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ロシアの世界的な小麦戦略:アフリカから一帯一路利用まで、戦争勝利のために人の飢えを質にとるか

今井佐緒里欧州/EU・国際関係の研究者、ジャーナリスト、編集者、作家
2018年9月、ロシア・クラスノヤルスク州のシベリア村タルニキ郊外での小麦の収穫(写真:ロイター/アフロ)

小麦が戦争の「質」にとられて久しい。

「ロシアは、意図的に選択して、穀物輸出を『軍事化』している。そして、侵略に反対する者を脅迫する道具として使用しているのだ」

6月18日、欧州連合(EU)の外務大臣にあたるボレル上級代表は、公式ブログでこのように非難した。

食料の安全保障の脅威は、20日にルクセンブルクで開かれたEU外相会議で、議論の焦点となった。

ロシアが黒海を封鎖しているために、ウクライナの穀物が輸出できなくて、世界的な問題になっているのは、既に知れ渡っている。

しかし、小麦を「軍事化している」「質にとっている」という批判は、どういう意味なのだろうか。

これには、単純に「ウクライナの小麦が輸出できなくて、輸入国が困っている」という意味以上のものがあるのだ。

トーチカ-U弾道ミサイルの残骸が、冬小麦畑で、ドネツク州のソレダルの町付近の冬の小麦畑で見られた。6月8日
トーチカ-U弾道ミサイルの残骸が、冬小麦畑で、ドネツク州のソレダルの町付近の冬の小麦畑で見られた。6月8日写真:ロイター/アフロ

食糧安全保障上の危機を作り出すか

ロシアは小麦大国である。

小麦の輸出では、ロシアは世界第1位である。ウクライナは(EU、オーストラリアに次いで)第4位だが、両者を合わせると、世界の小麦輸出量の約3分の1を占める。

どちらも小麦の大輸出国で、以前からライバル関係にあった。といっても、かつてロシアは、世界最大の小麦輸入国だった。輸出国となったのは、2000年代以降である。ソ連が崩壊して10年たったころから、黒海は世界の穀物市場の中心的な基準点となった。このため、黒海周辺の両国は、新興輸出国と言われる。

また、両国の小麦は、品質的には、アメリカ等に劣り、仕向け先としては中東が主である。

戦争が始まって、小麦価格は高騰した。さらに、肉、卵、乳製品も値上がりしようとしていた。家畜の餌代は、穀物の値段と密接に関係しているのだ。ブルガリアは穀物の輸出を制限する措置をとろうとし、ハンガリーは外国販売禁止まで検討し始めた。

World Grainオンライン版の3月下旬の報告では、戦争が始まって約1ヶ月、ロシアの小麦の外国向け販売はほとんどないと述べていた。ロシア産小麦に対して、ロシア以外の顧客からの需要が全く見られないという状況だった。

原因はいくつか考えられた。

戦争初日に既に、アゾフ海(黒海につながる)で海運がストップしたこと。港は閉鎖されたままで、ウクライナの物流インフラは深刻なダメージを受けると予想されていたこと。

そして、多くの国や企業がロシアに対して行った制裁は、世界の商品取引に長期的な影響を与え、多くの世界規模の銀行がロシアの商品を含む取引から、貿易金融を撤退させることになると予測されたことだ。

しかし、ロシア側からは強気の声が聞こえていた。

ロシアの穀物の主な輸入先は東南アジア、アフリカ、中東諸国であり、ほとんどの国が対ロ制裁を導入していない地域である。だから、もし欧米の制裁に直面しても、他の必要な国々に輸出すればいいのだ、と。

3月下旬の時点では、先行きはあまりにも不透明だった。もちろん、他の国が増産する動きは考えられた。例えば、ウクライナの小麦はほとんどが秋に作付けされるが、世界の小麦輸出量第8位のカザフスタンは春であり、増産すれば助けになるだろうと。

でも、いくらかのギャップを埋めることはできるだろうが、世界の小麦輸出の3分の1を代替するのは不可能である。

しかもロシア政府は、3月14日、ベラルーシやカザフスタンなどの旧ソ連の近隣4カ国への小麦など穀物の輸出を、一時的に制限することを決めたのだった。

確かにこれは、自国民を価格高騰から守る手段と説明できる。この状態で自由に輸出をすると、小麦価格が国際価格と同水準になるほど高騰してしまい、国内供給が減少する。所得の低い自国民が耐えられなくなってしまうのだ。

しかし実際は、一石二鳥を狙った可能性が高い。

この時点で、専門家のグループの中には、ロシアが小麦を武器として使い始める可能性に言及していた人たちがいた。

ロシアは、これまでウクライナからの輸入に頼っていた国々に、重要な穀物供給を断ち切ったのである、と。「ロシアは、これらの国々に、困難が増大しているは西側のせいだという考えを売り込むことに重点を置くだろう。よく知られた偽りのシナリオ・キャンペーンの1つである」と語った。

ウクライナ・ミコライウの小麦農家のひとたち。6月
ウクライナ・ミコライウの小麦農家のひとたち。6月写真:ロイター/アフロ

「そして、ウクライナや他の場所でのロシアの主張を認めるかわりに、クレムリンは必要な穀物を提供する。このような方法で緊張を緩和することを望むだろう」、さらには「ロシアは近い将来、誰が重要な食糧供給を受けるかだけでなく、誰が受けないかを決定できる立場になるかもしれない」とすら予測した。

最も脆弱な国家や地域に対して、意図的に食糧安全保障上の危機を作り出す戦略であるというのだ。

黒海から輸出される小麦

それでは、ロシアの小麦は、本当に輸出されていないのだろうか。ロシアは黒海にばらまかれた機雷は、ウクライナが行ったものであると主張している。黒海から船舶で輸出できていないのだろうか。

6月上旬、「ニューヨーク・タイムズ」紙は、ロシア船が「ロシアが略奪したウクライナの穀物」を、黒海を渡って輸出している可能性を報道した。

アメリカ政府が5月中旬、アフリカを中心とする14カ国に、「盗まれたウクライナの穀物」を積んだロシア船が向かっている可能性があると公電で警告していたというニュースだ。

さらに、米国国務省は、3隻のロシア貨物船を名指しして、「盗まれたウクライナの穀物」を積んで、クリミア半島近くのロシアの港(ケルチ海峡)と東地中海の各港を行き来していると批判した。

クリミア併合前の2013年7月、ウクライナ南部の都市ミコライフにある農産物出荷ターミナルで、大麦粒が4万トンの船に注ぎ込まれる。以前はこのように黒海から輸送されていた。
クリミア併合前の2013年7月、ウクライナ南部の都市ミコライフにある農産物出荷ターミナルで、大麦粒が4万トンの船に注ぎ込まれる。以前はこのように黒海から輸送されていた。写真:ロイター/アフロ

ウクライナはずっと、ロシアは占領地域から、特にザポリツィア、ケルソン、ドネツク、ルハンスク地域からウクライナの穀物を略奪したと主張し続けてきた。農業機器も同様である。最大50万トン、1億ドル相当という非難だった。

ウクライナ当局によると、略奪された穀物の多くは、クリミア半島のセヴァストポリなどの港に流れ着く。そしてそこから、小麦を船舶で輸出していることが、ウクライナの調査サイト「Myrotvorets」によって確認されたという。

ロシアの国営テレビのコメンテーターは、このことを特に隠すのでもなく、これからも続けるつもりだと語ったという。ロシアから見たら「取り戻したロシアの土地の作物」なのだろう。

とはいえ、制裁逃れのごまかしはしていたようだ。海洋追跡サイトや船舶を監視する専門家によると、4月から米国の制裁下にある船舶の一部は、出港地を隠すためか、海に出るまでトランスポンダー(無線中継機)をオフにすることが多いという。

さらに、最終目的地を隠すためか、地中海を横断中にトランスポンダーをオフにすることもあった。彼らはトルコやシリアに停泊することもあった。

しかし、衛星画像には映るし、地上の監視員に撮影されることもあるのだ。

鍵を握るのはトルコである。クリミアから出航したロシア船は通常トルコ領海を通過するため、盗まれたウクライナの穀物を追跡する取り組みではトルコが焦点となっている。

ただ、様々な証拠があるとはいえ、ロシアが輸出する小麦がどこから来たものか、ロシアなのかウクライナなのか、すべてを特定するのは難しい。

ある米政府関係者は「ロシアが大幅な値引きをして販売しているかどうかが、一つの目安になるかもしれない」と述べたということだ。

中国とイランの協力をあおぐ

仮に黒海を渡らないとしても、ロシアには別の輸出方法がある。

ウクライナ政府と在露フランス大使館で農業アドバイザーを務めたことのあるジャン=ジャック・エルベ氏が言及するのは、中国との一帯一路と、イランとのペルシャ湾の利用である。

まず、一帯一路のシルクロード経済ベルト。このシベリア横断ルートは、すでに双方向に利用されている。この路線は、かなり以前からルートの大部分で複線化されていた。

カザフスタンを経由して、中国南部の主要港に至る支線があり、そこから大型船(5万5000トンのパナマックス)で輸入国へ出荷することができるのだという。

実際に中国の税関当局は、ロシアによるウクライナ侵攻が始まった2月24日、ロシアからの小麦の輸入を拡大すると発表した

これまで、ロシアからの輸入は地域を限定して行われてきたが、今後は、病害の発生がない地域であればどこからでも加工用の小麦の輸入を認めるとした。

中国メディアによると、侵攻が始まる前の2月4日、北京オリンピックの開会式に合わせて開催された中ロ首脳会談で決定したもの。今後、ウクライナからの輸入が滞る可能性があるためとした。つまり、中国は事前に侵攻を知らされていたことになる。

さらに、カスピ海西岸を走る鉄道も利用できる。「アスタラ〜ラシュト〜カスヴィン鉄道」は、ロシアとイランをアゼルバイジャンを通って結び、ペルシャ湾のバンダレ・アッバース港(イラン南部)に達している。

イラン側は、積極的な輸送支援を申し出ており、イラン企業が貿易を支配することができると歓迎している。

Googlemap上に筆者がイランの「ファイナンシャル・トリビューン」の資料を加えて作成
Googlemap上に筆者がイランの「ファイナンシャル・トリビューン」の資料を加えて作成

そこから地中海、パキスタン、インドネシアへ、場合によってはシリアのタルタスやエジプトのアレキサンドリアにあるロシアの穀物ターミナルを利用して、穀物を船舶で運ぶことができるのだ。

どちらもコストがより多くかかるが、戦争勝利のためには払えないコストではないだろう。

プーチン大統領のアフリカ戦略

6月3日には、プーチン大統領は、アフリカ連合(EUをモデルにしている)のマッキー・サル総会議長と会談をした。

サル氏はセネガルの大統領で、今年の総会議長を務めている。食料危機に瀕しているアフリカ大陸の代表として演説を行い、「親愛なる友人ウラジミール」と呼んだのだ。

プーチン大統領は6月3日、ロシア・ソチのボチャロフ・ルーチェ国家所有の邸宅で、サル大統領との会談にのぞんだ。ちなみにサル氏は2月にブリュッセル(EU)を、6月10日にフランスを訪問している。
プーチン大統領は6月3日、ロシア・ソチのボチャロフ・ルーチェ国家所有の邸宅で、サル大統領との会談にのぞんだ。ちなみにサル氏は2月にブリュッセル(EU)を、6月10日にフランスを訪問している。写真:ロイター/アフロ

国連によれば、ロシアとウクライナは通常、アフリカで必要な小麦の約40%を供給している。

ロシアは、クリミア併合で欧米の制裁が始まった2014年から、農業経済外交を展開している。ターゲットはアフリカやその他の発展途上国である。

2019年10月には、ロシアの黒海沿岸の街ソチで、ロシア・アフリカ首脳会議を開催した。プーチン大統領が、旧欧州植民地と中国の野心に代わるパートナーとして自らを提示するためだった。

アフリカには、まだロシアが影響力を行使しようとする余地がある。

アフリカの中には、ロシアからの武器供与への依存、西側のダブルスタンダードに対する認識、ヨーロッパの植民地支配に対する歴史的な感情、冷戦時代から続く共産主義などのシンパシー、等々が存在するケースがある。

これらは、アフリカの国々が、西側の懲罰的な対ロシア制裁キャンペーンに対してアンビバレンツな態度をとっている理由だと言われる。また、ロシアを非難する国連決議で、アフリカ大陸では「中立」である国々が多いのも、これらが理由かもしれない。

しかし、今回の問題で最も重要なのは、食料危機にある国や地域は、とにかく小麦がほしいことである。

穀物の価格は過去1年間で23%上昇しているという。国連によると、「アフリカの角」地域では、壊滅的な干ばつにより、主にソマリア、エチオピア、ケニアの一部で1700万人が飢餓状態にあるという。ソマリアでは20万人以上が飢餓の危機に瀕している。

最新のニュースでは、国連世界食糧計画(WFP)は6月2日、スーダンの人口の3分の1にあたる過去最高の1500万人が現在、深刻な食糧不足に直面していると発表している。

今年始めには、今月から9月まで、スーダンの食料が乏しい「リーンシーズン」には、人口の最大40%、約1800万人が食糧難に陥る可能性があると、国連が既に警告していた。

内戦や紛争が続くスーダンでは人々は飢餓に苦しむことが多い。写真は南スーダンのニャールの町付近で、食糧の袋を投下する国連世界食糧計画(WFP)の飛行機。2018年8月。
内戦や紛争が続くスーダンでは人々は飢餓に苦しむことが多い。写真は南スーダンのニャールの町付近で、食糧の袋を投下する国連世界食糧計画(WFP)の飛行機。2018年8月。写真:ロイター/アフロ

人間が、国民が飢えの危機に瀕している時に、受け取る小麦に「道徳」を求めることは、どうなのだろうか。アメリカが「略奪された小麦」を買わないように要請したときも、強制ではなくて、ご協力を願うという精神だったという。

いくらプーチン大統領が「小麦を(実際はしているが)輸出できないのは、制裁をする西側のせいだ」、「この侵攻は防衛のためだ」と叫んでも、小麦を受け取る側は、決して略奪されたものを喜んで受け取るわけでも、プーチンのウクライナ侵略が正しいと思っているわけでもないケースは多いと思われる。

ケニア外務省の首席秘書官であるマチャリア・カマウ氏は、ケニアがアメリカの「ご協力」メッセージを受け取ったことを否定したという。「そもそもなぜ彼らは私たちに警告する必要があるのでしょうか?」 、「なぜ略奪されたものを買う人がいるのでしょうか?  これはプロパガンダの策略のように聞こえます」。

こうして食糧を、人の飢餓を武器にするプーチン大統領は、民主主義国の人々や、人間の飢えというものを真剣に考える心ある人々に、軽蔑されるだろう。

たとえそうでも、代替の小麦量が圧倒的に足りない以上、ウクライナの小麦を輸出できなければ、人々が飢えてしまう。そのことを危機と感じる人間の心をもっている限り、不利なのは西側なのだ。

それでは、EUやトルコ、国連はどのような対策を講じているのだろうか。何が今、主だった問題なのだろうか。

長くなったので、稿を改めることにする。

欧州/EU・国際関係の研究者、ジャーナリスト、編集者、作家

フランス・パリ在住。追求するテーマは異文明の出会い、平等と自由。EU、国際社会や地政学、文化、各国社会等をテーマに執筆。ソルボンヌ(Paris 3)大学院国際関係・欧州研究学院修士号取得。日本EU学会、日仏政治学会会員。駐日EU代表部公式ウェブマガジン「EU MAG」執筆。前大使のインタビュー記事も担当(〜18年)。編著「ニッポンの評判 世界17カ国レポート」新潮社、欧州の章編著「世界で広がる脱原発」宝島社、他。Association de Presse France-Japon会員。仏の某省関連で働く。出版社の編集者出身。 早大卒。ご連絡 saorit2010あっとhotmail.fr

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