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ホロコースト時代のゲットーのユダヤ人を撮影した貴重な写真 米国ボストン博物館に寄贈

佐藤仁学術研究員・著述家
ロス氏が撮影したポーランドのゲットーでのユダヤ人の生活(ボストン美術館提供)

ホロコーストの記憶のデジタル化

 第二次世界大戦時にナチスドイツが約600万人のユロス氏が撮影したポーランドのゲットーでのユダヤ人を殺害した、いわゆるホロコースト。戦後70年以上が経ち、当時の生存者たちも高齢化が進んでいき、ホロコースト当時のことを知っている人も少なくなってきており、近い将来にはゼロになる。そのため現在、欧米やイスラエルでは「ホロコーストの記憶のデジタル化」が進められており、当時の映像や写真、ユダヤ人らの体験記のインタビュー動画をネットで公開したり、ホログラムによる生存者とのリアルタイムの会話ができたりデジタル化された生存者の記憶がホロコースト教育などにも積極的に活用されている。特に欧米や中東諸国では現在でも反ユダヤ主義が根強く、ユダヤ人はSNS上でもヘイトスピ―チや民族憎悪の対象になりやすい。そのような反ユダヤ主義をけん制、正しいホロコーストの歴史を伝えることと人権意識の向上を目的として欧米ではホロコースト教育も学校で行われている。

フォトジャーナリストとしてナチスのプロパガンダに協力しながらゲットーの様子を隠し撮り:貴重だったカメラ

 ホロコースト時代の記憶を伝える貴重なツールの1つとして、当時のホロコーストを伝える写真が残っている。ナチスドイツが支配した地域ではユダヤ人は職業上の差別や学校から追放されたり、公園や映画館など公共施設への入場も禁止されたり、買い物時間の制限や夜間外出の禁止、さらに所有物の制限もされた。所有物として自転車やカメラの所有も禁止された。そのため、ユダヤ人自身がユダヤ人が収容されていたゲットーの様子を写真で残すことはほとんどできなかった。隠し持っていたカメラで撮影した写真がほとんどだ。ゲットーの様子を撮影した映像や写真はナチスドイツから派遣されたドイツ人が撮影したものがほとんどだった。そのような状況で当時のユダヤ人のフォトジャーナリストだったヘンリー・ロス氏がポーランドのウッジのゲットーの様子を撮影した48枚の白黒の貴重な写真が米国のボストン美術館に寄贈された。デジタル化によるホロコーストの記憶の継承が多く行われており、生存者の証言や映画などが主流になっているが、当時のゲットーでのユダヤ人の生活を撮影した写真は生々しく当時の様子を伝えている。

 ナチスドイツに迫害されていたユダヤ人はカメラの所有を禁止されていたが、現在のように誰もがスマホで簡単に撮影して、瞬時にSNSにアップできるような時代ではなかった。当時のユダヤ人は裕福な家庭で1家に1台のカメラを所有していた程度のぜいたく品だった。そのため多くのユダヤ人にとっては当時、カメラ所有が禁止されても生活には大きな影響はなかった。日々の食料品や薬などもっと必要なものがたくさんあった。当時のナチスドイツ支配下のポーランドではユダヤ人だけでなく、ポーランド人でも報道の自由や表現の自由が制限されていた。ロス氏は当時では珍しいフォトジャーナリストだったことから、ゲットーに組織された統計部門に配属され、ナチスドイツがユダヤ人を公正に扱っているというプロパガンダのために、ゲットーの様子を撮影することを許可されていた。そのため、ロス氏が撮影していた写真には、実際のゲットーの悲惨な様子だけでなく、プロパガンダのために撮影された「ゲットーでユダヤ人は楽しく生活している」「ナチスドイツはユダヤ人を差別していない」「仕事もあって幸せなユダヤ人」といった「虚像のゲットーの様子」を写した写真がほとんどだった。ウッジのゲットーには16万人のユダヤ人が狭く、非衛生的な場所に閉じ込められ、多くのユダヤ人が餓死したりチフスに感染して死亡した。ゲットーは絶滅収容所への入り口だった。

ネガは地中に隠して戦後発掘、アメリカへ

 ユダヤ人だったロス氏はナチスドイツのプロパガンダ用のオフィシャル写真だけではなく、ゲットーの真の姿を伝えようと、実際のゲットーでの悲惨な生活の様子も隠れて撮影していた。だが当時のユダヤ人が収容されていたゲットーでのユダヤ人の様子を写真に撮影することは命がけの行動だった。そのためロス氏もナチスドイツの親衛隊やポーランドの地元警察や、ゲットー内にいるユダヤ人組織の警察に見つからないようにこっそりと隠れて撮影していた。ウッジのゲットーは1944年に一掃され、そこにいたユダヤ人らはアウシュビッツなどの絶滅収容所に移送された。ロス氏はゲットーが一掃される前に6000枚の写真のネガを箱に入れて地面に埋めていた。そして1945年1月にソ連軍によって解放された時にネガが発見された。ロス氏は1991年に他界している。アウシュビッツ絶滅収容所から生き延びることができたウッジゲットーにいた織物職人の子供で1947年にアメリカに移住したレオン・スットン氏がロス氏が撮影したこれらの写真の一部を所有しており、スットン氏が2007年に他界すると息子のポール・スットン氏から、グリーンバーグ氏経由でボストン美術館に寄贈された。

 ポール・スットン氏は「父が所有していた写真がボストン美術館で永遠に管理され、世界中の多くの人に当時のゲットーの様子を伝えることができるのはとても嬉しいことです。アメリカに移住してきたホロコースト生存者の最初の世代の息子としても、ホロコーストの歴史を決して忘れてはいけないと思います」と語っていた。またボストン美術館のディレクターのマシュー・テイテルバウム氏は「ホロコースト当時のこれらの写真はとても貴重です。写真には当時の様子を鮮明に伝えるパワーを持っていますし、当時の生活の様子を生々しく伝えています」とコメントしていた。

ロス氏が撮影したポーランドのゲットーでのユダヤ人の生活(ボストン美術館提供)
ロス氏が撮影したポーランドのゲットーでのユダヤ人の生活(ボストン美術館提供)

ロス氏が撮影したポーランドのゲットーでのユダヤ人の生活(ボストン美術館提供)
ロス氏が撮影したポーランドのゲットーでのユダヤ人の生活(ボストン美術館提供)

学術研究員・著述家

グローバルガバナンスにおけるデジタルやメディアの果たす役割に関して研究。科学技術の発展とメディアの多様化によって世界は大きく進化してきました。それらが国際秩序をどう変化させたのか、また人間の行動と文化現象はどのように変容してきたのかを解明していきたいです。国際政治学(科学技術と戦争/平和・国家と人間の安全保障)歴史情報学(ホロコーストの記憶と表象のデジタル化)。修士(国際政治学)修士(社会デザイン学)。近著「情報通信アウトルック:ICTの浸透が変える未来」(NTT出版・共著)「情報通信アウトルック:ビッグデータが社会を変える」(同)「徹底研究!GAFA」(洋泉社・共著)など多数。

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