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日本で、高級チョコレートを売る。 「ピエール マルコリーニ」はなぜ成功したか

笹木理恵フードライター
ベルギー王室御用達のショコラティエ、ピエール マルコリーニ氏(画像提供/CCC)

本物のチョコレートを、大人の街で売る

数々の名店で修業し、30歳の若さで独立したピエール マルコリーニ氏。2015年にベルギー王室御用達のショコラティエに就任(画像提供/CCC)
数々の名店で修業し、30歳の若さで独立したピエール マルコリーニ氏。2015年にベルギー王室御用達のショコラティエに就任(画像提供/CCC)

銀座で高級チョコレートを展開した先駆けとして絶大な人気を誇る「ピエール マルコリーニ」。同店を展開するのは、(株)THE CREAM OF THE CROP AND COMPANY(以下、CCC)。皮革製品をはじめヨーロッパの高級ブランドを扱う(株)キャンディーが母体で、同社がベルギー王室御用達の革製品ブランド「DELVAUX(デルボー)」の総輸入販売元であったことから、「ベルギーに、将来展望のある若いショコラティエがいる」と当時の駐日ベルギー王国大使に紹介されたのが「ピエール マルコリーニ」との出合いだった。「初めて食べたときに、その美味しさに感動しました。当時は、まだピエールも30代。日本での展開に関しては、本人の意思もありましたが、この美味しいチョコレートをぜひ日本に紹介したい、という思いで当時、代表の田島雄志(現会長)と出店を決めました」と語るのは、CCC代表取締役社長の田島里可子氏だ。

毎年数ヵ月かけてカカオ農園を訪れ、豆の選別から焙煎、粉砕、調合、精錬といったすべての工程を自ら手掛ける(画像提供/CCC)
毎年数ヵ月かけてカカオ農園を訪れ、豆の選別から焙煎、粉砕、調合、精錬といったすべての工程を自ら手掛ける(画像提供/CCC)

一般的にチョコレートは、原料となるクーベルチュールを購入し、生クリームなどと合わせてボンボン・ショコラやタブレットなどに仕立てる。しかし「ピエール マルコリーニ」の場合は、チョコレートの原料となるカカオの産地にピエール氏が赴き、自ら仕入れたカカオ豆でクーベルチュールを作り、チョコレート菓子に仕立てる。最近でこそ、カカオ豆からチョコレートを手づくりする「ビーン・トゥ・バー」がトレンドとなっているが、まさにその先駆け的な存在でもあったのだ。

数あるボンボン・ショコラのうち、クール フランボワーズ、ピエール マルコリーニ グラン クリュ、アニモキャラメル、エスカルゴの4つは、オープンから販売している象徴的なショコラ(画像提供/CCC)。
数あるボンボン・ショコラのうち、クール フランボワーズ、ピエール マルコリーニ グラン クリュ、アニモキャラメル、エスカルゴの4つは、オープンから販売している象徴的なショコラ(画像提供/CCC)。

自分のためにチョコレートを買うような、食に感度の高い大人の客層がいるエリアで勝負したいと、出店場所は最初から銀座に絞って探した。2001年12月、ワンフロア10坪の4階建ての物件からスタートした。「縦に長い物件なので、物販だけでなくカフェも可能、という話になり、当時ベルギーになかったカフェを日本で初めて展開することになりました」(田島氏)。

銀座本店2階のカフェ。カウンターもあり、1人でも来店しやすい雰囲気(画像提供/CCC)
銀座本店2階のカフェ。カウンターもあり、1人でも来店しやすい雰囲気(画像提供/CCC)

当時の洋菓子業界をチョコレート中心に振り返ると、98年に「ピエール・エルメ・パリ」(東京・紀尾井町)、「メゾン・デュ・ショコラ」(同・青山)が初出店を果たし、99年には、日本人ショコラティエの先駆け「テオブロマ」(同・渋谷)がオープン。「ピエール マルコリーニ」がオープンした翌年の2002年には「ジャン=ポール・エヴァン」が新宿伊勢丹に日本1号店をオープンし、日本最大のチョコレートの祭典「サロン・デュ・ショコラ」がスタート。これ以降、日本で高級チョコレートのブームが巻き起こっていく。

パフェにアイス…。チョコレートを楽しむ多彩な提案

連日行列をつくる銀座本店(2005年当時)の様子(画像提供/CCC)
連日行列をつくる銀座本店(2005年当時)の様子(画像提供/CCC)

ベルギーの若手ショコラティエが銀座に初上陸、しかも本国にもないチョコレート専門のカフェも併設とあって、「ピエール マルコリーニ」は開業当初から大きな注目を集めた。「弊社としては飲食事業自体が初めてでしたから、オープンした頃はファッション系のつながりが多くて、グルメ系のメディアよりもファッション誌などに掲載されることが多かったんですね。それでも、チョコレート専門店のカフェという珍しさもあって、開業当初から訪れてくれるお客様はかなり多かった。そこからだんだんメディアの取材が入って、チョコレートパフェで一気に人気に火がついた感じです」(田島氏)。

チョコレートの多彩な味わいを楽しんでもらうため、様々なチョコのパーツとバニラアイスで仕立てた「マルコリーニチョコレートパフェ」(画像提供/CCC)
チョコレートの多彩な味わいを楽しんでもらうため、様々なチョコのパーツとバニラアイスで仕立てた「マルコリーニチョコレートパフェ」(画像提供/CCC)

「ピエール マルコリーニ」の成功は、チョコレートそのもののポテンシャルの高さはもちろん、カフェを併設した店づくりも大きな要因だろう。1粒数百円のボンボン・ショコラは、日本では日常のスイーツよりも、ギフトとしてのニーズが高かった。それには、日本独自のバレンタイン文化も影響しているだろう。チョコレートの物販だけでなく、イートインのカフェを併設したことで、間口がぐっと広がったのは間違いない。

濃厚なアイスクリームと果実感のあるソルベは、ギフトとしても人気(画像提供/CCC)
濃厚なアイスクリームと果実感のあるソルベは、ギフトとしても人気(画像提供/CCC)

その後、2003年には、本店の隣に「ピエール マルコリーニ アイスクリーム銀座」をオープン(2015年にリニューアルし、チョコレートショップと合体)。ショコラティエとしてだけでなく、グラシエ(アイスクリーム職人)のディプロマをもつピエール氏の多彩な才能が、ここでも多くのファンを虜にした。「もともとベルギーで提供していたアイスクリームがとても印象的な美味しさだったので、なんとか日本でも専門的にやりたいと。結果的に冬はチョコレート、夏はアイスが売れる、という構図ができ、スタートしました」(田島氏)。

バレンタイン恒例となった、シェフのファンサービス

チョコレートのリッチな味わいが楽しめる「ソフトショコラ」(画像提供/CCC)
チョコレートのリッチな味わいが楽しめる「ソフトショコラ」(画像提供/CCC)

日常的にチョコレートを食する文化のない日本で、チョコレートの多様性を広めるために、「ピエール マルコリーニ」では日本にしかないアイテムをいくつか導入している。2008年には、焼き菓子などを日本で製造するための「アトリエ“C”」を開設し、アイテムの幅を広げることで多彩なギフトの提案を可能にした。

さらに幅広い客層にすそ野を広げたと思われるのが、「ソフトショコラ」と名付けたソフトクリームだ。2012年夏、名古屋店で初登場し、その後、各店舗に普及。バレンタインの催事などでも大人気のメニューとなっている。ボンボン・ショコラはちょっと敷居が高いけれど、ソフトクリームなら気軽に食べられるからだ。「日本人にとって、ソフトクリームってとても身近な存在ですよね。道の駅など全国の観光地には必ずといっていいほどあって、お子さんから年配の方まで好まれています。開発は日本で行なったのですが、チョコレートがとても濃厚なので最初はマシンに詰まって出てこなかったほどでした」(田島氏)。

2020年のバレンタインは、ハートのグラデーションがきれいに並んだ新作「グラデーション クール」が登場(画像提供/CCC)
2020年のバレンタインは、ハートのグラデーションがきれいに並んだ新作「グラデーション クール」が登場(画像提供/CCC)

さらに、年間で最大の売上げを記録するバレンタインシーズンは、日本の慣習に合わせて売り方を工夫。バレンタインの新作をピエール氏に開発してもらい、特別感のあるパッケージを日本で作成するなど、日本人のギフト需要に合った商品を展開している。加えて、第1回から参加している「サロン・デュ・ショコラ」をはじめ、全国の百貨店などで行なわれる催事にも出店し、ピエール氏みずからファンにサインも行なう。「実店舗は、東京駅や羽田空港など特別感のある場所を選んで出店してきましたので、バレンタインは百貨店などに積極的に出店することで、全国のお客様にピエール マルコリーニのチョコレートを楽しんでいただきたいと考えています」と田島氏。

「ブランドをここまで大きく育てられたのは、ピエールの人柄も大きいと思います。バレンタイン商品の開発は夏前から始まるのですが、毎年、快く引き受け、一生懸命取り組んでくれています。年に2~3回の来日も欠かさず、バレンタインの時期は1時間刻みで各所へ移動し、1日中サインしっぱなし、というスケジュールもニコニコこなしてくれる。自身で『前世は日本人だったかも』というくらい日本に親しみを感じていて、日本のお客様から受け取った感動を、新しいクリエイションを生むパワーに変えているようです」(田島氏)。

撤退と参入が続く銀座で、約20年間輝き続ける理由

チョコレートビルと呼ばれた、リニューアル前の外観(画像提供/CCC)
チョコレートビルと呼ばれた、リニューアル前の外観(画像提供/CCC)
2015年12月、モダンにリニューアルした銀座本店(画像提供/CCC)
2015年12月、モダンにリニューアルした銀座本店(画像提供/CCC)

「ピエール マルコリーニ」が出店した西五番街通りには、その後海外のチョコレートブランドの出店が相次ぎ、「銀座ショコラストリート」と呼ばれた。しかし、フランス「ジョエル・ジュナン」(2013年12月閉店)、フランス「イルサンジェー」(2014年閉店)、イタリア「リナルディーニ」(2014年閉店)と、現在ではほとんど残っていない。なかには数ヵ月で閉店したり、日本から撤退してしまったブランドもある。ショコラストリートではないが、同じベルギーの老舗「ノイハウス」も撤退(2019年に再上陸)。撤退と再上陸を繰り返すブランドや、催事のみでの展開になってしまうブランドも少なくない。パートナーシップがうまくいかなかったなど経営的な事情も大きいと思うが、本国では高く評価されているチョコレート店であっても、日本で長く商売を続けるのは本当に難しいことなのだ。

2007年にスタートした「マルコリーニ エクレア」(2015年12月リニューアル)やワッフル、季節限定のパフェなど、メニューは徐々に増えている(画像提供/CCC)
2007年にスタートした「マルコリーニ エクレア」(2015年12月リニューアル)やワッフル、季節限定のパフェなど、メニューは徐々に増えている(画像提供/CCC)

「チョコレートブームの最中でも、お店のスタッフには周りのお店や一時的なブームを意識せず、これまで通り、自信をもって自分たちの商品を売っていこう、と伝えていました。1号店が銀座だったからこそ、本物を知っている銀座のお客様に育てられ、ブランドの価値を維持できたのだと思います」(田島氏)。「ピエール マルコリーニ」を日本に持ち込んだ当時、母体のキャンディーは飲食事業が初めてだったものの、高級ブランドを多数扱ってきた経緯から、本物に対しての扱い方に長けていた。商品価値をしっかりと理解し、どのようにそれを見せたらお客に価値が伝わるか。立地選定、空間設計やディスプレー、価格設定などにファッション部門で培ったノウハウが発揮され、強いブランドを作りあげたのだと思う。「今は、銀座で20年続けてきた自負も生まれ、この地できちんといいものを提供していきたい、という思いが強くなりました。老舗といわれる店になれるように進んでいきたい」(田島氏)。

2018年、新たなブランドコンセプト「Simple as an Art (アートのようにシンプルに)」を打ち出し、創業以来使用してきたカカオポッドのロゴから、モノグラムのロゴへと一新。(画像提供/CCC)
2018年、新たなブランドコンセプト「Simple as an Art (アートのようにシンプルに)」を打ち出し、創業以来使用してきたカカオポッドのロゴから、モノグラムのロゴへと一新。(画像提供/CCC)

一方で、「ピエール マルコリーニ」では、1年ほど前から、SNSでの発信も強化。顧客を対象にした試食会を行なうなど、ファンとの交流にも力を入れている。「SNSでのコマーシャルというのは、売上げに対する貢献度を数値化するのが難しいですが、時代的には方法を考えての対応が必要だと感じています」(田島氏)。さらに、2019年には、トレードマークだったカカオポッドから、アートとコンパスを象徴するロゴへと刷新。これからも、良質なカカオ豆を求めて世界を旅するというピエール氏の決意が表現されている。

パティスリー&カフェ「カドーナチュール」では、有機栽培コーヒーや自然栽培の日本茶、有機ビスケットなどを提供(画像提供/CCC)
パティスリー&カフェ「カドーナチュール」では、有機栽培コーヒーや自然栽培の日本茶、有機ビスケットなどを提供(画像提供/CCC)

「会社としては、オーガニックに着目しています。2019年10月には、オーガニックにこだわった新ブランド『カドーナチュール』を渋谷ヒカリエにオープン。日本国内でのオーガニック市場は、まだ伸びしろがあると感じています」と田島氏。「ピエール マルコリーニ」を日本で大きく育てたCCCが、次はどんな花を咲かせるのだろうか。

銀座本店の店内。チョコレートショップとクーベルチュール専門ブランド「ブリュッセルトレジャー」が一つの店舗に統合され、よりブランドの世界観を感じられる空間になっている(画像提供/CCC)
銀座本店の店内。チョコレートショップとクーベルチュール専門ブランド「ブリュッセルトレジャー」が一つの店舗に統合され、よりブランドの世界観を感じられる空間になっている(画像提供/CCC)

ピエール マルコリーニ 銀座本店

東京都中央区銀座5-5-8

03-5537-0015

平日 11:00~21:00、土曜 11:00~20:00、日・祝祭日 11:00~19:00(各閉店30分前L.O.)

無休

http://www.c-c-c.co.jp/

<ピエール マルコリーニ 19年の歩み>

2001年12月・・・・・ピエール マルコリーニ銀座オープン

世界初のチョコレートカフェ併設。高級チョコレートブームの先駆者となる。

『マルコリーニチョコレートパフェ』は、オープンから不動の人気メニュー。

2003年12月・・・・・ピエール マルコリーニアイスクリーム銀座オープン

2004年12月・・・・・ピエール マルコリーニ羽田オープン。

2007年3月・・・・・ピエール マルコリーニ名古屋オープン

限定商品『マルコリーニエクレア』販売開始。

2007年10月・・・・・ピエール マルコリーニGranSta(JR東京駅)オープン

限定商品『マルコリーニビスキュイ』販売開始。

2008年10月・・・・・アトリエ“C”を開設。チョコレート菓子製作の核となる

2010年12月・・・・・新業態カフェマルコリーニ二子玉川オープン

新たなカフェメニューとして『マルコリーニワッフル』販売開始

2011年1月・・・・・ピエール マルコリーニ銀座リニューアルオープン

独立した建物だったチョコレートショップとアイスクリームショップのフロアを合体

2012年10月・・・・・オリジナルクーベルチュール「ブリュッセルトレジャー」を世界で初めて販売。

2013年3月・・・・・ルミネ横浜に出店。限定のシュークリームは、連日完売の人気を誇る。

2014年4月・・・・・渋谷ヒカリエShinQs 店オープン。

2015年11月・・・・・ハワイ店オープン

2015年12月・・・・・ベルギー王室御用達ショコラティエに就任。銀座本店リニューアルオープン

2016年4月・・・・・ 新宿ニュウマンオープン

2019年1月・・・・・ロゴマークを刷新

フードライター

飲食業界専門誌の編集を経て、2007年にフードライターとして独立。専門誌編集で培った経験を活かし、和・洋・中・スイーツ・パン・ラーメンなど業種業態を問わず、食のプロたちを取材し続けています。共著に「まんぷく横浜」(メディアファクトリー)。

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