「アメリカの農薬会社・モンサント(2018年にドイツの製薬会社・バイエルが買収)の主力除草剤・ラウンドアップ(有効成分はグリホサート)が原因でガンを発症した」と、カリフォルニア州の夫婦が賠償を求めた裁判で、州裁判所の陪審は同社に対して日本円に換算して約2200億円の支払いを命ずる評決をくだした。農薬会社では「ラウンドアップの安全性は証明されている」と主張し、控訴している。

 2019年10月21日、東京で「ラウンドアップ問題を考える」というセミナーが開催された。サブタイトルに「農薬の安全性とラウンドアップの風評被害」とあるように、どちらかというと農薬の安全性を主張する立場からの情報発信だが、取材結果を可能な限り冷静に伝えたい。

■ラウンドアップは使い勝手抜群の除草剤

 まず、ラウンドアップとはどういう農薬なのかを見てみよう。

 ラウンドアップは1974年にモンサント社が発売した農薬で、除草効果がきわめて高く、その割に価格が安いために、世界中で広く使われている。日本でも「最も多く使われている除草剤」だ。セミナーに参加した農家の一人は「ラウンドアップを使わないと、価格が高く効き目の小さい農薬を使わざるを得なくなり、日本の多くの農家が困ることになるだろう」と評価する。

 雑草を枯らす効果は高いのだが、分解速度も速いため、雑草が枯れたあとに有用作物(コムギやイネなど)を植えてもそちらを枯らせることがない。きわめて使い勝手のいい農薬なのだ。

 1995年くらいからは、このラウンドアップでも枯れない(ラウンドアップ耐性)有用作物が遺伝子組み換えによって開発されるようになった。これであれば、ラウンドアップが分解される前に有用作物を植えても、雑草だけが枯れて有用作物は枯れずに育つ。農家にとってはこんなにありがたい話はない。

 しかし「ラウンドアップ+ラウンドアップ耐性遺伝子組み換え作物」 という、農家にとってもまた農薬会社にとっても画期的なこの組み合わせが、皮肉にも、ラウンドアップの評価を一変させる。1995年くらいから、ラウンドアップは、遺伝子組み換え作物を好ましく思わない(一部の)消費者から、まるで「遺伝子組み換え作物の代名詞」のように攻撃されることになる。

■グリホサートの安全性は世界的に認められている

 遺伝子組み換え作物の安全性については、ここではくわしくは触れない。基本的に日本では「安全性が確認された遺伝子組み換え作物」だけしか市場には流通しない、とだけ記述し、本題の「ラウンドアップの安全性」に話題を戻す。

 世界的に、農薬の安全性(リスク評価)は「毒性学的手法」によって確認される。毒性の試験は(ヒトを対象にして実験することはできないので)動物を実験台として実施される。マウス・ラット・ウサギ・モルモット・ニワトリ・イヌなど、様々な動物に対してその農薬(の成分)を投与し「どのくらいの量を与えると悪影響が生ずるか」言い換えれば「どれくらい以下であれば悪影響が出ないか」を調べる。

 実験した何種類かの動物の中で「最も少ない量で影響が出た動物」の値を採用し、その「最も少ない量」を無有害作用量(あるいは無毒性量:NOAEL)とする。このNOAELを、実験動物とヒトの「種の差」を考慮して1/10に、さらに「個体の差」を考慮して1/10に、つまり、NOAELの1/100の量(濃度)を「ヒトにとってのADI(一日あたりの許容摂取量)」と定める。このADIの範囲内でのみ、農薬としての使用が許可される。

 この毒性試験とは別に、「この農薬に暴露された人(農業で使った人や農薬を使った野菜を食べた人など)」と「暴露されない(暴露量の少ない)人」との間に健康上の差があるかどうかという調査もある。これを疫学調査という。この両者に明らかな差があれば、その農薬は(動物の毒性実験の結果いかんによらず)リスクがあると判断される。両者の間に差がなければ(差がない範囲内の使用であれば)その農薬のリスクはきわめて低いと判断される。

 ごく簡単に紹介したが、毒性学的手法に加えて疫学調査をも参考にして、「安全」という結果が得られれば(そういう条件下で)農薬の使用が許される。ラウンドアップ(グリホサート)に関するリスク評価は世界各国で行なわれており、日本の食品安全委員会、Efsa(欧州食品安全機関)、FAO&WHO(世界食糧機関と世界保健機関)、ECHA(欧州科学機関)、EPA(米国環境保護庁)、カナダ保健省、豪州農薬・動物医薬品局等々で「発ガン性はない。安全に使用できる」という結論が出ている。

 ひとことでいえば「ラウンドアップは安全に使用できる農薬」だと世界中で認められている。

■セラリーニ論文の信憑性とIARCの分類

 もちろん「そうではない」という評価もある。最も有名なのがセラリーニ論文だ。フランスのセラリーニ氏らが、2012年に発表した「2年間のラットの実験で、ラウンドアップ耐性トウモロコシ(遺伝子組み換え作物)とラウンドアップという農薬によって、発ガン性個体が増えた」というもの。今でも、遺伝子組み換え作物とラウンドアップの危険性を示す証拠であると、そのことを主張する人たちの間で引用される論文だ。

 論文が雑誌に投稿されたあと、「実験に使ったラットは腫瘍ができやすい系統なので、材料として不適切」「個体数が少なく、対照が不十分」などの批判が上がった。Efsaなどから「実験がずさん」「この実験結果からは悪影響があるともないともいえない」「正しい方法でやり直すべき」と指摘され、論文を掲載した雑誌は、2013年にこの論文の掲載を撤回した(ただし、最近、他の雑誌からほぼ同じ内容で再出版され、同じ主張を繰り返している)。

 セラリーニ論文に関しては、日本の食品安全委員会も情報を提供している。

 もう1つはIARC(国際がん研究機関)の「発ガン性に関する分類」。IARCは、ヒトに対する発ガン性が疑われるものを「その根拠の強さ」から5つに分類している。「グループ1:発ガン性が認められる」「グループ2A:おそらく発ガン性がある」「グループ2B:発ガン性が疑われる」「グループ3:発ガン性について分類できない」「グループ4:おそらく発ガン性がない」の5つ。

 IARCは2015年の報告で、ラウンドアップの主要成分であるグリホサートを「2A」に分類したのだ。じつはIARCの「分類」は非常にわかりにくい。上に行くほど「ガンになりやすい」という意味ではなく、「発ガン性があるという証拠が確実に存在する」という意味。誤解を恐れずに言い換えれば「上に行くほど、発ガン性を認めた論文の数が多い」ということ。それをどれだけ摂取すればガンになるかという概念は考慮されてない。

 たとえば「1」には、飲酒・加工肉・ピロリ菌・放射線・太陽光・喫煙・塗装業など(約120種)が含まれているが、「お酒を飲んだりソーセージを食べたりするとガンになりやすい」ということではない。「お酒を飲んだりソーセージを食べたりすることが『発ガンと関係がある』という研究論文がこれだけたくさんあるのだから、『関係がある』ということだけはまず間違いないだろう」というのが「1」。

 グリホサートが分類されている「2A」には、熱い飲み物・赤肉・紫外線・美容業・理容業など(約80種)が含まれている。これも「ラウンドアップや熱い飲み物には発ガン性があるという論文がそこそこあるから『これらには発ガン性がある』といってもおそらく間違いないだろう」という意味になる。何回摂取すればあるいはどの程度の量(濃度)を摂取すればガンになるという概念は示されてない。

 専門家以外にはものすごくわかりにくい。

■カリフォルニア州の裁判結果をどう判断すればいいのか

 そして最後に、やはりとてもわかりにくいアメリカの裁判の結果。「裁判で負けたのだから、やっぱりラウンドアップは発ガン性があるんでしょ」と理解する人が多いのだが、コトはそう単純ではない。

 この裁判は「ラウンドアップに発ガン性があるかないか」を争った裁判ではない(無関係ではないが)。「ラウンドアップとガンとの関係を、モンサント社が隠していたことはけしからん」「隠していたことによって、農薬を使用した人がガンになった可能性を否定できない」「隠して販売したことによって、モンサント社が莫大な利益を得たことは許されない」ということを、原告側が主張して、その主張を陪審が認めた結果、モンサント社に莫大な支払い命令が出たのである。

 この裁判の原告側弁護士の一人・リッツバーグ氏はとても優秀な弁護士で、「発ガン性商品の不法行為を問う訴訟」を専門としている。上に紹介したIARCによるグリホサートの分類を報道で知り、モンサント社を相手に訴訟を起こすことを決め、原告の一般公募を開始した、といういきさつがある。

 裁判の結果は厳正に受け止めるべきだが、「ラウンドアップに発ガン性がある」とか、「健康を害する農薬である」とかの結論が出たのではない。モンサント社は陪審の判断を不服として控訴している。

 じつはアメリカでは、ラウンドアップに関連する裁判がいくつも行なわれている。モンサント社に賠償を求める訴訟も次々と起こされているし、反対に、農業者が「カリフォルニア州が『ラウンドアップに発ガン性の表示義務を課した』ことを不法行為として、その差し止めを求める」裁判も起こされている。

 後者に関しては「グリホサートが実際にはガンを引き起こすことがないという科学的エビデンスの重さを考慮すると、義務づけられている表示は事実上不正確であり、誤解を招くものである」として、農業者側が勝訴している。モンサント社が莫大な賠償金を支払わされる判決も厳正な事実であるとすれば、グリホサートがガンを引き起こさないという判断もまた厳正な事実である。そういう意味で「コトはそう単純ではない」のだ。

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 この原稿は、冒頭で詳記したセミナーにおける青山博昭・一般社団法人残留農薬研究所毒性部長、ならびに、唐木英明・公益財団法人食の安全・安心財団理事長、お二人の講演を元に筆者が執筆した。

 ここから先はセミナーを取材した筆者の感想だが、農薬問題は単純に判断すべきではない。農薬のリスク評価と同時に、農薬を使わなかった場合の農産物の収穫量や価格にも配慮すべきである。食べ物は、最低限、すべての人の生命と健康を確保するだけの質と量が、確保されなければならない。

 また、農薬のリスクと遺伝子組み換え作物に対する評価とは、異なる次元の問題なので、両者は分けて考えるべきであろう。いっしょにして「すべて農薬会社が悪い」という軽はずみな判断をすべきではない。思想信条と科学的評価を混同してはならない。