イギリスのコメディアンのジミー・カーがNetflixのスタンドアップコメディ「His Dark Material」（邦題「ジミー・カーのギリギリまで言わせて」）でホロコーストでロマ（ジプシー）が殺害されていたことをジョークで語っていて、大炎上している。

番組のコンセプトが「ジミー・カーが、ギリギリのユーモアでダークな話題を笑いに変える」というものらしいが、番組の中でジミー・カーは「ホロコーストについて語る時には、600万人のユダヤ人がナチスにいよって殺害されたことは話題になります。でも誰も多くのロマ（ジプシー）がナチスによって殺害されたことについては触れません。ロマ（ジプシー）が殺害されたのはポジティブなことなので、誰もロマ（ジプシー）がナチスによって殺害されたことは語りたくないんです」と語っていた。番組でのこのジミー・カーの発言に対してネットでも大炎上し、アウシュビッツ博物館や世界中のユダヤ機関が非難声明を出している。

戦後も差別されてきたロマ

ロマはユダヤ人と同じかそれ以上に欧州では差別、迫害されてきた。そのためナチスドイツのユダヤ人差別政策に反対する人は多くいたが、ロマの差別や迫害に対しては傍観していた人も多い。ドイツでは第一次大戦後に社会の混乱を招くという理由で警察はさかんにロマを取り締まった。そしてナチスが政権を掌握してから2年後の1935年にはドイツ国内のロマを排除するための法律、いわゆるニュルンベルグ法を公布した。欧州では歴史的にもナチスの登場以前からロマは差別されてきた。西欧に住んでいたユダヤ人は各国に同化していたので、見た目ではユダヤ人かドイツ人かの区別はできなかったし、ユダヤ人も宗教がユダヤ教で自分はドイツ人と思って生活をしていた。だがロマはどの国においても全く同化しないで、独自の生活習慣で生活していた。現在のようにテレビやインターネットのない時代に、浅黒いロマの存在は不気味だった。欧州の人は、馬車で移動しながら生活をして動物の芸を見せたり、物を売ったり、ダンスを踊ったり、スリをしたりするロマを興味と恐怖の両方の目で見ていた。

そして「ユダヤ人は世界を牛耳っている」という根拠なき陰謀論があり、「ロマはスパイ」という説が欧州では流布されていた。そのため「国籍を持たないで移動しながら生活をするロマはスパイだ」という"なんとなく市民が納得してしまうような"議論によってナチスドイツによるロマの迫害と虐殺が正当化された。

ロマの被害者数は25万～50万人くらいと言われている。だが、戦後にユダヤ人がイスラエルという国家を樹立して裁判や補償を求めたりなど行ったが、ロマは戦後になっても国を持たなかったため、補償などが行き届かず、実際にはロマの犠牲者数を正確に算出することはできなかった。また「死の天使」として悪名高かった医師のヨーゼフ・メンゲレは特にロマに高い関心を示して、ロマを使っての残虐非道な人体実験も行っていた。

戦後に、ナチスの戦争犯罪を裁く裁判においても、ナチスは「ロマは犯罪者として罰せられたのであり、ロマだから殺害したのではない」として、ロマの大量虐殺を正当化しようとして、成功した。実際にニュルンベルク裁判でロマの大量殺害は裁かれることなく、ロマの証言者は一人も召喚されなかった。第二次大戦が終わった後もロマのためにはほとんど何もなされなかった。戦後もロマの賠償などを支援する国家もなければ、ロマ自身による自主的な抗議運動も行われなかった。さらにナチスの収容所から解放されたロマが戻ってくると「厄介者がまた帰ってくる」とヨーロッパの全ての地域の地元住民に嫌がられていた。ロマに対するナチスの大量虐殺は1982年になってようやくドイツのシュミット首相によって公式に認められた。だがロマに対する対応は何も変わらなかった。

そして8月2日は「ロマのホロコースト記念日」である。1944年8月2日から3日にかけてアウシュビッツ絶滅収容所に収容されていた2,897人の男女のロマ（ジプシーやシンティと呼ばれることもある）がガス室で殺害されたことから、8月2日は「ロマのホロコースト記念日（Roma Holocaust Memorial Day）」である。なお、ロマの言葉でホロコーストのことを、食いつくすという意味の「ポライモス」という。

ユダヤ人に比べて非常に少ないロマによるホロコースト記憶の共有

第2次大戦時にナチスドイツが約600万人のユダヤ人、政治犯、ロマなどを殺害した、いわゆるホロコースト。戦後70年以上が経過しホロコースト生存者らの高齢化も進み、多くの人が他界してしまった。当時の記憶や経験を後世に伝えようとしてホロコースト生存者らの証言を動画や３Dなどで記録して保存している、いわゆる記憶のデジタル化は積極的に進められている。またホロコーストの犠牲者の遺品やメモ、生存者らが所有していたホロコースト時代の物の多くは、家族らがホロコースト博物館などに寄付している。特に新型コロナウィルス感染拡大によるロックダウンで多くの博物館が閉鎖されてしまってからは展示物のデジタル化が加速されており、バーチャルツアーで世界中の人が閲覧できるようになっている。

欧米では主要都市のほとんどにホロコースト博物館があり、ホロコーストに関する様々な物品が展示されている。そして、それらの多くはデジタル化されて世界中からオンラインで閲覧が可能であり、研究者やホロコースト教育に活用されている。いわゆる記憶のデジタル化の一環であり、後世にホロコーストの歴史を伝えることに貢献している。

だが、デジタル化された証言のほとんどがユダヤ人の生存者かポーランドやソ連の政治犯などで、ロマの生存者の体験は非常に少ない。収容所でのロマの様子を語るのも、収容されていたユダヤ人が伝えることも多い。ホロコースト映画も記憶の伝達の一環として、毎年制作されているが、その多くがユダヤ人を主人公にしたもので、ロマを扱ったものはほとんどない。ロマを扱ったホロコースト映画は当時の情報も少ないことから、これからもほとんど制作されないだろう。筆者は「ホロコーストの記憶のデジタル化」を専門としているため多くの生存者の証言を検証してきたが、ユダヤ人ばかりでデジタル化されたロマの証言を検証したことはほとんどない。

デジタル化された証言集は欧米やイスラエルでのホロコースト教育にも多く活用されているが、そこでの証言はユダヤ人ばかりでロマの記憶や体験を授業で聞く機会はほぼない。特にホロコースト教育はホロコーストの正しい歴史を次世代に伝えるという目的の他に、欧米では今でも反ユダヤ主義が根強いためユダヤ人を差別しないようにすることもある。だがホロコースト教育でロマが取り上げられることはあまりない。ホロコースト教育を受けてきた学生らもユダヤ人の悲惨な体験はたくさん耳にしてきたが、ロマがホロコースト時代にどのような経験をしてきたのか知らない人が多い。証言や史料もユダヤ人のように多くないので教員も詳細に教えることができないのだろう。

また、ホロコーストの犠牲者や生存者の情報のデータベース化は各国で進められているが、そのほとんどはユダヤ人の犠牲者だ。チェコでもホロコーストのユダヤ人の犠牲者のデータベースをオンラインで公開していたが、2020年5月から、当時のチェコ領域だったボヘミア地方とモラヴィア地方でのロマ（ジプシー）の犠牲者たちのデータベースも公開した。だがチェコにいた全てのロマではなく、1942年から43年の間にレティにあったロマ専用の収容所に移送された人たち329人分のデータのみだ。ホロコーストにおけるロマの犠牲者の数は、研究者によって推計値が異なる。当時のロマの犠牲者の情報を集めるのは非常に難しい。ロマは移動しながら生活していたため特定の住所もなかったことから、家族や名前の一致などが容易ではない。またユダヤ人のようにカメラを所有していなかったので、ナチスドイツ以前の平和な時代の家族の写真なども存在していないため、ユダヤ人犠牲者に比べると残されているデータや情報も少ない。

ロマのホロコーストをテーマにした代表的な映画は1988年に制作されたポーランドとアメリカの映画で、ポーランドにいたロマの実話を元に制作された「And the Violins Stopped Playing」だ。支配したナチスの親衛隊がロマに対して「外で用をたすな。家の中にトイレを作れ」と指示するシーンなど当時のロマの生活や習慣などが伺える。

▼2020年の「ロマのホロコースト記念日」を紹介する動画

▼「And the Violins Stopped Playing」トレ―ラー

▼英国コメディアンの発言に対するアウシュビッツ博物館のツイート