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味の「違いがわかる人間」は幸せなのか? それとも・・・

佐藤達夫食生活ジャーナリスト
(写真:アフロ)

■国産ウナギと台湾産ウナギの「味の区別」がつく人はいない

ヒトに限らず、長~い年月をかけて進化してきた地球上のあらゆる生物は、生存のためにそして子孫を残すために必要な能力を身につけ、それに磨きをかけてきた。現在、地球上に存在している生物が持つ能力に「無駄な物」は1つもない(はず)。さらにいうと、ヒトも「無駄な能力」は持ちあわせていない(進化の過程で「無駄な能力」を獲得する余裕はなかった)。

7月20日と27日のこの日記で書いたように(下記)、ヒトは、生存に欠かせないタンパク質・糖質・脂質という主要栄養素(を含む食品)を、栄養学の知識が全くなくても優先的に選択して摂取する能力を身につけた。「おいしい」と感ずる舌(と脳)のセンサーを頼りにして・・・。

タンパク質・糖質・脂質以外にも「生存に欠かせない成分」として食塩があるが、これも「おいしい」と感ずるセンサーを頼りに「優先的に選択」することができる。

http://bylines.news.yahoo.co.jp/satotatsuo/20150720-00047720/

http://bylines.news.yahoo.co.jp/satotatsuo/20150727-00047922/

では、そこから一歩進んで、「生存とは関係のない能力」を、私たち(ヒト)は獲得しているのだろうか?

たとえば、牛肉は良質タンパク質を豊富に含む食品なので、私たちの舌(脳)はそれを「おいしい」と認識する。サシの入った牛肉は動物性タンパク質に加えて脂質をも豊富に含む食品なので「さらにおいしい」と感ずる。ここまでは多くの人に共通していえるだろう。

しかし、その牛肉が「有名ブランド(たとえば松坂とか神戸とか)のもの」なのか「そうではないもの」なのかの区別をする能力は持ちあわせていない。何の情報もない条件下で、「有名ブランド牛肉」と「そうではない牛肉」の違いがわかる人はいない(専門業者など、ごく限られた特別な人を除く)。

同様に、鰻丼は、ヒトの生存にとって重要な動物性タンパク質と動物性脂肪と糖質と食塩(たれ)を豊富に含み、なおかつ「軟らかさ」をも兼ね備えているので、多くの人が「おいしい」と感ずる。しかし、国産ウナギと台湾産ウナギの違いは、ヒトの生存上、必要のない条件なので「区別」できる能力を持っている人はいない(専門業者など、特別な人を除く)。

この違いが「食べてわかる」のであれば、世の中に産地偽装問題は発生しない。

■「食文化」の違いを見事に表現できる人たち

異論のある方もおられよう。たしかに、世の中には「味の違い」がわかる人が、ごくわずかだが、存在することは認めざるをえない。飲食業に就いて大成功を収めている人の中に、そういう人が存在する。

わたくしごとで恐縮だが、私の知人にも「味の違いがわかるとしか思えない」人が、複数、存在する。食材や料理の「おいしさの違い」を敏感に感じとり、それを見事に表現する人たちだ。

ただし、彼ら(彼女ら)の文章をていねいに読むと、入手している情報量がきわめて多いこと、そして、表現力がとても魅力的であることがわかる。さらには、彼ら(彼女ら)が表現している「おいしさの違い」は、「味そのものの違い」ではなく、その食材や料理が持っている「食文化の違い」であることが多いことにも気がつく。

7月27日のコラムで書いたような「旨い」「甘い」「白いご飯がほしい」「やわらかい」しかいわないマヌケな(いいすぎ?)レポーターたちとは違って、彼ら(彼女ら)の発信する食情報は、私たちを楽しませ、私たちの食生活を豊かにしてくれる。これこそ、立派な食文化である。

それであっても、何の情報もない状態で、●●牛肉と○○牛肉の違いがわかるのかどうか、国産ウナギと台湾産ウナギの違いがわかるかどうかを、一度、確認してみたいという衝動には駆られる。おそらく区別はつかないだろうと、私は推測するのだが・・・。

■「無駄な能力」を身につけた人たちは、幸せか・・・?

ここから、大きなお世話だが、「味の違いがわかる一握りの人たち」が幸せなのかどうかを考えてみた。

身体にとって有効な栄養素を「おいしく」感ずることは、生存に不可欠な能力である。しかし、ウナギが国産であるかそうでないかを識別する能力は、生存に不必要な能力だ。いわば「無駄な能力」。

ヒトは「無駄な能力」の獲得に長い時間をかけてはいない。その能力はまだ完成されてないため、必ずしも、正確に機能するとは限らないのではないか。普通の能力しか持ちあわせてない人は(基本的には)「おいしい」と感ずる物を食べていれば、健康で長生きができる(何度も言うようだが「食べすぎ」さえしなければ)。しかし「無駄な能力」を持ちあわせているヒトは、「おいしい」と感ずる物が必ずしも健康にいいものとは限らない、という危険性が生ずるのではないか。

さらには、「普通の能力」の持ち主は、健康にいいものなら何でもおいしく食べることができるので、地球の食料事情が厳しくなったとしても食料に困ることが少ない。しかも、幸せな食生活を送ることができる。しかし「無駄な能力」を持っている人は、おいしいと感ずる物が限られているので、食料に困る事態が発生するのではないか。少なくとも、食べ物から幸福感を得る機会が減るのではないか・・・・などというのは大きなお世話ですね。

食生活ジャーナリスト

1947年千葉市生まれ、1971年北海道大学卒業。1980年から女子栄養大学出版部へ勤務。月刊『栄養と料理』の編集に携わり、1995年より同誌編集長を務める。1999年に独立し、食生活ジャーナリストとして、さまざまなメディアを通じて、あるいは各地の講演で「健康のためにはどのような食生活を送ればいいか」という情報を発信している。食生活ジャーナリストの会元代表幹事、日本ペンクラブ会員、元女子栄養大学非常勤講師(食文化情報論)。著書・共著書に『食べモノの道理』、『栄養と健康のウソホント』、『これが糖血病だ!』、『野菜の学校』など多数。

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