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ホロコーストを豚小屋で生き延びた生存者をめぐる短編アニメ映画「Letter to a Pig」

佐藤仁学術研究員・著述家
(タル・カンター提供)

文化庁メディア芸術祭 第25回 アニメーション部門で優秀賞受賞

第2次世界大戦時にナチスドイツが約600万人のユダヤ人やロマ、政治犯らを殺害した、いわゆるホロコースト。ホロコーストの生存者や当時の様子など実話に基づいた映画やドラマは毎年欧米で制作されている。

イスラエルの映画監督のタル・カンターが制作した短編アニメ映画「Letter to a Pig(ブタへの手紙)」は2022年の文化庁メディア芸術祭で第25回 アニメーション部門で優秀賞を受賞した。

ホロコースト生存者は戦争中に逃げ込んだブタ小屋でブタとともに暮らして戦後まで生き延びることができた。ホロコースト生存者の男性の証言を教室で聞いている少女が空想の中でホロコーストをたどっていく。教室で生存者が当時の経験と記憶を語り、ブタへの御礼の手紙を読み上げる。ユダヤ人は豚肉を食べないし、禁忌であるブタは汚く恐ろしい動物として扱われており、少女も最初はそのような意識だったがだんだんと気持ちが変わっていく。この短編アニメはタル・カンター監督が見た夢を元に制作された。

▼「Letter to a Pig」オフィシャルトレーラー

毎年制作されるホロコースト映画と記憶のデジタル化

ホロコーストを題材にした映画やドラマはほぼ毎年制作されている。今でも欧米では多くの人に観られているテーマで、多くの賞にノミネートもされている。日本では馴染みのないテーマなので収益にならないことや、残虐なシーンも多いことから配信されない映画やドラマも多い。たしかに見ていて気持ちよいものではない。

ホロコースト映画は史実を元にしたドキュメンタリーやノンフィクションなども多い。実在の人物でユダヤ人を工場で雇って結果としてユダヤ人を救ったシンドラー氏の話を元に1994年に公開された『シンドラーのリスト』やユダヤ系ポーランド人のピアニスト、ウワディスワフ・シュピルマン氏の体験を元にして制作され2002年に公開された『戦場のピアニスト』などが有名だ。史実を元にした映画は欧米やイスラエルではホロコースト教育の授業で視聴されることも多い。

一方で、フィクションで明らかに「作り話」といったホロコーストを題材にしたドラマや映画も多い。1997年に公開された『ライフ・イズ・ビューティフル』や2008年に公開された『縞模様のパジャマの少年』などはホロコースト時代の収容所が舞台になっているが、明らかにフィクションであることがわかり、実話ではない。この短編アニメ映画「Letter to a Pig」もフィクションである。

ホロコースト時代を生き延びたユダヤ人にとってのブタと豚肉

この映画ではブタ小屋に隠れてホロコーストを生き延びることができた生存者が登場する。実際にホロコースト時代にはユダヤ人であるというだけで差別されて収容所に送られて殺害された。そのため多くのユダヤ人がキリスト教徒になりすまして生活しようとした。そしてユダヤ人は今まで食べたことがなかった禁忌の豚肉を食べることで「自分はユダヤ人ではない」ということをアピールしていた。

東欧やドイツではキリスト教徒だったポーランド人やドイツ人らは豚一匹で「鳴き声以外」は全てを食べるということで、ソーセージやハムが大好きだった。だから「こんなにおいしい豚肉を食べないユダヤ人はおかしい」と差別する傾向もあった。ナチス占領下のノルウェーを舞台にした映画「The Birdcatcher(エスケープ:ナチスからの逃亡)」でもキリスト教徒の少年になりすましたユダヤ人少女が匿ってくれているノルウェー人の家のブタ小屋でブタと対面して躊躇するシーンがある。このようにホロコースト時代をキリスト教徒になりすまして生き延びることができたユダヤ人にとって克服しなくてはならないものの1つがブタと豚肉だった。

キリスト教徒になりすましてホロコーストを生き延びることができた生存者らのデジタル化された証言の中でも多くの豚肉を食べざるを得ない体験や記憶がよく見られる。キリスト教徒の振りをして教会に通ってキリスト教徒のようなお祈りの真似をするよりも苦痛で大変だったと伝えられている。そしてユダヤ人にとっては禁忌であるため豚肉を食べながら生き延びたり、生きたブタと対面するという話はホロコースト教育を受ける現代のユダヤ人の学生にとってもかなりインパクトがあると語るユダヤ人は多くいる。

戦後約80年が経ち、ホロコースト生存者らの高齢化が進み、記憶も体力も減退しており、当時の様子や真実を伝えられる人は近い将来にゼロになる。ホロコースト生存者は現在、世界で約24万人いる。彼らは高齢にもかかわらず、ホロコーストの悲惨な歴史を伝えようと博物館や学校などで語り部として講演を行っている。当時の記憶や経験を後世に伝えようとしてホロコースト生存者らの証言を動画や3Dなどで記録して保存している、いわゆる記憶のデジタル化は積極的に進められている。デジタル化された証言や動画は欧米やイスラエルではホロコースト教育の教材としても活用されている。ホロコースト映画をクラスで視聴して議論やディベートなどを行ったり、レポートを書いている。そのためホロコースト映画の視聴には慣れている人も多く、成人になってからもホロコースト映画を観に行くという人も多い。またホロコースト時代の差別や迫害から逃れて懸命に生きようとするユダヤ人から生きる勇気をもらえるという理由でホロコースト映画をよく見るという大人も多い。

世界中の多くの人にとってホロコーストは本や映画、ドラマの世界の出来事であり、当時の様子を再現してイメージ形成をしているのは映画やドラマである。その映画やドラマがノンフィクションかフィクションかに関係なく、人々は映像とストーリーの中からホロコーストの記憶を印象付けることになる。

▼「Letter to a Pig」について語るタル・カンター監督

学術研究員・著述家

グローバルガバナンスにおけるデジタルやメディアの果たす役割に関して研究。科学技術の発展とメディアの多様化によって世界は大きく進化してきました。それらが国際秩序をどう変化させたのか、また人間の行動と文化現象はどのように変容してきたのかを解明していきたいです。国際政治学(科学技術と戦争/平和・国家と人間の安全保障)歴史情報学(ホロコーストの記憶と表象のデジタル化)。修士(国際政治学)修士(社会デザイン学)。近著「情報通信アウトルック:ICTの浸透が変える未来」(NTT出版・共著)「情報通信アウトルック:ビッグデータが社会を変える」(同)「徹底研究!GAFA」(洋泉社・共著)など多数。

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