ウクライナでロシア人の書籍と音楽を、禁止や大制限する法が採択。共感と反発の波紋
少し前のことになるが、6月19日、ウクライナ議会で「ロシアの攻撃的なプロパガンダから(自国の)文化を守る」ことを目的とした法案が、採択された。
ウクライナ議会の下院議員450人のうち303人から支持を得た。
これは、ロシアの書籍や音楽に厳しい制限を設ける、主に2つの法律からなる。
キーウは、モスクワの侵攻後、両国間に残っている多くの文化的なつながりを断ち切ろうとしているのだ。
まずは書籍について。
ロシア、ベラルーシ、ウクライナ占領地で印刷されたロシア語書籍の商業輸入を禁止する。これら以外の国からロシア語の書籍を輸入する場合は、特別な許可を必要とする。
また、ロシア人による書籍の出版や印刷を禁止する。
この禁止令は、1991年というソ連が崩壊してウクライナが独立した年以降にロシア国籍を取得した者にのみ適用される。ロシアのパスポートを放棄してウクライナの市民権を取得すれば可能になる。
次に音楽について。
メディアや公共交通機関、学校、レストラン、映画館など公共の場で、1991年以降のロシア人によるロシア音楽を流すことを禁止する。
この「1991年以降」という制限が付いたことによって、例えばトルストイやプーシキンなどの書籍を販売することは可能だし、チャイコフスキーやショスタコビッチなどの音楽を流すのは可能ということになる(年代的にも、歌詞がないことからも)。
このように禁止事項は、古典よりも現代の作品に厳しく適用されていると言える。
この法律は、ゼレンスキー大統領の署名を必要とする。15日以内に署名するか権利を放棄すれば、有効となる。
彼自身、ドンバス地域でロシア語を話す家庭の出身で、俳優としてのキャリアはすべてロシア語だった。しかし、侵略されて以降、「脱ロシア化」は、ウクライナで加速する大キャンペーンだった。その一環であるこの2つの法律に彼が反対する気配は、全くない。公布されるのは疑いがないだろう。
特別な認可を受けるには
法律はさらに複雑で、例外の規定を設けている。
ロシア人が書いたロシア語の本は、例えばリトアニアから輸入することは可能である。そのためにはテレビ・ラジオ放送国家委員会(ロシアのプロパガンダと戦うために2016年に特権が強化された公的機関)の特別な認可が必要となる。
提案された法案に取り組んだウクライナのアイデンティティを守る活動家、タラス・シャメイダさんは「輸入するには、委員会が本を読んで、ロシアのプロパガンダかどうか、判断するのを待つしかない」と説明する。
音楽については、ロシア国籍のアーティストには例外がある。
ウクライナの治安機関であるSBUに、「国の主権と領土の一体性を支持する」旨を宣言する要請書を送る。SBUは、アーティストがウクライナに反抗したことがないことを確認して、ホワイト・リストに載れば、活動を継続できる。
このようにウクライナでは、「脱ロシア化」がどんどん進んでいる。
これらの新しい規則は、ロシアによる数百年の支配の遺産を取り除くことが目的である。ツァーリ(ロシア皇帝)の時代から、何世紀にもわたって、ウクライナのアイデンティティを押しつぶすことを目的とした政策が行われてきたが、それを取り消すために必要であるという。
首都キーウでは、すでに数百カ所で、ロシアの人物名がついた通りや施設の名前を改名することになっている。4月には、ソ連時代のウクライナ人とロシア人の友情を祝う記念碑が取り壊され、集まった群衆から歓声が上がったという。
仏誌『リベラシオン』によると、6月上旬、ウクライナの教育大臣は、トルストイの『戦争と平和』やその他の「ロシアのプロパガンダを助長する」文学作品を、今後学校で教えないことを発表したということだ。
2014年のクリミア占領とドンバス紛争から、脱ロシア化は勢いを増していたが、2月24日の本格的な侵略の開始後に新たな局面を迎えた。
反発と共感と
この措置は、様々な反応を引き起こした。
書店員のアレクサンドル・ドロビンさんは、AFPの取材に対し「これは行き過ぎです」、「真の愛国者であることを何よりも示したい人もいただろうけど、これは愛国者であることを示すことにはなりません。人口の約半分がロシア語話者であり、ロシアの文化にも興味があるのだから。ロシアの歴史には、いいものがたくさんあります」と述べた。
少し離れた書店で働くアナトリ・グンコさんの店は、ほとんどウクライナ語の本ばかりである。この法律は「必要」だと考えているが、「ウクライナ語だけ話せ、ロシア語はダメというのは、ちょっと厳しい」と考えている。「なぜロシア語はロシアに属するものだというのでしょうか。世界では3億人がロシア語を話しています」と熱く語った。
一方、キーウの別の書店員は、フランスのテレビの取材に対し「この書店では、もともとロシア語の本は少なかったですが、世界の文学の棚に何パーセントかロシア文学の本がありました。ロシアの侵略後は、棚から撤去しました」と語った。
ある弁護士は匿名で気持ちを述べた。
「私はロシア文学をたくさん読みましたし、大好きでしたし、今でも大好きです。でも、正直に言うと、2月24日以降、私にとってロシア文学は死んでしまったのです」と彼女は言った。
筆者はパリで、ウクライナ人に接する機会がしばしばある。ある男性は、あの日まではウクライナ人とロシア人は、ウクライナで共存してきたが、「もう終わりだ」と、その顔に憎しみをよぎらせて、吐き捨てるように言った。
侵略と戦争によって確実に時代は変わり、ウクライナの長い道のりの最新章が始まっているのだろう。
言語の問題と、偉大な作品の普遍性
しかし、それほど状況が単純ではないのも事実である。
言語学者で、フランスのエクス・マルセイユ大学の名誉教授であるニコラ・トゥルナドルさんは仏誌『ル・モンド』への寄稿で説明する。
「言語的・文化的にかなり複雑な事情があるのです。
確かにウクライナはバイリンガル国家であり、首都もヨーロッパでは数少ないバイリンガル国家であると言えます。でも、真の母国語としてのウクライナ語は、東部よりも西部で話されています。
南部や東部の一部では、ロシア語やウクライナ語との混合言語であるスルジク語が一般的であることは、覚えておく必要があるでしょう」
「ウクライナ語が主体である人ほど、ロシア語に対して拒否反応を示しやすく、ロシア語を『もう使わない』と主張することも理解できます。
でも、ロシア語を母語とするウクライナ人、あるいはアーティストであるアンドレイ・ダニルコのようにスルジク語を母語とする人(15%から20%という調査もある)にとって、事態はより複雑です。
なぜなら、これらの人々は普段使っているコミュニケーション言語を放棄して、ウクライナ語を採用しなければならないからです」
さらに、この問題には「偉大な作家の作品は、出身国や宗教、民族に関係ない、世界文学である」という論点が存在するが、この点については、以下のように話す。
「ウクライナのコサック出身で、ロシア語で書いたゴーゴリや、オデッサ出身のユダヤ人大作家、イサク・バベルはどうでしょうか。アンドレイ・クルコフのように、ウクライナ語とロシア語の両方を話しながら、ロシア語で作品を書いている現代のウクライナ人作家を読むこともやめるべきなのしょうか」と、問題提起をしている。
さらに「第二次世界大戦後に、ドイツ語やドイツ語圏の偉大な作家たちーーゲーテ、カフカ、トーマス・マン、ブレヒト、シュテファン・ツヴァイクーーなどの読解にも、同じような問題が存在したと指摘できるでしょう」と述べた。
名誉教授は、この問題は、音楽、絵画、映画などの他の芸術分野にもあてはまるだろうという。
翻訳本にも及ぶ規制
ウクライナの書店は、2023年1月1日まで、1991年以降に出版されたロシア国籍の作家による文学作品を販売することができる。それ以降は販売禁止となる。
今の段階では、既にウクライナで販売されている本は対象にならず、移行期間ののちに禁止となる。だから焚書は起こらないし、する必要もない・・・はずである。
ある書店員は、ナディアという名字しか名乗らないが、この新法を擁護する。
「戦争が始まると、人々はウクライナ語で本を読むようになりました。ウクライナには、優秀な作家がたくさんいるんです」と彼女は言う。
ウクライナの書店では、ロシア語に翻訳された本の販売も禁止される予定である。「原作のロシア語訳を普及させるべきではありません」と、前述の活動家シャメイダさんは言う。「翻訳本は、ロシア語の代わりにウクライナ語、タタール語、EUの24の言語で入手できるようにすべきです」。
導入されるはずの法律では、ロシア語の書籍を販売していない事業者に対して、家賃の支払い支援など、国からの金銭的補償が導入されるという。
ナショナリズムの力強さと危うさ
あるウクライナ人の女性は語る。
「祖母がウクライナ語を話す時、私は恥ずかしいと思っていました。それは田舎の言語だと思っていたんです。私はなんてロシアのプロパガンダに毒されていたのだろうと思います」。
現在、多くのウクライナ人の心の中で、ロシア語は恐ろしい侵略者の言葉、「ラチスト(rachistes)」(「ロシア」と「ファシスト」の縮約形)の言葉と結びついていると、前述の言語学のフランス人名誉教授は説明する。
5月11日にエクス・マルセイユ大学で開かれた、ウクライナの文学と戦争をテーマにしたセミナーでは、ウクライナの学者たちが、文字通り爆撃の下で作られた非常に感動的な詩を読んだ後、ロシア軍の侵略の後は、もうロシアの古典文学を読むことはできない、と述べたそうだ。
すべて理解できることだ。それでも一つの言語の文化を葬り去ろうとすることに、民主的な議会の議決とはいえ、国家の権力で行うことに、どうしようもない不安を覚える。
合法な「焚書」・・・真性のプロパガンダ本はともかく、言語で区切ってしまうのは、人間の知性に対する冒涜になりはしないか。
こんな意見は、安泰な国の市民のぜいたくなのだろうか。きっとそのように批判されることはわかっている。
それに、プロパガンダ本を定義するのは至難の業だ。プロパガンダと、生まれた国を愛する自然な気持ちの発露はどう区別するのか。ウクライナ人にとっては、ロシア人は自分たちを殺そうとする敵であり、ロシアを愛する者は敵なのだろう。理解出来るし、無理からぬことだと思う。
一つ確かなことは、私たちは今、「国家(nation)」の誕生を毎日見続けているということだ。nationとは、単純に「国」ではなく、民族や文化、宗教などで一つの強い共同体意識をもつ国のことである。
参考記事(2021年5月):「国」って何だろうか【前編】国には複数の種類がある:英国解体の危機に考える
例えば、冷戦時代、東西ドイツという二つの国があったが、ドイツというnationは一つであった。チトーのユーゴスラビアは、国は一つだったが、内部にnationは少なくとも六つはあった。
より正確には、今ウクライナで起こっていることは「国民国家(nation-state)」の誕生である。一つの国家に、民族や文化、宗教などで一つに結ばれた一つの国民がある、という意味である。
ナショナリズム(nationalisme)とは、nationから来た言葉であるが、二つの側面がある。
支配や隷属から解放されて自由になる、独立するという意味では、大変ポジティブな力強い言葉である。
でもそこに至るには、民族主義を唱えることがほとんどである。自分たちは独立に値する、固有で価値ある民族だと唱えることになり、それは閉鎖的、排他的でネガティブな要素となりうる。
プーチン大統領がウクライナの動きを「ナチス」と呼ぶのは、「ナショナリズム」が元々もっている危うさゆえ、との解釈は可能だろう。
しかし結局は、支配権力を失いたくない側の、政治的プロパガンダになっている。
かつて英国のキャメロン首相は、スコットランドが独立を問う住民投票を行うことを許可した。住民によって選ばれたスコットランド自治政府の議会が望んだからだ。もし許可しなかったら、プーチン大統領のロシアのように、帝国主義者になってしまう恐れがあった。英国の民主主義の高度さがわかる事例である。
ロシアは、冷戦崩壊後から約30年、今までずっと、現在のような姿だったわけではない。ウクライナ人と同じように、欧州に憧れるロシア人は大勢いた。だからロシアの欧州やEUに対する姿勢は、揺れ続けた。プーチン氏ですらそうだった。
でも結局、最後まで、ロシアは偉大な一つの文明であるという思いが勝っていた。その誇りを捨ててまで「西側」に入ることはできなかったのだろう。
現在は、敗者になった国の末期的な姿。私たちは一つの文明の終末を見ているのだと思う。
一つの国民国家の誕生と、一つの文明の終末。文明から文化への変容。こんな時代のうねりを目の当たりにすることになるとは、夢にだに思わなかった。