101歳のアウシュビッツ生存者死去「ホロコーストの記憶のデジタル化」のパイオニア
「分かち合うべきものは苦しみではない。分かち合うべきは希望」
2021年10月にホロコースト生存者で101歳のエディ・ジェイク氏が亡くなられた。エディ氏は1920年にドイツで生まれたユダヤ系ドイツ人でホロコースト時代にはアウシュビッツ絶滅収容所やブーヘンバルト強制収容所を転々とさせられて、戦後にオーストラリアに移住。オーストラリアでも長年にわたって学校や博物館、シナゴーグでホロコーストの経験を伝えていた。筆者の専門はホロコーストの記憶のデジタル化なので、多くのホロコースト経験者の記憶を研究しているが、ジェイク氏はとてもポジティブで元気で有名な方だ。
日本でも『世界でいちばん幸せな男:101歳、アウシュヴィッツ生存者が語る美しい人生の見分け方』(エディ・ジェイク著・金原瑞人訳、河出書房新社、2021年)という本が出版された。原題は『The Happiest Man on Earth The Beutiful Life of an Auschwitz Survivor』でオーストラリアや欧米でもジェイク氏のポジティブな生き方を反映されており人気がある。
オーストラリア在住でオーストラリアではとても有名なホロコースト生存者だったジェイク氏をいっきに世界的に有名にしたのが2019年に「TEDx」で自身のホロコーストの経験を語ってからだろう。99歳のアウシュヴィッツ生存者の体験を語る元気な姿は世界中の多くの人に生きる希望を与えていた。
戦後75年が経ち、ホロコースト生存者らの高齢化が進み、記憶も体力も衰退しており、当時の様子や真実を伝えられる人は近い将来にゼロになる。ホロコースト生存者は現在、世界で約24万人いる。彼らは高齢にもかかわらず、ホロコーストの悲惨な歴史を伝えようと博物館や学校などで語り部として講演を行っている。当時の記憶や経験を後世に伝えようとしてホロコースト生存者らの証言を動画や3Dなどで記録して保存している、いわゆる記憶のデジタル化は積極的に進められている。デジタル化された証言や動画は欧米やイスラエルではホロコースト教育の教材としても活用されている。
ジェイク氏はその記憶のデジタル化の先駆け的な存在でもあった。オーストラリアの地元の会場で数十人だけにホロコーストの記憶と経験を語るのではなく、デジタルやオンラインの配信で世界中の人たちに何回でも話を聞いてもらうことの重要性を理解し実践していた。本人も生前にテクノロジーの進歩のすばらしさを語っていた。著書の中でも以下のように語っていた。
テクノロジーの進歩のすばらしい。私が子供の頃は、まだ電報や伝書鳩でメッセージを送る時代だったというのに、いまでは、私の話を聞いた人から感動しましたというメールが来る。(中略)想像できるだろうか?少し前まで私は、自分の苦しみを誰かと分かち合うことに抵抗があった。しかし今では、分かち合うべきものは苦しみではないと知っている。分かち合うべきは希望なのだ。
(『世界でいちばん幸せな男:101歳、アウシュヴィッツ生存者が語る美しい人生の見分け方』(エディ・ジェイク著・金原瑞人訳、河出書房新社、2021年)P190)
「私たちの物語は歴史から消えてしまうのか。それとも人々の記憶の残るのか」
現在、世界中の多くのホロコースト博物館、大学、ユダヤ機関がホロコースト生存者らの証言をデジタル化して後世に伝えようとしている。
ホロコーストの当時の記憶と経験を自ら証言できる生存者らがいなくなると、「ホロコーストはなかった」という"ホロコースト否定論"が世界中に蔓延することによって「ホロコーストはなかった」という虚構がいつの間にか事実になってしまいかねない。いわゆる歴史修正主義だ。そのようなことをホロコースト博物館やユダヤ機関は懸念して、ホロコースト生存者が元気なうちに1つでも多くの経験や記憶を語ってもらいデジタル化している。
だがホロコーストを経験した生存者は当時の悲惨な体験を子供たちや世間の人に語りたがらない人も多い。またジェイク氏のように戦後もポジティブに生きてこれた人ばかりではなく、多くの生存者が当時の辛い経験から精神的に病んで自殺してしまった人も多い。家族や子供たちにも伝えていないという人も多い。それでも、思い出すのも嫌だったし、理解されないだろうと思っていたという生存者の中には、後世に正しい歴史を伝えるためにということで、最近になってようやく重たい口を開き始めた人も多い。
ジェイク氏は自身がホロコーストの記憶と経験を後世に語り継ぐことの使命と想いについて以下のように語っていた。
疲れた時に考えるのは、生き残れなくて、自分の物語を語ることのできない人のことだ。そして、長い時間が経っても傷が深すぎて語れない人たちのことだ。彼らの代わりに私は語る。そして両親の代わりに。自分のことを語るのは難しい。とても辛いこともある。しかし私は自分にこう問いかける。私たちが死んでしまったらどうなる。生存者全員が死んだらどうなる。私たちの物語は歴史から消えてしまうのか。それとも人々の記憶の残るのか。新しい時代がきた。世界をより良くしようという熱い想いを抱く若者の世代だ。彼らはきっと私たちが経験した苦しみに耳を傾け、希望を受け継いでくれる。
(『世界でいちばん幸せな男:101歳、アウシュヴィッツ生存者が語る美しい人生の見分け方』(エディ・ジェイク著・金原瑞人訳、河出書房新社、2021年)P191)
▼TEDxでホロコーストの記憶を語るジェイク氏
▼ジェイク氏が唯一アウシュヴィッツで没収されなかったベルト。