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「ファーザー」監督が語る、アンソニー・ホプキンスの人柄と“衝撃のラスト”

猿渡由紀L.A.在住映画ジャーナリスト
アンソニー・ホプキンスは「ファーザー」でオスカー主演男優賞を受賞

“どんでん返しのオスカー受賞”で話題を集めたアンソニー・ホプキンス主演の「ファーザー」が、ついに日本でも公開になった。

 最後のチャンスだった故チャドウィック・ボーズマンの主演男優賞受賞がかなわなかったのは、たしかに残念なことではある。だが、だからといってホプキンスの受賞に異議を唱える声は、一切聞かれていない。本命視されていたボーズマンでなかったことに人は一瞬驚きはしたものの、その結果に対し、「納得」「大満足」と感じたのだ。それも当然。現代に生きる最高の役者のひとりであるホプキンスは、認知症を本人の視点から見つめるこの映画で、長年のファンの高い期待をも上回る、心を揺さぶる演技を見せてくれるのである。

 彼からそんなパフォーマンスを引き出したのは、今作で映画監督デビューを果たした戯曲家フロリアン・ゼレール。自分が書いた舞台劇を自分の手で映画化したいと思い始めた時から、ゼレールは、ホプキンスに主演を務めてもらうことを夢見ていた。

「そのことを話すと、友人に笑われたよ。フランス人で、映画を監督した経験がゼロの男が、アンソニー・ホプキンスに出てもらいたいというんだからね。だが、『絶対無理』と言われることは、実はそうじゃないことが多い。人が自ら扉を閉ざしてしまうだけのこと。自分で無理だと決めつけてしまうんだよ。僕は扉を閉めないと決め、アンソニーのエージェントに脚本を送ったのさ」。

 そしてついにある日、見慣れない番号からゼレールに連絡があった。その電話で、ホプキンスが自分に会いたがっていると知らされると、ゼレールは大急ぎでL.A.に飛び、ホプキンスと朝食を共にする。

「僕にとっては重要なミーティングだから、会う前は当然、すごく緊張した。でも、5分も経つと打ち解けたよ。帰り際、彼は僕をハグしてくれて、『この映画を作ろう。半年後にはスケジュールが空くから』と言ってくれた。頭が良く、優れた才能を持つ人であるのは知っていたが、とても気さくな人柄だったことには驚いたね。監督にとって、そこはとても大事だ。気さくな役者は仕事に全神経を注ぎ、監督が自分の作りたい作品を作ろうとするのを邪魔しないから」。

撮影現場のフロリアン・ゼレール
撮影現場のフロリアン・ゼレール

 オリジナルの舞台劇で、認知症を抱える主人公には名前がなく、ただの“父”。映画版の脚本を書くにあたり、アンソニーという名前を付けたのは、ホプキンスに演じてもらいたいという気持ちの反映でもあり、彼が役に入っていきやすいようにという配慮でもある。

「アンソニー・ホプキンスにこの役をやってもらうのは不可能だろうと思いつつも、彼が脚本を読んでくれた時、僕はこれを彼のために書いたんだということを感じてほしいと思った。それに、彼自身がもつ死についての考え方や恐れなどをこの役に持ち込んでほしいということも、さりげなく伝えたかったんだ。彼はメソッド演技法をやる役者ではない。キャラクターについてひたすら話し合いをしたがったりしない。そうでなく、その瞬間、瞬間にコネクトするのがアンソニー・ホプキンスという俳優だ。僕が彼に望んだのは、自分自身の気持ちにまっすぐ入っていってもらうこと。彼は、撮影中、何度もそれをやってくれたよ」。

 クライマックスの衝撃的なシーンも、そのひとつだ。あそこであのように感情を爆発させるのは、ゼレールが最初から決めていたこと。そもそもあのシーンが頭にあったからこそこの物語を書いたのだとも、ゼレールはいう。

「すべてを剥き出しにしないといけないあのシーンは、役者にとって難しい。アンソニーも、最初はやや苦労していた。だが、突然にして、それが起こったんだ。僕が求めていた、とても奥の深い、パワフルな演技が、目の前で生まれたのさ。『カット』の声をかけた途端、僕はアンソニーに歩み寄り、彼を抱きしめた。彼は泣いていたよ。僕も泣いた。クルーも、みんな泣いていた。アンソニーはとても頭の良い役者。なんでも完璧にコントロールする。今作で、彼は、知性が何の意味ももたない世界に入っていかなければならなかった。あのアンソニー・ホプキンスが何もコントロールをできない様子を見るのは辛い。でも、そこから僕は何か新しいものを探索したかったんだ。純粋な人間の感情というものをね。そこへ導いてくれたアンソニーには、感謝してやまない」。

 一方のホプキンスも、ゼレールとの仕事を大いに楽しんだようだ。ホプキンスに言わせれば、ゼレールは、「卓越した才能をもつ、謙虚な天才」。デビュー作にしてホプキンスとオリヴィア・コールマンという大物と組み、大成功を収めてみせたゼレールには、すでに次の映画も決まっている。やはり自らの戯曲を映画化する「The Son」で、キャストはオスカー女優ローラ・ダーンと、オスカー候補俳優ヒュー・ジャックマンだ。

「ここまでの道のりを、僕は一歩ずつ進んできた。若い頃はライターになりたくて、そんな中、偶然、舞台を見つけた。舞台をやりながら、ここ何年か、映画をやってみたいと願うようになり、今、それが実現したんだ。もしこの映画が失敗したら全部自分の責任だと思ってきたよ。だって、これは、100%僕が思ったとおりの映画になったんだから。そんな機会を与えられた自分は幸運。映画作りはぜひこれからも続けていきたいよ」。

娘を演じるオリヴィア・コールマンも助演女優部門でオスカーに候補入りした
娘を演じるオリヴィア・コールマンも助演女優部門でオスカーに候補入りした

「ファーザー」

認知症を抱えた主人公アンソニー(アンソニー・ホプキンス)と、そんな父を介護するアン(オリヴィア・コールマン)の物語。認知症を本人の視点で描く今作は、今年のアカデミー賞で主演男優賞(ホプキンス)と脚色賞(ゼレール)を受賞。ほかに作品部門、助演女優部門(コールマン)、美術部門にもノミネートされた。母に代わって自分を育ててくれた祖母が認知症と闘う様子を15歳の時に間近で見たゼレールは、その経験を人々と分かち合いたいと思い、オリジナルの戯曲を書いたと語っている。

写真クレジット:NEW ZEALAND TRUST CORPORATION AS TRUSTEE FOR ELAROF CHANNEL FOUR TELEVISION CORPORATION TRADEMARK FATHER LIMITED F COMME FILM CINÉ-@ ORANGE STUDIO 2020

L.A.在住映画ジャーナリスト

神戸市出身。上智大学文学部新聞学科卒。女性誌編集者(映画担当)を経て渡米。L.A.をベースに、ハリウッドスター、映画監督のインタビュー記事や、撮影現場レポート記事、ハリウッド事情のコラムを、「シュプール」「ハーパース・バザー日本版」「週刊文春」「キネマ旬報」他の雑誌や新聞、Yahoo、東洋経済オンライン、文春オンライン、ぴあ、シネマトゥデイなどのウェブサイトに寄稿。米放送映画批評家協会(CCA)、米女性映画批評家サークル(WFCC)会員。映画と同じくらい、ヨガと猫を愛する。著書に「ウディ・アレン 追放」(文藝春秋社)。

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