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「天才」と呼ばれた銀次が貫いた楽天一筋のプロ野球人生

佐々木亨スポーツライター
2014年の日米野球、侍ジャパンのユニフォームに袖を通した銀次選手。(写真:アフロスポーツ)

 名前のごとく「いぶし銀」のバットマンとして、長きに渡ってプロ野球人生を歩んだ東北楽天ゴールデンイーグルスの銀次が現役引退を表明した。

 プロ18年間で通算1239安打。

 その打撃は、かつてイーグルスを率いた知将・野村克也氏が「天才」と表現するほどに高い技術を誇ったものだ。

 岩手県の沿岸地域出身の銀次は、普代村野球スポーツ少年団で野球人生をスタートさせた。巧みなバットコントロールで高いコンタクト率を誇る打撃の注目度が高まったのは、県内の内陸部にある盛岡中央高校時代だった。3年夏の岩手県大会では、決勝で4打数4安打をマークするなど、大会を通じて7割超の打率を残した。結局は甲子園に辿り着くことはなかったが、その打撃センスは群を抜いていた。

 ゆかりのある東北の地でプロ野球人生を歩み始めた銀次が、本当の意味で「プロ」としての第一歩を踏み出したのは、一軍初出場を果たした5年目のシーズンから。生まれ育った岩手県の沿岸地域も甚大な被害を受けた東日本大震災があった6年目の2011年には、初の開幕一軍を果たす。二軍で打率.345を残して初のイースタン・リーグ首位打者に輝く中で、9月末には一軍へ昇格。10月5日の北海道日本ハムファイターズ戦(札幌ドーム)では、のちにメジャーリーガーとなるダルビッシュ有からプロ初打点を挙げる。そして、2012年には5月から二塁のレギュラーに定着して、シーズン後半からは打線の中軸を担う活躍。126試合に出場してキャリアハイの成績を残したその年を境に、銀次は「チームの顔」となっていった。

地元・東北の地に育まれ、愛された18年間の現役生活

 8年目のシーズンとなった2013年には、三番打者としての地位を確立する。7月30日の埼玉西武ライオンズ戦。生まれ故郷にある岩手県営野球場で行なわれたその一戦では、地元民の多くの声援を受けて打席に立った。西武の先発マウンドに上がった同郷の菊池雄星(現・ブルージェイズ)と対峙した銀次は、第1打席でチーム初ヒットとなる左前安打を放った。2ボール2ストライクからの7球目、インコースをえぐる145キロのストレートを詰まりながらも逆方向へ打ち返した姿には、高い打撃技術と、応援してくれる地元民への感謝の思いが詰まっていただろうか。東北の地に育まれ、そして愛された銀次は、シーズンを通して活躍して球団史上初となるリーグ優勝、さらに日本一の立役者となった。

 フルスイングに全力疾走。常に「全力プレーを見てもらいたい」と言い続けた銀次は、その後もチームを牽引する立場として走り続けた。2014年には三塁手として、2017年には一塁手としてベストナインに輝いた。2019年には国内FA権を取得したが、彼は「東北のために」と言ってチームに残ることを決意したものだった。オフシーズンには、東北の地の子供たちと触れ合いながら、野球の楽しさを伝えた。

「東北が好きなので、生まれた場所に恩返しをしていきたい」

 11月22日の引退会見で残した言葉は、銀次の野球人生を象徴するものだった。楽天一筋のプロ18年間の経験と思いは、さらに大きな価値となって次世代につながっていくのだろう。

スポーツライター

1974年岩手県生まれ。雑誌編集者を経て独立。著書に『道ひらく、海わたる 大谷翔平の素顔』(扶桑社)、『あきらめない街、石巻 その力に俺たちはなる』(ベースボール・マガジン社)など、共著に『横浜vs.PL学園 松坂大輔と戦った男たちは今』(朝日文庫)などがある。主に野球をフィールドに活動するなかで、大谷翔平選手の取材を花巻東高校時代の15歳から続ける。

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