと思った木がいたら、じっくり見てあげる」

木はいつも寄り添ってくれる 撮影/佐藤智子
木はいつも寄り添ってくれる 撮影/佐藤智子

―― 触ったり、抱きついたりしますか?

「しますね。木によっても違いますしね。話しかけてもいますね」

―― 感じるものがあるんですね。今までの話は人間に置き換えてもすごく勉強になりますね。

「そうですね」

―― 人は生まれ育った環境がみんな違っていて、「なんでこんな環境に生まれちゃったんだろう」と不満を言ってしまうけれど、木は「なんでこんな痩せ地に生えたんだろう」と言わずに、その環境に適応するように、自分の状態を変えていく。そう思うと、すごいですね。

過酷な環境で育つ木は年輪が詰まるから、芯が強く、長生きする

「いやあ、本当に。成長が遅い木は、横に強力なライバルがいるとか、いい土があんまりないとか、過酷な環境に置かれている木が多いんですが、成長が遅いので、年輪が詰まるんですよね。年輪が詰まるということは、芯が強い。結果的に長生きをすることが多いです。成長が早いやつは年輪が粗いから、もろいというか」

―― おお~、説得力がある。成長が早い分、パタンと倒れやすいと。過酷な状況が木を強くしているということですね。

「パッと見たら不遇でも。人もそうだと思います。今から振り返ると、あるじゃないですか。あのときつらかったけど、今となっては良かったなとか」

木の話を楽しそうにする三浦さん。木への尊敬と愛情にあふれている 撮影/佐藤智子
木の話を楽しそうにする三浦さん。木への尊敬と愛情にあふれている 撮影/佐藤智子

―― 日が当たればいい、水があればいいというものでもなく、木はどこにいても自分で生きようとする力があるということですね。勉強になりますね。

「本当に。生きている肯定感を、生きている木から感じられる。ゆくゆくは誰もが死ぬわけじゃないですか。でも、いっときでもそう感じられたらと」

婚活の練習にもなる「自分に合う木の見つけ方」

―― 100歳の木とか大先輩ですもんね。親子3世代で同じ木を知っているみたいな。自分に合う木を探すには、どうしたらいいですか。

「異性と同じだと思うんですよ。ワクワクするとか、何か気になるとか。縁というのがあると思いますよ。いくら会ってもピンと来ないというのもあるし」

―― 自分の気になる木を探すというのもいいですね。

「直感で。こういうのは女性のほうが優れていると思うんですけれども。直感で居心地がいいか、気持ちいいかとか。~ねばならないとか、ではないなと思うんです」

―― それこそ好きな人を見つけるような感じですね。好きな人がいないと条件で探しているのをフィーリングで探すようにする。

「そうですね。そういう感覚も木を見ていたら鋭くなると思います」

氾濫する川の中で必死に耐えるヤナギに教えられたこと

―― これだけ回っていると、木を見て、びっくりしたことは何かありますか。

「何やろ、びっくりしてばかりだから(笑)」

―― 今まで、歩いていて、どんなこと、どういう木にびっくりするんだろう。

「号泣ものだったのがヤナギですね。去年の7月に、関西に長雨が降ったんですよ。西日本豪雨で、川がものすごく氾濫して、京都の桂川という大きい川が危険な状態で。野生のヤナギが川沿いに生えるんですよ。シダレヤナギは、実は奈良時代に渡ってきた中国の木で、日本には約35種類の野生のヤナギがいるんです。そのすさまじい洪水の桂川の真ん中にぴよぴよと出ている葉っぱが見えたんですよ。人がその川に落ちたら150%死ぬような激流。その中にヤナギが出ていた」

大雨の桂川の激流にも耐えて生き延びたヤナギ 撮影/Yutaka Miura
大雨の桂川の激流にも耐えて生き延びたヤナギ 撮影/Yutaka Miura

―― どれくらいの大きさの? 

「上に出ていたのが3メートルぐらいですかね。川の水が引いてから見に行くと、生きていたんですよ。人だったら、たちどころに流されてしまうのに、そこで生え続けて、耐えていて。根がしっかりしているのと、枝がしなるからなんですよ」

―― すごい。人も過酷な状況のときに、根を張ることと、しなることが大事かもしれない。

「そして、本当にあかんときは倒れるんです。倒れたらそこから根付くんです。すると、個体が増える」

―― 倒れる場所も考えて、ただでは死なないと。

「洪水もチャンスと考えて、それを生かして倒れるという。僕たちはその木にしがみついていると思うんですよ。多かれ少なかれ、生きていることは、いただいていると思うので。あの姿はすごかった。やっぱり理屈ではなくて、実際その姿を目の当たりにすると」

600歳のサクラに見に山の奥へ 撮影/Yutaka Miura
600歳のサクラに見に山の奥へ 撮影/Yutaka Miura

「今年の春に、600歳のサクラにも会いに行ったんですよ。鹿児島の山奥にいて、幻と言われていたのを、40年前ぐらいに、1人の方が見つけて」

―― そういうのは、どうやって情報を得るんですか?

「木のことばかりやっていたら、情報が引っかかる(笑)。600歳のエドヒガンというサクラで。日本には10種類の野生のサクラがいて、その中の1種類なんですが、そのエドヒガンは鹿児島県奥十曽に1本ひっそり生きていて。山奥で誰もいなかったけれども、ちゃんと咲いていましたね。すごく神々しかった」

―― わざわざ会いに行く木もあるわけですか。

「はい。あと、熊本の南阿蘇は震災が起こって大被害があったところでも、『一心行のサクラ』というやつがいて、熊本の人のソウルツリーみたいになっていて。あれも泣けてきたなあ。被災地でみんな大変な思いをしているけれども、ものすごい1本だけとてつもない大きな山桜で、そいつのために、めちゃめちゃ広い公園になっていて、満開になったとき3日間だけライトアップするんですよ。その愛がすごくないですか。ずっと照らさない。僕がたまたま行った日が満開でライトアップしますと言われたから、慌てて近くに宿を取って、会いに行ったら、ちょっと震えましたね」

「一心行のサクラ」は熊本の人のソウルツリー 撮影/Yutaka Miura
「一心行のサクラ」は熊本の人のソウルツリー 撮影/Yutaka Miura

忙しくても時間がなくてもお金がなくても手軽に行ける森とは?

―― 森にはすごく恩恵があるけれど、現代人というのはわざわざ森に行かなきゃいけないと思っているじゃないですか。忙しい、時間がない、お金がなくても手軽に行けるオススメの森はありますか。

「それは、神社ですよ。神社は鎮守の森と言われていたけれども、神社仏閣がなぜいいのかというと、木がのびのび生えていることですよね。その場所に対する畏敬の念があるので、みだりに木を抜いたり剪定したりしない。自然樹形が残っている場所です」

―― 木が昔に近い形であるということですね。

「そうですね。明治神宮も100年前は原っぱや田畑だったんですが、人の手によって、原始の森に戻せました」

―― 神社に行くと、身近に原始の森が見られる。

「そうですね。潜在植生と言いますけれども、神社には結構あるもんですよね」

―― 神社はだいたい1つの地域に1つはありますものね。

「河川敷とかもオススメですね。そもそも街に生えている木は我々の求めているボリュームより大きくなると、いろいろリスクが出てくるんですよね。今の日本は、大きくなると枝が折れて危ないとか、鳥がたくさんやってきてうるさいとか。僕たちは木が森になっていくと、怖くなって伐ることが多いんですけれども、河川敷はそもそも人間の門外漢的なところがありますから」

三浦さんと歩くと街の中の葉、芽、枝にも目がいくようになる 撮影/佐藤智子
三浦さんと歩くと街の中の葉、芽、枝にも目がいくようになる 撮影/佐藤智子

―― 生えっぱなしになっているということですね。街の中だと伐られちゃうけれども。自然の木を見たかったら神社か、川べりに行く。あとは手付かずの空き地とか。

「庭もいいですね。庭は僕たちの感動を呼び起こすためにつくられているものなので。公園とは違うんです。公園は我々が体を動かせるのが第一ですから、木が茂ると、障害物になるんですよ」

―― 公園よりも庭園のほうが自然の木が見られると。

「そうですね。ただ、東京が素晴らしいなと思うのが、最近緑を求めている人が多いからか、生えている木が立派ですよね。谷根千のヒマラヤスギとかもそうですけれども、大きい木が伐られそうになったら、反対運動が起こったりするとか。木を伐ることで僕たちも自分自身を傷つけているところがあるのかもしれないですね。ともすれば、そういうのは麻痺することがあるんですが、どこかでやっぱり体に宿っているものかなと思います」

圧倒されるほどのエネルギー 撮影/Yutaka Miura
圧倒されるほどのエネルギー 撮影/Yutaka Miura

木にはパワーをもらってばかり

―― 例えば、パワーがないときに、木を見るといいですか。

「いいと思います。木は伐られても頑張るもんなんですよね。木は振り返らない。ネバーギブアップ感がすごくいい。励まされますよ」

―― そういう剪定されても剪定されてもそこに居続ける木を見に行くとか。例えば、仕事で疲れたとき、ちょっと外に出て、木に触るとか、それでも違いますか。

「木は、めちゃめちゃ寄り添ってくれると思いますよ」

―― 実際にそうやって、木にパワーをもらって助けられたことはありますか。

「しょっちゅうですね。もらってばっかりな気がします」

―― こうやって木のことを人に伝えているので、木は喜んでいると思いますね。立っている木だけじゃなくて、切り株も苔も雑草も木につながっていますよね。

「はい。いろんな種類の植物がいます。それで、多様性を感じます」

木を見て回るうちに考え方、ものの見方が変わってくる 撮影/Minako Yoshida
木を見て回るうちに考え方、ものの見方が変わってくる 撮影/Minako Yoshida

―― 人間社会と一緒ですね。

「そうですね。この木が素晴らしくて、この木が違うとかじゃなくて。我々は人間以外のものにも愛情を注げると思うんですよ。僕はそれが人間のすごくいいところだと思っていて、人間は敵味方の区切りを付けて、味方を大切にするということで、確かに発展したのかもしれないけれども、時には他者でも一緒に生きていこうという」

―― 共存ですね。

「私たちの『たち』は人間以外でもいいなと思って。実際、木は思いっきりお世話になっていますから、木がなかったら、そもそも我々はごく短時間しか生きられないと思う。いろいろなものの恵みの根本ですし。そういうのを恩着せがましくされたこともないし。まあ、難しい話ではなくて、僕は単に木が好き。私たちの『たち』に木もいるという感じ」

―― だって、人と木はDNAが4割合っているんですものね。一緒に生きていますね。

「本当、森を歩いていても、寂しさというのは全く感じない」

木がいるから寂しくない 撮影/Minako Yoshida
木がいるから寂しくない 撮影/Minako Yoshida

―― ぽつんと1人で奥深い森の中にいたら、怖いんじゃないかと。

「全くですね。僕は完全に大丈夫です。極論を言えば、こんなことを妻に言ったら怒られますが、『明日から1人でも森で生きていける』と。それくらい木は、我々にとってかけがえのないパートナーというか、おこがましいですけれども、親というか」

―― だから、感じるものがあるということですね。

「だって、木を見たら癒されますもんね。枯れると寂しい、悲しい感じがするしね。これだけ森があるのに、もったいないですね。部屋にずっと居続けるより、ちょっとでも木を触ると違うかなとか」

―― それが今、木が増えていて、森が戻ってきていて、チャンスですね。

「そうですね。未来は分からないですけれども、だからこそ、生き物として向き合える。木を好きになってほしいなと思って。好きになったら、世界というのは、愛おしく思えるし、いろんな木がいるのはかけがえのないことだなと思えるから」

―― 今、多くの人が、「木のぬくもりがいい」とか、「緑が好き」とか、「癒やされる」と思うのは、そういうパワーが木にあると、みんな分かっているんじゃないですかね。

「だと思いますよ。心の声というか。僕は居心地がいい空間を探して森をうろうろしたり、庭師になったことで、たまたま木と出会えたわけで。だからガイドしていて、それを感じていただけたらすごくうれしいですね」

どんなところからでも芽吹く 撮影/Yutaka Miura
どんなところからでも芽吹く 撮影/Yutaka Miura

木はどんなに伐られても新しい命が芽吹いている

―― 木をいろいろ見られているけれども、人間だから、落ち込んだり、元気がないときがあるじゃないですか。そういうときは三浦さんも癒やされるいつもの木というのがあるんですか?

「はい。あの木が今も生きていると思うと、勇気づけられるというか」

―― それは近所の木? 行きつけのバーみたいな、行きつけの木みたいなのがあるんですか。

「それはね。僕の家の庭に植えている木です。最近、いよいよ茂ってきて、完全無欠のブッシュになっているんですけれども、そいつらと広いところに引っ越したいと」

―― 木と一緒に。

「のびのびしてもらいたいなと。それと、僕の家の横に150歳ぐらいのエノキがいるんですけれども、どんどん大きくなって、大家さんがご高齢で、大きくなって怖くなったみたいで。木が元気ということに不安な人もいるんですよね」

足下の植物にも視線がいくようになる 撮影/佐藤智子
足下の植物にも視線がいくようになる 撮影/佐藤智子

 

―― 木に侵食されそうな気がするんですか。

「圧倒されるというか。不確定要素が増えますし、コントロールしたいと人は思ってしまう。ここが面白いんですけれども、僕たちにとって、森はふるさとであると同時に、人によったら居心地の悪い実家みたいな感じで」

―― なるほど。

「今の家に住んで9年目ですが、そのエノキが5、6年でどんどん自然樹形に戻って。かっこよくなっていたのが伐られてすごくつらかったんですけれども、また芽吹いて、茂っているんですよね。足元を見たら、うちの玄関先にもびっしりエノキの赤ちゃんがいっぱい生えていて。だから、木というのは、伐られても子どもはどこかで生えている。常に新しい命はどこかで生まれている」

―― すごく素敵。三浦さんの話を聞いていると未来を感じる。木は伐られて終わりじゃなくて、またそれが何年か先に森になるということですね。

「街の中の木、道端の芽さえも見ていくうちに、それを感じると思いますね」

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